私が私じゃないみたいで

「終わったか。じゃ、行くかね」


 成神闘技が決着し、徐々に車も動きつつある。短くなったヤニを車の吸い殻入れに捨て、ハンドルを握る。

 こういった殴り合いみたいなもの、委員長はあまり好まないのではないかと思ったのだが、意外にも強い興味を示しているようだ。成神闘技が終わったあとも、子供のように窓枠を掴んで結界の方を眺めている。


「……そんなに面白かったか?」

「そうね。成神というもの自体、初めて見たから……この世のものとは思えないものを見た興奮を感じている、というか」

「ふぅん」


 まぁ、初めて見る時はそんなもんか。映画さながらの大迫力だもんな、無理もない。

 車の列がゆっくりと動き出す。

 とりあえず流れに沿って走りながら、そういえば成神闘技のせいで話が飛んだが、行き先について委員長が何か言いかけていたなと思い出し、その話を振った。


「学校に……中学校に行きたい」

「中学校? 玉田中学校か?」

「うん」


 玉田たまだ中学校。俺と委員長が通っていた市立中学校だ。


「おそらく、私は今、幽霊の状態なわけでしょう?」

「いや、でしょうと言われてもな」

「私もそんな非科学的なもの信じてなかったけれど、成神なんてものがある以上、そんなこと言ってられない。

 もし私が本当に幽霊なら、未練を……中学校を卒業できなかったという未練を達成できれば、成仏して消えることが出来ると思うの」


 委員長は、他人事のようにそう言った。さらりと、言った。

 俺はぞっとして、運転中にも関わらず、少しの間委員長の顔をまじまじと見つめてしまう。


「消えることが出来る、って……なんでそんな、当然のように言えるんだよ。怖くないのか?」

「そりゃあ怖いけれど……死んだはずの人間が生きていることの方が怖いでしょう」

「はあ……そういうもんかね」


 自分の価値観が一般的で普通のものだとは思わないけれど、だからといって、委員長のように、一切の恐れもなく、自分で自分を消すための提案をするのは、それもまた普通でないように思えた。

 俺が寿命が縮むことを分かっていてヤニを肺に入れているのと、同じような考えなのだろうか。多分違うと思うけど。

 にしても、玉田中学校か。3時間もかからないだろうが、東京から出ないといけないしなぁ。迷わず行けるだろうか。

 信号待ち中、カーナビを操作しながらそんなことを考えていたが、『玉田中学校』の検索結果が表示され、俺は首を傾げた。


「……あん? おかしいな」

「どうしたの?」

「出てこないんだよ、玉田中学校。山の中にあるし、データ登録されてねぇのかな」

「そんなはずない……とまでは言いきれないけど。私が死ぬ前、雨の日に父親に車で学校まで送ってもらった時は、たしかに登録されてたはずよ」

「廃校にでもなったか……?」


 とにかく、近くまで行けばあとは昔通ったのと同じようにすればいいだけだ。

 あまり気は乗らなかったが、どのみち事務所があんなことになった以上しばらくすることも無いし、委員長をこのまま放っておけない。俺は地元へ向けて車を走らせることにした。


#


 地元の古いデパートに車を停め、2人で山の中を歩いていく。

 片田舎だし、人目を気にするほど人目があるわけでもないが、コスプレじみた格好のまま委員長を歩かせるのは忍びなく、車の中のカバンに入れっぱなしだったレインコートを羽織ってもらっている。

 こんなだるい坂道をよくもまぁ毎日登って登校したもんだよな、などと思い出話に花を咲かせながら歩くこと10分。

 俺たちは、目的の場所に辿り着いた。


 輪郭がぼやけ、内観が外から透けて見え、ところどころが古い映像にかかったノイズのようにバチバチと点滅している。

 赤、黄色、青、緑……大小様々の立方体が飛び交い、消えて、またどこかから生まれ出す。

 玉田中学校は、


「…………」


 委員長が、「また?」みたいな顔で俺を見てくる。

 大方、さっきの成神闘技のように、この時代に生きる人間なら見慣れた景色なんでしょう? とでも言いたいのだろうが。


「生憎だが、俺も初めて見たよこんなもん。どうなってんだこれ……成神の仕業か?」


 ともかく、玉田中学校は『そうなっていた』。『そうなっていた』としか言いようがない。

 透けているとか、点滅しているとか、正体不明の立方体が飛び回っているとか、全部ひっくるめてそう言うしかない。何が起きているのかも分からないし、趣味の悪いオブジェかプロジェクションマッピングとかにしか見えん。

 幻想的な光景に圧倒されていると、ふと、声が聞こえた。


《世界の許容量は思っているよりも小さい。夢や朧は、露と消えゆく……》


 男の声だった。

 どこから聞こえているのか。頭の中に直接書き込まれているような感覚だが……まさか成神なのか?


「あなたは誰? どこにいるの?」

《目の前の建物の中さ……探し出してごらんよ》


 自分の問いに返ってきた返答に対して、委員長はすぐにこくりと頷き、「わかった」と言った。

 迷いなく、めちゃくちゃなことになっている校舎へ入ろうと歩き出す。


「いやいやいや、待て待て待て」

「え……どうしたの?」

「どうしたのはこっちのセリフだ。どう見たってヤバいだろ、こんな場所。誰かも分からん奴を探すために入るか、普通」


 俺の静止に、委員長は少し考えるそぶりを見せた。


「そうね。普通は入らないし、入りたくないと思うはずなのよ」

「はぁ……?」

「椎橋くん、悪いけど外で待ってて!」

「あっ、おい!」


 意味深な台詞を吐くだけ吐いて、委員長は校門を抜け、校舎の中へ入っていってしまう。

 透明な校舎に吸い込まれ、委員長の姿が外から見えなくなる。


「嘘だろおい……あぁ、クソ。もうどうにでもなれよ」


 半ばやけくそになりながら、俺も委員長のあとに続いて、狂った昔の学び舎へと突入する。

 外観とは異なり、中は至って普通の校舎そのままだった。昔と何も変わらない昇降口、靴箱、入ってすぐ右手の事務員室……。

 廊下を進み、階段を上ろうとしていた委員長に追いつく。


「待てって、1人じゃ危ないだろう」

「今の私は成神なんでしょう? 平気よ」

「そうじゃなくてだな……」


 どうも様子がおかしい。

 ここにきて……いや、中学校に行ってみたいと言い出したあたりから、委員長から何か、焦りのようなものを感じる。


「私ね、椎橋くんが思ってるより漫画好きなの。漫画オタクなのよ」

「……は?」


 急に何言い出すんだ。

 というか、やっぱり内観もおかしいぞ。今上っているこの階段、いつの間にか螺旋階段になってるし、周りの掲示物や踊り場もそれに合わせてぐにゃぐにゃに歪んでいる。

 中を歩いているうちに、自分までもがこの歪みに取り込まれて、ぐにゃぐにゃに引き裂かれてしまうのではないかと不安になってしまう。


「ひみつ道具で古今東西ゲームをしたら百回は繋げられる自信があるし、ゼロゼロナンバーサイボーグ全員のフルネームも言えるし、そんなに強くないし出番も多くないけどデザインが大好きなスタンドだからブラック・サバスは何も見ずに描けるわ」

「いや知らんが。どうしたんだ急に」

「そんな私が、さっきあなたとブラックセーラーの話になった時に、どう思ったと思う?」

「どう思ったと思う、って言われても……」


「心が動かなかったのよ。ひとつも」


 その声は震えていた。

 やがて階段が終わり、俺たちは2階に辿り着いた。……本当に2階なのかどうかは怪しいが、3年生の教室が並んでいるから、たぶん2階だと思う。

 2階の廊下を、委員長は早歩きで進んでいく。3年145組、3年144組、3年143組……狂ったルームプレートの並びを、一心不乱に突き進む。


「あんなに大好きだった、今も好きなつもりだった漫画の話に、面白そうな自分の知らない漫画の話に……微塵も興味が湧かなかった」

「たまたまじゃないのか」

「それだけじゃない。今までの私なら、生身の人間同士の戦いなんて絶対に見たくもなかったはずなのに……成神闘技を見終えたあと、私の心は踊っていた。興奮していた」

「…………」


 あの時俺が感じた違和感は……間違いじゃなかったのか。


「そして今。こんなわけのわからない状況に陥って、どう考えても危険な正体不明の現象に対して、私は、平気で、興味本位で足を踏み入れている」

「……委員長、あんた」

「おかしくなりそうよ。私が私じゃないみたいで……」


 自分の体に、脳に、何が起きているのか全く分からない。

 それが、委員長の焦りだった。

 吐き捨てるように言った、『私が私じゃないみたい』という言葉には、俺の想像も及ばない切実な重圧が乗っているのだろう。


《待っていたよ。さぁ、入っておいで》


 俺たちが『3年3組』の教室の前まで来た時、教室の中から、またあの声が聞こえてきた。

 ここまで来たらビビってられるか。成神なのか人間なのか知らんが、人のこと馬鹿にしたような口の利き方しやがって。

 俺は委員長を押しのけるようにして、横開きの戸を開け、教室の中に押し入った。


 昔と変わらない教室。

 もう誰も出入りしていないはずなのに、黒板横に置かれた花瓶には綺麗な花が咲いている。

 声の正体と思しき男は、窓際の3列目の机に座り、窓枠に長い足を這わせるようにくつろいでいた。

 顔の下半分を覆い隠す赤いマフラー、まるで素材の検討がつかない光沢を持った真っ白なコート、同じく何の素材か分からない真っ白なスキニーパンツ、メカメカしい装飾のついたブーツ。

 男の、その奇抜な格好に、俺は見覚えがあった。とっさに、後ろに続いて教室に入ってくる委員長と見比べる。


「……あんた、『ホワイトボルト』……いや、興梠こうろきジョー……か?」

「おや。もしかして僕のファンかな?」


 彼はにこりと微笑むと、そのまま小さく、こう呟いた。


「――加速ACCEL


 髪がなびくような風が目前を駆けたかと思うと、次の瞬間、俺の目の前の机には、原画と見紛うようなブラックセーラーがいた。

 間違いない。この能力、この絵……興梠ジョー以外ありえない。

 何事もなかったかのようにさっきと同じ姿勢で窓枠にもたれながら、ジョーはまっすぐ、俺ではなく、委員長……ブラックセーラーを見つめて、微笑んだ。


「会いたかったよ。僕のブラックセーラー」

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