それより俺と踊りませんか その5
また、部屋に西日が差し込んでいた。
何処かからヒグラシのなく声が聞こえる。周囲を見回すと、そこは異世界へ転移する前にいた俺の部屋だった。
「まあ、此処だろうとは思っていたが」
想像以上の暑さと湿気に、俺は襟を緩めようとしてTシャツとジャージのズボン姿だったことに気付く。
両手をかざすとそれは幼く痩せた頼りないものだった。
「どうやら俺自身もあの頃に戻ってるようだな」
クーラーは既に壊れていたのかガラガラと音を立て、熱風を吐き出している。室内には他に人影は無く、汚れたベッドの周りには教科書や参考書が散乱していた。
そうなると今は、女神に異世界へ連れていかれた後なのだろう。
「これじゃあ熱中症になってもしょうがない」
壊れたクーラーを止めて窓を開けると、駐車場に白色のセダンが入ってくる。
部屋の窓から覗くと運転席には父、助手席には母の姿があり、後部座席には誰も座っていなかった。
「リュウキを連れて行ったんだっけ」
うろ覚えだが、リュウキのサッカー部の合宿か練習試合か何かがあったような気がする。
これが魔族軍…… いや、記憶の蜘蛛が仕組んだ俺に対する
師匠から授かったローブもニョイもなかったが、大賢者の称号は伊達じゃない。
俺の精神はあの頃とは全く違う。
深呼吸して気持ちを落ち着けると、手に加奈子ちゃんから受け取ったピコピコハンマーが現れた。
「うん、これなら何とかなるだろう」
俺が閉じられた部屋のドアをピコピコハンマーで叩くと、「ピコッ」と可愛らしい音が聞こえ……
ドアがゆっくりと開いた。
× × × × ×
玄関まで両親を迎えに行くと、二人は息を飲んで俺を見上げる。
母は涼し気な青いワンピースを着ていて、父はポロシャツにスラックスだった。
十九年前の両親は、俺の記憶が確かなら当時母が三十六歳で父が四十歳。
それ以上に老けて見えたが……
今の俺の実年齢が三十四歳だからだろうか。
母とは二歳しか違わないせいか、同年代と思えるような何処か『幼さ』も感じられた。
「そ、そんな物持って、何する気なの!」
ヒステリックに叫んだ母の視線はピコピコハンマーに向かっていた。
いやこれ、パーティーグッズですが。
「本当にタツヤは卑怯でダメな子ね、リュウキを少しは見習ったらどうなの。あたしたちがどれだけ苦労してあなたを育ててきたのか、分からないのね」
そして震える声で叫びだす。
うーん、子供に対する人格否定、兄弟や他人との比較、そして自分の苦労を主張する叱責。使ってはいけない子育て言葉のベストスリーを、見事に三連チャンコンボする母を感心してみていたら、父と目が合った。
相変わらずの無言だが、父は何かに恐れるように俺から視線を外す。
まああの頃の両親は酷かったと思っていたが、ここまでだったとは。
あきれてものが言えなくなると、更に母はヒステリックに何かを訴えてくる。
冷静になって両親を観察すると、それはおびえる獣に似ていた。
暑さのせいか恐怖からか二人は薄っすらと汗をにじませ、身体も少し震えている。
何だかもう、どうでもよくなって帰りたくなったが…… ねっとりとした視線が絡みつき、俺の足が止まった。
精神を集中して、周囲を見回す。
下駄箱の上の花瓶には母が挿したのだろうか、花が飾られていて、その上の壁には小さな風景画が飾ってある。
明かりの消えた玄関灯の隅には蜘蛛の巣があり、よく見ると花瓶の下や額縁の横にも同じような白い糸が見え隠れしていた。
「なるほど、あの視線の正体はこれか」
加奈子ちゃんがくれたこのピコピコハンマーは敵と戦うために譲り受けたものだ。そして今戦うべき相手は俺の両親ではなく、記憶の蜘蛛と呼ばれる神獣。
きっと俺の女神様である加奈子ちゃんがくれたこの武器は、聖剣よりも神殺しの刀よりも効果があるだろう。
母の叫び声を無視して目を閉じ、もう一度精神を集中させると、カサリと小さな足音が聞こえてくる。
「そこだ!」
俺がその気配にピコピコハンマーを投げると、花瓶の横でプチッと音がして何かがつぶれた気配があった。
下駄箱の下に落ちたピコピコハンマーを回収しながら花瓶の周囲を確認したが、何も見当たらない。
「取り逃がしたかな?」
あるいは眷属の一匹だけを仕留めたとか。
どちらにしても手ごたえは軽かった。流石に伝説の神獣にダメージを与えるほどのものではなかったのだろう。やはりこの精神世界にも変化がない。
まだ悪夢から逃れる条件を達成していないからかもしれないが……
俺がため息をつくと、
「あ、ああ、あなたは……」
母は更におびえるような瞳で俺を見つめる。
さて、この二人をどうするべきかと悩んでいたら、指先にチクリと痛みが走った。
「思い出してください、あなたの御師匠様の問いを」
その
師匠はいつも全ての人はちっぽけだと説いた。しかしそれぞれの物語が存在し、その道を主人公として歩んでいると俺に気付かせてくれた。
そして大賢者とは信念と矜持をもって、歪みを正し、理を守る物だと教えてくれた。
母の物語は……
俺が知っているのは、高校を卒業して地元の土建会社のOLになり、二十一歳で父と結婚した。あの頃女性はクリスマス・ケーキに例えられ、二十四歳を過ぎて独身だと「売れ残り」と言われたそうだ。
そう言えば、OLという言葉も死語になっているそうだし…… 二十二で俺を生み、その後ずっと専業主婦。きっと世間の荒波を知るチャンスすらなかったのだろう。
今なら母の言葉は、ネットを検索するだけで「子育てで使ってはいけない言葉」として簡単にヒットするが、俺が子供だった時代はアレが親の常とう句だった。
教師は生徒を簡単に殴り、母親はヒステリックに子を叱り、父親は子育てに関与しない。
そんな時代に長男がひきこもったら、まあこんなものなんだろう。
父は……
同じように地元の土建会社に勤め母と出会い、バブル絶頂期にこの家を建てている。俺が小学生になる前にバブルは崩壊したから、きっと会社の業績は落ちただろう。増えない給料と住宅ローン、関連会社の倒産やリストラに悩まされてきたはずだ。
今考えると父が優しかったのも、バブル崩壊以前だしな。
そして長男がひきこもり……
まあ、社会の状態がどうであれ子育てに問題があったのは間違いない。だがそれに関して許すとか許さないかとかの感情は、今の二人を見ているとどうでもよくなる。
下神が家族に掛けた『
そもそも俺は両親を憎んでいたのだろうか?
もう一度玄関で佇む二人を見て、俺は首を捻った。
父と母は記憶の蜘蛛の操作が切れたせいが、戸惑うように俺を眺めている。
そう言えば前の世界でもおびえる魔物や獣と対峙したら、まず信頼関係を結ぶのが大切だと師匠も言っていたっけ。
状況は稲荷で初めて子狐たちに会った時と同じなのだろう。
師匠はより困難な方向に
ひょっとしたら
なんだか少しモヤモヤして俺自身が納得できない部分もあるが、きっと今必要なのはコレなんだろう。
俺は悪夢から覚めるための手段だと割り切って、
「よーし、よし、怖くないからおいで!」
ピコピコハンマーを置いて両手を広げ、おびえる二人に笑顔を見せた。
「へっ」
母は口をポカンと開けたが、そっと手を取ると拒否はしない。
少し震える母の腰に手をまわすと、何処かからフォークダンスの音楽が聞こえてくる。
――やはり夢って便利だ。
母の顔は俺が小学生だった頃の若さに戻って微笑み、ターンを繰り返す度に歳を重ねた。今の母には会ったことがないが、戸惑いながら微笑む姿は五十代に見えた。
フォークダンスの音楽が次のパートナーを求める。
母の手を放し、玄関隅で立ち呆けていた父に手を伸ばすと……
「た、達也」
困ったように声を上げた。
その次の言葉が謝罪なのか叱責なのか、俺には見当もつかなかったが、今は聞き返す必要もないだろう。
「それより俺と踊りませんか」
音楽に合わせてステップを踏むと、父は俺の手を取った。
困ったように何度も俺の顔を眺め、不器用なステップを踏みながら音楽に合わせて無言で踊り始める。
すると勝手に曲が変わった。
それはフォークダンスの定番のひとつで、開拓地で水を掘り当てて人々が喜ぶさまを歌ったイスラエルの楽曲だった。
やはり
父が母にも手を伸ばし、三人で輪になってクルクルと音楽に合わせて踊りだす。すると玄関に有った下駄箱や壁が消え、大きなダンスホールへと変貌した。
二人はまだどこか固い笑顔を浮かべながら回転したり、一緒に手を上げたりしながら、俺と一緒に音楽に合わせてステップを踏む。
どうやら俺は正解を引き出せたようで、両親の笑顔が柔らかくなるにつれ、徐々に夢の世界が薄らいでゆく。
何処かから加奈子ちゃんや師匠の安どのため息が聞こえたような気がした。いや、あるいはそれは二人に化けた
手が徐々に温かくなり、乾いた大地に水がしみ込むように俺の心にも何かがしみ込むような気がした。
そしてまたポンと安っぽい音が響くと、手に温かな何かが残り、
目が覚めると何故か稲荷の源泉がある岩場の近くにいた。
冬空の下で佇んでいたせいか、やはり……
俺の手はすっかりと冷え切っていた。
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