第32話 ブラッド・マテリアル

 「そろそろ来る頃だと思っていた」

 「そうですか」


 扉を開けて建物の中に入るなり、いきなりレオルベンに話しかけてきたのは店主の老人。シルフィーを送り届けた後、レオルベンは路地裏にある例のアクセサリー屋を訪れていた。


 レオルベンはこの店でかつてラファミルにネックレスを購入し、その際に一緒に購入した緑色の鉱石は先の魔族襲撃事件では大いに役立った。今回はそのお礼の印に買い物をしに来たという訳だ。


 「それであのネックレスはいったい何なのですか?」

 「何といわれてても困るのだが」


 レオルベンの質問にわざとらしい困惑の表情を浮かべる店主の老人だが、レオルベンは気にせずに質問を続ける。


 「あれがただのネックレスという訳ではないでしょう」

 「ほう。その口ぶりからするにお前さんはあの鉱石の力を体感したという訳か」

 「たまたまですが」


 魔族襲撃事件の折、攫われたラファミルの居場所が分からなかったレオルベンたちの捜索は滞っていた。しかしその時、おもむろにレオルベンの脳内に攫われたはずのラファミルが意識を失い、その前には魔族の男たちが二人立っている光景がレオルベンの脳裏に浮かんだ。驚くべきはその光景だけでなく、ラファミルたちがどこにいるのかも不思議と理解していたのだ。


 信じられないような話だが、有力な手掛かりのなかったレオルベンは突然脳裏に浮かんだ光景と居場所を頼りにあの地下空間へと向かった。すると地下空間には脳裏に浮かんだ通りの光景が広がっており、レオルベンたちは事件の早期解決に至ることができた。


 後から分かったことなのだが、レオルベンの脳裏にその光景が浮かぶと時を同じくしてルイが魔族の男の一人と相討ちになったそうで、その時にレオルベンから渡されていた緑色の鉱石が砕けてしまったそうだ。


 そのことからレオルベンはあの出来事がルイに渡した緑色の鉱石と、たまたまレオルベンが持っていたラファミルのネックレスの二つによって生じた事象なのではないかと仮説を立てたのだ。


 そして確認のために店を訪れると案の定、ネックレスに秘密があった。


 「お前さんはあのネックレスが何でできていると思う?」

 「それは素材的な意味でしょうか? それとも製造過程のことでしょうか?」

 「どちらもだ」


 ネックレスの制作について基礎的な知識しか持たないレオルベンにとっては店主の老人の質問はとても難しいものに思えた。店主の老人が求めている答えはおそらくレオルベンの知る基礎的な知識とは次元の違うものを言っているのであろうが、だからといって一言知らないというのは嘘をつくことになる。


 レオルベンが答えあぐねている姿を見た老人は机の下から一冊の本を取り出した。


 「お前さんはブラッド・マテリアルという言葉を知っているかね?」

 「血の物質という意味ですか?」

 「そうだ」

 「実物を見たことはないですが、知識としては存じています。強者の血液を素にして生成した物質のことを指すとか」


 ブラッド・マテリアルとは読んで字のごとく血液を素材とした物質のことであり、魔術が普及しているこの世界では細々とだが、確かに受け継がれている技術である。しかしその最盛期ははるか昔、具体的にはレオルベンがまだ勇者レオだった時代まで遡るほど昔のことである。


 勇者レオもかつては臣下に自らの血を渡すことでブラッド・マテリアルを生成したことがあるが、成功したという報告は受けていない。技術的にも知識的にも謎の多かったブラッド・マテリアルはいつしか忌避されるようになり、現在では実用的な技術というよりは伝統的な技術としての側面が強くなっている。


 「まさにお前さんの言う通りだ。ここまで言えばわかったであろう」

 「なるほど、そういうことでしたか。あのネックレスに使われていた鉱石はブラッド・マテリアルですか」

 「いかにも」


 そう言って取り出した本を開きながらレオルベンに見せる店主の老人。その本には古代に生成されたであろうブラッド・マテリアルの一覧と、その効果についての記述が古代語で残されている。


 ブラッド・マテリアルならあのような不思議な体験も納得のいくと感じたレオルベンはその本の中からラファミルの持っている鉱石を探そうとするが、その前に店主の老人が本を閉じてしまった。


 「だが、古代語故に誰も読めない」

 「もう少し読ませていただいても?」

 「ふむ、それは構わないが……」


 ブラッド・マテリアルに関する記述はあっても、古代語だから誰も読めないということを見せたかったために本を取り出した店主の老人。けれども存外興味を持ったレオルベンに店主の老人は少しばかり驚いた様子を見せる。


 本を受け取ったレオルベンはラファミルのネックレスに使われている鉱石のページを見つけると、そのページを熟読し始める。その様子を見た店主の老人が慌ててレオルベンに尋ねた。


 「お前さんは古代語は読めるのか!?」

 「ええ、多少は」

 「こりゃたまげた」


 レオルベンが古代語を読めるということに驚きを隠せない店主の老人。確かに現在の人からすれば古代語はとても難解で読解するのは至難の業だ。


 しかし先ほども述べたようにブラッド・マテリアルの最盛期は勇者レオの時代であり、この書物もその時代に記されたものである。ならば同じ時代を生きた経験のあるレオルベンがその内容を読めないはずがなかった。


 片田舎に生まれたままの少年なら読み書きを知らなかったかもしれないが、勇者レオは仮にも王にまで上り詰めた男である。文字を読めない道理はない。それに同じ時代を生きたティルハニアもこの書物は読めるはずである。彼女もまたレオルベンとともに読み書きを学んだ仲であるから。


 「そ、それでこの本には何と書かれている!?」

 「そうですね。まずあのネックレスはブラッド・マテリアルであり、もう片方の鉱石は賢者の石と記述されています」

 「賢者の石だと?」

 「ええ。あの石も一応はブラッド・マテリアルであるが、人族ではない者の血液であるゆえに緑色であるとか。そしてその血の持ち主は賢者として魔王に仕え、魔王はその賢者のことを深く溺愛したと記述されています」

 「魔王だと……」


 魔王とはこの現在において英雄として祭り上げられているが、かつては人界のを滅ぼそうとする悪の象徴だった。


 そこでレオルベンは思い出す。ブラッド・マテリアルという技術は最初は悪の側から生まれたものであるということを。


 「なるほど、そういうことでしかた」

 「なにがわかった!?」

 「あの二つはセットとしてネックレスを強者に渡し、もう片方をその強者が愛する者に渡せと書いてあります。そしてその鉱石が砕けた時、溺愛する者が直前に見聞きした光景がネックレスを持つ強者の脳裏に流れる仕組みになっていると」


 つまり先日の一件では強者に当たるレオルベンと、その強者が溺愛するルイという関係構造が成り立っており、ルイの窮地がレオルベンの脳裏に過ったということである。


 だがその書物にはそれ以上にレオルベンが驚くべき記述が記されていた。


 「まさか……」

 「どうしたのだ!?」

 「あのネックレスに使われている鉱石の血の持ち主が書いてありました」

 「一体誰なんだ?」

 「魔王アベル……」

 「アベル?」


 その名前に聞き覚えのない店主の老人は首をかしげるが、レオルベンの額には脂汗が浮かんでいた。


 「まさかこの名前をこのような場所で見ることになるとは……」


 魔王アベル。その名前はかつて勇者レオが討ち取った魔王の名前であった。

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