第4話 リスと黒猫

 竜が鼻先を近付けても空は怖がらず、小さな小さな手を伸ばして鼻先に触れる。


 夢見ていた感覚と同じだ、くすぐったい。


 怖がらせないように少しだけ足を進め、空との距離を詰める。


 空は膝を折り、座って竜の顔を見上げた。


 竜は岩窟に現れた子供に目を輝かせている。


 見詰めていると空は首が疲れたのか大きく息を吐き出してぺたりと仰向けに寝転がる。


 倒れたのではないか、体調が悪いのだろうか、死んだりはしていないだろうか。竜は急に倒れた空を上から覗き込む。


 空の深い青の瞳が細められる。



「おっきいおうまさん。あたしのおうちどこかしらない?」



 竜は人の言葉を知らない。何かを話していることは分かっても、どんな意味の言葉を紡いでいるかは分からない。


 ただ、綺麗な音だな、とは思う。


 名前も知らない人間の子供。遠くから見ているだけでは聞こえなかった声。見えなかった表情。



「あやかね、まよっちゃったの」



 空は両手を竜の顔へ向けて精一杯伸ばしながら言葉を続ける。花を摘みに森へ入り、迷ってしまった。もう帰れないと泣いていたら一匹のリスが近くにやってきた。


 泣き止み、リスへ手を伸ばすとリスは少しだけ走り空を振り返った。こっちへおいで。まるで空を案内しているような素振りに空は足を進め、リスの姿を追った。


 リスは人間にも歩ける道を選び、そして岩窟へ入った。


 まだ幼い空は上手く説明できない。上手く説明しても竜には届かない。


 竜を馬と呼んだ空は伝わらない言葉に頬を膨らませる。


 そんな表情もあるのかと竜は笑う。


 その時、岩窟の入口で何かが鳴いた。



 にゃあ。



 真っ黒な体に金色の瞳。


 色彩だけを見れば竜と同じ身体。


 猫は一声鳴くと天水に濡れた身体を跳ねさせ、空の近くへと駆け寄る。


 上半身を起こして座る空が身に纏う布を口に咥えると引っ張り、そしてもう一度鳴いた。



 にゃあ。



 まるであのリスと同じ。


 竜が喉の奥で唸った。


 黒猫は竜を見上げ、鳴く。


 猫の声に応えるように竜は後ろ足と大きな翼で身体を支えるとまるで空へ出口を譲るように身体を退かす。


 空が首を傾げると猫はまた布の端を引っ張った。


 さあ、帰ろう?


 誘われるままに立ち上がり、岩窟の入口へ歩みだす。



「あ、おうまさん」



 入口から慎重に森へと歩みだした空は唐突に竜を振り返る。


 予想もしない行動に竜が金色の目を見開いていると空はとても楽しげに、そして嬉しそうに笑う。



「またくるね!」



 誰もいなくなったいつもの岩窟で竜は独り空を見上げた。雲一つない晴天の空が広がっている。


 上空にある空と同じ色をした人間の子供が岩窟に居た。


 最初に空が眠っていた場所の近くに頭を置いて竜は目を閉じる。


 最後に見たあの空はとても綺麗な表情をしていた。竜の瞼の裏で空が笑う。



 今日は、きっといつもより良い夢が見れる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空と竜と少女。 つきしろ @ryuharu0303

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る