第9話

 何を思っているのかわからないけれど、マスターさんは全速力で駆けてきて傭兵さんを見上げるために振り向いた伊佐君にぶつかるように正面から抱きついた。


 突然のことに傭兵さんも、お店のオジサンも動きを止める。



「若人ぉ! こんなところで油売ってないで飲みに来い!」



 酔ってる。例年通り。


 何も知らないで犠牲になった伊佐君、ごめんね。酔っ払ってるマスターさんは誰にも止められないんだ。



「おら立て立てぇ!」


「うわ、ちょ!」



 まるで怖い男の人みたいに荒い口調のマスターさんは伊佐君の首を引っ張って椅子から転がす。私の足下で、私を見上げるみたいに倒れてる伊佐君。


 若干目が潤んでる。可愛い小動物みたい。



「さー行くぞー!」



 誘拐?


 そう聞きたくなるような光景だけど、私たちにとっては例年通り。ただ違うのは、今回犠牲になったのが初めてこの祭りに参加した可哀想な男の子ということ。


 首元を掴まれたまま後ろに引っ張られて、酒場の方向へと引きずられていく。伊佐君、大丈夫だよ。二日酔いの薬は私の家に貯め置いてあるからね。


 安心させるように笑ってみせたのに、伊佐君はますます顔を青くしてしまった。


 姿が見えなくなるまで見送ると、隣に傭兵さんが座り直す。



「で、朝のアレは何だったの。ただの気まぐれ?」



 露天のオジサンに新しいお酒をもらいながら、傭兵さんが比較的真顔で聞いてくる。朝のアレ、というのは古くなった魔物避けの香をかけたこと。



「気まぐれ、かな。どんな反応するかな、と思ったので」


「ふーん、反応見ずに居なくなったのはなんで?」


「門の香を換えてないことを思い出しました」



 深い溜息が傭兵さんから漏れる。


 いつもなら門の香を最初に換えているからちょっと焦ったのだけど、傭兵さんは焦らないのかな。換えるのは私の仕事だから気にしないとか。うん、有り得る。



「あれ、すごい匂いなんだね。取るのに時間かかった」


「誤魔化してます、よね? 香水ですか?」



 先程から少しだけ香ってくる匂いは間違いなく果物の匂い。でも、お酒のようなものではない。風の方向も、こちらが風下だから傭兵さんから匂っていることになる。


 果物の匂い、だけど、少しだけ違う匂いがする。


 嗅ぎなれているから気づくことができた。それは古い魔物避けの香の匂い。


 傭兵さんが悪戯の見つかった子供のように笑う。端々で子供っぽい表情を見せるから、村の子供たちにも人気なのかな。



「さすが雪さん。バレない程度にしてあるんだけど分かっちゃうか」


「匂い消しありますよ?」



「え?」



 間の抜けたいつもの傭兵さんの声。


 香専用の匂い消しではないからすべて消えるかは分からないけれど、強力な匂い消しならある。少し前にマスターさんが欲しいと言っていたから調べて作ったもの。


 置いてあるのはお店だから、取りに行かなければいけないけれど。


 匂い消しの話を聞いた傭兵さんは目を輝かせてお金をちゃんと払うから欲しい、と両手を合わせた。


 ほとんど独学で作った物だからお金は取れないかな。


 そう伝えると傭兵さんは困った顔をする。律儀だから。



「じゃあ、ここのお金は俺が持つ。これで良いでしょ」



 言うが早いか、傭兵さんは私の分のお金をオジサンに支払ってしまう。反論する暇もない。私の言葉なんてもともと聞く気がなかったみたいで、傭兵さんは早く匂い消しが欲しい。そんな顔をしてジッとこっちを見ている。


 仕方がないから飲みかけのお酒を最後まで飲んで、席を立つ。オジサンは素早くグラスを片付けて次の準備をする。


 ここからお店は歩いて三分くらい。戻ってくる頃まで傭兵さんが潰れてないと良いな。


 お店の方はお祭りとは関係ないから人なんてほとんどいない。


 いつもなら、居ないのだけど。

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