第21話 ラファミルの決断

 「あら、ノートを教室に忘れてしまったわ」


 とある放課後、ラファミルの声が聞こえたのは学園から新入生寮に戻る道の途中だった。ラファミルの隣には彼女の従者であるレオルベンの姿がある。


 入学式以降、一通り各学科の見学を終えた新入生たちはこの日から教室で座学を行うことになっていた。座学といってもその内容は様々であり、計算のやり方や情報を管理の仕方など多岐に及ぶ。


 王立カルロデワ学園では専門的な職業の人材を育成しているが、その専門的な職業が定まっていない新入生たちには次年度で苦労しないように各学科に必要な基礎知識を学習させているのだ。


 例えば商人科志望の学生だというのに計算ができないとなれば、その学生は商人科に進んだ後に苦労するだろう。けれども商人科を志望していない学生にとってみれば計算は必要ないと言われれば、それは違うと断言できる。


 計算のやり方を知っていて得こそあっても損は絶対にない。だから王立カルロデワ学園では全新入生に計算を教えるし、他にも知っていて損しない知識を教えるのだ。


 そして今日の授業内容を記録したノートを教室に忘れてしまったラファミルは踵を返してノートを取りに行こうとした。もちろん主人であるラファミルが教室に向かうのだから、従者であるレオルベンも教室にお供しようとする。


 だがラファミルはレオルベンの同行を断る。


 「教室に忘れ物を取りに行くくらい一人でいいわ」

 「ですが……」

 「レオルベンは先に戻って紅茶でも用意していて」

 「かしこまりました」


 主人からの命令とあらば拒否するわけにはいかないので、レオルベンは言われたとおりに寮へと戻る。もちろんラファミルのことを見送った後に。





 ラファミルが教室に到着すると、部屋の中から話し声が聞こえてきた。マーティンの一件でクラスの雰囲気はとても良いものになったのだが、他者に対してあまり友好的な態度を取っていないラファミルにはいまだに友達はできていない。


 そのためラファミルは教室に入るのをつい躊躇ってしまう。別にラファミルは非友好的な態度を取りたくてとっているのではなく、これまで友人というものを作ってこなかったためにどのようにして接すればいいのか分からないのだ。


 これまで周りにいた同世代と言えば、皆が貴族でディーハルト家に起きた事件のことを知っていた。そして誰しもがラファミルと関わることを避けていたので、友人ができないとは自然のことだった。だからラファミルは自分には友人など到底できないと思い込んでいたのだ。


 けれどもこの街に来てラファミルは友人ができると知ることができた。平民出身の学生ならディーハルト家の事情に詳しくなく、ラファミルのことをディーハルト家の令嬢としてではなく、一人の少女として見てくれる。


 それはマーティンや、街の人々を見ていてもよく分かることだ。特に先日のエマの一件でラファミルは街の人と触れ合い、彼らのぬくもりに触れることができた。


 友達ができないのは相手が自分のことを避けているのではなく、自分が相手のことを避けていたのだと実感したラファミルには心境の変化が訪れていた。これまではなし崩し的に話をしてたが、今回は自分から勇気をもって話しかけよう。


 ラファミルは覚悟を決めて教室に入って中にいる二人の女子に話しかけようとした。しかしその前にラファミルの耳に彼女たちの会話が届く。


 「ほんと、あの子って邪魔よね」

 「ねー」


 教室に自分たちしか残っていないのをいいことに、陰口をたたく女子生徒たち。会話の内容を聞いてしまったラファミルはつい足を止めて聞き耳を立ててしまう。


 「あの子がいなきゃ私たちも話しかけられるのにね」

 「だよね。あの子のせいで私はまだ一回も話しかけられないんだ」

 「でも仕方ないよ。あの子って感じ悪いし」


 周りに人がいないからといって、ここまで明確に悪口を言うのはいかがなものかと思ってしまうラファミル。同時に陰口をたたかれている「あの子」に同情した。


 ラファミルもまた常に陰口を叩かれ、蔑まれてきた人生を送ってきている。だからそう思ってしまうのは自然の事だった。


 けれども、次の少女の言葉でその同情は霧散する。


 「でもそのせいでレオルベン君まで友達がいなくなるのはかわいそうだよ」


 今、彼女は何と言った。レオルベン? ラファミルは壁にもたれかかりながら言葉を失う。その瞳は動揺によって揺れており、両腕は力が入っていないのか、ただぶら下がっているように見えた。


 もし彼女たちが話しかけたい対象がラファミルの知るあのレオルベンだとするならば、彼女たちの言う「あの子」とは一体誰なのだろうか。


 心のどこかではわかっていても、ラファミルは縋るような思いで彼女たちの会話に集中する。


 「貴族かなんか知らないけど、いつまでも偉そうな態度とるなって感じよね」

 「ねー、ここに来たら身分なんて関係ないのに」

 「この学園に来てまで従者扱いされるレオルベン君が可哀そう」

 「あんなに強くて優しいレオルベン君に友達ができないのって絶対あの子のせいだよ」

 「あの子がいるせいでレオルベン君が不遇な扱いを受けるなって許せない!」

 「ほんとほんと、あのラファミルさんって感じ悪いよね」


 ラファミルという名前が出た以上、もうそれは覆すことのできない現実だ。


 彼女たちが口にしている「あの子」とはラファミルのことだった。どうやら彼女たちはレオルベンに話しかけたいと思っているが、ラファミルのことを恐れて話しかけられないようだ。


 彼女たちの会話を教室の外で聞いていたラファミルが苦笑いを浮かべる。だがその表情からは悲壮感がひしひしと感じられた。


 「はは、レオルベンに友人ができなかったのは私の所為だったのね……」


 思い返せば、マーティンはレオルベンが一人で買い出しに行った際に出会った友人だ。ティルハニアはレオルベンがジョセフを打ち負かした時に再会した仲間で、オティヌスカルはレオルベンが一人で魔王を演じている時に再会した友である。再会した二人は元を辿ればかつてラファミルがいない時にレオルベンが出会った二人である。


 つまりこの学園に来てできたラファミルの友人はどれもレオルベンを経由した者であり、ラファミル一人ならまず知り合わなかったであろう三人だ。


 先日レオルベンから貰ったネックレスに触れながらラファミルがつぶやいた。


 「私がいなかったら……レオルベンは普通の学生になれたんだ……」


 ラファミルの中で虚無感が広がる。


 これまでレオルベンに友人ができなかったのは自分と同じくレオルベン自身に問題があるからだと思っていた。だから心のどこかで安心していた。レオルベンもまた自分と同じく友人のできない哀れな人種だと。


 でもそれは勘違いだったのだ。友人ができない哀れな人種はラファミルだけであり、レオルベンはむしろ周りから興味を持たれる存在だった。


 自分はただそれを邪魔している存在なのだ。


 虚無感に襲われながらラファミルは新入生寮に向かって歩み始める。教室の中ではまだ彼女たちがラファミルの陰口をたたいていたが、そんなことはもうどうでもよかった。


 目的のノートも取らずに自室に戻ってきたラファミル。そんな彼女をレオルベンはいつもと変わらずに出迎えた。


 「おかえりなさいませ、ラファミル様。紅茶の用意が整っております」


 そう言ってラファミルを部屋の奥に通そうとするレオルベン。しかしラファミルは足を踏み入れなかった。そのことを不審に思ったレオルベンが心配そうに尋ねる。


 「ラファミル様、いかがなさいましたか?」


 主人の挙動に不安を覚えるレオルベンは心の底からラファミルのことを心配していた。だからラファミルは覚悟を決めていった。


 「レオルベン、もう私に付きまとわないで。あなたは今を持ってクビよ。さようなら」

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