第10話 新しい家

 じっとりと暑い季節になると、あの日の朝を思い出す。


 体が突然震えた。発作のような恐怖に襲われ、その後は、さらに耳が聞こえなくなったような気がして不安になった。それでもなんとか学校へ向かった。休むことはしない。山森さんが通えなかった中学へ、僕は無気力で通っていた。

 

 あの朝、ほんの数メートル歩いている位置が違ったら、通学団の出発時刻がもう少し早かったら、僕がもっと体が丈夫で活発な人気者だったら、死んでいたのは僕だったのかもしれない。そんな訳の分からない思考が頭の中を巡るのは、僕がまだ生ぬるい体温をこの体に保っているからだ。

 

 さっきまで動いていた人が、急に動かなくなるという事を、これ以上考えられないというくらいに考えた。考えれば、そうすれば、失った命が再生されるのではないかと思えた。ひどく麻痺していた。

 車の下で横たわっていた山森さんの姿を忘れられない。あの時、山森さんはまだ生きていたのだろうか。命が消える瞬間に、何を思ったのだろう。それとも、そんな事を思う間もなく、心臓は止まったのだろうか。脳の機能は停止し、意識は消え去っていたのだろうか。僕は、その時の山森さんを思い出しては、この世のどこかにあるかもしれない尊い救いのような答えを探した。


 山森さんの家は、僕の家から数軒離れた場所にあって、回覧板も同じものを回す程に近かった。

 梅雨が入り夏が終わる頃、山森さんの家は全てが取り壊された。あっという間だった。土だけになったその場所は数時間で何もなくなった。しばらくその状態が続いたから、もうずっと何もないままなのかもしれないと思った。山森さんが居なくなったから家も無くなった。きっと僕だけがそんな事を思っていたのだろう。


【建て替えるんだって。どんな家が建つのかしらね。いいわね、新しい家なんて】

 母はつまらなさそうにメモを見せてきた。僕は、小さくうなずいて見せた。

 

 しばらくして、山森さんの家は無事に建て終えられた。

 赤い三角屋根が並ぶ住宅街の中で瓦のない現代的な建物はよく目立った。家の壁が薄い黄色で、どこかの外国を思わせる大きな玄関扉が印象的。その扉の前には、鉄格子のような扉が付いていて二重になっていた。

 日本家屋で言えば門のようなものになるのだろうか、見慣れない厳重さが衝撃的だった。僕は何度か山森さんの家の前を通り、それまでの家を思い出しては、山森さんの何かが転がってはいないかと探してみたりした。

 

 僕は山森さんを勝手に憐れんでいた。何もかもが新しくなり、山森さんの知っている物はどんどんと無くなる。そして知らない事の方が圧倒的に増えていくのだ。そんな世界に僕は生きていて山森さんの知らない事は全て知っている。。

 

 その後も、威風堂々と生まれ変わった家を見る度に山森さんを思った。山森さんはあの大きな扉を開閉する事は出来ない。山森さんが存在していた家は跡形もなくなってしまった。山森さんの持ち物はどこへ行ったのだろう。あの家にあった山森さんの居場所と同じ空間は新しい家の中にはあるのだろうか。僕の記憶している山森さんの家は、妙な美しさに包まれていた。


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