第33話 アレク様と私
『オルガさんって男みたいですよねー』
『え、そ……そうだろうか……』
『そうですよー。あたし最初見た時男の人だと思いましたもーん。筋肉すごいし女の人じゃないみたい。髪とか全然手入れしてないんでしょ? お風呂入っても石鹸で髪洗ってましたよねー』
『あ、ああ、私の髪は短いし……姫や君のように長くないから石鹸で十分かと……』
『まあ、本人がそれでいいならいいですけどー……でも正直見てて不愉快なんですよねー』
『……、それは、なんというか、すまない……』
『ふん』
……彼女が……ナナリーがパーティーに加入してからしばらく経った時だった。
ナナリーにそう、きつく言われた事がある。
あの時は可愛らしく着飾る彼女にとって、私の無頓着ぶりが相当に不愉快なのだろうな……と思うに留まり、改善しようとまで思わなかった。
けれど、クリス様やリリス様に化粧のやり方や髪の手入れの仕方を指導されていくうちにそれが自分の中で習慣となり、当たり前になってきた。
お二人に言われなくとも自分で髪を梳かし、化粧を最低限施す。
髪はきちんとシャンプーやリンスで洗い整える。
身嗜みに気を配るようになって初めて、時折町で見かける冒険者の容姿や立ち居振る舞いが気になるようになった。
髭の男には「ちゃんと髭を剃ればいいのに」。
尻をボリボリかく男には「ちゃんと風呂で体を洗っているのか?」。
泥のついた体で酒を飲む男には「風呂に入れ」。
みっともない。…………と。
ああ、そうか。
つまり、ナナリーの言いたかった事はこういう事だったのだ。
最低限身嗜みに気を遣うのは当たり前。
一緒に歩くのに、あんなみっともない格好の同行者は恥ずかしい。
私はそんな事にも気付かず、彼女の忠告を無視してしまっていたのだ。
些細な事かもしれないけれど……身嗜みに気を遣うと一緒にいる人たちにもほんの少し誇ってもらえる。
クリス様が楽しそうに私を着飾ろうとするのも、自分が楽しいだけ……ではないと思いたい。
いや、そこは私がもっと気を付けなければならないところだろう。
少なくともアレク様とクリス様は王族。
隠している事とはいえ、そんなお二人の周りにはさぞ美しく清潔な使用人しか良いなかったはずだ。
だから私も、お二人の側に立って大丈夫な格好をしなければならない。
身嗜みに気を遣うのは、必要な事だ。
ナナリーに言われた時にもっとしっかり考えていれば……。
「……ルガ、オルガ、起きて! ねえ、しっかりー!」
「……っ」
揺さぶられ、頭を抱えながら目を開ける。
私は、どうしたんだったか……。
それに今の声は……?
「あ、アレク様」
「大丈夫ー?」
「は、はい、なんとか……。……ここは」
辺りを見回す。
ここは、三階?
壊れた石像の破片以外にも、中央の床が真っ二つになっている。
天井を見れば、同じように真っ二つ……。
キニスンの技で塔の真ん中に穴が空いたのか。
なんという威力……!
「僕たち以外のみんなもあの穴から落ちたと思う。……三階に落ちたのは僕たちだけっぽいねー」
「そ、そうなんですね……」
「立てる?」
「はい」
手を差し出され、迷わず取る。
引っ張られて立ち上がり、体に付いた埃を払う。
まだ埃っぽい……。
いや、粉塵か。
「すさまじい威力の技でしたね。アレク様、目は大丈夫なのですか?」
「あーうん、だいぶ治ってきたよー。大雑把と言えば大雑把な攻撃だから、避けられる攻撃だと思ってたらまさか床が抜けちゃうなんてー。……あの威力ならこの建物も壊れそうだけど……」
「恐らくここがダンジョンだったから破壊されなかったのでしょう。ダンジョンは基本、最奥のボス魔物を倒さなければ消える事はないといいますから……」
「ふぅん、なるほどー?」
この床の穴も危険ではあるが、不思議な事に階段は全くの無事。
これ程の力を持つ、あの少女。
魔人――と己をそう名乗ったが、魔物とどう違うのか。
確かにナナリーよりは、人寄りの容姿だったけれど。
「さて、これからどうしたものか」
「皆さんが落ちたのなら、我々も降りた方がいいのでは――」
『あ〜、あ〜、マイクテス、マイクテス。オルガ〜聴こえる〜?』
「! クリス様⁉︎」
突然脳に響くような声。
これは『
そ、そうかこの手があった!
「クリスー、大丈夫ー?」
『うん、アレクもへ〜キ?』
「もちろーん」
『だろ〜ね〜。それよりバラバラになっちゃったみた〜い。ボクは包帯元勇者と脳筋わんこと一緒〜』
カルセドニーとリガル様か。
見事に前衛二人とだな。
カルセドニーは意識を取り戻したのだろうか?
まあ、取り戻してなくてもリガル様が連れてきてくれそうだけど……。
『他のみんなは応答ないんだよね〜』
「そ、そうですか……皆無事なら良良いのですが……」
「クリス、今どこにいるのー?」
『ボクらは一階にいるみた〜い。オルガたちは上にいるの? 他に誰が一緒なの〜?』
「僕とオルガは三階だねー。三階は、うーん……僕ら以外の気配はないみたいー。他のみんなは二階かなー?」
『それならボクらが上がった方がいいかな〜? それとも一度このダンジョンを出て、態勢を立て直す?』
「うん、僕はその方がいいと思うなー。僕らの魔力がこれだけ削られたとなると……」
「で、ですが……! ですがまだアキレス様の手掛かりも掴めていません!」
あのキニスンという少女にも聞きたい事が出来てしまった。
勇者でありながら魔人……。
なぜこのダンジョンにいるのか。
なぜ私たちと敵対するのか。
ベルチェレーシカの聖剣、そして、勇者。
ならばなぜ、ナナリーやベルチェレーシカの王やお妃を救ってやらなかったのか!
どうして、なぜ……⁉︎
『確かに〜。負けっぱなしはボクも好きじゃないな〜』
「そりゃ僕だってあんまり好きじゃないけどー、このダンジョンのボスにはまだお目にかかってないじゃん? この後にどんな敵が現れるか分からないのに突っ込むのは無謀だよー。一度退く方がいいと思うー」
「で、ですがアレク様……」
「…………。まあ、いいや、とりあえず合流しようか。クリスー?」
『う、うん。じゃあオルガたちはそこにいてよ。上から誰か落ちてくるかもしれないし、ボクたち怪我は治したから、二階に行ってみる! 怪我して動けないならボクの出番だからね〜。まあ、二階に眼鏡とお姫様がいるなら普通に自分たちで治癒してそうだけど〜』
「はい、分かりました」
な、なるほど……まだ上に誰かいたら階段か、もしくは穴から落ちてくるかもしれないと。
しかし、それならキニスンと対峙しているという事では⁉︎
応援に行った方がいいのでは……。
い、いや、しかし……むむむ。
「アレク様、ちょっと四階を覗いて参ります」
「見付からないようにねー?」
「はい」
床が崩れそうなところを避けながら、階段に近付く。
最上段まで登り、こっそりと四階を見てみると……そこには誰もいない。
はためくレースのカーテン。
その一番奥に見えるのは五階への梯子。
恐らく流れから考えても……この塔の最上階は五階……。
このダンジョンの主の部屋だ。
「キニスンはいませんでした」
「じゃあ五階かな」
「恐らく……」
「ねえ、オルガはなんで先に進みたいの? 今の状況が僕らにとっていい状況じゃないのは分かってるでしょ?」
「それは……はい」
「それでも進みたいのはなんで?」
「……キニスンに、殺気がまるでありませんでした。それに……」
三階に散らばる石像の破片。
じゃんけんする石像だなんて、普通に考えても魔物が守るダンジョンに不似合いというか……見た事もない。
思えば一階の迷宮も、二階のパネルの部屋も、魔物は一匹も出かなかった。
――――『“わたしたち”魔物を殺して強くなるあなたたちを、どうしてわたしが信じられましょうか!』
あの言葉が引っかかる。
どうして帰ってくれないのだと叫びながら、彼女は殺意もなく殺すと言い襲ってきた。
追い返すのが目的?
我々と戦う意思はない。
ただ、帰らせたい?
しかし、このダンジョンの瘴気はもう放置していい時期をとうに過ぎている。
周辺に影響も出始めているのだ、放っては置けない。
「このダンジョンがあまりにも、その、これまでのダンジョンとは違うのです。放置出来ないレベルであるという点もそうなのですが、なんというか……入った冒険者や勇者を『殺してしまおう』という気配がなく、どちらかというと『追い出そう』としているかのような……」
「そうだね。彼らにとってはまるで籠城戦だ。こちらを消耗させて、退ける事を目的に戦っているようにかんじるね」
「は、はい! そうなのです! それに、ベルチェレーシカの聖剣と言っていました! ベルチェレーシカ……ナナリーの国、です……」
「…………」
コードブラックになってしまったナナリー。
今でもちゃんと、この手に斬った感触を思い出せる。
君は無事に魔王から解放されただろうか?
私は貴女を救ってやれただろうか……。
「聞きたいのです。どうしてキニスンがベルチェレーシカの聖剣を持っているのか。そして、なぜベルチェレーシカの王やお妃、ナナリー姫を助けに行かなかったのかを」
ヴィートリッヒ様もベルチェレーシカの聖剣に関してはご存じなかった。
ただ、ヴィートリッヒ様が言うには、ベルチェレーシカは勇者が選定されていたという。
噂で聞いただけだが、隣国の勇者選定はメディレディアにも他人事ではない。
故に調べさせたそうだ。
冒険者の青年で、あまり品位ある感じの者ではなかった。
ヴィートリッヒ様の個人的感想、と付け加えられたが……。
しかし、挨拶をする前に魔王軍によりベルチェレーシカと南西の大陸は陥落。
瘴気が海を越えて押し寄せた為、その勇者や聖剣がどうなったのかは誰も知らない。
メディレディアに逃れてきた冒険者や民の話では立派に戦ったが、子どもを助けようとして魔物と一騎打ちになったまま行方が分からなくなったという。
ナナリー・ベルチェレーシカ姫は攫われ、魔王の妻として『四災コードブラック』にさせられた。
「キニスンは……彼女も魔王に魔物にさせられてしまったのでしょうか……」
「あれは魔物ではないね。半人半魔……半分が魔物化している感じだった」
「半人、半魔?」
「簡単に言うと『魔人』の括りだね。完全な人型の魔物を魔人とも呼ぶけれど、半人半魔も略して魔人と呼ぶ事がある。あの子はその『半人半魔』の方の魔人。魔物の力を持つ人間って言った方が分かりやすいかな?」
「魔物の力を持つ……っ⁉︎」
へたん、と階段に寄りかかるように座る。
ナナリーの国の勇者。
魔人という未知の存在。
彼女がこのダンジョンの主なのか?
なら、彼女を倒さなければこのダンジョンを消す事は出来ない。
けれど、彼女は勇者でもある。
彼女の手から聖剣を取り戻し、勇者選定をやり直せばいい……のだろうか?
けれど…………。
「話が出来ないものでしょうか」
「話?」
「はい。彼女と話をしたいのです」
「向こうは聞く耳なしって感じだったよー?」
「そうでしょうか? 私とローグス様がステータスロックの事を指摘したら、彼女は聞き入れてくれました! それに、同じ勇者ならば……私は彼女にも協力して欲しい……!」
この世界の神――世界樹との対話には、恐らく全ての勇者たちの協力が必要なはずだ。
そうだ、なら、やはり彼女と話をしなければ!
「聖剣を持つ勇者同士の協力かー……まあ、それはそうだけど……状況は芳しくないんだよねー」
「そ、それは……」
『オルガ!』
「! クリス様!」
『メガネとお姫様とリリスを発見〜。金髪勇者とも合流したよ〜。今から上に上がるね〜』
「分かりました! お待ちしております!」
『時にアレク、合流した後の事はど〜するか決めた〜?』
「オルガはあのメイド勇者と話したいらしーよー」
「はい! 彼女と話をしたいのです!」
魔人の彼女と分かり合えるのかは分からない。
でも、聞きた良いのだどうしても。
どうして、勇者でありながら魔人となったのか。
どうして、勇者ならナナリーとそのご両親を助けてくれなかったのか……。
教えてくれるかどうかは分からないけれど……。
『オルガらし〜い。ボクはいいけど〜、アレクはど〜なの〜?』
「とりあえず全員の意見を聞いてからでいいかなーって」
『ナルホド〜、オッケ〜、了解〜。じゃあ後でね〜』
「はーい。後でねー」
「はい! 後程!」
相変わらず緩いな。
口調は緩いのだが、お二人ともとても冷静だ。
「……あの、アレク様はやはり彼女と話をするのは、反対ですか?」
「ん? うんまあ。そうだね……」
「…………」
思案顔。
そして、いつもよりやや険しめ。
大きく空いた床の穴を見る。
魔力が普段より減っているアレク様とクリス様。
相手は聖剣を持っている勇者。
未だ分からないアキレス様の所在。
そして、ダンジョンのボス。
確かにアレク様の言いたい事はごもっとも。
……でも、私は…………。
「そんな顔しないでよ」
「アレク様……」
「大丈夫だよ、従者にそんな表情させるほど僕は無能じゃないからねー、僕がなんとかしてあげる」
「アレク様……」
つい、頰が緩む。
アレク様、お優し良いな……。
胸に手を当てて微笑む姿は年相応。
ああ、でも、ダメじゃないか?
この方は王族で、しかも私は一応従者。
それなのに我儘を言って困らせるなんて……。
「あ、あの、すみません」
「ん? なに?」
「私はお二人の従者なのに……我儘を言っていますよね」
「なんで? 僕我儘言われるの結構嫌いじゃないよー。ぶっちゃけクリスの我儘の方がキツイ時あるし」
「あ、あぁ……」
っと、うっかり納得してしまう。
いやいや、ダメだろ。
「それに、最悪奥の手……黒炎を使うから」
「黒炎……アレク様がたまに使う黒い炎、ですか」
「そう。あれは魔力ではなく生命力で燃やす炎だからむちゃくちゃ疲れる。でも、魔力は消費しないから最悪黒炎でなんとかするよ。使いすぎて小さくなったらお世話してね」
「は? 使いすぎて小さく……? どういう事ですか?」
「今言った通り、黒炎は生命力を燃やすものなの。だから使いすぎると体が赤ちゃんに退化するんだって。まあ、さすがにそこまで使い込んだ事ないからホントかどーか分からないけど」
「あ、赤ちゃんになるんですか⁉︎」
「そう。そしてそこからまたやり直さなきゃいけないの。オルガだって赤ちゃんのお世話しながら旅は無理でしょ? そうなりそうになったら撤退してよ?」
「うっ。……は、はい、そ、そうですね」
それは、た、確かにちょっと、うん、さすがに……。
赤ん坊の世話なんて、とてもじゃないが私には出来る気がしない!
「ああ、でももしそうなったらオルガは僕の全てを見る事になるんだねー。お風呂もトイレも僕一人じゃ出来ないもの、全部オルガが面倒見なきゃいけないんだもんねー? きゃー、恥ずかしー」
「ひぇ! や、やめてください! そ、そうならないよう気を付けますから⁉︎」
「王族たる僕の全てを任せるんだもの、これは僕の真名を明かしておいた方がいいのかなーぁ?」
「アレク様! も、もう、本当に肝に命じますから!」
ぐっ、完全に釘を刺されている!
しかもいつもより強め!
いやもう重々分かりましたので!
そろそろお許しください!
「アレックス・シエル・アルバニス」
「……!」
「ふふ、シエルは僕の婚名だよ。教えちゃった☆」
「こ、こんめい? なんですか? それ」
アレックス、様。
それは以前聞いた事があった。
クリス様の本名も、確かクリストファー様、と。
でも『こんめい』?
なんだろう?
「結婚した者にしか教えてはならない秘密の名前。まあ、礼を尽くす時にもきちんと名乗る名前ではあるんだけどね。僕の場合は『シエル』が恋人や妻にしか呼ばせてはならない名前なの。あーあ、教えちゃった」
「……こっ……!」
そ、それって……!
ちょ、つまり、結婚する相手、した相手がアレク様を呼ぶ時の特別な名前という事では⁉︎
な、な、な、な、な、なーーーーっ!
「なにが教えちゃった、ですかー!」
「いや、だから正式に礼を尽くす相手にも名乗るよ?」
「だ、だとしてもですねー⁉︎」
「……そのぐらいの覚悟で挑まないと、って思ってるんだよ」
「っ」
「そのぐらい、最悪……そうなる可能性があるって言ってるの。分かる?」
「………………」
急に真顔で私を真っ直ぐに見据えるアレク様。
その『特別な名』を私に告げ、赤ん坊に戻る覚悟が必要な程に……状況は、悪い。
そう、言われている。
それに気付いて言葉が出なくなった。
俯いて、なんと返していいのかを考える。
「そうならないように、戦うけどね。言ったでしょ、それは奥の手」
「……は、はい、ですが……可能性は、ある、という事ですよね?」
「まあね、僕やクリスのレベルでも正直ここのダンジョンはちょっと厄介って感じだからね。オルガや金髪勇者が我を通すなら、覚悟はしてねって事! 冷静に状況判断が出来ればそうはならないよ、きっと。だから、そこは信じてるし、そうならない為にも僕を信じてねって言ってるの」
「アレク様……、……はい」
「うんうん、素直でよろしいー」
歳上なのは私の方のはずなのに。
アレク様はいつも頼り甲斐があって、優しくて……。
民を思い遣る素晴らしい王族でありながら、私の事も従者として信頼してくれる。
アレク様、ありがとうございます。
「というわけでみんなが来るまで少し寝るから膝枕して」
「は、はいいぃ⁉︎」
「魔力回復には睡眠が一番なの」
「……、わ、私の膝は硬いですよ?」
「岩の上に寝ろと?」
「……どうぞ」
この後めちゃくちゃ膝枕して寝て頂いた。
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