闇の女王と死の谷 その2

 俺は真っ逆さまに谷に落ちながら、『闇の女王と死の谷』の話を思い返す。


 そう、無限回廊図書には一冊だけ絵本があった。


 何故こんな所に……

 不思議に思い、師匠に聞くと。


「うむ、それはこの世界で最も有名なお伽話じゃな。子供向けの戒めとして語り継がれておるが、残念なことに事実なのじゃよ」


 苦笑いしながらその本を広げる。

 もう夜も遅く、俺はいつものように回廊の隅で就寝の準備をしていたが、


「どれ寝付き話として我が読んでやろう」


 師匠がそう言うので魔法ランタンの明かりを点けて寝袋に入ると、俺の枕元にペタンと腰を下ろした。

 つるんとした二つの膝小僧と、その奥の純白のパンツが淡い光に揺れている。


「とある処に、とてもとても美しい少女がおった」

 そして鈴の鳴るような美しい声が、静まり返った無限回廊図書に響く。


「師匠よりもですか?」

「阿呆、初っ端から話の腰を折るでない!」


 顔を赤らめ頬を膨らます師匠は可愛かったが、その後のグーパンチは強烈で、危うく永眠してしまいそうになる。


「そ、その少女はじゃな…… まあ、我よりちょっとだけ可愛くなかったが、国中の男どもをとりこにして、有頂天になっておった」


 そして師匠は頬を赤らめたまま、絵本のページをめくった。


 少女はその美しさから、全能の神ゲレーデスの目に留まってしまう。全能の神は地上に降りて求婚したが、既に妻や子供がいるゲレーデスの誘いを少女は断る。


 怒ったゲレーデスは少女の姿を変えて『迷いの森』に捨ててしまうが、それを見ていた妻のリリアヌスが少女に近付き、


「本当にあなたのことを愛する人が現れたらその姿は戻るでしょう。そしてそれまで生きてゆけるように、私が加護を授けます」


 そう云って少女に不老不死の魔法をかけてしまう。


 醜く不老不死となった少女はリリアヌスに感謝するが……

 それがリリアヌスの嫉妬からもたらされた呪いだと、その時は気付かなかった。


 少女は森をさ迷いながら何度も魔物に殺され、その度に蘇り、やがて魔物たちの技を盗み、返り討ちにしてその肉を喰らっては、その魔力まで奪い取るようになる。


 憎しみが増し、力をつければつけるほど少女の姿は醜くなり、やがて悪魔がその姿を見ても震え上がるほどの異形となった。


 そんなある日、少女が自分の為に築いた城に、勇者を名乗る冒険者たちが現れる。


「醜く愚かな魔王よ、この正義の神アーリウスから授かりし聖剣のサビとなるがよい」


 少女はその言葉に驚いたが、勇者たちの力があまりにも稚拙で貧弱に思えたので、何かの間違いだろうと簡単に返り討ちにしてしまう。


 すると勇者がもっていた聖剣から白銀に輝く勇猛な男神が現れた。


「我が父ゲレーデスから試練を受け、母リリアヌスから呪いを受けし少女よ」

 それは正義の神と崇められるアーリウスだった。


「何故その試練に挑まず、人々に苦を強いる」


 その問いに少女は笑いだしてしまう。


「あたしの人生を狂わせ、苦を背負わせた神々の一柱が何を言う。お前がかざす正義が本当にあるのなら、この醜い身体を切り裂き呪われた永遠の命を奪うがよい」


 しかしアーリウスは悲し気な瞳で少女を眺めると、


「人々は何か勘違いしているようだ。私は正義の神ではなく、ただ運命を見つめる者だよ。真実の愛を知るチャンスを与えた父の気まぐれが、どのような結末になったのか知りたかっただけだ」


 その言葉に少女が首を捻ると、


「真実の愛や幸せとは、憎しみや辛さや苦の対極にある。それを知らずにあのようなふるまいをしていれば、形は違っただろうが同じような悲劇が起こったはずだ。運命とはいつもそのように働く」


 アーリウスはそう言って深いため息をつき、剣の中へと消えてしまった。

 少女は震えながら剣を手に取り、


「では、あたしの今までの人生は何だったの?」


 その剣を胸に刺したが、不老不死の呪いのせいで命が果てることはなく、闇の女王と恐れられた魔女の憎しみと苦痛が永遠と放出され……


 やがてその魔王城は深く地中に沈み込み、『死の谷』と呼ばれるようになった。



 俺はその話を聞き終えると、

「師匠、もうそれ何の救いもないですね。寝る前にする話じゃないでしょう」


 とりあえず抗議の意を伝えた。


「お伽話とはそもそもそんなものじゃ。それに本当の救いや幸せとは、自分自身でしか見つけれぬものじゃしな」


 師匠はパタンと音を立てて絵本を閉じると、そっと俺の頬に手を差し伸べる。


「でもそれが事実でしたら、師匠もその意地悪な全知全能の神とかに、ちょっかい掛けられたんじゃないですか?」


「ふむ、全能の神ゲレーデスなら数回我のところにも求婚に来たな。その度に殴り倒してやったら、もう来んようになった。何度殴っても性懲りもなくちょっかいを出す阿呆は、我はひとりしか知らぬ」


「世の中にはとんでもない猛者がいるんですね」

 俺が感心すると、師匠は目を閉じてせつなげに小さく息を吐く。


「これも運命の神アーリウスに言わせれば、面白いそうじゃ。大いなる力を得た者がどのような結末を迎えるのか、楽しみにしておると言っておったな」


「師匠にはまだ愛する人がいないのですか」

「こんな力を持つと、そうそうそんな男も現れん」


「いつかきっと現れますよ、師匠はとても魅力的な女性ですから」

「ではそれを期待しようかのう」


 師匠は俺の頬から手を離すと、

「真に尊い幸せとは、このランタンの光が灯る範囲のように狭く、ささやかな場所にあるのかもしれんな」


 俺の顔を見ながら微笑んだ。


 その瞳はいつか見た加奈子ちゃんの瞳と同じで、深い慈愛と悲しい闇が混じりあい、俺の何かをギュッと握りつぶすような痛みをもたらした。


 そして、それと同時に、心の中に何か温かいものが灯った気がしたが……


「尊い幸せって?」


「そうじゃな、それを掴む事がお前の欠けた何かを補う一番確かな方法かもしれん。それは使いきれぬほどの富や歴史に残る名声や、この大いなる力よりもかけがえのないものじゃ。いつかお前にもその幸せが訪れることを願おう」


 師匠はそこまで話すとゆっくりと立ち上がり、ミニのドレス・スカートをひるがえして帰って行く。


 俺は純白のパンツに包まれた、小さくてキュッとしまった美しいお尻を見送りながら、ランタンの灯を消した。

 すると暗闇に包まれたせいか、師匠が居なくなったせいか……



 さっきまであった胸の中のささやかな温かみも、何処かへ消えてしまった。

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