第25話 怒り
朝日が差し込む早朝の新入生寮の前にレオルベンは立っていた。その傍らには木製の剣が置かれており、これから朝の日課であるルイとの早朝特訓が始まるのだと想像することは容易である。
しかしレオルベンの前にルイの姿はなかった。これまで早朝特訓を休むどころか、遅刻したこともないルイが姿を見せないのは少々おかしい。
それに先程から街の方が騒がしいことをレオルベンは不審に思う。早朝の街は市場が賑わっているために活気があるのは当然だが、今日はその活気よりも人の往来の方が気になる。
街で何かよからぬ事が起きたのだろうとレオルベンは察したが、だからといって彼がどうこうすることはない。レオルベンにとって大切なのはラファミルであり、それ以外のものには関心こそあれど執着はしない。
けれどもそんなレオルベンの余裕もそう長くは続かなかった。
「レオ、レオ! 大変だ、レオ!」
大声でレオルベンのことを呼びながら駆け寄ってくるのは勇者科首席にして現実最も英雄に近い人間の一人と言われるティルハニア。
「どうしたのですか、ティルハニア先輩」
「聞いてくれ、レオ。ラファミル嬢が......」
そう言ってティルハニアが差し出したのは赤い鉱石が特徴的なネックレス。それは先日レオルベンがラファミルにプレゼントしたもので間違いない。
「ラファミル様!」
ネックレスを見せられたレオルベンは急いでラファミルの部屋を訪ねる。これまで何度も足を踏み入れた部屋にノックをするが、中から返事が返ってくることはない。
もしかしたらラファミルはまだ寝ているのかもしれない。部屋の扉を開けようと試みるレオルベンだが、当然のことながら部屋には鍵がかかっているので開かない。
「申し訳ありません、ラファミル様」
レオルベンは主であるラファミルに謝罪の意を述べると、ドアノブに向かって魔術を行使する。するとガチャという音を立てて部屋の鍵が開き、レオルベンは部屋の中に足を踏み入れる。
「ラファミル様!」
部屋の中にラファミルがいるかもしれないという僅かな希望に縋りたかったレオルベン。だが立ち入った部屋の中にラファミルの姿はなかった。
「レオ!」
遅れてやってきたティルハニアがレオルベンのことを呼ぶ。部屋にラファミルの姿がないことを確認したレオルベンは部屋から出るとティルハニアに尋ねる。
「そのネックレスはいったいどこに?」
「今朝方魔族の遺体が発見されて、そこにこれが」
「そうですか......」
ティルハニアの口調から察するにその魔族を殺めたのはラファミルだろう。ラファミルの魔術の腕を知っているレオルベンは彼女が実力者相手でも互角に戦えることを知っている。
「とりあえず現場まで来てくれ」
「わかりました......」
ティルハニアに連れられて魔族の遺体があったという現場まで来たレオルベン。そこには既に遺体はないものの、周囲に飛び散った大量の血液が戦いの激しさを物語っている。
「魔王様!」
現場にいたオティヌスカルがレオルベンの姿に気づいて駆け寄ってくる。その表情は暗く、事態の深刻さを物語っていた。
「ラファミル様は?」
「周囲に姿は見られませんでした。ただ、昨夜ラファミル様が複数人に追われている姿を見た者がいて、状況から察するにラファミル様はやむを得ず魔族と交戦したのかと」
「そうですか。それで敵の数は?」
「まだ確証は得られませんが、四から五人と」
目撃者たちはラファミルが謎の男たちに追われていたことは覚えていても、その男たちが何人いるかまでは覚えていない。
だかレオルベンはその情報だけで状況を察した。
「つまりラファミル様は残った一人、ないしは二人に連れ去られたと?」
「はい、そうなります。ですが犯人の目的がわかりません」
状況はどうやらそれほど芳しくないらしい。魔族に襲われたラファミルは反撃して三人は仕留めるも、残る魔族には歯が立たなかったということだ。
「仮に敵がラファミルの実力を凌ぐ者なら、この件を深追いすることは危険です」
「ですが魔王様......」
今回の事件で捜査を主導しているのは魔王科だ。先程から聞きこみ調査や鑑識作業に従事する魔王科たちの制服を着た学生たちは凄惨な事件現場を我慢している素振りを見せている。
このまま捜査を続けて、もし犯人の魔族と遭遇でもしたら一溜りもないだろう。レオルベンは別に魔王科の学生たちを見くびっている訳ではなく、犯人の実力を危惧しているのだ。
レオルベンの並々ならぬ雰囲気を察したオティヌスカルはすぐに魔王科を面々に追加の指示を出す。それは手掛かりを見つけても無闇に深追いするなというもの。
一通りの操作を終えたレオルベンたちは再び学園に戻ってきた。時刻は優に始業時間を超えており、現在はちょうど中休みの最中だった。
学園の生徒たちは街で起きた出来事を知ってはいるものの、詳細までは知らないようでそこまで話題になっていない。
「大丈夫か、レオルベン」
「ええ、マーティン。大丈夫ですよ」
学園内でレオルベンを見つけたマーティンは心配そうに尋ねる。情報通である彼はすでに被害にあったのがラファミルと知っている様子だ。
「それで手掛かりは?」
「残念ながら」
「そうか......」
捜査の進捗が芳しくないことに暗い表情を浮かべたマーティン。
「それでなんだが」
「どうしましたか?」
「例の件については解決した」
「そうですか。それで?」
例の件と言われたレオルベンの表情が僅かに厳しくなる。
「どうやらラファミルさんはお前に気を使ったらしい」
「というと?」
「クラスの連中がお前に話しかけたいけど、ラファミルさんが怖くて話しかけられないって話をしていたみたいだ。おそらく偶然それを聞いたラファミルさんが......」
「そういうことでしたか」
例の件というのはラファミルのレオルベンに対する態度が突然変わった理由について。ラファミルがなぜあのような態度を取ったのかを知るためにレオルベンは情報通のマーティンに調査を依頼したのである。
そしてマーティンはたった数日でラファミルが態度を変えた理由を突き止めた。その情報網にはレオルベンも驚きを隠せない。
「それで、そのクラスの連中というのは?」
「よくお前に話しかける女子二人だ」
「彼女たちでしたか」
レオルベンの表情はまったく変わっていなかったが、彼を包み込む雰囲気はまるで別人であった。
そしてそこにタイミング悪く、例の二人がやってくる。何も知らない彼女たちはレオルベンに挨拶をした。
「あ、レオルベンくん! おはよー」
「朝の授業いなかったけど、どうしたの?」
「..................れ」
「え、なに?」
「黙れと言ったのです」
レオルベンが少女の一人を睨みつけながら言い放つ。レオルベンのいつもと違った口調に驚きを隠せない少女はつい聞き返してしまう。
「え、どうしたの?」
「白々しい。気安く話しかけるな、クズが」
「何を言って......」
「だから黙れと言っている」
レオルベンの口から告げられる予想外の言葉にその少女は驚き、つい涙を流し始めてしまう。
「ちょっとレオルベンくん、いくらなんで......ひっ」
その様子を見たもう一人の少女がレオルベンを非難しようとしたが、その前にレオルベンの視線に威圧されてしまう。
レオルベンのとても冷酷で、見るものを人間と見ていない無慈悲な視線は耐性のない少女の心を締め付けるだけでなく、本能的な恐怖をうえつける。
レオルベンの前に泣き崩れる少女とガタガタと震える少女のいる光景は周囲から当然のように視線を集める。けれども周りの面々がレオルベンに対して非難の目を向けないのは彼の背後に勇者科首席ティルハニアと魔王科首席のオティヌスカルがいるからだろう。
むしろ彼らはレオルベンの前にいる少女たちに非難の目を向ける。何があったのか詳しく知らない彼らであっても、レオルベンたちの方が正義だということはわかっていた。
「二度と話しかけるな」
レオルベンはそう言い残して彼女たちの前から去ろうとする。だがその時、突然彼の脳内にとある光景が流れ込んできた。
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