第9話 騎士の怒り

 「はっ、これは傑作だ。あのディーハルトにまだ従者がいたとは。まさかお前も奉仕してもらってたりするのか?」


 ディーハルト家に従者がいたことに笑いが止まらないのはジョセフだけでなく、アリーナ席にいた他の上級生たちも同様だった。


 「もう一度言います。その汚い口を閉じてはいただけませんか?」

 「やだね。なぜ没落貴族の従者如きにこの騎士科首席の俺が従わなければならないんだ? もし俺を黙らせたければ力ずくでやってみるんだな」


 自分の敗北など想像もしていないのだろう。ジョセフはルイの使っていた折れた木製の剣を拾うとレオルベンに向かって放る。木製の剣はそのままレオルベンの足元に落ちると、ジョセフが言った。


 「ま、お前らみたいな雑魚がいくら頑張ろうとこの俺には勝てない。謝るなら今のうちだぜ、売女の従者さん」

 「そうですか、なら是非ともお願いしたいですね。その決闘とやらを」

 「ほう、さっきの戦いを見てまだ俺に歯向かおうと思えるのか。そこだけは評価してやるよ。でも悪いことは言わないから痛い目に合う前にやめた方が得策だと思うぜ」

 「いえ、その必要はありません」


 表情一つ変えないレオルベンだが、その瞳の奥には確かな怒りの色が見受けられる。


 「それとも、私に負けるのが怖いのですか? 騎士科の首席であるにも関わらず」

 「そこまで言うならやってやるよ。おい、誰か向こうからもう一本剣を持ってこい」


 折れた剣でなく、ちゃんとした剣でレオルベンの申し出を受けようとしたジョセフ。だがその前にレオルベンがある提案をする。


 「どうせやるのですから真剣を使いませんか?」


レオルベンの突然の申し出にジョセフも驚きを隠せない様子。真剣勝負ということは下手をすれば怪我人どころでは済まなくなる。


 「なにぃ?」

 「木製の剣でもいいですが、あなた的に真剣の方が好みかと思いまして」

 「正気か? この俺に真剣勝負を挑むなんて」

 「ええ、至って正気です。それとも真剣勝負は専門外ですか?」


レオルベンは本気だった。主を侮辱された彼は本気でジョセフを打ち負かそうとしていたのだ。


 「いいだろう。絶対泣かしてやる」

 「ぜひ、お願い致します」


 ジョセフの言葉に対して微笑みで返したレオルベンだが、もちろんその瞳は笑っていない。


 また真剣勝負が始まると聞きつけて、アリーナ席には先ほどよりもかなり多くの上級生たちの姿が見受けられた。しかもその中には勇者科の制服を着た者までいるようで、この一戦の注目度がうかがえる。


 「あのジョセフに真剣勝負を挑んだらしいぜ」

 「相手は?」

 「あのディーハルトの従者らしい」

 「へえ、まだディーハルトに従者がいたのか」

 「それに真剣勝負を言い出したのはディーハルトの方らしいぜ」

 「それは見ものだな」


 二人の戦いを今か今かと待ちわびるアリーナ席とは対照的に、新入生たちは緊張した様子だ。目の前で真剣勝負が繰り広げられるというのだから当然といえば当然なのかもしれないが。


 「おい、レオルベン。いくら何でもやりすぎだって。相手はあのジョセフだぞ」

 「マーティン、商人志望のあなたに一つ教えてあげましょう。主人を侮辱されて黙っていられる従者なんて存在しないのです」

 「で、でもよぉ……」


 レオルベンのことを心配するマーティン。けれども彼はすぐにレオルベンがいつものレオルベンじゃないことに気づく。レオルベンの表情に分かりやすい変化はなかったが、レオルベンが身に纏うオーラは禍々しさを感じさせる。


初めて見るレオルベンの姿に息を飲むマーティン。同時にマーティンはレオルベンの心配ではなく、ジョセフを心配してしまった。


そして心配してるのは他の新入生も同じようで、特に先ほどの一戦で負傷したルイが心配そうにレオルベンの方を見ている。


 「ラファミル様、勝手なことをして申し訳ありませんでした」

 「別にいいわ。それより負けたら承知しないわよ」

 「はい。このレオルベン、必ずや決闘に勝利してあの不逞な輩に謝罪させます」


主のため、レオルベンは剣を振るう。彼の表情からは確かな覚悟が感じられた。


 闘技場に真剣が持ち込まれ、各々の手に渡ると静寂がその場を包み込む。


 「ルールはいたってシンプル。相手に敗北を感じさせたほうの勝ちだ。いいな?」

 「はい。ですが一つよろしいでしょうか?」

 「なんだ」

 「私が勝利したらラファミル様に対する侮辱を謝罪することを誓ってください」

 「逆に俺が勝ったら?」

 「この私の首を差し上げます」

 「いいだろう。なら先輩として一手目はお前にやる」

 「では、お言葉に甘えさせてもらって」


 直後、地面を蹴ったレオルベンが一気に加速してジョセフに斬りかかる。ジョセフがその攻撃を剣で受け止めると、キーンという甲高い金属音が闘技場内に響いた。


 初手を防がれたレオルベンは一度ジョセフから距離をとると、今度は真剣をレイピアのようにしてジョセフのことを突こうと試みる。だがジョセフはその攻撃をいとも簡単に見切り、そのままレオルベンに向かって剣を振り下ろした。


 だがバックステップを駆使して後ろに回避したレオルベンにジョセフの攻撃は当たらない。両者の間に一定の距離がうまれると、ジョセフが非難するように言った。


 「ふざけているのか。今の攻撃はさっきの雑魚と全く同じだろ」


 ジョセフの言う通り、レオルベンの攻撃は先ほどの戦いでルイが見せた技と同じである。本当であればレオルベンは突きの最後に剣を振り上げてジョセフの左わき腹を狙うつもりだったのだが、その前にジョセフによって攻撃を阻まれてしまった。


 だがそれ以外は完全にルイの攻撃と一致していた。


 「別にふざけてはいません。ただ彼の技があなたにどれほど通用するのかを確かめてみただけです」

 「それならさっき見せたはずだが? あの雑魚の技じゃ俺には届かない」

 「それはどうでしょう」

 「その減らず口、絶対叩き潰してやる」


 今度はジョセフから仕掛けた。


 ジョセフは地面を這うようにして剣を振りながら、レオルベンの下に迫る。しかしその態勢ではレオルベンから見て右、つまりジョセフの左半身に大きな隙がうまれている。


 もし剣術に自信のある者ならその隙を逃さないだろう。実際にレオルベンもジョセフの剣が自分に届く前にがら空きの左半身を狙おうとした。だが次の瞬間、ジョセフの剣速が格段に跳ね上がり、当初の予想よりも早くレオルベンの身に届こうとした。


 突然の出来事にレオルベンは対応できず、そのまま左脇腹から右肩にかけて胴体を真っ二つにされる、はずだった。


 ジョセフの剣がレオルベンの胴体を真っ二つにする前に、レオルベンの剣がその軌道を阻む。しかし驚くべきはその止め方だろう。レオルベンは剣の柄頭でジョセフの剣を受け止めたのだ。


 「なに!?」


 思わず声をあげてしまうジョセフ。そしてその一瞬の隙が仇となる。


 レオルベンがそのまま柄頭でジョセフの剣を押し返すと、突然の出来事に対応できなかったジョセフの重心が微妙にズレてふらつく。そのふらついた隙を逃さんとばかりに、レオルベンの回し蹴りがジョセフの顔面を襲ってその身を吹き飛ばす。


 「おぉ、やるな」

 「あのジョセフの一撃を耐えるだけでなく、そのまま吹き飛ばすか」

 「この勝負、少しは面白くなってきたな」


 アリーナ席の上級生たちはレオルベンの動きを見てそんなことを言った。最初こそディーハルトの従者としてレオルベンを揶揄していた者たちの中にも、その実力に気づいたものは少なくない。


 相手は騎士科一年の首席だ。確かにその実力には目を見張るものがあるに違いない。しかしそのジョセフが相手にしているのはかつて別の世界で勇者として魔王を打ち倒した英雄の一人だ。


 そして勇者になるため、レオは血反吐を履くような研鑽を積み、その努力を糧に魔王から世界を救った。勇者レオにしてみればジョセフなど取るに足らない相手といっても過言ではないのだ。けれどもアリーナ席の上級生たちの中ではまだジョセフの方が優勢と考えている方が多数派らしい。


 当の蹴り飛ばされたジョセフは地面に打ち付けられた際に唇を切ったらしく、血をぬぐいながらレオルベンのことを睨んでいる。その瞳は先ほどのルイとの一戦では見られなかったものだ。


 「没落貴族の従者にしては意外とやるみたいだな」

 「かく言うあなたは騎士科首席にしては残念な技量です。これで勇者科に一番近い男と言われているのだから片腹痛い」

 「なんだと……。ちょっと攻撃が通ったからって調子に乗るなよ」


 思いっきり地面を蹴り、一気にレオルベンに迫るジョセフ。その速度は先ほどよりも明らかに早く、本当に生身の人間が出せる速度なのかと疑いたくなるほどだ。


 けれどもレオルベンに動揺した様子はない。迫りくるジョセフの剣を自らの剣で受け流すと、今度はジョセフの背中を軽く押す。不意に背中を押されたジョセフはその場でバランスを崩して倒れ込んでしまい、無様な姿を衆人にさらす。


 「確かにあなたの実力は騎士科一年の中で一番かもしれない。でも剣術だけならまだまだです」

 「てめぇ、まさか……」

 「ええ、気づいています。あなたが身体強化の魔術を使って自らの運動能力を底上げしていることも」


 自らの切り札を言い当てられて何も言い返せないジョセフ。彼にできたのはただレオルベンのことを睨むだけだった。


 「あなたの身体強化はかなりのものです。現にこうして騎士科一年の中でも優れた成績を残しているのが何よりの証拠です。けれども、それだけで上に行けるほどこの世界は甘くない。もしあなたが本当に勇者になりたいのなら剣術も磨かないとこの先に未来はありません」

 「黙って聞いていれば……」


 立ち上がったジョセフが再び剣を構えるのを見て、レオルベンが呆れたようにつぶやく。


 「まだわからないのですか? 剣術の腕だけで言えばあなたは先ほどのルイさんにも劣ります。騎士科首席を自負したいならその剣術を磨いて出直すことです。それに真の実力者なら生身でこの領域に達します」

 「調子に乗るなよ、小僧が。身体強化全快!」


 直後、剣を構えるジョセフの全身に変化が生じる。制服の上からでもわかる盛り上がった筋肉に彼を包み込む空気も一変している。どうやらその姿がジョセフの本気らしい。


 若干十六歳にしてこれほどの身体強化を手に入れたのなら他に敵がいないと思ってしまうのも無理はないだろう。ただそれだけで自分の一番と勘違いしてしまったのが彼の敗因だ。


 目にもとまらぬ速さでレオルベンに迫るジョセフの刃は亜音速に到達しようかというくらいの速度だった。おそらくその場にいたほとんどの学生はジョセフの剣筋を視認することさえかなわなかっただろう。


 だがレオルベンの眼にはその剣筋がしっかりと見えていた。


 両手で剣を握り直し、ジョセフの一閃を受け止めたレオルベンはそのまま力で押し返す。まさか押し返されると思っていなかったジョセフはその場に尻もちをついてしまった。


 何が起きたのかわからないというのが周囲の反応だが、当人であるジョセフにはレオルベンが何をしたのか理解していた。


 「まさかお前も身体強化を……?」

 「言ったでしょう。勇者には剣術と身体強化の両方が必要だと」


 茫然とするジョセフの首筋に剣を突き付けるレオルベン。その瞳はとても冷たくはかなげだ。


「ヒッ、ヒィィィィィ」


ジョセフは尻もちをついたまま、レオルベンの瞳に恐怖を覚える。もしジョセフに実戦経験があれば、その恐怖がレオルベンによる殺気だとわかっただろうが、彼にはその経験がなかった。


だからジョセフはなぜ自分の身体が震えているのか分からなかった。


 「さて、負けを認めてくれますね」


 もうジョセフの敗北は決定的だ。ここからジョセフが逆転することは万に一つもない。ジョセフに残された道は素直にラファミルに無礼を謝罪するか、このままレオルベンに首を斬られるかの二択。当然ジョセフに後者を選ぶ勇気はなく……


 「お、覚えてろ! お前だけは絶対に許さないからな!」


 そのまま後退りしながら立ち上がると、ラファミルに謝罪もせずにどこかへと走り去ってしまった。ただその光景はあまりに無様でとても騎士科一年首席の立ち振る舞いとは思えなかった。


 主に無礼を働いたのに謝罪しなかったジョセフを当然レオルベンが許すはずがない。彼は剣を片手に殺気を纏ってジョセフを追いかけようとした。しかしその前に一つの人影がレオルベンの追跡を阻む。


 「レオ! レオじゃないか!」


 突然そんな声がしたかと思えば、レオルベンの前に金髪の少女が飛び降りてきたのだった。

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