第31話 シルフィー

 マーティンから新人戦について知らせがあった日の放課後、レオルベンの姿は学園の外にある街の中にあった。今日のレオルベンは珍しいことに一人であり、彼の傍にはラファミルの姿もなければ、ティルハニアとオティヌスカルの姿もない。


 レオルベンが一人で街を歩くことはとても珍しいことだった。


 レオルベンが一人の理由は単純で、いつも一緒にいるラファミルたちに予定があったからである。マーティンの言葉通り、昼食後に学園から発表された新人戦のメンバーに選ばれたラファミルは説明会に参加するために一人で会場へと向かった。


 本当ならレオルベンも従者としてラファミルに同行したかったのだが、新人戦への参加権を有していないレオルベンは当然のことながら会場に入ることができず、ラファミルも会場まで送ると一人で先に帰路についていたのだ。


 ティルハニアとオティヌスカルの二人も新人戦の開催に際した会場警備の調整などで忙殺されており、ここ最近の放課後はずっと会議室に籠っている。


 そう言う訳で一人になったレオルベンはかねてより行きたいと思っていた買い物をこの機会に済ませてしまおうと街に出たわけだ。


 街に出たレオルベンの視界には彼と同じく王立カルロデワ学園の制服に身を包んだ学生が数多く映り込む。時刻はまだ夕方なので学生が街にいるのは当然と言えば当然なのだが、彼らには少し緊張感がないように思われる。


 先日の魔族襲撃事件を機に学園には放課後はできるだけ寄り道をせずに寮に帰るようにという旨の知らせが出されていた。実を言うと、先日の事件はまだ完全に解決したわけではなく、魔族がどのような経路を使ってこの街に潜り込んでいたのかが判明していないのだ。


 そのため学園側はまだ警戒を強めており、特に精霊族も参加する今度の新人戦は魔族たちから恰好の襲撃対象になる考えている。そのため不用意な事件を起こしたくない学園は学生になるべく外出をしないように求めていた。


 しかしレオルベンが見た通り、学生たちは特に警戒した様子を見せずに街を闊歩している。それはレオルベンも同じなので人のことを言えないかもしれないが。


 ただ学生たちの中にもただ街を楽しんでいるだけでなく、しきりに周囲を警戒している姿を見せる学生たちもいる。彼らの制服を見ると総じて勇者科か魔王科の学生であり、放課後の街を巡回していると表現した方が正しいだろう。


 学園側も新人戦に備えて一手講じていた。


 「やあ、君は王立カルロデワ学園の生徒さんかな?」

 「私ですか?」

 「そそ、君のこと」


 街を見渡しながら歩いていたレオルベンに話しかけてきたのは一人の少女だった。色素の薄い金色の髪をツインテールに括った翡翠のような淡緑色の瞳が特徴的なその少女はレオルベンの顔を下から伺うように突然現れた。


 全く気配を感じさせなかった少女にレオルベンは警戒心を抱きつつも、それを感じさせないような笑顔で少女に応える。


 「私はレオルベンと申します。王立カルロデワ学園の新入生です」

 「へぇー、君が新入生なのか」

 「ところであなたは……」


 どちら様でしょうか、と尋ねる前にレオルベンの視線がその少女の耳に集中する。彼女の耳は人族のそれとは違っており、耳の先がとがっているが、魔族のように耳が短く牙があるわけではない。その耳はエルフを連想させるような長い尖った耳である。


 その耳を持つ種族が何か、レオルベンは知っていた。


 「あ、名乗ってなかったね。あたしはシルフィー。君が思っている通りの精霊族だよ」

 「やはりそうでしたか」


 精霊族とは、この世界における大まかな種族のうちの一つであり、全てにおいて優れているとされている完全無敵の種族。もしも世界最強の種族を問われたら、誰もが迷わず精霊族と答えるくらいの実力を持っているにもかかわらず、戦いを好まないとされている。


 なぜ精霊族がこの街にいるのかを尋ねるのは愚問だろう。今の時期にこの街に来るということは彼女は今度の新人戦の関係者ということになる。


 シルフィーの背格好を見るに精霊族の教員とは考えにくいので、おそらく彼女が精霊族の代表選手の一人だと確信するレオルベン。そこでレオルベンはシルフィーに尋ねる。


 「シルフィーさんは新人戦に参加するためにこの街を訪れたのですか?」

 「あー、やっぱりわかるものか。そうだよ、あたしは今度の新人戦に精霊族の代表の一人として参加することになってるよ」

 「それでシルフィーさんは私にどのようなご用件が?」

 「そうだった! 実は道に迷っちゃってさー」

 「そういうことでしたか」


 精霊族にとってみれば人族の住むこの街は未踏の領域といっても過言ではない。始めて来た土地ともなれば道に迷うのは不思議なことではないし、そこで王立カルロデワ学園の学生を見つけたから道を聞くというのも違和感はない。


 ただ唯一気になる点があるとすれば、数多くいる王立カルロデワ学園の学生たちの中でなぜレオルベンを選んだかということだろう。シルフィーの近くには巡回する学生や友人との寄り道を楽しむ学生の姿もあるというのに、どうして一人で歩いていたレオルベンに話しかけてきたのか。


 だがそんなレオルベンの疑問はシルフィーがすぐに解決してくれた。


 「道を聞こうと思ったんだけど、友達とショッピングしている子や仕事に当たってる人に聞くのは申し訳ないと思ったんだ。そしたらちょうど暇そうに歩いている君がいて助かったよ」


 特に悪気があって言っているのではないだろうが、初対面の相手に向かっていきなりそのような口の利き方はいかがなものかと思うレオルベン。ただ相手は見知らぬ土地に来て不安になっている来訪者だ。そこは器を大きくして応対するべきだろう。


 「シルフィーさんはどちらに行きたいのでしょうか?」

 「えっとね、この宿に行きたいんだ」


 そう言ってシルフィーがレオルベンに地図を差し出す。その地図は街に来てそれなりに経ったレオルベンでも理解するのに時間を労するもので、初めてこの街に来た者が見てもまず理解できないであろう代物だった。端的に言って地図としては不親切なものである。


 逆によくこの地図で目的地に着けると思ったものだ。


 「確かにこの地図は難解ですね」

 「でしょー。これで辿り着けってのが無理な話だよね! ほんと、アストリって自分勝手なんだよ」

 「この地図はアストリさんという方が描かれたのですか?」

 「そ! アストリったら方向音痴なのに無理して教官面するからこうなるんだよね」

 「なるほど。アストリさんが精霊族側の指導教官なのですね」

 「あれ、もしかして君も新人戦に参加するの?」


 意味ありげな視線をレオルベンに送るシルフィーだが、レオルベンはその視線をひらりと躱す。


 「この宿ならわかりますので、ご案内しますよ」

 「それは助かるよ! ありがとねー」

 「それと先ほどの質問ですが、私は新人戦に参加しません」

 「そっかー、それは残念だな」


 がっかりした様子を見せるシルフィー。なぜ初対面の相手が新人戦に参加しないだけでがっかりするのかレオルベンには理解できなかった。


 「君となら面白そうな戦いができると思ったのになー」

 「私みたいな未熟者が出れるほど新人戦は簡単なものではないですよ」

 「そっか、そっか、君は未熟者なんだ。なら仕方ないね」


 励ますようにレオルベンの肩をバシバシと叩くシルフィー。彼女の纏う雰囲気は初対面の相手の懐に入り込めるような柔らかいもので、マーティンの雰囲気と同質のものをレオルベンは感じる。


 レオルベンがシルフィーへ案内を始めると、シルフィーの方から再び質問が飛んでくる。


 「君は新入生だったよね。ならラファミル・ディーハルトって知ってる?」

 「はい、彼女なら同じクラスですが」

 「これはいい人に出会ったぞ。ねぇ、そのラファミルって子はどんな子なの?」

 「どんな子と言われましても……」


 シルフィーの質問に困惑の表情を浮かべたレオルベンだが、一方でシルフィーに対する警戒心を強める。この場でレオルベンに対してラファミルのことを聞くということは、もしかするとレオルベンがラファミルの従者だということを知ったうえでシルフィーは質問しているのかもしれない。


 そうなるとここで迂闊にラファミルについて教える訳にはいかない。しかし逆にもしシルフィーが二人の関係性を知らないで質問したとすれば、ここで変に誤魔化すのは得策ではない。


 まだどちらか決まったわけではないこの状況ではレオルベンは無難な答えを選ぶしかなかった。


 「彼女はとても優れた魔術師ですよ」

 「そっか、やっぱそうだよね」

 「シルフィーさんは彼女のことをご存じで?」

 「まあね。この間の事件で魔族を三人も返り討ちにしたらしいから、こっちでも有名人だよ」


 こっちというのは今回の新人戦に参加する精霊族の中でという意味だろうと推測するレオルベン。けれどもそのあとにシルフィーが気になる言葉を口にする。


 「でも私はラファミル・ディーハルトの名前だけは前から知ってたけどね」


 その言葉にどのような意味が含まれているのか分からなかったレオルベンはついその意味について聞き返そうとする。


 だがその前にシルフィーの言葉によって遮られる。


 「ここだ!」


 視線を前に向ければ、そこはシルフィーの目的地であった宿だ。宿を見つけるとシルフィーは一目散に走って宿の方に行ってしまう。


 だが途中で立ち止まって振り返ると、レオルベンの方に向かって大声で叫ぶ。


 「今日はありがとね! また会う機会があったら今度はお礼にお茶でもご馳走するよ!」

 「いえ、大したことはしていません」

 「そっか! まあ、また会えるといいね!」


 そう言ってシルフィーは宿の中へと姿を消した。レオルベンはシルフィーの入っていた宿を見据えると、何かを考えるそぶりを見せてその場を後にする。


 そして当初の目的地に向かうのであった。

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