それより俺と踊りませんか その1

 アプリのアイコンをタップすると同時に浮遊感が襲って来て、周囲が暗闇に包まれた。


 転移魔法…… いや、それは意識が遠のく感覚に近い。


 何処かへ落ちて行く感覚の中、鳥かごの様なケージに囚われた少女の姿が一瞬見えたが、心配そうな顔つきに微笑み返しながら手を振ると口をポカンと開けた。


 俺がどこに向かってこれからどうなるのか見当もつかないが、安心してくれと悪夢ナイトメアに心の中で強く訴える。


 この賢を極めしケイト・モンブランシェットの弟子にして、その業と意志を継ぎし者、大賢者サイトー様は救わなきゃいけない美少女を前に、決して敗北を喫しない。


 そう念じると、自然と普段来ているボタンダウンのシャツとジャケットが騎士服とローブに変わる。


「さて、まずはお手並み拝見と行くか」

 徐々に落下する速度が緩くなると……



 そこは俺が通っていた中学の教室だった。



   × × × × ×



 西日が教室に差し込みカーテンが揺れ、暖かい風が入り込んでいた。

 グランドから野球部の掛け声が聞こえ、特別教室棟の辺りから調子が外れたトランペットの音が聞こえる。


 教室を見回すと夏服の白い半そでのセーラー服の少女がひとり、机に顔を伏せて縮こまっていた。

 寝ているようには見えないし、その雰囲気は良く知る女性に似ている。


「どうしたの?」

 俺の声に少女が顔を上げた。


「タツヤ君…… まだ学校に残ってたんだ。下校チャイムはもう鳴ったから、先生に見つかると怒られるよ」


 中学生の姿の加奈子ちゃんが、涙を隠すように苦笑いする。


 十四歳ぐらいの頃だろうか。肩までのロングともショートとも言えないストレートの黒髪にカールした前髪、幼さの残る目元は表情によっては色っぽく、痩せているのに大きな胸。


 そこには大人と子供が入り混じったあの頃特有の中途半端な美しさがあった。


 俺たちが通っていた中学では午後五時に下校チャイムが鳴り、委員会や部活などで特別な用事が無い生徒が残っていると強制的に帰宅させられる。


 俺の姿も中学生に戻っていて、半袖のワイシャツに黒のパンツと上履きを穿いていた。


「そっか、懐かしいな」

 加奈子ちゃんの居る机の前の椅子に座って笑いかけると、


「フクベエが来たら、また竹刀で殴られるから」

 可愛らしくアヒルのように口を尖らせて、抗議してくる。


 フクベエとは服部はっとりと言う名前の数学教師で、生徒指導をしていた腹の出たおでこの広いおっさんだ。


 麻也ちゃんの話だと最近の教師は生徒を殴らないそうだが、この時代は平気で竹刀を振り回すような輩も多かった。


 フクベエはそれが顕著で、生徒からは嫌われていたが…… 今思うと、彼は自分からその役を買って出ていたのかも知れない。


 まあ、半分は趣味だったかもしれないが。


「加奈子ちゃんこそどうしたの? ひとりで教室に残って」

「あーうん、またこれ」


 スカートのポケットから手紙を出すと、加奈子ちゃんは苦笑いしてまたすぐ元に戻す。


「今度は誰?」

「教えない、だって相手に悪いじゃない」


 学校のマドンナだった加奈子ちゃんは、良くラブレターをもらっていた。

 スマホ全盛の今、麻也ちゃんの話ではそんなモノ絶滅したらしいが……


 携帯電話がインターネットに接続される前の時代には考えられなかったことだし、携帯を持ち歩く中学生もいなかった。


「断ったのにどうして落ち込んでるの」

「どうして断ったってわかるの」

「OKなら喜んでるだろうし、ひとりでこんなところに居ないだろう」


「そっか」


 中学生の加奈子ちゃんは小さく息を吐くと、頬杖をついて窓の外を見た。


 俺がその視線を追うと、赤く染まった空の雲に混じってゆっくりと巨大なエイのような魚が泳ぎ、トランペットのメロディーはショパンのピアノソナタに変わっていた。きっとここは加奈子ちゃんの夢の中で、色々とご都合主義なのだろう。


「断る相手に悪いと思うし、今回はそこそこ仲が良かった相手だから明日から気まずくなるのも嫌だし、あいつ結構女子に人気だから…… まあ、色々と憂鬱なの」


 そこでやっと今がいつなのか分かる。


 中学三年の九月、加奈子ちゃんは学年で人気者だった野球部のエースの告白を断って、一時期女子から軽いイジメのようなモノを受けていた。


「タツヤ君をイジメてるグループの中に、あいつを好きな女子が何人かいたし。人の口に戸は立てれないからさ」


「ごめん、それは俺が悪かった」


 加奈子ちゃんは俺のイジメを止めようとして、あいつらとは険悪なムードだったから、今思うと加奈子ちゃんの中三のイジメの原因は俺だ。


「そうかなあ、まっ、そもそもは、あたしの想い人が告白してくれないのが原因だから…… タツヤ君の責任かもね」

 謝る俺に、加奈子ちゃんは悪戯っぽく微笑む。


「好きな人がいたんだ」

「はあー、これだから」


 加奈子ちゃんが机の上に両手を伸ばして顔を伏せる。


「あたしね、恋なんて事故や病だと思うんだけど、愛は継続だと思うのよ」

 そしてチラリと視線を上げると、加奈子ちゃんは頬を膨らませた。


「継続?」

「そう、継続は力なりってね」


 俺が首を捻ると、

「昨日見たドラマで『恋人は一緒にいて楽しい人を選ぶべきだけど、結婚は一緒に苦労を乗り越えれる相手を選ぶべきだ』って言ってたの」


 加奈子ちゃんはぽつりぽつりと想いを語る。


 好きだと思う気持ちがただ湧いて出てくるうちは恋。それが高じて相手を思いやり、お互いに成長できる努力を続けることが出来れば愛。


 だから愛には常に努力が必要で、継続して初めて形になるものだと。


「スポコン精神論みたいだ」

 俺が率直な感想を述べると、


「その通りよ、人生なんて苦労ばっかりなんだから。それに打ち勝って楽しく生きていくためには努力と根性が必要なの」


 加奈子ちゃんはむくりと起き上がって、ガッツポーズみたいに拳を握りしめる。


「中学生の恋愛論とは思えない」

「そうかな? でも、この価値観はタツヤ君のせいかもね。小学生の頃も、中学に入ってからも、タツヤ君はいつも助けてほしい時に必ずあたしを助けてくれた」


「そうかな」

「ねえ、去年の文化祭のフォークダンス覚えてる?」


 文化祭が終わるとグランドに集まって、後夜祭のように全校生徒がフォークダンスを踊るのがこの学校の習わしだった。


 確か中二の時は、加奈子ちゃんは不良グループの先輩に目をつけられていて、強引にダンスに誘われていたから、俺がその中に入っていったような記憶がある。


「皆怖がって遠巻きに見てるだけだったけど、タツヤ君がさっそうと現れてあたしにダンスを申し込んでくれたでしょ、もう白馬の王子かと思った」


 部活を辞めたせいで俺に対するイジメが始まっていたからか、その不良グループ以外にもあの後何人かにボコられたし……


「何度も加奈子ちゃんの足を踏んじゃったような」


 やたらと注目を集めてしまったし、喜ぶ加奈子ちゃんの顔を見るのが照れ臭くって、どうやって踊ったかすら良く覚えていない。

 だからあれは、とても褒められたような状態じゃなかった気がする。


「そう言えばすごく下手だったね」


 その頃を思い出すように、加奈子ちゃんが笑った。

 やっと笑顔が戻ったことに安堵していたら、


「ねえ、今から踊らない? ちゃんとしたダンスを教えてあげるから」

 加奈子ちゃんは俺の手を取って立ち上がった。


 教室の椅子や机が全て消えて、特別教室棟から聞こえていたショパンが定番のフォークダンスの音楽に切り替わる。


 夢って素晴らしい。

 これならジュークボックスにコインを入れなくてもBGMには困らない。


 そのロシアの古い民謡はもっとも有名な積みゲーの挿入音でもあったから、リズムは何とか覚えていた。


「手をこっちに回して、ステップはこう」

 加奈子ちゃんが楽しそうに踊るのに合わせて、俺が何とか身体を動かすと、


「もう、何それ! 新進気鋭のパフォーマンスアートか何かなの?」

 ケラケラと笑いながら、加奈子ちゃんもステップを重ねる。


「まさか、最近社交ダンスにハマってるんだ」


 俺が中学生の加奈子ちゃんを抱きかかえてクルクル回転すると、その面影に悪夢ナイトメアの少女の笑顔が重なった。


 そんな二人の美少女の笑顔と揺れる大きな胸を見ていると……



 俺にはどうしても、これが悪夢だとは思えなかった。

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