第24話 氷の女王
「もう逃げられまい」
「別に逃げていないわ」
「たしかに。そちは街中での戦闘を忌避したと見受けられる」
「どうかしらね」
強気な態度を取るラファミルだが、その表情にはいつものような余裕はない。突然街中で魔族に囲まれたラファミルはその場で臨戦態勢をとりつつも、その場で戦闘は選ばずに大通りから外れた路地裏の開けた場所までやってきた。
ラファミルが目的の魔族たちは当然彼女のことを追ってこの場所まで来ている。
相手は全部で五人。全員がマントを身に着けてフードを目深く被っているために顔立ちはわからないが、彼らが魔族で間違いないとラファミルは確信している。
「街中で戦っていれば援軍が来たかもしれないというのに」
「まさか自分から人気のないところに来てくれるとは思わなかったぜ」
魔族たちの内の二人が周囲を見渡しながらそう言う。
彼らの言う通り、あのままラファミルが街中で戦闘を始めていたら騒動を聞きつけてすぐに援軍が訪れただろう。しかしラファミルはその援軍を来る機会よりも、街の人に降りかかる被害を考えて移動を決意した。
これまで他者に対して一歩引いた態度を取っていたラファミルにとって、それは予想外の行動だったし、ラファミル自身にとっても意外なことだった。
なぜそのような行動をとったのかラファミル自身もわからない。ただ魔族に囲まれた瞬間、街の人たちを巻き込むのはいけないと勝手に体が動いたのだ。
ラファミルの機転の利いた行為によって町への被害はほとんどなかったが、かわりにラファミルが窮地に陥ってしまったのは事実。複数の魔族を相手に人間が一人で立ち向かうのは無謀だとよく言われている。
「抵抗しなければ危害を加えることはない」
「あくまでも私は人質という訳ね」
「そういうことである」
魔族の中のリーダーであろう人物がラファミルに対して投降を求める。事実彼は逃げるラファミルを追跡はしたが、攻撃はほとんど加えていない。動きを妨害するために何度か手を出したことはあったが、どれもラファミルを傷つけようとしたものではなかった。
このような状況で最も利口な選択は彼らの言う通り、おとなしく同行して人質の地位に甘んじることだろう。だがラファミルはそう利口な選択をする少女ではなかった。
「散れ、氷礫」
周りに人気の無いことを確認したラファミルが魔族たちに向かって魔術を行使する。その魔術は氷雪系でも基本的なものであり、四方八方に小さな氷の礫を無数に撃ちだす魔術だ。
殺傷能力は低いものの、相手を牽制する際によく使われるこの魔術は魔術科志望のラファミルが仕えて当然のものだった。無数の氷のつぶてが魔族たちを襲うが、彼らに苦痛の色は見られない。それどこからまるで顔にかかる雪のように簡単に手で払われてしまう。
「このような道化では吾輩たちに傷どころか警戒心も植えることはできまい」
「さすがは魔族ってところね」
魔族の身体に当たったつぶてが砕け散るさまを見て、彼らの身体強化がどれほどのものかを理解したラファミル。並の攻撃では彼らの身体に傷一つつけられないことはわかり切っていた。
「そちのような箱入り娘に吾輩たちは倒せんよ」
「そうだ。殺す覚悟がないなら向かってこない方がいいぜ。間違えて殺しちゃう」
「人間の脆弱な肉体では我らの攻撃に耐えられないからな」
「早めに投降した方が身のためだ」
「無駄な抵抗はやめな」
口々にラファミルに投降を求める魔族たち。彼らにしてみれば間違えてラファミルを殺してしまうような事態だけは避けたいのだ。
けれども当のラファミルに投降する意思などなかった。
「それで私が投降するとでも?」
「ふむ、やはり話し合いは無駄か。やりなさい」
「はいよ」
リーダー格の男に命令された一人が高速でラファミルに迫る。その速さは常人の域を超えており、身体強化が施されていることは容易に想像できた。しかも魔族の身体強化は人間の身体強化と比べ物にならないほど強力な能力だ。
並の新入生が反応できるような速度ではなかった。といっても、ラファミルの実力が並の新入生かと言われると、それには議論の余地がある。
高速で近づいてきた魔族の動きを完全に見切っていたラファミルは魔族の胸を掛けて掌底打ちを繰り出す。一方の魔族はラファミルが自分の動きに反応したことにわずかばかりの驚きを見せたが、その表情はまだまだ余裕だ。
「ただの打撃じゃ俺の身体に傷はつけられないぜ」
「そうでしょうね」
「なに!?」
「穿ちなさい、氷塊槍」
次の瞬間、ラファミルの掌にラグビーボールほどの氷の塊が出現すると、その様相を槍の先のような鋭利なものへと変化する。それを見た魔族の男は途端に動きを止めようとしたが、その前にラファミルの掌底が男の胸目掛けて繰り出された。そしてラファミルの作り出した氷の塊が魔族の男の胸に押し込まれる。
「ぐっ……」
思わず苦痛に声を漏らしてしまう魔族の男。ラファミルの作り出した氷の塊は魔族の男の身体強化を破り、彼の胸に突き刺さっている。幸い致命傷には至っていないが、すぐに動けるほどの傷でもない。
この時点で魔族の男はラファミルの攻撃が終わったと思った。だがラファミルの攻撃は終わってなどいなかった。
「咲きなさい、赤薔薇」
魔族の男がラファミルのその言葉を聞いた刹那、自分の身体の中で何かが蠢くのを感じる。そしてその感触を気づいた直後、彼は絶命した。
男は自分に何が起きたのかを知ることはできなかったが、周りにいた魔族たちは彼に何が起きたのかを理解する。
死んだ男の体内を貫くようにして出現した大きな氷の五角形。その氷は男の血で真っ赤に染まっており、まるで赤い華のようだ。言うなれば、その花はラファミルの打ち込んだ種子から芽吹いた死の花である。
目の前で仲間の一人が殺されたことに動揺を隠せない魔族たち。彼らはラファミルをただの新入生と軽んじていたために、つい隙ができてしまった。ラファミルはその隙を逃さんとばかりに続けて魔術を行使する。
「萌えなさい、雪花茎」
暗闇の中にラファミルの声が響いたその直後、今度は二人の男の苦悶の声が聞こえる。
「うっ……」
「くそっ……」
声のした方に視線をやると、そこには背後から太い氷で体を貫かれた男たちの姿がある。彼らを貫いた氷はまるで地面から生えたかのような状態だった。
体を貫かれた二人は心臓をえぐり取られてしまったために即死だ。一瞬のうちに三人の魔族を絶命させたラファミルは特に変わった様子を見せずに四人目を仕留めようと魔術を行使した。
「射貫きなさい、氷結弾」
今度は野球ボールほどの大きさの一つの氷の塊が四人目に向かって飛んでいく。その速度はこれまでに比類なきほどの速さで迫っている。
けれどもその氷の塊は射線上に入ってきたもう一人の魔族の拳によって砕かれてしまう。
「下がりなさい。ここは吾輩がやる」
「はっ」
リーダー格の男に言われて後方に下がる魔族の男には動揺の色が見られた。
「まさか同胞が三人もやられるとは思いませんでした。そちは殺生に忌避を抱かないのか?」
「逆に聞くけど、自分に害のある存在を殺して何がいけないのかしら?」
「幼少期の歪んだ記憶のせいで倫理観を失いましたか」
そういってリーダー格の男はかぶっていたフードをとるとラファミルのことを睨みつける。短くとがった耳に鋭い牙は魔族の特徴の一つであり、顔には幾度の修羅場をくぐり抜けたのであろう凄まじい数の傷が刻まれている。
「部下を殺されているがゆえに、吾輩も少々本気を出すしかまい」
「やっぱりあなたが親玉なのね」
「さあ、どうだろうでしょ」
リーダー格の男がマントを脱ぎ捨てると、彼の肉体があらわになる。服の上からでも分かる隆起した筋肉、けれども不思議とその身体に重さは感じられない。
彼もまた魔族の得意とする身体強化の使い手であり、その実力はこれまでの魔族とは比べ物にならないほどの実力者だ。リーダー格の男を見たラファミルもそれまでとは打って変わり、男から距離をとるような動きを見せた。
これまで攻めの姿勢を見せてきたラファミルが無意識に見せる守りの姿勢に男は僅かばかりの笑みを浮かべる。
来る。ラファミルがそう思った直後、視界に捉えていたはずの男の姿が忽然と消え、次の瞬間にはラファミルの前に男が現れた。
「くっ」
本能的な危機感を覚えたラファミルは咄嗟に顔を左に傾ける。すると先程までラファミルの顔があった場所に男の突きが繰り出されてラファミルの首を掠める。
もしラファミルが避けていなかった男の突きがラファミルの顔に直撃していただろう。最初こそラファミルに危害を加える気は無いと言っていた魔族たちだが、仲間を3人も殺されてはそう甘いことも言ってられない。
魔族の男は本気でラファミルの首を取りに行くつもりだ。
男の攻撃を辛うじて避けたラファミルはそのまま男の腹部に掌底打ちを試みた。もちろんその手にはラクビーボールほどの氷塊が用意されている。
「穿ちなさい。氷......そんな......」
「我輩の身体強化を舐めないでもらいたい」
ラファミルの生み出した氷の塊は男の胸を貫くどころか、その身体に傷をつけることさえできない。男の身体に打ち込まれた氷塊はその堅くなった身体強化の前に砕け散ったのだ。
信じられないといった表情のラファミルだったが、そこで隙を見せるほど間抜けではない。ラファミルはリーダー格の男から距離をとると、悔しそうな表情を浮かべた。
「そちの魔術は確かに強力である。けれどもそれは人族の中での話であり、我輩ら魔族の中では並程度。並の魔族は倒せてもそれ以上の存在には苦戦するのは当然のことである」
「手厳しいわね」
「これが最後の警告です。投降しなさい」
「あいにく私はそこまで素直じゃないのよ」
「それは残念です」
たった一回の攻防であったが、二人の間にある実力差は確かなものだった。ラファミルの氷ではリーダー格の男の身体強化を破ることはできない。ゆえにラファミルが男に勝てる可能性は万に一つもないといってもいい。
けれどもラファミルは諦めない。
「萌えなさい、雪花茎」
「だから無駄ですよ」
地面から生えた太い氷がリーダー格の男に襲いかかるが、彼の身体強化の前に氷は砕け散る。
「そんなに固くても、一箇所に集中攻撃されたらどうかしら?」
「ほう、それは面白いですね」
「舞いなさい、雪嵐」
ラファミルが詠唱を唱えた直後、男の身体強化を破れずに砕け散った氷が再び一斉に襲いかかる。それも男の胸を狙って無数の氷がだ。
いくら男の身体強化が優れていても、同じ箇所に連続で攻撃を受けたら脆くなるはずである。それがラファミルの狙いだ。
「確かに面白いやり方であるが、それでもそちは我輩に届かない」
氷の塊を何発当てようとも男の身体強化が脆くなる素振りは見えない。それどころかラファミルの撃ち込んだ氷は男の身体強化の前に力尽きて足元に堆積し始めていた。
「これでもダメだなんて......」
にわかに信じ難い現実にラファミルは言葉を失う。一方の男はひたすらラファミルの攻撃を受け止めており、その光景はラファミルが遊ばれているといってもおかしくない。
圧倒的な力の前にラファミルはその場で座り込んでしまう。その姿はどうしようも無い力の差に打ちひしがれているように思えた。
現にリーダー格の男もラファミルの心がやっと折れたと思った。しかし彼はすぐに気づく。ラファミルが地面に着いた右手が氷を帯びていることに。より正確に言うのであれば、ラファミルの右手が地面から生えた氷に包み込まれていると言った方がよかろうか。
その光景は挫折した人間が見せるにはあまりに異質だった。
「外からがダメでも、中からなら効くんじゃない?」
「そち、まさか!?」
そこでリーダー格の男が初めて気づく。彼の足元には砕け散った氷が堆積しており、その氷がまるで彼の足をその場に留めているように形成されていることを。
「閃きなさい。綻びの雷」
ラファミルの言葉からわずかな時間を経てリーダー格の男は自らの身体が痺れるのを感じた。何が起きたのか聞かなくてもわかる。今、彼の肉体には電撃が流れているのだ。
ならその電撃は一体どこから伝わってきたものなのか。男はすぐにラファミルの意図に気づく。
「まさか地面に氷を進めて我輩とそちを繋ぐとは」
「あなたは私の攻撃に気を取られて気づかなかったようね」
「返す言葉がない。まさかそちが電撃系の魔術を使えるなど微塵も思わなかったのである」
ラファミルは地面に氷を通し、その氷でリーダー格の男と自身を繋いだ。
本来、氷は不純物のない水が凍ったものであり電気を通さない。けれどもラファミルは土の中な物質を混ぜ込むことで即席の電線を作り出した。そしてその氷に電撃を流し込むことで男の肉体を内側から崩壊させようとしたのだ。
いくら身体強化によって外面が堅くなったとしても、内面から攻められればダメージを負わないことはない、はずだった。
ラファミルは今なお余裕の笑みを浮かべながら直立不動の男を見て一種の恐怖を覚える。なぜ身体の内部に電撃を流し込んでいるというのに、男は何も無いように振る舞えるのかラファミルには理解出来なかった。
「確かにそちは秀でた魔術使いである。だが、それは人族の中に限った話であり、魔族は例外である。そして我輩がそちよりも優れた電撃使いだということも一因としてあるのだよ」
「そういうことね......」
リーダー格の男がなぜ自分の電撃を受けて余裕だったのか理解するラファミル。
「それにそちの得意魔術はあくまで氷雪。対して我輩の得意魔術は電撃。我輩たちの間には静電気と雷ほどの差があることを理解してもらいたい」
「まさか魔族が魔術を使うとはね......」
一般的に身体強化に秀でているとされる魔族だが、だからといって魔術が使えないという訳では無い。彼らも精霊族ほどではないにせよ、魔術は使うことが出来る。
そしてリーダー格の男の得意魔術は電撃であった。
「これでようやく理解したであろう」
「ええ、万策尽きた私の負けよ」
「潔く敗北を認める姿勢は評価に値するのだよ」
その言葉を最後にラファミルの意識は闇へと落ちた。具体的にはラファミルの繋いだ氷の導線を介して膨大な電力がラファミルに流れ込み、彼女の意識を奪い取ったのだ。
リーダー格の男が生き残った最後の部下にラファミルを担がせると学園の方を見据えながら呟く。
「これは戦争である。精々足掻くといい、人間たち」
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