第43話 水の踊り子

 「今年もいよいよですな」

 「ええ。先の事件で開催が危ぶまれていたけど精霊王の強い意向で開催されたとか」

 「それはよかった。ディーハルトの娘のせいで中止になどなっていたらと考えると寒気がしますよ」

 「まったくです」


 初老の男性たちが見降ろす先にあるのは二人の少女。二人とも王立カルロデワ学園の制服を来た新入生であり、両者はこれから始まる戦いに際して互いに睨み合いを続けている。


 いよいよ開幕を迎えた王立カルロデワ学園の新人戦には街の内外から多くの観客が詰めかけており、これから始まる最初の一戦に胸を躍らせていた。


 「ちゃんと逃げずに来たようね。ディーハルトの落ちこぼれさん」

 「招待されたからには参加するのが淑女の嗜みよ、アリエル・コドフロワ」

 「どの口が淑女を語る」

 「さあ、この口かしら」

 「あんたね……」


 ラファミルを鬼の形相で睨みつけるのは王立カルロデワ学園の新入生であり、ラファミルと同じように新人戦代表に選ばれているアリエル・コドフロワ。


 今年の新人戦は例年通り人族同士の代表が戦うように組まれており、観客たちは今か今かと戦いの幕が開けるのを待っている。


 「まさか初戦の相手があのアリエル・コドフロワだとはな……」

 「彼女のことをご存知なのですか、マーティン」


 客席の一画でクラスメイトと主人の戦いを観戦するレオルベンは隣に座るマーティンにアリエル・コドフロワについて問うと、マーティンは物知り顔でアリエルについて説明を始める。


 「アリエル・コドフロワはコドフロワ家の令嬢にして次期当主といわれている」

 「彼女がですか?」

 「アリエル・コドフロワには男兄弟もいるんだが、恐ろしいことにあのアリエルが兄弟の中でも群を抜いて魔術の才能があるらしく、その才能にほれ込んだコドフロワ家当主はアリエルが四歳の時には次期当主に指名していたそうだ」


 この世界では実力主義という側面が強いが、一族の繁栄を考えるとどうしても男性当主が多くなってしまうのが実情である。その中で女性にして次期当主の座をつかんだアリエルは相当な実力を有していることがうかがえる。


 「次期当主に指名されてからアリエルに施された英才教育はこの国でも最高品質のものであり、アリエルはその環境で自身の才能をみるみると伸ばしていった。そしてアリエルに着いた二つ名が水の踊り子。それ以来、水の踊り子アリエルと呼ばれている」

 「なるほど、それは手ごわそうですね」

 「ああ」


 苦戦を強いられるに違いないと考えるマーティンは険しい表情で建物の中心にいるラファミルのことを見守る。


 「謝るなら今の内よ、ディーハルト」

 「それは警告ってことかしら?」

 「そうよ。私は四歳の時からお父様の下で魔術の英才教育を受けてきたエリート。対してあんたは腰抜けな父親の下に生まれた没落貴族。どう足掻いたってあんたに勝ち目はない」


 自信満々に互いの実力者を語るアリエルには絶対に崩れることのない自信と余裕が感じられる。


 「それにもし私があんたと同じ状況に陥ったならば魔族を全員返り討ちにしてたわ」

 「いきなり何の話?」

 「そうやって自分が触れられたくない話題になるととぼけるふりをするのね。気に食わない」

 「ならさっさと始めましょう。こんなところで子供みたいに言い合ったって誰も得しないわ」

 「いいわ、泣かせてあげる」


 アリエルの言葉を最後にして二人の戦いは幕をあける。同時に今年の新人戦が始まったことに対しする歓声が観客席から一斉に湧き上がった。


 最初に動いたのはアリエルだ。


 「祖の理に交じる厭離の心を顕現せしむるが我が魂。水の形となって我を救いたまえ。《水刃鳥》」


 長い詠唱とともに撃ち出された三羽の水の鳥がラファミルの首を目掛けて飛翔を始める。その鳥は不純物が全く含まれていない透き通った水で構成されており、すぐに空間に紛れはじめ、目を凝らさなければ視認できないほどだった。


 「散りなさい、氷礫」


 アリエルの撃ち出した三羽の水鳥に対し、ラファミルは無数の氷の刃を打ち出すことでその鳥を撃ち落とす。氷の礫によってただの水に戻った三羽の水鳥はいつのまにかその数を五羽に増やしていたのだ。


 「存外に性格が悪いのね、アリエル・コドフロワ」

 「世界の異物を取り除くのに正義なんてない」

 「随分な言われようね」

 「その口もすぐに黙らせてあげる! 祖の理に交じる厭離の心を顕現せしむるが我が魂。水の形となって異物を吹き飛ばせ。《断流扉》」


 アリエルの前に大きな魔法陣が展開されると、次の瞬間、その魔法陣から一斉に大量の水がラファミルを目掛けて放出される。それはまるで川の中から水が流れ出るような光景であり、観客たちはその迫力に息を飲む。


 大量に放出された水であるが、その水自体には殺傷能力はない。故にラファミルは氷の壁を作って自身を守るだけに留まる。けれどもその動きを予想したかのようにアリエルは次の魔術を行使する。


 「祖の理に交じる厭離の心を顕現せしむるが我が魂。水の形となって邪を貫け。《水槍連》」


 ラファミルの周囲を囲うようにして流れていた大量の自ら無数の水の槍がラファミル目掛けて飛来する。水の槍が一本だけならば簡単に防げそうであったが、数えるのも億劫になるほどの本数が撃ち出されたと言うなら話は別である。


 無数の槍が貫通力を高めようと回転しながらラファミルに向かって迫る。


 「阻みなさい、氷壁」


 ラファミルは自らの四方を囲むようにして氷の壁を三重に形成することで水の槍を全弾防ぐことに成功した。ただし水の槍は二枚の氷の壁を貫いており、もしまだ本数があったら最後の壁も貫いてラファミルに迫っていただろう。


 目の前で繰り広げられる高レベルの魔術戦に歓声を上げる観客たち。


 だがその中でも魔術に精通している者たちは他の観客たちとは異なった意味で笑みを浮かべていた。


 「さすがは水の踊り子」

 「よもやこうも簡単に自らの世界を作り出すか」

 「あの氷使いも可哀想に」


 魔術科の制服を来た学生たちは二人の戦いを見ながらそれぞれの感想を漏らす。彼らの視線の先にあるのはアリエルでもラファミルの姿でもない。


 二人の周りを囲むようにして地面を包み込んでいる大量の水だ。


 魔術師たるもの、どのような環境でも自分の優位な環境を作り出せてこそ一流という言葉がある。そしてアリエルはたった数回の攻撃で自分に優位な水がたくさんある環境を生みだしていた。


 魔術に精通していないものが見ればアリエルの派手な攻撃に心を躍らせていただろうが、魔術に精通している者たちはアリエルの策に感嘆していた。同時にアリエルの相手であるラファミルには失望する。


 新人戦にでるほどだから互いに相当な実力があるのだろうと考えていた者たちにとっては二人の戦いは興ざめするほどであった。水の踊り子といわれるアリエルに対し、先の一件で魔族と一戦交えたラファミルがどれほどのものかと興味を持った者は少なくない。


 だから彼らはより一層裏切られたという感覚に陥ったのだ。


 「やっぱりラファミルさんでも苦戦するのか……」


 ラファミルと同じクラスに在籍するマーティンはアリエルを前に苦戦を強いられているラファミルの姿を見て悔しそうにつぶやく。彼は魔術に精通しているわけではないが、魔術師が周囲の環境によって実力を左右されるという知識を持っているためにアリエルの優位を悟っていた。


 けれどもマーティンとは対照的にレオルベンには余裕の色が見られる。それどころかアリエルのことを憐みの目で見ていた。


 「マーティン、一ついいことを教えてあげましょう」

 「なんだよ」

 「アリエルさんが水の踊り子なら、ラファミル様は氷の女王です」

 「は?」


 それは唐突に起きた。


 先ほどまで水によって支配されていた闘技場が一瞬にしてその様相を変化させる。具体的には一瞬にして辺り一面を氷に包まれた銀世界がそこにはあった。


 突然の変化に戸惑いを隠せない観客たちの声でざわつく観客席。だが彼ら以上に戸惑いの色を見せているのはその銀世界の中に立つアリエル。


 彼女は周囲を見渡しながら信じられないといった表情を浮かべる。


 「な、なにをした!」

 「別にあなたの水を凍らせただけよ」

 「ふ、ふざけるな!」


 余裕の笑みを浮かべるラファミルに向かって魔術を行使しようとしたアリエルだったが、すぐに異変に気づく。


 「魔術が発動しない……?」


 何度試みようとも発動しない魔術に青ざめていくアリエル。幾ら詠唱をしても出てくるのは魔法陣だけであり、その先にあるはずの魔術が行使されない。


 初めて陥る感覚にパニックになったアリエルはその場に崩れ落ちてしまう。


 その光景を見た観客席の魔術科の生徒たち一同は感嘆の声を上げる。


 「これは驚いたな」

 「まさかこれほどの空間支配力を持っていたとは」

 「相手に魔術さえも行使させないとは恐れ入った」

 「彼女は本当に新入生か?」


 何が起きたのかを理解している彼らはラファミルの実力に驚いた様子だ。しかし彼からが驚くのも当然のことだ。魔術戦において相手の魔術にまで干渉する空間支配力を持つ魔術師など多くはいないから。


 厳密に言えばアリエルの魔術は発動している。ただ発動した直後にすべてが氷となって砕け散っているだけだ。


 わかりやすく言えば蛇口から水は出てるものの、空気に触れた水がすぐに凍って散ってしまい、水が出ないと錯覚するようなものである。


 初めて見る光景にほとんどの観客が息を飲むが、当のラファミルは特に誇った様子もなくアリエルに近づいていく。その背後には無数の太い氷が地面から生えており、ゆっくりと氷上に座り込むアリエルに迫っていた。


 「負けを認めるなら今の内よ」

 「ひ、ひぃ……」


 アリエルのことを見つめるラファミルの瞳はとても冷酷で、とても冷たかった。体験したことのない視線を向けられたアリエルはガタガタと震えだしてしまう。


 震えるアリエルを憐れそうに見つめたラファミルは氷の剣を手に取るとアリエルの首元まで持っていく。魔術を使えないアリエルはただただ震えながらラファミルのことを弱弱しい瞳で見つめることしかできなかった。


 「これが最後よ。どうするの?」

 「降参します……」

 「そう」


 アリエルがその言葉を告げた直後、世界を包み込んでいた銀世界が一瞬にして姿を消す。後に残ったのは恐怖に震えるアリエルとつまらなそうに帰っていくラファミルだけだった。


 こうして新人戦の初戦は静寂に包まれたまま幕を閉じた。

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元々勇者で元魔王の従者と没落貴族の女主人 高巻 柚宇 @yu-takamaki0631

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