それでもまた日は昇る その1
俺が外に出ると深夜の豪雨は更に唸り声を上げた。
商店街の側を流れる小川からも地響きのような濁流音が聞こえてくる。
絡むような風に大きな雨粒がぎっしりと詰め込まれ、理不尽に商店街の建物や道路に叩きつけられていた。
まるで街が暗黒の川に飲み込まれたようだ。
「自然災害に成り果ててしまった頃の
異世界で俺とクイーンの魔力を安定させるために師匠が出した課題の最難関は龍王の鎮圧だった。
意識を失い大型台風のように変化していた
「壮絶過ぎる思い出だからなあ」
結局
よく生きていたものだとため息交じりにスッポリとかぶったフードの隙間から空を見上げると、夜空を覆う雲の動きに違和を感じる。
周囲から魔力はひとかけらも感じられないし、春香に魔法を教えていた時から街全体に展開していた探査魔法にも何も引っかからなかったが、俺の経験が危険信号を点す。
――シグナルは
「念のため雲の中を調べてみるか」
俺は少し悩んでからローブの裏にある収納魔法の扉からニョイを取り出し、
「伸びろ!」
地面に突き刺すと同時に魔力を供給しながら棒高跳びの要領で急上昇した。
転移魔法では積乱雲に中に敵が隠れていたら出鼻を襲われる危険があるし、この風と雨の中で不用意に飛行魔法を使用しても危険だろう。
風に流される恐れもあるし、視界の確保も困難だ。
しかしこの方法なら風に流される心配も無いし、不意の攻撃にも対応しやすい。
何より魔力さえ供給すればグイグイ伸びるニョイのスピードは音速の数倍で、俺の飛行魔法より速かった。
ニョイを伸ばし雲の中に何かいないか確認しながら十数キロ上昇したら、積乱雲を越えてしまう。
成層圏の手前辺りだろうか?
このままでは風邪をひく前に冷凍人間になってしまうだろう。
夜空を楽しむのは諦めて、俺はニョイを縮めてローブの裏の収納魔法にしまうと体を自然落下に任せた。
眼下に広がる積乱雲にもう一度飛び込み積乱雲の中を探るが、やはり魔力は関知できないが違和が強く残る。
そして俺の勘がもたらす危険信号は、完全に
× × × × ×
落下しながらふと、先ほどの春香の話を思い出す。
女心とかマーキングとかなかなか取れない休暇とかいろいろと謎や問題が積載しているが、この雲の中の違和感は春香から聞いた話が原因だろう。
春香は猫だった頃、一度『湯明館』に泊まったことがあるそうで、もちろん猫がひとりでニャーニャーと鳴きながらチェックインした訳じゃなく、
「あたし猫だった頃に魔女さんの使い魔をしていたことがありまして」
その頃の主人と一緒に宿泊したそうだ。
猫だった頃の記憶は曖昧で正確に思い出すことはできないそうだが、
「周りの人はその魔女さんを『西の魔女』って呼んでました。湯明館には依頼された調査で出かけたみたいで…… 細かいことは忘れちゃいましたけど、何かを見つけたら『これはアメリカさんには秘密にしておくか』って、楽しそうに笑いながらあたしの頭を撫でたのを覚えてます」
そういった印象的な事柄はハッキリと思い出せるそうだ。
春香はそんな自分の記憶を頼りに西の魔女とは誰だったのか調べたが、
「たぶん戦後GHQと一緒に来日していたアメリカの
数十年の時が流れ、戦後の混乱期だったせいか資料も残っていなく、下神の情報網ではアメリカの
「その魔女さんに逢いたいのか?」
思い出話を語る春香は清んだ黒髪を揺らしながら寂しげに漆黒の瞳を揺らしていた。
最近は儚さを感じることがなかったが、やはり春香の心の底には辛い過去が
「あたしが今まで生きて来れたのは魔女さんのおかげのような気がしますし、断片的な記憶ですけどとっても良くしてくれたので。でも魔女さんの寿命がどれだけなのか知りませんが、時も経ちすぎましたし…… それに今あたしは幸せですから」
微笑みかけてきた春香の瞳に、少しだけ寂しさの陰が揺らぐ。
しかしこの世界にも千代さんたちのように長寿な種族も存在する。
異世界の魔女たちは体内に特殊な魔術回路を宿すことで不老不死のように若い姿のまま永遠に近い時を生きる者も多い。
春香の話ではその魔女さんは、ウエーブのかかったダークブラウンの髪に同じようなブラウンの瞳で、彫りの深い美女だったそうだ。
単純に考えるとイタリアやスペイン出身のラテン系かもしれないが、それだけではなかなか手がかりにならない。
「何か他にその魔女さんのことで印象的なことはあった?」
春香の恩人なら探してあげたいと思い、ふと聞き返す。
「うーん、そう言えば良いことをすると何時も持ち歩いてたカゴの中から焼き菓子をくれました。それから調査とは別に何かを探して旅をしていたような……」
可愛らしく首をひねる春香に俺は笑いかけた。
「それじゃあ、伝説の魔女『ベファーナ』みたいだな」
「ベファーナ? それって異世界の魔女ですか?」
「いいや、聖書に出てくる『東方の三賢者』を追いかけて救世主を探した魔女だよ」
この世界に戻って魔法や
聖書もそのひとつで興味深い話が多いが、その中でもベファーナの物語はとても印象に残った。
救世主を探す途中の三賢者と出会ったベファーナはその旅に誘われるが、他にやらなくてはいけないことがあって断ってしまう。
しかしそれを後悔し、やらなくてはいけないことを終えると三賢者の後を追ってひとり旅に出る。
誕生した救世主を祝福するための焼き菓子をカバンに詰めて……
しかしベファーナは三賢者や救世主と出会うことはできず、今も世界をさ迷っていると伝えられている。
この聖書の記述に連動するように各地で民話や伝承が生まれ、ベファーナは良い子にお菓子を渡し悪い子には靴下に炭を入れる魔女として伝えられ、サンタクロースやハロウィーン祭の原型になったとの説もあるそうだ。
特にイタリアではこのベファーナを聖なる魔女として信仰の対象としている地域もある。
そこまで春香に説明すると、
「捜し物はベツレヘムの星の指す、彼方のプレゼピオに」
その物語の一節が、ふとこぼれ出た。
何故かこのフレーズを以前誰かから聞いたような気がして、印象に残っていたからだが。
「ベツレヘムの星…… ですか」
「ああ魔女は、救世主は
「うーん、ちょっと切ないお話ですね。あたしの主人だった魔女さんも、その魔女さんも、捜し物が見つかってると良いな」
はにかむように笑う春香の瞳を見詰めながら俺も、
「そうだな、皆尊い幸せを見つけられたら良いのに。春香は辛い過去があっても他人を思いやれる優しい心があるから、きっと俺より先にそれが見つかるだろう」
同じように微笑み返したら、春香は座布団の上で顔を赤らめながらモジモジと体を震わせた。
今思えば、春香の浴衣がはだけだしたのはこの辺りからだが……
「そ、そ、そうだ、ご主人様! 今それで思い出しましたが、湯明館でその魔女さんは部屋から星空を見上げながら、裏山を指さして『こんな処にもプレゼピオが』って。それから先ほどの話の『これはアメリカさんには秘密にしておくか』って言葉を!」
嬉しそうにそう言ってから、春香は自分の言葉に疑問を抱いたのか、
「プレゼピオ、プレザキオ? ん…… 何でしたっけ??」
また首を捻った。
「だったらその魔女さんはイタリア人だったのかもしれないな。それはイタリア語で『飼い葉桶』って意味で、救世主が生まれた場所としても使われる言葉だ」
俺がもう一度そんな春香を見詰めたら、更に挙動がおかしくなる。
「ご、ご主人様、そ、そんな見詰められると…… 深夜に二人っきりですし、も、もう、変なスイッチが入っちゃったらどうするんですか」
顔は真っ赤だし、太ももをこすり合わせるように動かすから浴衣が更にはだけてパンツが見えそうだし、パッツン前髪の下の大きな瞳も何だか潤んでいた。
今思うと春香はお尻を擦り付けるように座布団の上でモジモジしていたから、あれがマーキングだったのかもしれない。
しかし女の子って謎だ、マーキングしたりスイッチが付いてたり……
まあ春香の謎の挙動はこの際置いといて、問題はあまりにもつじつまが合いそうな話が集約され始めたことだ。
湯明館から見える裏山は千代さんのいる温泉稲荷につながっている。
陛下たちの転移も詳細を確かめていないが温泉稲荷の『要岩』が利用された可能性が高い。異世界に戻って暫定四天王から聞いた話では、この世界と異世界をつなぐ黒幕がいる可能性があると言っていた。
そしてあの全然忍んでいないニンジャの存在。
AIの神の誕生……
これを素直につなげて予測すると、どうやら俺は神々の争いに巻き込まれたことになるが、
「まだ不確定要素が多すぎて、結論は出せないな」
とりあえず目の前の問題を解決しようと積乱雲を抜けた辺りで減速する。
結局雲の中には何も見つからなかったが、落下地点に選んでいた湯明館の裏山沿いにある臨時駐車場にぽつんと人影が見えた。
そこはゴールデンウイークや夏休みなどの繁盛期にしか使用しない離れた場所で、五十台ほど駐車可能だそうだが、オフシーズンの今は閑散としている。
目をこらすと車一台存在しないその場所の中央に佇んでいたのは、燃えるような赤髪と純白の神官服をぐっしょりと濡らした美女だった。
――違和感の正体はコレだと、俺の感が告げる。
気配を消して飛行魔法で近づくと彼女を中心に魔方陣が展開していた。
陣を解読すると大がかりな探査魔法だが……
こんな夜更けに、ひとりで何故そんな事をしているのか理解に苦しむ。
しかも裏山に祈るようにして腕を組み、真冬の豪雨に耐えながら片膝を付く姿は苦行につく修験者のようにも見え、その厳かな雰囲気になかなか話しかけるきっかけがつかめない。
駐車場の入り口に降りてそんなエマさんを眺めていたら、
「大賢者様、何かご用でしょうか」
豪雨の中でもハッキリと聞き取ることができる澄んだ声が響いてきた。
「邪魔じゃなかった?」
「はい、もう用は済みましたので」
ゆっくりと立ち上がりこちらに振り返ったエマさんは、ずぶ濡れのままほんわりとした笑みを浮かべる。
神官服は体に張り付きそのポンキューポンのダイナマイトバディを浮き上がらせ、白い布はかすかに肌を透けさせていた。
ボインボインな箇所がかなりボインボインしててアレでコレだが、色気よりも神秘的な美しさが勝っていて、俺は思わず息を飲み込んでしまう。
「いくら回復魔法の名手でも風邪をひいたら辛いだろう」
治癒系の魔法は自分に対してかけても症状の緩和のみで基本的なダメージは減らないし、どんな魔法もそうだが結果には対価が求められた。
魔法を知れば知るほど、魔法が万能ではない事を知ることになる。
エマさんほどの魔術師なら、痛いほどその事実を知っているはずなのに。
俺は少し悩んでから三メートル程上空に雨が入らないような遮断魔法を展開し、エマさんの衣装に付いていた水分のみを転移魔法で弾き飛ばす。
「まあ、こんな魔法の使い方は初めて拝見しました。しかも無詠唱で繊細な制御を瞬時に…… 大賢者様の魔法はやはり別次元ですね」
エマさんはすっかり乾いた自分の服と、雨を通さない上空を見上げて目を丸くする。
以前エマさんの妹である聖女アンジェに聞いたことがあるが、魔力も魔法技術も上のエマさんが聖女に選ばれなかった理由は、細かい制御が苦手だからだと。
ひょっとしたら、その辺りにコンプレックスがあるのかもしれない。
苦笑いしながら歩み寄ると、エマさんは寒さに身を震わせた。
「用が済んだのなら宿に戻ろう。それからで良いけどそろそろ謎解きをしてくれないかな? 隠し事をされたままってのは、どうも居心地が悪い」
俺がローブを脱いでエマさんの凍えた肩にかけると、こくりと頷いて、
「は、は、はい……」
両手で口を押さえ、可愛らしく「くちゅん」とクシャミをした。
その際、彼女の魔術回路が軽いショートサーキットを起こしたのだろう。
ドンと低い音が響き、俺が張っていた頭上の遮断魔法に穴が空いて、俺とエマさんめがけて滝のような水が降りかかる。
俺が呆然としていたら、またずぶ濡れになったエマさんがボインボインと例のブツ揺らしながら…… 申し訳なさそうに深々と頭を垂れた。
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