3. 静かな、ざわめき

「なぁなぁ!今朝のニュース見た?

また発見されたんだろ!?赤い子羊レッド・ラム!!」


登校早々、鞄を机に下ろすのと同時にお調子者の梅田うめだが話しかけてきた。


「今さ……ネットで犯人らしき人物の画像がアップされてんだけどさ……

西園寺!お前は、どいつが犯人だと思う?」


そう問うと、梅田は自分のスマホ画面を玖遠の眼前に突き付けて来た。

近すぎてピントが合わず、見えない。

邪魔そうな素振りで梅田の手を押しやると、そこには『いかにも』な不審者画像の数々がズラリと並んでいた。


「不謹慎だぞ、梅田」


玖遠の迷惑そうな気配を察してか、側に居た友人、川嶋かわしま 久騎ひさきが梅田をたしなめる。

梅田は悲惨な事件が起こっているというのに、何処か楽しそうな気配さえのぞかせていた。

それは猟奇的というよりは、むしろ子供じみた思慮のなさから来ているようだった。



「……さぁ?どれも犯人なんじゃないの?」


構うのが面倒だと感じた玖遠は抑揚よくようの無い声で答える。


食い付きの悪さを感じると、少しスネたような顔付きをした梅田は、「ちぇっ!スカしてやんの」と言い放ち、立ち去って行った。

それから、また新たな『餌食』を見付けては、「なぁなぁ!今朝のニュース見た?」と『探偵ごっこ』の仲間に引き込もうとするのだった。




よくも、まぁ…そんなに、はしゃげるものだと思う。


机を整理し、一限目の準備を終えた玖遠は、

ふと…………ぼんやり、周りを眺めてみた。



一際ひときわ、声高にはしゃぐ梅田と………興味津々のクラスメイト。


「無責任」な子供達は、次々に何の根拠もない推理を口にする。

出回る情報は、どれも、胡散臭うさんくさいものばかりで、真偽の程は定かではないというのに。


いや………子供だけではない。


センセーショナルに報じるマスコミも、事件の内容を口にする大人達も………

日常に石を投げ込み、平穏な空気を波立たせる猟奇事件に、誰もが無関心ではいられなかった。


被害者への追悼や、犯人への義憤も含め………様々な人間が、この事件に心を掻き乱される。

日々、バラバラな日常を送り、スマホにしか興味を示さぬ人々が、この事件を口にする時だけは、誰かと思いを語り……共有しようとするのだから、人の繋がりとは皮肉なものだ。


それだけ、人々が……

感じた事を共有したい、

想いを内に秘める事に耐えられないと感じる程、不安にかられている証拠なのかもしれない。



センセーショナルな事件ですら情報に埋もれ、風化するのが速い昨今においては珍しく…………

この事件だけは『賞味期限』が長かった。

続きもののドラマのように………連続して起こる事件が、人々の『くち伝え』により、消費される。



犯人は、今―――――

どんな気持ちで、この状況を受け止めているのだろう―――――?


…………ふと…………、

そんな疑問が過った。


目の前の子供達は…………

平穏過ぎる日常に退屈しきっているからこそ………こうした『スパイス』の虜になっている。

悲劇すら、エンターテイメントに出来てしまうのが、人間なのだと―――――

犯人も、また、

実感しているのだろうか―――――?



何故だか、犯人の目線に立って、物事を考えようとしている自分に気付き、意識を払拭する。

一瞬、犯人と同調したかのような錯覚を覚え、気味悪く思った。



目の前の、不謹慎な子供達を批判する資格など自分にはない―――――。


ワイドショーを賑わせる殺人事件を、まるで創作物の中の出来事のように………

フィルターのかかった視点で現実を見ていた。


少なくとも………朝食の時、勇悟が見せたような悲愴さは自分には無い。


(………だから、きっと………

俺も、同類なんだ――――)



恋人の小夜子さよこが巻き込まれはしないか…………

それだけは気掛かりだった。

けれども、自分が巻き込まれる可能性………

被害者として餌食になる可能性については危惧しない。

まだ、男性に被害が無いだけで……巻き込まれる可能性もゼロではない。

それを解っていても、何処か実感に欠けている。



だから、玖遠は変わらず、密かな楽しみを続けていた


夜の独り歩きを―――――――――。






勇悟が仕事で帰宅が遅くなる事を良いことに、夜中でも気の向くまま好きに出歩く。

心配性の勇悟が在宅の時には出来ないが、勇悟の生活パターンを熟知している玖遠は、バレないように出歩いた。

昨夜も、散歩がてら、行きつけの書店に立ち寄った。

不定期営業で、たまに深夜に開く事もある不思議な店。



店の名前は『L.radiata《エルラディアータ》』。



古い書物や、海外から買い付けて来た洋書も並ぶ店で、普通の書店では取り扱われぬ品々が並ぶ。

ほとんどが古書こしょだが、たまに新作の売れ筋本が混ざる事もあり、まるで統一感は無い。

マニアックな品々の中に並ぶ売れ筋本は、かえって浮いていた。

物置のように雑多に並ぶ古書の中から興味を引く本を探し当てるのは、宝探しにも似ていて面白い。

特に、この店で取り扱う本は、他で手に入らぬものも多く、貴重な『出逢い』を逃してしまうと、二度とは出逢えぬかもしれない。

それで、玖遠は、ついつい、この店に足しげく通ってしまうのだ。


昨日は、下校途中に立ち寄ったが、店には『close』の札がかけられていた。

だから、深夜にも関わらず、家を抜け出し、『L.radiata《エルラディアータ》』に立ち寄ってみた。

勇悟は、いつも通り、帰宅は遅くなりそうだが、終電には間に合うだろう。

そんなに『宝探し』に没頭する余裕は無い。

それでも、少しだけ……ちら、とだけでも様子は見たい。

終日、閉店の日もあるが、たまに深夜、人の出入りも少ないのに、ひっそりと開店している事がある。

過度な期待はせずに、散歩がてら立ち寄ってみたら『close』の札は外され、店の中から灯りが漏れていた。

通常、営業時は『open』の札がかかっているだけに、営業していない可能性もあったが、試しに扉を開けてみる。

店のオーナーとは顔馴染みだ。

もし、営業していないのなら、そのまま帰れば良い。



「すみませーん。営業中ですか?」


声をかけてみたが返事は無い。




(……おかしいな………

……居ないのか……………?)


いくらマイペースな店主といえど、夜も遅くに鍵もかけずに出歩く事はないだろう。


しかし、それほど広くはない店内を見て回ったが、店主の気配は何処にも見当たらなかった。

不審に思いつつ、入り口に戻ると、店の扉の前にある骨董品の丸机の上に奇妙な本を見付けた。



『出逢い』だと思った。


店に入った時……その本はあっただろうか……?

見るからに目立つ、美しくも妖しい装丁そうていを見逃すはずはないと思うのだが………。


その本は、端が黒い角張った鉱物で縁取られていた。

角度によっては淡い銀色の光が、金属のように鈍く光る。

その内側には、血のように深い赤の七宝焼が装飾されており、赤い滑らかな玻璃はりを傾ければ、金やしゅの光りがうごめく。

そのさまに、あたかもほのおが舞い上がっているかのような錯覚を覚えるのである。

そして、中央には黒革が貼られ、金の文字で、こう書かれていた。



『Junasaid』




ジュナセイド………


読む事は出来ても、一体、どんな意味を持つ言葉なのかは解らなかった。

初めて聞いた言葉だが、一体、何の本なのだろう………?


玖遠は、すっかり、その妖しさに魅了され、ページをペラペラめくってみる。


中は、図鑑のようだった。

文章の所々に丁寧な手描きの絵が添えられており、その絵は古い童話の挿し絵のような印象だった。

えがかれた生物の解説が丁寧に記載されているが、植物とも動物ともつかぬ、その生物を見た事はない。



(……何だ、コレ………?)



美しいものも、醜悪なものも入り雑じり、

一体、それが何なのかは解らない。


誰かが空想上の生き物をつづった架空の図鑑という印象を受けた。

こんなものを、わざわざ丁寧に趣向を凝らして創ったのであれば、実に酔狂で、滑稽だ。

だが、その滑稽さこそが玖遠の心を魅了した。



「……面白い…………!」


一体、何処の阿呆あほうが、わざわざ金をかけて、こんなものを創ったのであろうか………?

趣向を凝らした装飾を見れば、安くはないと想定出来るが、しかし、一体、何の為にこのような珍妙なものを創らせたのであろう………?

どの生き物も、様々な性質で、まるで統一感が無い。

人に危害を加える存在も多い事から、どうやら架空の化け物……或いは、悪魔を図鑑のように解説した書物のようだった。

おのが妄想をき記したものならば、作者はかなりの奇人に違いない。

作者の名前も何も見当たらなかったが、玖遠は、どうしても、この書物が欲しくなった。



時間は、余り無い。


魅入みいっている内に、あっという間に時間が過ぎ去っていた。

時刻は深夜0時を周り、そろそろ帰宅しないと勇悟が帰って来てしまうだろう。

精算場所の奥の部屋に声掛けするも、そこには薄暗闇うすぐらやみが広がるばかりで店主の居る気配はない。

値札の無い、この書物が幾らなのかは不明だが、今、手放したら、こんな珍妙な本、二度とは出逢えぬだろう。

今は姿が見えぬ店主に、自分が『Junasaid』を買う意思のある事、金額が解らぬから後日、精算に来る事を書き残したメモを精算台のペーパーウェイトの下に残した。

いくら仲の良い店主でも、精算前の品を持ち出す事は気が引けたが、主の居ない店に金だけ残す事も物騒な気がした。

幸い、白澄しらすみ妃室ひむろ区は、とても治安の良い地域ではある。

だが、それでも、深夜に鍵のかからぬ店内に金だけ置くのは、却って、おかしなやからを招き入れかねない。

試しに誰の気配もしない店内に、もう一度、声を掛けてみたが、やはり何の返事も得られなかった。

玖遠は常連だし、住所も知っている。金に困っていない事も承知の上だし、ひとまずは持ち帰る事にした。





すんでの差で勇悟より早く帰宅した玖遠は、早速、ジュナセイドに読み耽った。

深夜に机に向かう姿を、勉強の最中だと誤解され、自分も仕事で疲れているというのに、朝の食事当番を代わると言ってくれた。

勇悟に申し訳なくは思ったが、甘える事にした。

読み終わるまで眠るつもりはなく、きっと翌朝、眠気に苛まれる事だろうから…………。


そうして手に入れたジュナセイドを、玖遠は学校にも持って来ていた。

厚みと重みのある本で、正直、持ち運ぶには邪魔だったが、恋人の小夜子さよこにも見せてやりたい。

帰りにはエルラディアータに寄って、精算もしなければならない。


事件に賑わう周りを余所よそに、

ちょっとした凶器になりそうな程、硬く、分厚く、重い本を玖遠は開く。




「………何?その本………。

……………綺麗だけど、怪しいね」


早速、食いついた…………!

古めかしくも、奇抜な装飾の本に、後ろの座席に座る小夜子さよこが興味を示す。


「怪しいだろ?

そこが、気に入ったんだ」


玖遠は、満足げに本を掲げる。


小夜子はいぶかしげな反応を示しているというのに、

対極な…………

楽しげな反応を示す玖遠に苦笑いを浮かべるしかない。

怪しい事、この上ないが

玖遠が満足なら、それで良い。


…………そう思った小夜子だったが、ある奇妙な点に気付き、ハッとする。



「………ねぇ…………、それ……………、

ノートなの?」


(――――…………?)




奇妙な事を言う小夜子に、玖遠はキョトンと首をかしげた。

普段、クールな彼には珍しい、少しおどけた仕草だった。


「…………いや?

図鑑みたいだが…………、何でだ?」


聞き返すと、小夜子は困惑の色を隠せぬまま、急に立ち上がり、せわしなくジュナセイドのページめくり始めた。

それから、手を口に当て、息を飲むと、しばらくく何も言葉を口に出さなかった。


玖遠は、静かに………何も、言わずに、その様子を見守る。


そうして、ようやく口にした小夜子の言葉は奇妙で、意外なものだった。



「…………玖遠………………、

その本、どうやって読んでるの?」



どうやって……………?


妙な事を口にする。



本に、読み方などあるものか。


只、普通に、いつも通り、文字を追えば良い。


そうすれば、自ずと意味の方が頭に入って来る。



当たり前の事を問われ、困惑しつつ、本に目を落とす。

途端とたん……玖遠は、小夜子の言葉を理解した。



(……………どうやって……………


俺は、これを読んでいたんだ……………?)




そこには無数の文字が紙面を飾っていた。


只、普通と違っていたのは、

果たして何語なのか―――――――

それすらも解らぬ言語を玖遠が読み取っていた事である。


羊皮紙ようひしの上を踊るように、クネクネと書かれた文字…………


少し、アラビア語にも似ているが、実際には何処の言語か判別出来ない。見た事もない文字が踊っている。

知る筈のない文字を、どうやって自分は解読していたのだろう。


奇妙な事に、今まで日本語を読むように自然と文字を理解していた。


しかし、その文字も、小夜子に奇妙さを指摘された途端、全く意味が解らなくなってしまった。

呆然とする玖遠に、小夜子がつぶやく。



「……………私には、只の白紙に見えるんだけど…………、

貴方には何かが見えるの…………?」


「―――――――――!?」



困惑が再び、意識を支配する。


玖遠は、解読不能な文字に戸惑ったが、小夜子には、文字そのものが見えていないというのか――――――。



(そういえば――――――――)


よくよく考えてみると、不吉のきざしは昨晩から始まっていたのかもしれない。



昨夜、玖遠がジュナセイドを読み耽っていた時も、勇悟は熱心に勉強をしているのだと誤解していた。

近くに教科書があったから誤解したのだろうが、教科書よりも大きく、怪しく目立つ装丁そうていのジュナセイドが目に入らないのは少し奇妙に思えた。

その時は勇悟がジュナセイドを見落としているだけなのだろうと思ったし、『勉強熱心な』玖遠の代わりに翌日の朝食当番を代わってくれると言ったので、余計な事は言わずにいた。

しかし、今になって思えば、あれは、単に目に入らなかったのではなく、そもそもジュナセイド自体が見えていなかったのではないだろうか…………?


見る人によって、その姿が見えなかったり、

本は見えても文字が見えなかったり…………、

或いは、読める筈のない言語を読ませてしまったり―――――――。


まるで、存在が読み手の魂と呼応するかのように……………

本そのものが意思を持ち、読み手を選んでいるかのようではないか。


自分が、この奇妙な言語を読めてしまったのは、本にいざなわれたからなのか―――――――?

そう思うと、好奇心旺盛な玖遠でも、流石さすがにゾクリとするものが背筋を走った。


そんな玖遠を嘲笑うかのように――――、

怪奇なこの本は、再び、玖遠に信じ難い現象を見せる。




字が…………

血のように赤くにじんだのである。


黒く、せたインクの色が、流れたての血を思わせる鮮やかな赤に変わる。

文字の端が、血管のようにピクピクと跳ね………

沼を這う餓えたヒルのように、うねり出した。

まるで、意思を持った血液のように、ドロドロと流れ始め………やがては、俊敏な蟲が一斉いっせいに石の影に隠れるが如く、ページの隙間に姿を消した。

それからは、めくれども、めくれども、先程の文字の姿は、まるで見当たらなかった。

あの、ドロリとうごめくインク達は……………、

一体、何処へ姿を消したのだろうか………?


………いや……………


そもそも、羊皮紙ようひしの上を

ヌルリと滑り落ちていった、

あれらは……………


本当にただのインクだったのだろうか…………?



頭を悩ませた所で、人知を越えた現象を解き明かす術など無い。



「…………今の――――…………

………見たか………………?」



我が目を疑い、奇妙な現象の共有者を求めようとしたが……………

初めから、文字そのものを認識しない小夜子が、同じ不思議の体験者となる事はない。


「…………見たって………………

―――――――――――何を?」


神妙しんみょうな顔付きで聞き返されただけだった。




自分は、疲れているのだろうか………?


人生の中で、我が身の正気を疑いたくなる瞬間は、何度かあった。

けれども、流石さすがに、こうした超自然的な現象に遭遇したのは初めてだった。


玖遠はただ、静かに、

乾いた羊皮紙ようひしを閉じ……………

しばし、頭を抱える。



なんという奇妙な本を手にしてしまったのだろう――――――。


自分の手にえる代物しろものではない事を悟りつつ…………

改めて、古書店エルラディアータに立ち寄る事を決意した。



自分の目にしたものは、何だったのか―――――――、


一体、この本は何なのか―――――――、


店主に問い詰める必要がある。








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『Junasaid』 綾兎 @hisaka-ayato

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