Yes or Oh yes!

 そしてもうひとりの、ある意味お年頃な加奈子ちゃんは、リトマンマリ通商会襲撃から家に帰って直ぐに話をしに行くと、


「覚悟はしたけど、まさかこんなことだって…… ごめんねタツヤ君、気持ちの整理に時間がかかりそうだから、徐々に話を聞かせて」


 そう言って苦笑いした。


 急に自分の元旦那が妖狐で、俺が異世界帰りで…… なんて話だしても理解が追い付かない気持ちは良く分かるから、


「分かった、いつでも話しかけてきて」

 その時俺は、そう答えた。


 それ以来、二人っきりになると思い出したようにポツポツと質問してくるが、俺も加奈子ちゃんの元旦那さんの死因を語ることが難しく、言葉に詰まることが多い。


 これには長い時間が必要だろうと思っていたが……

 二日ほど前から、枕を抱いたパジャマ姿の加奈子ちゃんが俺の寝室の前をうろつくようになった。


 彼女が扉を開けたら、俺も覚悟を決めて話をしようと思っているが、今のところ決心がつかないのかしばらくするとそのまま自室に戻ってゆく。


 俺が借りている自分の部屋の布団に寝そべり、そこまで思いを巡らせていたら、残していた歩兵ポーンの一枚が部屋の周りをうろつく加奈子ちゃんをサーチした。


 夕飯にはまだ早い時間だったから不思議に思い、ついつい扉を開けると、


「えっ、やっ、たたたタツヤ君、今時間大丈夫かな?」


 ピッタリとしたニットの上にジャケットを羽織った仕事着姿のままの加奈子ちゃんが、何故か枕を抱きしめて、おどろいた顔で俺を見た。


「かまわないよ、ちょっと考え事してただけだから」

 そう答えると、借りてきた猫みたいにそろそろと部屋に入ってくる。


 加奈子ちゃんがペタンと布団近くに腰掛けたから、俺もその横に座ると、


「なかなか決心がつかなかったけど、引き伸ばすような物じゃないし…… それに」

 抱きしめていた枕をそっと俺の枕の横に並べると、


「ゆ、指輪の答えもちゃんとしてなかったわ」

 加奈子ちゃんは恥ずかしそうに枕をポンと叩く。


 俺がその枕を見ると、カバーに大きく『YES』とピンクの糸で刺しゅうされていた。

 もしやこれは、伝説の新婚さんが使うとされる『YES/NO枕』だろうか?


「話を聞く前に、ちゃんとあたしの気持ちを伝えておきたかったし。その、ズルいかもしれないけど、この怖さと不安をタツヤ君に消してほしいの」


 俺が念のため、枕をひっくり返したら……

 そこには大きく『OH YES!』と真っ赤な糸で刺しゅうされていた。


 うん、良かった。これはどうやら伝説の『YES/NO枕』ではないらしい。

 俺が安どのため息をもらすと、


「えっ、いきなりそっちなの? あたしほら、もう十年以上そうゆうのなかったし、初めは優しくしてもらえると…… でも、タツヤ君の希望ならあたし頑張る」


 加奈子ちゃんは顔を赤らめながらジャケットを脱ぎ、ニットに包まれた大きなブツをボインと揺らしながら、俺の首に腕を回してきた。


 加奈子ちゃんの何かが暴走している気もしたが……

 もう、俺の意識も暴走を始めて止まりそうにない。


 美しいややツリ目の大きな瞳が、俺の目の前で揺れている。

 大きな胸が俺にぶつかりグニャっと形を変え、甘い香りが鼻孔をくすぐり、加奈子ちゃんの小さな吐息が俺の心をかき乱す。


 俺はゆっくりと息を吸いながらそのわがままボディを抱き寄せ、聖女のような瞳の奥を見つめ返した。


 ……そして、ある存在に気付く。


 クイーンは俺に「フェアじゃないから」と言った。

 それは下神の芦屋と名乗った怨霊がこの瞳と俺の心の中に宿った恋心を利用した呪いをかけていることを知ってのことだろう。


 師匠は俺にいつも、幸せとことわりについて語ってくれた。

 俺のスケベ心のブレーキが、この瞳の中にあることを知っていたのかもしれない。


「加奈子ちゃん、今までちゃんと話せなくってゴメンね」

「なに?」


 俺は加奈子ちゃんに伝えたかった言葉を耳元でささやきながら、まだかすかに残る瞳の奥の『呪』を魔法でつかみ取る。


 そう、クイーンの為にも加奈子ちゃんの為にも、これじゃあフェアじゃない。それに誰かの呪いを利用してまでこんなことをするのは、大賢者としての矜持が許さないし、師匠が解くことわりにも反するだろう。


 このままじゃあ、大切な『尊い幸せ』にも向かえない。


 その瞳の奥にあった芦屋の怨霊が掛けた呪いの残りカスは、複雑に加奈子ちゃんの記憶に絡みついていて、繊細な除去作業が必要だった。


 俺はそれを取り除く工程で、少し悩んでから……

 妖狐や異世界に関わる記憶と、今話した俺の気持ちも記憶から抜き去る。


 それが加奈子ちゃんの心を壊さない、最善の方法だと考えたからだ。


 ゆっくりと瞳を閉じ、全身の力を失った加奈子ちゃんを布団に寝かせ、さっきから警告音を鳴らしていた歩兵ポーンを掴み取る。


「覗いてないで出てきなよ」


 俺がため息交じりに話しかけると、そろりと部屋のドアが開いて、麻也ちゃんとクイーンと春香が顔を出した。


「ごめん」

 素直に謝る麻也ちゃんと、


「ダーリンはやっぱり、女心が解ってないなあ」

 何故かほっとしたように笑うクイーン。


「えっと、連絡事項がありまして」

 そして、苦笑いしながら作戦の進行状態を春香が話し出した。


「こっちの最終調整は終わったし、歩兵ポーンからお客さん到着の報告も入ったよ。春香、スクランブルだ」


 俺の返答に三者三様のリアクションがあったが、


「了解です! じゃあ早速スタンバイします」

 春香が駆け出すと、


「じゃあ約束通り、あたいは麻也についてるねー」

 クイーンはゴスロリ幼女から赤いリボンに変わった。


 麻也ちゃんがそのリボンを拾い上げ、髪につけると、

「ねえ、最近のママの記憶を操作して、あたしを置いて出かけて、もう帰ってこないつもり?」


 加奈子ちゃんによく似た瞳に涙を溜めて、俺に抱き着いてくる。


「安心して。やり残したことが多すぎるし、俺の目的はささやかな幸せを掴み取り、こっそり暮らしてゆくことだから」


 俺がそう言って麻也ちゃんの頭をポンと叩くと、

「こっそりと暮らす? なによそれ」

 泣き笑いのような表情をしながら手を離した。


「そのために努力している」


 首を捻る麻也ちゃんに笑いかけながら、唯空に改良魔法スマートホンで通信をつなげると、


「おう、猫の嬢ちゃんから報告を受けたのか? なかなか甘いものが上手そうな店が見つかったからな、お友達と一緒に来てくれねえか」


 そう言って通信が切れ、地図が添付されたデータが送られてきた。


「じゃあ、ちょっと待ってて」

 麻也ちゃんにそう言い残して、わざと追跡可能な痕跡を残しながら……



 俺はその地図データの場所まで、一気に転移した。

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