第12話 革命

 「だよね」


 そう言って笑った彼女の乾いた声は、亜熱帯の優しい風の中に消えていく。ハンナだって、この現状を非道いと思っていることはスズにも理解できた。南国の出身と言っていた。奴隷の畑みたいな国で生まれたのだ。だから、きっと彼女はこんな光景を何度も何度も見てきて、何度も何度も恐怖し、驚き、安堵してきた。そして、彼女は砂のように無機質に笑ったのだ。


「ほら、おいてかれる」


「うん」グラスゴゥ達は既に中心街を抜け、路地に入ろうとしていた。スズとハンナはそれを追いかける。「そういえば、ハンナは場所知らないの?」


「毎回違うんだよね。訊いてみよ」皆の元に駆け寄ると、ハンナがグラスゴゥにアジトの場所を尋ねる。


「もう着いた」そう言って老齢の小人ドワーフは店の扉を開ける。スズは喫茶店のような印象を受けた。路地を入ってすぐの場所で、小さな看板をドアに掲げて、ひっそりと佇んでおり、あまり人が入っているようには思えない。


 チリンチリンと鈴が鳴る。グラスゴゥに続いてスズ達も店に入ると、部屋の奥から店主と思しき人が出てきた。


「いらっしゃい。グラスゴゥ」と柔らかい口調で歓迎の挨拶をしたのは首から上がトカゲみたいな亜人。マルコは彼らを「竜人リザードマン」と呼んでいた。「ハンナ、ルカ、マルコ。おひさしぶりです。また仲間が増えたそうですね。」


 声調からすると女性だろうか。彼女(彼?)は白いコックコートのような服を着ていることから、ここは喫茶店というより、食堂のような店なのだろう。スズは初めて間近で見る竜人リザードマンの姿に少々戸惑いながら、失礼があってはいけないと平静を努めた。


 マルコが社交辞令のような挨拶を済ませたところで、「イグァ。下で良かったよな?」とグラスゴゥが竜人リザードマンに尋ねる。


「ええ。もう準備は出来ています」と竜人リザードマンが答えると、小人ドワーフはズカズカと厨房の奥へと入っていく。厨房の中には他に竜人リザードマンが2人おり、なにやら料理の仕込みをしていた。グラスゴゥは大きな声で「店番、よろしく頼むぞ」と言うと、勝手口を開ける。


 その勝手口は外に繋がっているのではなかった。ドアの向こうには階段あり、グラスゴゥはツカツカと階段を下っていく。


「さ、私達も行きましょうか」イグァと呼ばれた竜人リザードマンは店の玄関扉を閉めると、スズ達を地下へと案内する。


 一行は長い長い階段を下る。大江戸線より深いんじゃないかとスズは思った。「ここはかつて戦争があった際に、亜人が掘った洞窟に繋がっているんです」とイグァが手に持った蝋燭の火を揺らしながら語る。「まあ、使われることはありませんでしたがね。でも、そのおかげで、こうして今、使えているんです」


 階段を降りた先は、高校の教室ほどの広さの部屋に繋がっていた。日の届かない地下であるが、四隅に置かれた松明のおかげでそこそこの明るさが保たれている。木製の大型テーブルが雑に置かれており、そこには既にグラスゴゥと他2人の亜人が座っていた。


「おいおい、随分待ったぞ」彫りの深い強面の男が、ドスの利いた口調でグラスゴゥに話しかける。彼はハンナと同じ様に、ボサボサの髪の毛から獣の耳を生やしている。


「……予定ピッタシ。お前がせっかちすぎるだけだ」


「ジブの奴、僕が来る前からいたんだ。ずっと暗いところにいるから時間感覚が狂ってんだよ」そう言って横から獣人の男を茶化しているのは、端から見れば普通の美青年だった。その瞳は薄暗い部屋の中で深い藍色に輝いており、金色の髪が松明の明かりを受けて柔らかく光っている。


「っけ」獣人の男は少し視線を上に向けたかと思えば、バツが悪そうに続ける。「ま、いいや。ルフスの坊っちゃんは居んだろ?」


「はい。ご無沙汰しておりますジブ、スクルド」竜人リザードマンの影に隠れていたマルコがテーブルの前に進み、亜人達に会釈をした。


「やぁやぁ。いいっていいって。そんな挨拶よりもさ、聞きたいことが山ほどあるんだから」スクルドと呼ばれた美青年が、頬を付きながらにこやかに笑う。「そういや、宮殿、襲撃受けたってホント?」


 マルコは額に汗を滲ませる。「はは……流石、速いですね。それにしても筒抜けですか」


「いやいや、情報は鮮度が命だからね。……ホントなんだね?」スクルドは碧眼を光らせる。顔は依然としてにこやかだが、眼は全く笑っていない。


 マルコがコクリと静かにうなずくと、ジブはわざとらしく溜息を吐く。「……はぁ。こっちの大将の片割れが何やってんだか。警備はどうした?護衛は?被害は?」


 これに対して回答を出したのは、マルコではなくルカだった。「警備のスキを突かれて賊に侵入された。新型の魔法。護衛役は一名を除き外出中。被害は使用人・警備兵があわせて数十名と蔵書数百点」淡々と説明する彼女に対し、グラスゴゥが手を挙げる。「ルカ、賊は帝国の手先か?」


「サンカ駐留の帝国軍、いきすぎた愛国主義者。帝国側からしても異端派セクト。気にすることはないと思う」


「それにしても、たった数人の賊に良いようにやられたね。……どうするの?たとえ異端派だとしても、後の作戦が帝国にバレたかもしれないんだ」スクルドは静かに怒っているが、ルカはそんな彼の顔を見ても、調子を全く変えずに答える。「それについてだけど。こちらも少々、事情が変わったの」


「はぁ!?この後に及んでか?」獣人は突然の知らせに驚いて立ち上がる。「大丈夫、解放軍の動きは変わらない」とマルコが彼を落ち着かせる。「しかし、西伐遠征へと帝国軍主力が発つ当日、僕たちと北国騎士団は帝都に総攻撃を仕掛ける。」


 そう言って、マルコは作戦の詳細を語った。帝国の主力が西へと進軍し全隊が帝都を出たところで、帝国軍の行軍に紛れ込ませておいた爆弾を起爆。被害自体は大きくなくとも、大きな動揺を誘うことができる。


 また、それを合図に帝国軍の先を征くノヴの軍が踵返しで帝国軍を奇襲、そのまま帝都へ進軍する。それと同時に、帝都内でも奴隷として潜入している反政府軍が帝都の政府機関を襲撃する(こちらは元々の作戦にも組み込まれていた)。マルコ達は作戦の要となるルカを防衛しつつ、解放軍に合流し遊撃を行う。


 帝国側もこれだけで倒せる程ヤワではないが、かなりのダメージを与えることはできるだろう。


「……」「……」「……まぁ、なんだ……随分と、素直になったと言うか……」亜人達の顔が、マルコの話を聞いていくうちに、不安を通り越して唖然とした表情に変わった。何を言っているのか、理解が追いつかないようだ。


「東でいい武器が手に入ってね。持っている力が強い程、物事はカンタンになる」


「な……馬鹿なことは思いつくだけにしときなよ……」スクルドは絶句する。たとえ、力を持っていたとしても、ただ力任せに振るっていては戦には勝てない。それは、亜人全体が「大戦争」の時に味わった事実だからだ。


「……ぷ!アッハッハ!たしかに馬鹿だ!馬鹿みてぇな作戦だ!」ジブは突然吹き出したかと思えば、その笑い声が地下に反響する。「いいぜ!オレはその作戦好きだ!」


「ジブ!?何を?」


「獣人は妖精エルフと違って細けぇのは苦手なんだよ!なあグラスゴゥ!小人ドワーフも似たようなもんだろ!?」獣人は隣に座る小人ドワーフの背中を何度も強く叩いて同意を求める。「一緒にするな。俺たちは矜持をもっとる」


「で、その矜持とやらは、帝国にへし折られてんじゃねぇか!はっは!」


 ジブがグラスゴゥを煽る。解放軍といっても一枚岩ではなく、急進派や穏健派といった派閥は勿論存在する。そして今、この場にいるのはジブを除いて全員穏健派であった。グラスゴゥは北国との連帯にさえ不満をもつ小人ドワーフ達を抑える為、自らパイプ役を買って出ており、解放軍・北国・小人ドワーフの意見のバランスを取る調停者でもあった。


 ジブはそんなグラスゴゥにすこし苛立ちを覚えていた。確かに、小人ドワーフの数と技術力などは解放軍にとって頼もしい限りだ。しかし、それは敵対した時に驚異へと変わる。また、グラスゴゥは解放軍と北国の間を取り持っているが、小人ドワーフを贔屓してやいないか?そういった疑念を抱いていた。


 異種による集団内で、自分のグループに利益誘導が行われるのは世の常であるからだ。しかし確証は無く、ただそうかもしれないという「苛立ち」だけが彼の中にあった。また、小人ドワーフは獣人やエルフと違って「肥え土デルタ」生まれの種族ではないことがその感情に拍車をかけている。


 グラスゴゥは黙ってジブを横目で睨みつける。


「よしてください。ここは争う場ではありません」とイグァが2人の間に割って入るが、ジブは止まらない。「竜人リザードマンはどうなんだ?実際、ガス抜きだって必要だろ?こっちは限界だぜ」


「……」「……」


 地下が沈黙に包まれる。竜人リザードマン妖精エルフも既に帝国に対する不平不満はピークに達している。「マルコ。シモンは、レオンは、その作戦が成功すると思っているのか?」グラスゴゥはゆっくりと口を開く。「ええ、勿論。僕らとしても、皇帝の顔面を思いっきり殴ってやりたいくらいなんでね」


「……くっそ!あんの戦闘狂が!新しい武器が手に入ったからって!」とグラスゴゥは机を握りこぶしで強く叩いた。


「はっはっ!あの陰険ジジィが乗り気なら気楽なもんだ!……派手で分かりやすくて丁度良いじゃねぇか。ひっくり返してやろうぜ、帝国をよ!」静かな地下室の中で、ジブだけテンションが上って、嬉々として両手を広げる。


 その時だった。


「ダメよ。そんなことしちゃ」


 地下室にいる全員が、その聞いたことのない声の出処である入り口に注目する。


 しかし、スズとマルコはその声に聞き覚えがあった。


 艶やかでわざとらしい女言葉。


「帝国を変えるのは、東国よ」


 東国で殺したはずの騎士・ミシェルがそこにいた。

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