第40話 場外乱闘
新人戦を間近に控えたことで盛り上がりを見せているはずの街中で睨み合うのはラファミルと精霊族の男たち。先ほどまでラファミルたちの周りにいた人々は精霊族の男の咆哮を聞くとどこかへと逃げ去ってしまった。
人がいなくなったのだから警備部隊がすぐに来てもおかしくないのだが、その前にラファミルたちの戦いが幕をあける。
最初に動いたのは氷の壁を砕かれたラファミルであった。
「散りなさい、氷礫」
ラファミルが行使した魔術は氷雪系の魔術でも基本的なものであり、相手を牽制する際によく使用される魔術だ。人間相手にも秀でた殺傷能力を持たないその魔術は人族よりも優れる精霊族に通用するはずがなかった。
「落ちろ!」
精霊族の男が叫ぶと同時にその肉体から熱を帯びた咆哮が発せられ、その咆哮に触れた氷は一瞬にして昇華してしまう。
氷を消されてしまったラファミルは特に驚いたそぶりは見せずに続けて魔術を行使する。
「萌えなさい、雪花茎」
「俺様には効かないぜ! 炎拳!」
精霊族の男の胸を目掛けて地面から太い氷が出現するが、男は炎を纏わせた自身の両手でラファミルの氷を次々と砕いていく。
ただでさえ筋肉質の男の肉体だが、炎を帯びることによって運動能力が飛躍的に上昇しているように見えた。そしてもう一人の精霊族の男は少し離れた場所に移動しており、二人の戦いを傍観する姿勢を見せている。
「やはり炎使いみたいね」
「逆にてめぇは氷使いみたいだな。残念だったな、相性が悪くて」
氷を使うラファミルに対し、精霊族の男が使う魔術は炎である。両者の間には種族間の越えられない差があるというのに、相性までもが最悪となればラファミルが苦戦を強いられるのは必至だった。
圧倒的に不利な状況下にあるラファミルであるが、彼女に焦りの様子は見えない。それどころかラファミルの瞳からは強い覚悟が感じられる。
「射貫きなさい、氷結弾」
「だから効かねえよ!」
ラファミルが氷の弾丸を男に向けて三発撃ち出すが、精霊族の男はその氷結弾のすべてを炎を纏わせた拳で打ち砕く。
「今度はこっちの番だ! 爆ぜろ、延焼暴!」
精霊族の男が炎を纏った拳で地面を殴りつけると、途端に大通りの地面が隆起を始めて中から炎が吹き荒れる。しかもその炎は精霊族の男の拳を起点にまっすぐラファミル目掛けて延びていく。
ものすごい勢いでラファミルに迫るその炎は距離を延ばすにつれてさらに勢いを増していた。
ラファミルはその攻撃を跳躍して回避しようと試みたが、その炎はラファミルの予想を超えた動きをする。なんと先ほどまでラファミルが立っていた場所まで延びた炎が、今度は空中のラファミルを目掛けて上に伸び始めたのだ。
「阻みなさい、氷壁」
ラファミルは自分の足元に向かって先ほどと同じように氷の壁を展開させることで追従してきた炎を防ごうと試みる。しかし精霊族の男の炎はラファミルの展開した氷の壁を突き破ってラファミルに迫る。
「くっ……」
防御魔術が失敗したラファミルは空中で身をよじることで何とか炎の直撃を免れたが、左腕の表面が炎によって焼き焦げてしまう。
左腕を負傷したラファミルはすぐに自身の左腕に氷を巻き付けることで火傷した箇所を麻痺させて痛みを抑えつけるが、もし男の攻撃が直撃していたらと考えてしまう。
もし男の攻撃を直撃で受けていたら今頃ラファミルは全身火傷では済まなかっただろう。下手をすれば臓器まで焼かれていたかもしれない。一つだけ確実に言えるのは、精霊族の男は本気でラファミルの命を奪いに来ているということだ。
ただラファミルの雪花茎も男の命を奪いにいっている技なので精霊族の男だけが責められるいわれはない。むしろ先に命を狙ったのはラファミルの方である。
今なお地面で燃え盛る炎を氷で押し付けたラファミルが地面に降り立つと、目の前に立つ精霊族の男を再び睨みつける。その瞳には確かな殺意が込められていた。
殺意のこもったラファミルの視線に気づいた精霊族の男は無意識に息を飲む。なぜ自分が無意識に息を飲んだのか分からなかったが、精霊族の男は深く息を吐いた。
次に動いたのは精霊族の男の方だった。
「湧き上がれ、炎柱!」
精霊族の男は右手を地面に押し付けると、大声で魔術名を叫ぶ。するとラファミルの氷で下火になっていた炎が息を吹き返したように燃え盛り、至るところから太い炎の柱が空に向かって伸びていく。
突如として大通りに湧き上がる無数の炎の柱は周囲の大気をどんどんと熱していき、ラファミルの額には汗が湧き上がっていた。
「俺様の空間支配の前ではてめぇの氷も発現できないだろ!」
燃え盛る炎の柱を見ながら意気揚々に声を上げる精霊族の男。それに対してラファミルはただ冷静に精霊族の男のことを見据えている。
男の使った魔術は一般的に空間を支配する技に分類され、相手を攻撃するというよりは相手に振りで自分に有利な空間を作り出す技である。魔術師たるもの、どのような環境でも自分の優位な環境を作り出せてこそ一流という言葉があるほどだ。
そして精霊族の男はその言葉を体現していた。
「貫け、煉獄の槍!」
精霊族の男は無数に燃え盛る炎の柱から一斉にラファミルのことを目掛けて炎の槍を撃ち出す。ラファミルを囲むように四方八方から伸びる炎の槍は一つ一つが先ほどの攻撃のように高い殺傷能力を有しており、一発でも被弾したら一瞬で肉体を焼かれてしまう。
だがラファミルがその攻撃を防ごうにも大気は炎の柱によって熱せられており、氷を発現させることはかなり難しい。それどころかラファミルの呼吸すらもままならなくなっている。
まさに窮地に陥ったラファミル。
けれどもラファミルには余裕の色が見て取れた。ラファミルは自分に向かって飛んでくる無数の炎の槍に目もくれず瞼を閉じると意識を己の中心に集中させる。
「万物を支配する天京に咲き誇る天華の花、その命を今こその一枚の花びらとして顕現せよ。雪華月」
長い詠唱を唱えたラファミルの足元を中心にして円状の氷が出現する。そして次の瞬間、その円状の氷を中心に一輪の大きな氷の花が咲く。
ラファミルを包み込むようにして咲いたその花はラファミルに迫っていた炎の槍を弾き、あらぬ方向へと反射させる。その光景を見た精霊族の男は炎の槍をより鋭くした上で数を増やす。
しかし幾ら炎の槍を打ち込もうともラファミルを包み込むようにして咲いた氷の花を貫くことができない。それどころか氷の花を中心に周囲の大気が冷やされていき、燃え盛っていた炎の柱は次々と衰微していく。
精霊族の男が支配していたはずの空間がいつの間にかラファミルの手によって塗り替えられてしまった。
「まさか人間如きにこれほどの魔術師がいたとはな……」
「次で終わりよ」
炎の柱が消えていく様を見ながら悔しそうな声を上げる精霊族の男に対し、ラファミルは男の命を刈るべく最後の攻撃に移る。
「顕現した華は姿を変えて矛となる。その矛は全ての邪を貫く聖となれ」
詠唱を始めるとラファミルを包み込むようにして咲いていた氷の花がその姿を一本の強力な矛へと変えていく。その矛は邪悪な者を貫く正義の矛である。
ラファミルの生みだした矛を見て精霊族の男はすぐにその矛がただの矛ではないことを確信した。同時にその矛を受ける前にラファミルを仕留めなければ自分が死ぬと本能的に気づく。
そこから精霊族の男は無意識に自分の右腕に意識を集中させていた。手数はいらない、たった一発だけでいい、どんな相手でも一瞬にして塵にするほどの威力と灰にするほどの熱を帯びる一発だけで構わない。
男の腕が今まで見てきた中で一番猛々しい炎を纏う。近くを通っただけで喉が焼けそうなその炎は男の方まで達している。
両者の持つ最強の矛がぶつかり合おうとしていた。
「聖氷剣」
「絶炎拳!」
ラファミルから氷の矛が撃ち出され、精霊族の男は燃え盛る右腕に力を込めてラファミルに迫る。もし両者の攻撃がぶつかり合えば周囲の地形を変えかねないほどの高密度なエネルギー攻撃が相まみえようとしていた。
けれども両者の攻撃がぶつかることはなかった。
当然両者の間に強風が吹いたと思えば、精霊族の男に向かって飛んでいたラファミルの氷の剣が軌道を変えて空に飛んで行ってしまったのだ。そして炎の右手を持つ精霊族の男の前には一人の少年が飛び出てきて、どこからか取り出した剣で男の拳を受け止めていた。
「なんだ、てめぇは」
「私の名前はレオルベン。そちらにいらっしゃるラファミル様に仕える従者です」
燃え盛る男の右腕を剣で受け止めたレオルベンは律儀に自己紹介をしたが、精霊族の男は構わずに右腕をレオルベンに向かって押し込もうとする。
「なに!?」
拳を押し込もうと力を籠めるもビクともしないレオルベンの剣に精霊族の男は驚愕の声を上げた。レオルベンの持つ剣は炎の熱によって形を変えており、もはや鉄の棒と表現した方が妥当かもしれないが、それでも精霊族の男の拳を受け止めていた。
「人間お得意の身体強化か……」
「その通りです」
ビクともしないレオルベンの剣に負けじと力を籠め続ける精霊族の男であったが、彼に対して背後から一人の少女が呼びかける。
「そこまでにしな、ガイエル」
「てめぇは、シルフィー……」
ガイエルと呼ばれた男が振り返ると、そこには色素の薄い金色の髪をツインテールに括った翡翠を連想させる淡緑色の瞳を持った少女が立っていた。
シルフィーの姿を見たガイエルはレオルベンに向かって押し出していた拳を下げると、後方にステップを踏んでレオルベンから距離をとる。
「まさかこんなところで君に会うとは思わなかったよ、レオルベン君」
「そうですね、シルフィーさん」
構えていた剣を下ろしながらシルフィーの方を見たレオルベンは状況的に先ほどの強風はシルフィーが起こしたものだろうと推測する。
「どうかな、ここは互いに手打ちってことで? それに少しばかり注目を集めすぎてしまったようだ」
気づけばレオルベンたちの周りには警備部隊の面々が集まっており、全員がいつでも戦えるような体勢をとっている。
もしこのまま争いを続けるようなら彼らが介入してくるに違いない。そうなれば新人戦参加の決まっているラファミルの立場は危うくなろだろう。
「そちらがそれでいいなら、こちらとしてもかまいません」
「そっか。なら決まりだね」
「ちょっと、レオルベン!」
「ラファミル様、ここは私にお任せください」
レオルベンは主人であるラファミルに移行を尋ねることなくシルフィーの提案に同意を示した。これ以上の争いは何も生まないことを客観的に把握できたレオルベンはその場を収めることが先決だと考えたのだ。
こうして突如として街中で発生した場外乱闘は幕を閉じる。
ただ去り際にシルフィーがレオルベンに一言だけ残して。
「レオルベン、君は意外と強いみたいだね」
その言葉を告げたシルフィーはどこか嬉しそうな笑みを浮かべるのであった。
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