令和の怪異
加速パンチを一撃喰らわせたとはいえ、あの緋蜂にボロボロにされても起き上がってきたビンゴが、この程度で伸びたとは思えない。
「今のうちに逃げよう! 委員長、申し訳ないけど、加速で俺を運べるか?」
「ダメね。さっきみたいな加速をすると、空気との摩擦で普通の生身の人間は丸焦げになってしまうわ」
「く……それなら、瞬間移動とか!」
「さっきからイメージしようとしているのだけど……どうしても、発動しないのよ」
くそ、もどかしい……さっさとこの場を離れなきゃいけないのに。
せっかくのチャンスなんだ、今逃げなきゃまたビンゴとの戦闘に逆戻りになってしまう。
「……ぼくを倒すまで、この結界の外には出られないよ」
「っ!?」
「そんなっ……」
振り出しに戻る。どこからともなくビンゴの声が聞こえてきたと同時に、俺も委員長も、見えない手の力で縛られ、その場から動けなくなってしまう。
枝によって服がところどころ破れ、殴られた頬が腫れ、全身に木の葉がひっついたビンゴが、茂みの中を歩いてくる。
だが……最初と違い、その目にはギラギラとした敵意は感じられない。
「安心してくれ、もう戦う気は無い。そして事情を隠す必要も無い……正直に話してくれないか。どんな突拍子のない話でも、ぼくは信じる」
「…………?」
「何を急に……」
「さっき、ブラックセーラーに『なった』だとか、『死ぬ前から』とか言っていただろう。そのあたりのことを、隠さず、正直に話してくれればいい」
「…………」
ビンゴのその質問の意図はよく分からなかったが……俺たちは顔を見合わせ、何か心を決めた表情で頷いた委員長は、ビンゴの方に向き直り、口を開いた。
「……私の名前は、時任神奈子。
10年ほど前に死んで、最近生き返った……この玉田中学校の元生徒です」
#
委員長は、ほぼ全てを話した。
さすがに俺が詐欺師であるということは隠してくれたが、それ以外は全て。
今日俺と出会って名前を呼ばれたことで自我が覚醒したこと、それまでの記憶がほとんどないこと、何故かブラックセーラーの姿で生き返っていたこと、さっき学校の中で興梠ジョーと会っていたこと……。
「……興梠ジョー? 彼が、ここに?」
「はい。私を知っているようなことを言っていたのですが……」
「そう……か。済まない、変な所で止めてしまって。続きを頼めるかな」
ビンゴはどんな突拍子のない話もすんなり信じてくれたが、興梠ジョーの名を聞いた時だけは、少し困惑気味に話を止めてきた。
成神どうし、何か因縁でもあるのだろうか。俺が詮索すべきことではないが。
話は10分もしないうちに終わったが、その頃には、気付けば辺りは薄い紫の
ビンゴは神妙な面持ちで、話を聞いている間ずっと閉じていた目を開く。その瞬間、俺たちの体も拘束から開放された。
「……君と同じような人間を知っている」
「……――!?」
委員長から、声にならない感嘆が飛び出た。
俺も、黙って息を飲む。
「正確には、君に起こった謎の『蘇り』に似た現象の影響を受けている人間だ」
「私だけじゃないんですね……こういった特異現象が起きているのは」
「その人に会うことは?」
「……残念だが、その人物は、絶対にそのことを他人に知られたくないみたいでね。紹介することはできない」
……まぁ、委員長と事情は少し違うみたいだけれど、自分の身に当てはめて考えてみて、他人に自分が一度死んだ人間だと知られることは……少なくとも愉快ではないだろうな。
コンプレックスとかいうレベルじゃなく、そういった事情を他人に知られることは、自分の存在自体を揺るがす行為で、精神的な辛さを伴うものだろう。
「令和になって、成神が世に増えだしてから、君に起こっているような『怪異現象』がいくつか起こっている。この学校の異変だって、そのひとつだ」
ビンゴが、玉田中学校を指さす。
透明になり、点滅し、時折見慣れた姿が蘇ったかと思えばまた消え……周囲にカラフルな立方体がふわふわと浮いている、不気味な光景。
かつての母校の、あの奇妙な姿も……怪異なのか。
「『消滅危惧地区』。人から忘れられ、人が寄り付かなくなった場所は、あんな風になってしまう」
「……なるほど。そんな不安定な場所を成神がうろついていたから、アンタは不審に思ったわけだ。」
「そういうことだね。いや、色々と乱暴で済まなかった。申し訳ない……」
「あ、頭まで下げないでください。過ぎたことですよ!」
むしろこっちが過剰防衛で謝らなきゃいけないかもしれないしな。
「ぼくは、本職はマジシャンなんだけど、裏ではこうして、消滅危惧地区の保護や怪異現象の解決といった活動をしているんだ」
パチン。ビンゴが指を鳴らすと、周囲に張られた結界が解除された。
委員長が薙ぎ倒した木々も修復され、廃校と静寂な森が、来た時そのままの景色が蘇る。ビンゴと俺の服の汚れも、全てなかったことになり、まっさら綺麗になった。
「時に質問なんだけれど、時任さん。生き返ってから、今日やっと自我に目覚めたばかりだと聞いたけれど……寝泊まりする場所のアテはあるのかな?」
「あっ、いや、えっと……」
「アンタが来るまで、ちょうどその話をしてたんだ。人に迷惑はかけない、野宿で十分の一点張りで困ってて……」
「そんな強情じゃなかったでしょ!」
「……な、なんか、大変そうだね」
ビンゴに苦笑され、委員長が赤い顔をして俺のわき腹を小突く。
「よければだけど……誤解のお詫びとして、ぼくたちの拠点を貸そうか?」
#
とりあえず行くあてもないので、ビンゴの言葉に甘えることにした我々は、ビンゴを助手席に乗せ、車で再び走り出した。
ビンゴのナビゲートに従い、車を走らせること数十分。昼にビンゴと緋蜂が白熱の試合を演じていた通りに差し掛かる。
彼も喫煙者らしく、俺が開けっ放しにしていた吸い殻入れを見るや否や、「ぼくもいいかな?」と断りを入れ、懐から小さな箱のシガーを取り出して吸い始めた。
「あ、お昼の成神闘技、見てましたよ。凄かったです。ビンゴさんも、萌木さんも」
「あー……あはは。ありがとう」
「微妙な反応だな」
「……ぶっちゃけ。オファーが来たら断れないんだけど、正直あんまり成神闘技には出たくないんだよね。痛いし」
なんか、さっき委員長と戦っていた時はもっと厳しいというか、キツい性格なのかと思っていたが、こうして砕けた感じの彼と話してみると、さっきまでの印象とはほぼ真逆の人物なのだと分かる。
よく言えば優しく、悪く言えば少しヘタレ気味というか。自信が無いことを喋る時は声が尻すぼみになりがちだったり。
「緋蜂ちゃんも、もっとなんかこう……違う目標を見つけて欲しいよね。まだ若いんだし、こんなアラサーの手品師なんかより、若いアイドルの男の子とかとマッチメイクした方が客も寄り付くと思うんだけどなぁ」
「ビンゴさんのことが好きなんじゃないですか?」
「すぐに恋愛に結びつけたがるなよ、中学生かあんたは」
「享年15歳のれっきとした中学生ですが?」
「あ、あはは……まぁ100%恋愛感情はないと思うよ。緋蜂ちゃんは男性不信だからね」
「男性不信?」
世間知らずの(つい最近生き返ったばかりだから当たり前だが)委員長に、俺は週刊誌やワイドショーで聞きかじった程度の知識を話す。
緋蜂には、3年前、中学生アイドルとして教育番組に出演していた際に、元人気男性アイドルグループの
これを拒否したが、花川はなおも無理やり詰め寄り、ついに緋蜂は花川を蹴りつけて半裸で繁華街へと逃げ出した。
自身の芸能活動の道が閉ざされないよう被害を訴えたりはしなかったが、この件はすぐに週刊誌を中心に取り上げられ、花川は自首。緋蜂は自分が被害者であるにも関わらず、花川のファンたちから大バッシングを受け『炎上』する。
男性不信に陥り塞ぎ込む緋蜂だったが、家にしつこく押しかけてくるマスコミたちを追い払ってくれた親友の行動や、ファンの女子たちに励まされたことをきっかけに、今度は男性に向けたアイドルではなく、同世代の女子を勇気づけるためのモデルとして、芸能活動の続行を決意。
『炎上上等のJKモデル』を自称し、活動を再開する。炎上商法と揶揄されながらも、アイドル時代よりも仕事は急増し、一気にカリスマモデルとなる。
「……とまぁ、そんな経緯があるせいで、男には誰彼問わず塩対応なんだよ」
「塩対応って、冷たいってこと?」
「そう。だから握手会とかも女性に向けてしかやらないし、イベントも男性の入場は制限されるそうだ」
「酷い話だよ。彼女は100%の被害者なのに、マスコミによって『燃やされた』。騒動からかなり経った今でも、彼女が何かする度にワイドショーでしつこく取り沙汰する」
とはいえ、たしかに男性不信の緋蜂が、目的はどうあれ何度も何度も自分から接しに行っているという点において、ビンゴは彼女にとって特別な存在ではあるのだろう。
それが恋愛感情なのかどうかは別だが。
「あ、そろそろだね。椎橋さん、次の角を右に曲がって、すぐ左手にある駐車場に停めてもらえるかな」
「了解。……『拠点』なんて言うから、もっと仰々しいものなのかと思ってたが」
「椎橋くん、失礼でしょう」
「あはは……まぁそういう反応になるよね。ただの雑居ビルだし」
車を停め、外に出る。2人でヤニを吸っていたせいか、車内には思ったよりも臭気が充満しており、車外の空気がものすごく綺麗に感じられた。
さっき通った、昼間に成神闘技が行われていた大きな通りから、3キロ程度か。近くの電柱の表示を見るに、ここも一応八木央区内らしい。
「おっ……と」
「あっ、すみません」
「いや、こちらこそ」
委員長が、近くを歩いていた男性に肩をぶつけてしまった。随分と道幅の狭い場所なので無理もないかもしれない。
にしても、今の人……若く見えたが、髪が真っ白だったな。そういう体質なのか、染めてるのか。うすぼんやりと、そんなどうでもいいことを考えた。
駐車場から40メートルほど歩いて到着したのは、なんてことは無い、黄ばんだ白壁の至って普通の雑居ビル。重い扉を開けて、ビンゴに続いて中に入る。
中は、小さなマンションのエントランスのようになっていて、10戸ぶんくらい並んだポストと観葉植物、床のタイルの奇妙な模様と、それ以外には特に目の留まるようなものは見当たらない。
「……あれ? 階段は?」
「いちおう、ぼくたちの組織は秘密の存在ってことになっててるんだ。入るのにはちょっとしたカラクリがいるから、ぼくからあまり離れないようにね」
ふむ。俺と委員長は、気持ち一歩分くらいビンゴの方に体を寄せた。
ビンゴは袖口から手元へ滑らせるようにして小さな鍵を取り出すと、迷いなく『そこ』に向かって歩き、床の奇妙な模様のタイル、その一枚をガラリとスライドさせた。
そうして現れた鍵穴に鍵を差し込み……俺たちの方を振り返る。
「ええと。酔いやすい人、いる?」
二人顔を見合わせ、「まぁ、そんなに」みたいな曖昧な顔をする。
「オッケー、じゃあ行くよ」
差し込んだ鍵を、回す。
「んっ!?」
その瞬間、飛行機に乗った時よりも酷い、人生で一番の重力が体にかかる。
頭がぐっと押さえつけられ、足元と地面との接地感覚が虚ろになるような、言い表しようのない気持ち悪さ。
酔うほどじゃないが、なるほど、少しは身構えていないとキツいかもしれない。さすがにさっき飛行体験をしただけあって、委員長は少し「わっ」と声を漏らすだけで、あとは涼しい顔をしていたが。
この感覚……エレベーターか。
やがて、ガコン、という音と、少し荒い振動と共に、動きが止まる。
「今、上がった? 下がった?」
「下がったよ。さぁ、さっき入ってきたドアを見て」
後ろを振り向くと、さっきまで外の景色がぼんやり見えていたはずの入口ドアのすりガラスには、明らかに先程までと違う、ワインレッドの色が映し出されていた。
想像していたよりも大掛かりな仕掛けに呆然とする俺たちに先行し、ビンゴがドアを開ける。
「さぁ。ようこそ、『天秤座』へ」
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