2. 平穏な朝

『速報です。

〇〇区の繁華街で20代とみられる女性の遺体が発見されました。

遺体の損傷は 酷く、身元は、まだ判明していませんが、

警察は、都内で発生した連続殺人事件と同一犯による犯行の可能性も視野に捜査しています』



「……またか……、物騒だね………」

朝陽の射し込むリビングで、玖遠くおんに珈琲とトーストを差し出しながら、勇悟ゆうごつぶやく。


静かで平穏な朝と、入れたての珈琲の香りに似つかわしくない情報だけが、付けっぱなしのTVから流れる。

普段は、コメンテーターの他愛ない賑わいだけが流れるワイドショーが、今は物騒な速報によりさえぎられている。


トーストのカリッとした感触を味わいながら、玖遠くおんは、まだ眠気の残る頭でニュースを聞き流していた。



(……苦い…………)


トーストは、焦げていた。

仕方ないので、プラムのジャムでトーストの不味さを和らげる。


「例の、あの事件ですかね……。

まだ、詳しい事は何も解っていないみたいですけど」


トーストを焦がした張本人は、TVにかじり付いており、ぼんやり聞き流す玖遠くおんとは対称的だった。


トーストの苦味を和らげる為、玖遠くおんは珈琲に、いつもより多めにミルクと角砂糖を入れる。

チャポンッと、小気味の良い音が立った。


「遺体が発見されたばかりだからね……。

だけど、あの事件と同一犯の可能性があるという事は……

さぞかし、酷い遺体だったんだろうな……」


勇悟ゆうごは、痛ましげに眉をひそめる。

事件が発生して間もない状況では、慌ただしい現場の空気しか伝わって来ず、新しい情報は流れて来ない。

ようやく、自分が朝食の最中であった事を思い出し、

TV前のソファーから離れ、食べかけのトーストが残るテーブル席に座った。

そこで、初めて、自分が玖遠くおんの為に用意したトーストが、結構な焦げ具合だった事に気付く。


「……アレ………?焦げてない?俺のと代えようか?

……食べかけだけど」


テヘッと、舌でも出しそうな雰囲気で、玖遠くおんからわずかに漂う不平の空気を誤魔化す。


「……別に良いですよ。もうじき食べ終わりますし」


本来、自分が朝食の用意をするはずだった所を、勇悟が代わってくれたのだ。

玖遠も、余り文句ばかり言えない。

優しい勇悟の事だ。事件に気を取られ、朝食の用意がおろそかになったのだろう。



勇悟が心を痛めている、あの事件というのは

『都内連続OL殺人事件』の事である。


被害者は若い女性ばかりで、いずれもOLだった事から、こう呼ばれるようになった。

だが、通勤、帰宅途中で、それと解る姿の女性も居れば、私服姿で襲われた女性も居るようなので、わざわざOLを狙ったものなのかは定かではないという。

単に若い女性ばかりを狙っただけの犯行とも考えられる。

いずれも都内で発生しており、玖遠くおん達の住む、神科かみしな県は、到って平穏そのものだった。

……もっとも、神科かみしな県は、東京に隣接しており、電車1本で都心にアクセス出来る立地から、決して『遠い世界の出来事』という訳でもないのだが……。


犯行内容は猟奇的で、被害者には獣のように引き裂いたような跡がある事から、犯人はニュースで『引き裂き魔』と呼ばれた。

しかし、一部では、鋭利な刃物による切断ではなく、まるで、強靭な肉体の力で引き裂いた………………


…………いや『引き千切られた』ような遺体ばかりだという噂も出ている。

内容の残虐さから箝口令かんこうれいでも敷かれているのか、連続して事件が起こっている割には、具体的な情報は、ほとんど公開されていない。



ネット上では嘘か誠か解らぬ情報ばかりが飛び交っており、その人間離れした犯行から『人狼ウェアウルフ』の犯行だと言う者が出たり、遺体の一部が食されていたという噂から『食人鬼ハンニバル』と呼ぶ者も居た。


中でも、最もメジャーな呼び名なのが『赤い子羊レッド・ラム』である。


不幸にも被害者の1人を目撃してしまったという人物が、初めは人間に見えなかったと……真っ赤な肉のかたまりは、まるで、屠殺とさつされ、解体された羊か何かのようだったと証言したという話から、元々は被害者の女性達を指す言葉として『赤い子羊』という呼び名が使われていた。


しかし、赤い子羊(red lamb)は、映画『シャイニング』にも出て来た、あの言葉………『REDRUM』を連想させる。

反転させると『殺人』を意味する言葉になるという事から被害者ではなく、いつしか犯人そのものを指す言葉として使われるようになった。


だから、ニュースでは『都内連続OL殺人事件』と呼ばれる、この事件も、若者達の間では『赤い子羊レッド・ラム連続殺人事件』という呼び名の方が馴染みが深い。


迷走気味だった犯人の呼び名『人狼ウェアウルフ』や『食人鬼ハンニバル』のどちらにも、通づる『羊』という言葉が入っているからなのか、今では、すっかり『赤い子羊レッド・ラム』で定着している。




「………こんなの………人間の所業じゃない………………」


事件の事を思い、ため息を吐きながら勇悟ゆうごはぼやく。

これから出勤だというのに、早くも勇悟ゆうごは疲れた顔をしていた。

何処か、くうを……虚ろに見つめるような表情ひょうじょう…………。

玖遠が、西園寺さいおんじ家より勇悟の元に引き取られて以降……初めて目にする表情かおだった。


優しく、頼りになる兄のような存在………。

古くから続く名家、西園寺家に絶縁されて………


というより、自ら絶縁状を叩き付けるに等しい形で実家を飛び出した玖遠くおんを寛容に受け入れてくれたのが、居取いとり 勇悟ゆうごその人であった。

一応は親戚とはいえ、血の繋がりなど無いに等しい遠縁の玖遠を受け入れてくれた勇悟の事だ…………

被害にあった彼女らの事を他人事とは思えぬのだろう。


玖遠くおん自身は、到って冷静に受け止め、

それほど、事件に心揺らぐ事もなく日常を過ごしていたが、やはり恩人である勇悟の不調については心配だった。


「………一体、何が楽しくて………

………こんな事をするのかね…………」



うつむいて、独り言のように言葉を吐き出す勇悟に玖遠は何も言えない。


少なくとも『自分』には、何かを言う資格は無いような気がした。


此処で、今……勇悟に、真っ当な人間らしい言葉をかければ、それは勇悟に『嘘』をつく事になるような気がしたから………。

登校の準備を終え、リビングの入り口で鞄を手にしたまま、玖遠は硬直する。

そんな玖遠の異変に気付き、勇悟ゆうご怪訝けげんそうに問う。



「玖遠……君………?」


今は、あまりを見られたくない………

そう、思った玖遠は、反射的に勇悟に背を向け、一呼吸ひとこきゅう終えたのち、返事を返す。



「何でもないですよ」



その一言だけを残し、

勇悟の返事も待たずして、玖遠は……勢い良く玄関を飛び出した…………。







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