第10話 勇者レオ

 「レオ! レオじゃないか!」


 大きな声で俺の名前を呼んだのはちょうど今、目の前に降り立ったこの金髪の女だろうか。てか一体どこから飛び降りてきたんだ? アリーナ席は普通にビルの三階ほどの高さにあるというのに、着地の際に全く衝撃を感じなかったぞ。


 大方あのジョセフとかいう坊主頭と同じく身体強化を使ったのだろうが、まったく衝撃を感じさせない着地なんてそうそうできるものじゃない。しかも着地の瞬間にこの女は膝さえほとんど曲げてなかったぞ。いったいどれほどの実力者なんだ。


 「レオ、レオ、久しぶりだなー」


 戸惑っている俺に関係なく、突如目の前に現れた金髪碧眼の美女は俺に抱き着いてきた。その際、彼女の大きく柔らかい二つの胸が俺の胸に押し付けられる。正直なところ悪い気はしない。


 でもこの女はいったい誰なのか。俺は彼女に見覚えもなければ、どこかで会ったこと気もしない。もしかしたらマーティンと同じように俺を一方的に知る人間なのかもしれないが、さすがに初対面の相手に抱き着くような人間はいないだろう。


 となると、俺はこの金髪巨乳美女と知り合いということになるのか?


 俺がそんなことを考えていると、金髪美女が俺の顔色を窺うように見上げてくる。そんな仕草が可愛いと思わないといったら嘘になるだろう。


 そんな時だった。向こうの方から気になる声が聞こえてくる。


 「おい、あれって」

 「間違いない」

 「ティルハニア先輩だ」


 ティルハニア? どこかで聞き覚えのある名前だが、一体どこで聞いたことがあるのだろう。ティルハニア、ティルハニア……うーん、わからん。


 仕方がないので彼らの会話に神経を集中させる。


 「でもなんで勇者科のティルハニア先輩が新入生なんかに?」

 「しかもかなり親しそうだぞ」

 「でもあいつはあのディーハルトの従者だぞ」


 ふむ、なるほど。このティルハニアという女は勇者科に所属しているのか。つまり少なくとも俺より二歳は年上ということになる。


 だが聞けば聞くほど俺はこのティルハニアという女を知らない。そもそも昨日この学園に来たばかりの俺が勇者科の先輩を知っているはずがない。


 困り切った俺は友人であるマーティンに救いの手を求めようと視線を送ったが、マーティンはなぜか俺のことを恨めしそうに見ていた。それだけでなく、隣にいたうちのラファミル様はなぜか俺を非難するような目で見ている。


 いや、そんな目で見られても困るんですが……俺この人知らないし……もしかしたら新手の置き引き犯かもしれない。そんな不安が脳裏をよぎったので、ティルハニアという女に離れるように求めた。


 「あの、離してもらってもいいですか?」

 「む、なぜだ? 昔は一緒にお風呂に入るくらいの仲だっただろ。恥ずかしがるな、レオ」


 なぜだろう、その言葉の直後、周囲の時の流れが止まった気がした。いや、実際に時は流れているんだろうけど、周りにいた人間はフリーズしている。かく言う俺もフリーズした。


 「あ、あのティルハニア先輩といいいいい一緒にお風呂だと!?」

 「この世界で一番勇者に近いと言われているお方だぞ!?」

 「それがあんな没落貴族の従者と!?」

 「間違いだ、これは何かの間違いだ!」


 新入生、上級生たち関係なく口々に信じられないといった声を上げる面々。男子諸君はなぜか俺に怨念がこもっているような視線を送ってきて、女子諸君は頬を赤らめている。


 ただその中でうちのラファミル様だけは冷ややかな視線を向けてきている。いや、ラファミル様!? これは冤罪ですよ? 新手の詐欺か何かですよ? いくら俺でもこんな巨乳美女と一緒にお風呂に入ったら流石に一生の思い出になってますって。


 だから絶対に違うって断言できる。


 「あの、多分ですけど人違いです。失礼ですが私はあなたのことを……」

 「人違いなわけあるまい。あの太刀筋にあの身体裁き、どれも紛れもない勇者レオのものだ。この私が見間違えるわけがあるか!」


 「え、勇者?」そんな声が周りから聞こえてきたが、俺の脳内においてそんなことはどうでもよかった。今この女は何と言っただろうか。勇者レオ? 間違いなく勇者レオと言った。確かに俺の名前はレオルベンでレオの文字が入っているけど、俺は勇者じゃない。俺はこの世界ではディーハルト家令嬢のラファミル・ディーハルト様に仕える従者だ。


 「もしかして忘れたのか?」

 「何をですか?」

 「かつて一緒に魔王アベルと打倒したあの日々を」

 「……魔王アベル?」

 「そうだ。私だよ、レオ。ティルハだ、仲間だったティルハだ」


 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………そう言うことかよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ


 ようやく理解した。このティルハニアという女は前世の前世、つまり俺が勇者レオとして生きた時代に俺とともに当時の魔王アベルを打倒したときの仲間の一人で女剣士のティルハだ。


 「ほ、本当にティルハなのですか?」

 「もちろん。一緒にお風呂に入っただろ?」

 「………………………………」


 いや、お風呂に入ったよ。でもあの時まで俺はティルハが男だと思ってたんだ。だって当時のティルハは今のティルハニアよりも断然胸がなく、下手をしたら屈強な男の筋肉よりもないくらいの断崖絶壁だった。だから一緒にお風呂入るときも男友達と入るノリだったし、別にそういう行為があったわけじゃない。


 やはりこれは冤罪だ。後に羨ま死刑とか言われても俺は断固拒否するからな。


 とりあえずこのままでは色々とまずいので、俺はティルハニア改めティルハの腕を掴んで闘技場の隅に連れていく。さっきからバシバシ刺さるラファミル様の視線がさすがに痛すぎるので状況を打破しなければ。


 「えっと、ティルハ?」

 「久しぶりだな、レオ。まさかこの世界で再び会えるとは思ってもいなかったぞ」

 「うん、僕もだよ。まさかこんなところでティルハに会えるなんて」

 「これも運命だな。ぜひ私と一緒に勇者として英雄の道に進もう」

 「いや、あの……」


 さて、どう説明すべきか。今の俺は勇者レオじゃなくて、従者のレオルベンだ。それに一個前の人生で魔王ルベンとして世界を滅ぼしているのに今更世界を救おうなんて、ねぇ?


 「この世界でティルハはティルハニアとして生きているじゃん?」

 「うむ。私はこうして勇者科に入り首席の座を手中に収めている」

 「だよね。え、てかティルハ勇者科首席なの!?」

 「もちろんだ。この世界はあの世界に比べたら簡単だぞ。もしレオが相手なら簡単に首席の座を奪われそうだ」


 まさかあのティルハが勇者科首席になっているなんて。そう言えばさっき最も勇者に近いとか言われていたような……って、そうじゃない。


 「ティルハが新しい人生を送っているように、僕も今新しい人生を歩んでいるんだ」

 「ほう、まさかこの世界でも王族になったのか?」

 「いや、むしろ逆かな。この世界で僕は従者なんだ」

 「従者だと!? 一体どこの家の者だ」

 「ディーハルト家」

 「ディーハルトってあのディーハルトか? なぜレオ程の人間があのディーハルトなどに」

 「話せば長くなるんだけど、今の僕はレオルベンとしてディーハルトの主に仕えているから、その話を合わせてもらえると助かる」


 俺の言葉を聞いて考え込むティルハ。もしここで俺の前前世が勇者だと発覚してしまったらいろいろ面倒ごとになりそうなのでティルハの口止めが先決だ。


 まあティルハは別に悪い奴じゃないからお願いすれば大丈夫なはずだ。


 「ふむ、レオにもいろいろ事情があるのはわかった」

 「わかってくれたか」

 「だが一つだけ問いたい。レオはこの世界でも勇者になるのか?」


 ティルハがまっすぐ俺の瞳を見据える。おそらくここで適当にはぐらかしてもティルハは納得しないだろうし、何よりかつての仲間に失礼だ。だから俺は自分の本音を告げる。


 「僕はこの世界では勇者にならないよ」

 「なら何になるというのだ?」

 「ラファミル様、ディーハルト家当主ラファミル・ディーハルト様のために生きる」

 「そうか」


 どうやら納得してくれたらしい。こういうところはティルハのいいところだ。


 「なら私も決めた」

 「ん?」

 「私はレオが勇者になるように説得する」

 「はい?」

 「レオが勇者にならないというなら、私がレオをその道に戻してやる」


 自分の覚悟を告げてきたティルハ。そう言えばティルハは一度決めたことは最後までやる性格だったな……。


 こうして俺は前前世の仲間ティルハ改め、勇者科首席ティルハニアと出会ったのであった。だがこの出会いはまだ嵐の始まりでしかなかった。ちなみにこの後、ラファミル様に「随分と仲がいいのね」と言われて二日ほど距離をとられたのはまた別の話である。

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