天秤座
天秤座のアジトは、まさに『アジト』だった。
ワインレッドで統一された壁や床の装飾、周囲に溶け込む同系色のソファ、ビリヤード台、ダーツ盤、天井から吊り下げたモニター等々。男子ってこういうの好きだよね、みたいなアイテムが散りばめられている。
正直めちゃくちゃテンションが上がってしまったが、委員長の手前、あまりはしゃいだ顔は見せられない。俺はニヒルに「へぇ」と笑って済ました。
「かっ…………こいい〜〜!!」
「え」
「すごい、すごいすごいすごい! 一度でいいからこんなお部屋で過ごしてみたかった! 夢叶った、もう死んでもいい!」
いや死んでるんだけどな。
しかし、委員長がこういった趣向が好きだとは思いもしなかったな。目を輝かせて部屋の隅に置いてあるジュークボックスをあらゆる角度から観察している彼女を見て、俺は斜に構えて興味無さそうに振舞ったのを馬鹿らしく思うのだった。
「とりあえず、そのソファに座ってもらえるかな」
「あ……はい!」
「…………」
ビンゴが指した、ビリヤード台などのアンティークな家具類から少し離れたところに設置された、応接用らしき低い机と椅子に着席する。
柔らく深いソファに座った瞬間、どっと疲れが溢れ出す。改めて、濃い一日だよなぁ……。
ていうか、明日からの仕事どうしよう。これまでは力二やあの組の連中がリスト回してくれてたから安定して食い繋げていたが、委員長の……ブラックセーラーのせいで、組は壊滅状態だ。
そろそろ詐欺師も潮時なのかな。文字通りの神様からも、足を洗えと言われたことだし。
などと考えていると、目の前の机に、カタッとコーヒーカップを載せたソーサーが置かれる。その音に反応してふと向けた視線が、見知らぬ少女と重なる。
「お砂糖とおミルク、どうします?」
「……ブラックで」
「承知ぃ〜。そっちのアナタは?」
「あ、ミルクだけ。お願いします」
いつの間に……てか、どっから出てきたんだ。全然気付かなかった。年は中学生くらいだろうか。
肩を出した薄手のワンピースという、少し前に流行った感じのファッションの上に、場違いなクマのエプロンを着けている。真っ黒セーラーの上に真っピンクのマントをつけた女が横にいるので何とも言えないが、初対面で印象に強く残るには十分なアンバランスさだ。天然パーマの髪を、フライパンの形のヘアピンで横に流している。
ヘアピンの少女は委員長のコーヒーに小さな瓶のミルクをひと回しすると、俺たちの対面に座ったビンゴにもコーヒーを置く。
そして彼に対しては出し慣れているからか、特に注文も聞かずに砂糖を入れ……いや入れすぎだろ。いや何個入れるんだよそれ。溢れてるだろ。えっまだ入れんの?
コーヒーに砂糖を入れてるんじゃなくて砂糖にコーヒー入れたって感じの図になってるが。イタズラの域超えてるだろ、軽いイジメか深刻な罰ゲームだよ。
「ありがとう、マヤンちゃん」
ツッコミなしかよ。アンタこれを日常的に好んで飲んでんのか。成神だから糖尿怖くないってか。
マヤンちゃんとやらは、自分で砂糖を山盛り入れておきながら、ビンゴのカップを見て口に手を当て「うぇ……」みたいな仕草をしながら、ビンゴの隣に座った。
……信じ難いが、どうやらこれこそがビンゴの好みのブレンド(?)らしい。おえ。
「さて、話を始める前に。彼女は高瀬マヤン。中学2年生。料理研究家の
「高瀬達子さんなら、私でも分かります。10年以上前から活躍されてますよね」
高瀬達子というと、昼のニュース番組でたまに料理企画やってるオバハンか。
時短レシピとかで人気みたいだが、自炊なんかチャーハンと袋めん以外何もしないし、あまり馴染みがないな。成神闘技に出てるとこも見たことないし。
委員長の言う通り、彼女は御歳40歳。10年前もバリバリテレビに出ており、この10年間死んでいた委員長でも知っている名前だろう。
母親の話をされ、マヤンは苦笑いする。
「ビンゴくん、オカンの名前出すのはやめてよ。家出中なんだから」
「家出中……? どこかに一人暮らしされているんですか?」
「ここにね」
「ここ!?」
ここって。綺麗な環境ではあるが、人の住める設備あるか、ここ。
俺たちの反応を見て何か悟ったマヤンは、あははと笑って、天井を指さす。
「アナタたち、まだエントランスとこの部屋しか見てないでしょ。この上にホテルみたいな造りの部屋があるんですよ。
「は、はぇー……令和にもなると、建築技術も段違いなんですね」
「この建物がおかしいだけだから」
「もしもお部屋を貸すことになったら、時任さんのお部屋はマヤンちゃんの隣になるかな」
その後、俺と委員長もマヤンに向けて軽く自己紹介を済ませた。
「じゃあ本題に入ろうか」
激ヤバシュガーコーヒーをひとくち啜ると、ビンゴは真剣な表情で委員長を正面から見据えた。
「単刀直入に言おう。時任神奈子さん、先程言った怪異現象を調査する組織……ここ、『
……先程の話。
令和に入り、成神の出現とともに頻発し始めた怪異現象。そして、その怪異のひとつである、人が寄り付かなくなった土地や建物の消滅。
怪異の調査や消滅危惧地区の保護を行う秘密組織……『天秤座』。
「…………」
返答に困り、少し眉を下げて黙る委員長に、ビンゴはさらに続ける。
「急にこんなこと言って困らせてしまったのなら申し訳ない。
安心してもらうために先に言っておくけど、これは取引ではないからね。時任さんがこれを断っても、例外なく当面の衣食住はこちらで提供しよう」
「あ、例外なくとは言っても、一番風呂はマヤ。これは譲る気ないから」
「……ちょっと静かにしててねマヤンちゃん」
「…………」
「さっき君と戦闘して分かった。君の『なんでも出来る』能力は、間違いなく、天秤座の誰より無限の可能性を秘めている。だからこれはスカウトだと思って欲しい。
働く以上、お給料は出せるし……それにさっきも言った通り、我々の活動は、君の蘇りの謎を解くことにも繋がると思うんだ」
「……ひとつだけ、お願いがあります」
ビンゴの説得を最後まで聞いた委員長が、数秒考え込むように俯き、意を決したように顔を上げる。
「こちらの椎橋くんも、しばらくの間、雇ってあげてくれませんか?」
「は!?」
いきなり何言い出すんだこいつ!
(私には、テレパシーが出来る)
委員長の声が頭の中に流れ込む。ホントに順応しまくってんな。応用効かせすぎだろ。
(聴いて、椎橋くん。これをきっかけに詐欺から足を洗いなさい)
(……俺の事なんか気にしてる場合じゃないだろ。今はあんたの衣食住確保を……)
(いくら詐欺で結託しているヤクザの組とはいえ、私がそれを潰してあなたの職を奪ってしまったのは事実でしょう。私にはあなたにその代わりを提供する義務がある)
り……律儀なのか馬鹿なのか。多分両方なんだろうな。
(誰が馬鹿ですって?)
思考を読むな! 話は分かったからさっさとテレパシー切れよな!
気になるビンゴの反応はというと、何の能力も持たない一般人の俺を雇うことに難色を示しているかと思いきや、意外にもにこやかに頷いていた。
「もちろん歓迎するよ。車の中で話をしてみた感じ、椎橋さんはぼくよりも成神についての知識が豊富なようだしね」
「いや、それはただミーハーなだけだが……」
「それに今、天秤座の座員には成神しかいないが、一般人の座員の意見も取り入れるべきだと思っていたんだよ。曲がりなりにも平和維持的な活動をしているわけだし、メンバーに成神しかいないのは何と言うか、フェアじゃないよなと思ってて」
「早い話、『ちょうど欲しかった人材』ってコト!」
「…………」
欲しかった人材……か。
詐欺師相手に何を言っているんだ、という感じだが、この歳になってくると、こういう言葉って言われ慣れなくて。どうにも照れ臭くなってしまう。
「じゃあ……そちらさんが歓迎してくれるのなら。俺もしばらくここに置いてもらえると……有難い」
「決まりだね。二人とも、これからよろしく」
委員長と俺、二人の手が、ビンゴの大きな両手に包まれるように握手を交わす。
やっぱマジシャンって手ぇデカいんだな。
「イェーイ! こういう時って、新歓とかやるんじゃないの? コンパとか!」
「大学生じゃないんだよマヤンちゃん。歓迎会ならやってもいいけれど……二人とも色々あっただろうし、とりあえず今日は休んでもらった方がいいんじゃないかな」
ビンゴの気遣いがありがたい。事実、今にも気を抜いたら眠りに落ちそうな委員長はもちろん、俺もこのままこのソファに座ってまどろみたい気分なのだ。
事務所での大立ち回り以外は特に何もしていない俺でさえこんなザマなのだから、今日初めて成神として自我が覚醒し、普通に生きていたらありえない量の新情報が頭にぶち込まれた委員長の疲れは推し量るまでもない。
「すまない、もし部屋が余っていればでいいんだが、今日は俺もここに泊めてくれないか?」
「大丈夫だよ! 部屋ならいっぱいあるし。あ、椎橋さんと神奈子ちゃん、同じ部屋の方がいい? ダブルベッドの部屋あるけど」
「お気遣いありがとう。でも、私と椎橋くんはそういう関係ではないから」
「…………」
この女、マヤンの言葉を聞いて一瞬本気で「ハァ?」みたいな顔しなかったか? たしかにそういう関係ではないが、そういうのやめろよな。マジで。この歳になると心にくるから。
マヤンの案内に従い、先程のエレベーターを使って上階に上がる。
疲れというのは自覚してしまうと急に牙を剥き始めるもので、G負荷がさっき入ってきた時よりもキツく感じた。
ガコン。エレベーターの動きが停止する。
「ここは『第1宿舎フロア』。上にもうひとつ宿舎フロアがあるの。101号室から106号室まであって、101号室が私の部屋ね。何かあったら言って!
はい、これルームキー。102号室が神奈子ちゃん、103号室が椎橋さん、っと」
「どうも」
「ありがとう」
「突き当たりにトイレとドリンクバーがあるからね」
カラオケかよ。なんでもありだなここ。
「それじゃ、おやすみ! 明日は8時に叩き起こすからね、疲れてるのに夜ふかししてると知らないよ!」
「あはは……」
「……お手柔らかに」
エレベーターの方へ去っていくマヤンに残された俺たち二人は、その後特に話をしたりすることもなくそれぞれの部屋に入った。
部屋に一歩立ち入り、鍵を閉め、「本当にホテルみたいだなぁ」なんて思いながら、ベッドに倒れ込む。
御丁寧に男女それぞれSML全サイズ、ベッド脇に用意された寝巻きに着替える。スーツは脱ぎ捨て。
楽な格好になってふかふかのベッドに寝転び、掛け布団を被ると……もはやまどろみなどはなく、そこにはただ、一瞬で底まで落ちる熟睡があるのみだった。
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