まるでお伽話のように
この温泉街を支える老舗である「
さっき春香が磨いていた玄関をくぐると奥から高級和服を着た美女が現れる。
「女将さん、突然無理言ってすいません」
俺が頭を下げると、
「よしてください。この町を救ってくれたヒーローに頭を下げられたら、居心地が悪いわ」
ニコリと微笑み返してくれた。
どこで情報が漏れてどんな尾ひれや背びれがついたか知らないが…… どうやら俺が悪の組織をたったひとりでなぎ倒し、町を乗っ取ろうとしたマフィアを傘下に収め、町興しを陰で推進している人物だと云われているようで。
「根拠のない噂話ですよ」
女将さんの後ろにいたメイド服姿の春香を睨むと、やはり目をそらした。
女将さんまでその話を信じているとなると、いろいろと問題がでるかもしれない。
何せ俺は尊い幸せを探すために、この世界でこっそり暮らしているわけだから。
――後であの噂好きの猫をしっかりとしつけておこう。
「じゃあ、そう云う事にしておきますか」
女将は俺とバツが悪そうに視線をそらしたままの春香を交互に見てまた微笑んだ。
この女将は十六代目を昨年の春に襲名したそうで、加奈子ちゃんの高校の二つ上の先輩にあたる。
どう見ても、つやつやの肌と切れ長な瞳が印象的な色っぽすぎる笑顔は年齢不詳で、三十代には思えない。
もうね、着物の襟からこぼれるうなじがエロすぎるし。
しかも加奈子ちゃんの話では女将を襲名する前に高校時代、伝説のレディースの総長を襲名していたらしい。
さっきソフィアさんの顔面にホウキを叩き込んでいた食事処のおばちゃんとは幼なじみで、レディース時代は女将が総長でおばちゃんが副長で隣町の政令指定都市まで名をとどろかせ、「血みどろの二人夜叉」と恐れられていたとか。
女将は俺の後ろに隠れているコスプレ三人組を見つけると、
「あらあらサイトーさん、また綺麗所を連れて。加奈子には内緒にしておきますね」
目だけが微妙に笑わなくなった。
そういえば加奈子ちゃんとも十年来の友達だって言っていたっけ。
優雅に微笑む姿は正に「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」だが、元々どこか迫力がある。
「そんなんじゃないよ女将さん、俺が海外にいた頃世話になった人たちだ」
異世界とは言えないからいつものつじつま合わせの嘘をつく。少し心苦しいが、女将さんは何か察しているような微笑みを向けてくれた。
俺が苦笑いすると、女将さんはチラリと陛下を見て一度頷き。
「じゃあ松の間が空いていますので、どうぞお上がりください」
そう言って歩き出した。
この宿にはその昔天皇陛下がヨーロッパの来賓をもてなした部屋があり、そこが『松の間』で、女将さんの許可がなければ入れない場所だ。
噂ではITで儲けたテレビなんかでもよく見る社長の宿泊を断ったこともあるとか。
「良いのですか?」
「サイトーさんの客人に無礼があっては『
人を見る目も老舗旅館の女将の仕事だとは言っていたけど、何か陛下を見て感じるものがあったのだろうか。
「なかなか眼力のある女だな。我が帝国軍はどうやら平和ボケしたようで、あのような鋭い瞳を持つ者も減ってきた」
陛下が何やら納得したように頷くと。
「はっ、誠に申し訳ありません」
その後ろでソフィアさんが縮こまり、その横でエマさんが手を口に当てて優雅に微笑んだ。
確かにこの三人はコスプレ集団にしか見えないところもあるが、所作には隠しきれない品がある。
それを見抜いたのなら、女将の眼力は本物なのだろう。
通された「松の間」からは良く手入れされた日本庭園が見え、三十畳を超える和室はフローリングで中央に赤い絨毯が敷いてあり、そこには高級なテーブルセットが置いてあった。
「ここなら座敷より落ち着くでしょう」
そもそもの由来は海外からの来賓をもてなすためのものだから、はじめからこんな調度品がそろえてあったのだろう。きっと女将は陛下の着ているドレスで判断してくれたのだ。
「ありがとうございます」
俺が礼を言うと女将がそっと顔を寄せて、
「この会談が終わったらちょっとあたしの相談にも乗ってくださいな、できれば二人っきりで」
耳元でそんなことを呟いてきた。
何だろう? この背徳感あふれるお誘いは。
俺も女将も独身だけど、失われた楽園にでも誘われそうな雰囲気だ。
ついつい女将さんの色っぽい顔にみとれてしまうと……
「う、うにゃっほん!」
陛下の不思議な咳払いが聞こえて来る。俺が顔を歪めると女将が楽しそうに微笑んだ。全く、陛下は何を考えているのやら。
乙女心はやっぱり良く分からない。
× × × × ×
「つまりだな、有り体に言うと駆け落ちになるのだろう」
陛下は出された紅茶を美味しそうに一口飲むと、俺に笑いかけてきた。
はて? やっぱり何のことだか分からない。
陛下の後ろでたっているソフィアさんとエマさんの顔を見ても困ったように微笑むだけだ。まあ、陛下の前では発言が許されるまでしゃべることはないし、今のような状態じゃあ椅子を勧めても座ってくれない。
「さっぱり意味不明ですが? 誰と誰がどうして駆け落ちして、それが何故、陛下がここにいる理由になるのでしょう」
なんだかもう嫌な予感しかしないが、俺がゆっくりと首を振って額に手を当てると。
「何を言っておる、世継ぎがほしいとせがむ大臣どもと政略事が大好きな大貴族たちが勝手に決めた結婚相手を振り切って、私とサイトーが駆け落ちした話は帝国で最もホットで有名な噂だぞ」
――どうやら耳がおかしくなってしまったようだ。
クイーンや麻也ちゃんから難聴を疑われていたから調べたことがあるけど、突発性難聴は過度のストレスや働き過ぎが主な原因だとネット・ニュースに書いてあった。
ここ十数年激務が続いていたし、異世界に帰っても師匠にこき使われてあまり休息をとることができなかった。
まあ、あれはあれで楽しい時間だったから良かったが、やはり本格的な休暇が必要なのかもしれない。そうそう、働き方改革とか言うやつだ。
戦士にだって休息は必要らしい。
俺がため息をつくと陛下はすまし顔でティーカップを傾け、ソフィアさんが涙ぐみエマさんは相変わらず優雅な微笑みをもらす。
「どうも俺の耳の調子が悪いようで」
「そうか、サイトーの得意な回復魔法で治しておけば良いだろう。それよりこうなってしまっては隠し立てもできん、いっそ正式に挙式の報告でもしようか」
「どこに何をどうやって? いやいやそれ以前に、どんな方法でここに来たのですか??」
俺の脳内で、?マークがダンスを踊り出す。
「転移のことか? まあそれは愛の力というやつだな」
やはり会話がかみ合ってない。
急速に休息が必要なのだろう。うん、思考までオヤジギャグ化しているような気がするし…… これはかなり深刻だ。
俺の見立てでは、きっとこれは回復魔法では何ともできない心の病だ。
そのうちキャッチしちゃいけない毒電波とか受信してしまうのだろう。すでにその予兆が見えている。
「分かりました陛下、少々俺は働きすぎたようです。しばらく休みをいただきたいのですが」
「何の話だ?」
陛下が可愛らしく首を傾げたので、俺も同じように首を傾げる。
すると真面目なソフィアさんからすすり泣きが聞こえ…… エマさんは相変わらず、優雅な微笑みをもらした。
会話はそのまま平行線をたどり、時間だけが浪費される。
何とか難聴を抑え込み、陛下の言い分を聞くと。
受けたくもない婚約に思い悩み毎晩枕を濡らしていたか弱き乙女が、遠い地に赴いた愛しい人を想い夜の庭園をさ迷っていると美しい女神に話しかけられ、
「時空を超えて、その者に逢いたいか」
その乙女は女神に問いに迷わず頷くと……
「何と、乙女は時空を超えてしまったのだ。これを愛の奇跡と言わずして何と言う」
――らしい。
「まず本当に女神に会ったのなら、異世界転移の代償として何か条件を出されたでしょう。神々も
俺がすまし顔の金髪碧眼美少女に詰め寄ると、ゆっくりと視線を外したから…… 何か無理難題を押しつけられたのだろう。
だいたいそんなことをする女神なんてひとりしか思い浮かばない。
異世界転移が可能な実力があって人間関係や政治に首を突っ込みたがる性格からすると、嫉妬の女神リリアヌスだ。
俺が言うのも何だが、取引相手としては悪魔以上にたちが悪い。
あの師匠ですら毛嫌いしているぐらいだからな。
確認のために後ろに控えているソフィアさんとエマさんを見ると、ソフィアさんは無言でウンウンと頷いているし、エマさんは…… やはり上品に微笑んでいる。
「まあ陛下が話したくないのなら今は問い詰めませんが、抱えきれないような問題ならちゃんと相談してくださいね」
そっぽを向く金髪碧眼の美少女に言い含めるように云うと、
「ふん!」
子供みたいなお言葉が返ってきた。
心身というのは切っても切り離せない関係にあるから、肉体が若返ると精神的にも若さが戻るものだが……
陛下のこれは幼児逆行にしか見えない。全く『鋼鉄の皇帝』と呼ばれた豪傑はどこへ行ってしまったのだろう。
「それからそのお話の『乙女』って誰ですか?」
ソフィアさんは男勝りだし市井の出身だって聞いていたが、仮にも近衛隊長だ。ボーイッシュで整った顔と引き締まった美しいプロポーションは宮廷でも人気が高かったし、陛下に近づきたい貴族や諸国の王族が我が子の妻へと願ってもおかしくない。
ある意味汚れを知らない純血の乙女って感じもする。
しかもミニスカ鎧の下からスラリと伸びる太ももは、帝国屈指の美しさだ。
帝都城の宝物殿に飾っておいても何ら問題はない。
エマさんは聖国の出身で王族の娘だが妹のアンジェが聖女として活躍している。しかし帝国と聖国と両方の関係を強固にしたい貴族から見れば、これ以上ない花嫁候補だろう。
おっとりと品のある美しい顔立ちに似合わない凶悪な胸は、帝都城地下にある危険魔道物封印庫に厳重にしまっておきたいぐらいだ。
あの笑顔と豊満すぎる胸に惑わされて人生を踏み外しかけた騎士も多いと聞く。
しかしどちらの乙女にしろ、想いが女神を呼び出すなんてお伽話のようだ。
陛下の言う通り、確かに愛の力かもしれない。
どちらにも幸せになってもらいたいから、わざわざ俺を頼って異世界まで来たのなら意中の相手が誰であれ一肌脱いでやろうと考え、微笑みながら陛下の後ろに控える二人を見ていたら……
「どうやらその病だけは、さすがの大賢者でも治せんようだな」
陛下の言葉と同時に、三人がなぜか同じタイミングで深いため息をついた。
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