ヤザキとカナコ

クラン

本文

 カナコは弱い人間だった。


 何事もやり遂げたことがない、意志薄弱な愚か者。自分自身をそう評していた。幼い頃から人と接するのが苦手で、事あるごとに赤面し、動悸で胸が痛くなる。手足の震えは無いものの、頭がガチガチに固まってしまう。ひとりきりになって緊張がけたときに初めて首から肩にかけての重苦しいりを自覚するくらいには、鈍感だった。


 そんなカナコに対しても、社会の波は平等に押し寄せる。


 世の中のおよそ全ての仕事は対人関係を必要とする。対面で、あるいは電子越しに関係を持たなければならない以上、変に突っ張って排他的になることも、俯いて何も見ないふりをする態度も失策でしかない。カナコは臆病さから他人をけながら、内心で「みんなクダラナイんだ」とうそぶいてふにゃふにゃな精神をなんとか支えてきたのだ。「私は街の端っこで誰とも関わらずに水彩画でも描いて生きていくんだ」と思い続けて十年弱、就職という文字が脳を焦がす大学四年次のなかばに、ようやく前述の未来予想図が小学校低学年の男子が描いた落書きと何ら変わらないぐらいには稚拙な空想だと気がついた。が、時間というものは容赦の無い取立人である。カナコが自分自身の猶予の無さを悟ると同時に、彼女のふにゃふにゃな精神はいとも容易く方向性も自尊心も見失ってしまった。意志とは何ぞや、という状態である。あるのは労働への闇雲な焦りのみ。就職か、風俗か、というあまりにも極端で単純な二項しか見えなくなった彼女は、己の適性も忘れて飲食の道へと進んだのである。就職し易いという噂を鵜呑みにし、数社ほど面接を受け、結果としてフランチャイズの契約社員に収まることを良しとしたのであった。


 三ヶ月。この数字が彼女の忍耐と臆病さと薄弱な意志の表れである。三日で辞めたくなったくせに周囲の人間のことを恐れるあまり何も言い出せず、ある日、堪らなくなって今までのあれやこれやを書面にして店舗に送付して「サヨウナラ」という顛末である。しかしながら彼女はカワイソウな人間なのである。三ヶ月目にして出勤前に涙がどうにも止められなくなってしまい、そのまま携帯電話の電源を切り、何も食べず一日を過ごしたのちの「サヨウナラ」なのである。自業自得のそしりはまぬかれないが、だからといって彼女の辛さや痛みが偽物とはならない。


 次は二ヶ月だった。第二新卒、というブロンズ切符を使用してまで選んだのがラインこうである。彼女が語るところによると「丸一日、シマシマが焼き付く前のメロンパンを眺めている仕事」である。幸いにして椅子に座りながらの勤務ではあったが、二ヶ月後にはまたしても涙の朝を迎えた。人間のやる仕事ではない、との結論を得た彼女は飲食のときと同じように去っていった。今度は二ヶ月、というところに彼女の進歩を見るか後退を見るかは意見の分かれるところだろう。


 その後、ひと月の空白期間を彼女は過ごす。自宅でミノムシのように生きた一ヶ月間のことは、あまりに不毛なので割愛する。無趣味ゆえに貯まったいくばくかの貯金で過ごした無為な期間である。


 次の仕事は二週間で煙のように「サヨウナラ」である。派遣で飛ばされたコールセンターの研修中のことだった。


 電話口でも笑顔であることに加え、爽やか且つ親切であれ、という要求は彼女にとってとてつもなく高いハードルであり非人間じみた脅迫のようにしか思えなかった。研修期間中、実際に客と会話し、初歩的な情報整理のみを行う段になって、運の悪いことに濃厚なクレーマーを引き、しどろもどろになったあげくその場でぽろぽろ泣いてしまった。これが二週間目の出来事である。


 このような経緯を辿ってしまった原因は、意志の弱さ、あるいは自己分析の不足によるものであろう。誤った道を歩んだのなら後悔と反省のうえで策を練らねばならぬ。彼女の場合「運が悪かった」か「働くこと自体に適正が無い」という上目遣いな結論で流してしまう。


 意志薄弱な愚か者。そう評する彼女自身の言葉は実に的確である。そこに二重の鋭さを見るのは不自然だろうか。悪い意味で、自己評価の眼差しの鋭さ。そうして、自身に向けた卑下の言葉はさながら包丁のごとく精神を裂いていくように見える。


 カワイソウな人間。


 それを愛したり憎んだりするのは、きっと素敵なことだと信じている。



 ◆◆◆◆



 ヤザキは大馬鹿者だ。と思う。


 私よりもずっとずっと良い大学を卒業したにもかかわらず半年間親元でボンヤリと過ごしたくせに、ニートに飽きたとかいう理由で上京してプログラミングの会社に就職した男だ。リナックスとかいう薬の名前みたいなものをいじくってソコソコ良い年収を叩き出していたのに、これまた「飽きた」という取りつく島もない理由で辞めてしまった。一年半も働いたのは偉いと思うけど、次の職場がコールセンターなんかじゃツマラナイでしょうよ。しかも「座っておしゃべりしながら金を貰えるなんて楽だろう」と言ってはばからない。しかも派遣。私が言えたことじゃないけれど、もう少し未来指向で生きてほしい。髪型自由だからといってピンクのロン毛はナシでしょ。


 ジーンズは絶対に洗わない主義、とかいう面倒臭さの取り繕いも腹が立つ。けれど、出不精なところは嫌いじゃない。私もその方が楽だから。



 ◆◆◆◆



 薬を呑んで、それでも苦しいときは相手の小指を掴む。可愛らしくないくらい力を込めて。


 このルールをキッチリ作ったのはヤザキだけれど、きっかけを与えたのは私だ。コールセンターでの客対応の時にたまたま私の横で指導役をしてくれたのがヤザキだった。クレームで頭がぐちゃぐちゃになって泣いた私は、なんでか分からないけれどヤザキの小指を握りしめていたらしい。らしい、というのは私自身に覚えがなくて、後でヤザキから聞かされたからだ。握ったのも、それをほどいたのも覚えていないくらいのパニックだったのだろう。


 私と同じ研修生から私の連絡先を聞き出したヤザキは、なかば強引なやり方で、私をお見舞いと称するデートに連れ出した。そのとき見せつけられたのが小指の包帯と診断書だった。なんでも、骨にヒビが入っていたらしい。私はそのとき、不謹慎なことだが吹き出してしまった。パニックになった自分も、それでヒビが入るくらいに軟弱なヤザキの骨も、なんだか無性に可笑おかしかった。多分、私はそのときは嫌なモノから離れることができた解放感でいっぱいだったんだろう。後々記憶がぼんやり蘇って吐いたりすることになるのだけれど。


 結果としてヤザキは何故か私という人間を気に入ったらしく、その場で交際を申し込まれた。私は私で、快諾したのである。多分、ひと山越えた後の解放感による倒錯だったのだ。私は何事も、考えずに決めた挙句に失敗するタイプの人間だ。山ほど後悔しながらもナアナアで付き合い続けているのは忍耐なのか、諦めなのか、自分でもハッキリしない。物事がハッキリ見通せたことなんてほとんどないけど。


 指が完治した頃に、ヤザキはルールを決めた。辛いときは小指を握ること。なんて人を小馬鹿にした決まりだろうと思ったものの、寡黙な私にとってそのルールは割とアリガタイものだということに徐々に気付いていった。口に出さず、ただ握りしめる。簡単で確実な意思表示。ただ、それで何か具体的な行為が返ってくるわけではなかった。握られたヤザキは黙って私を一瞥する。


 ただそれだけ。


 いつもそれだけ。


 それだけのことでも、私はきっと救われている。苦しい気持ちが伝わるただ一つの確実な方法。涙を見せることも、喚くことも、ましてや面倒な言葉をつらつらと並べ立てる必要もない。私にとってそれは何よりも楽だった。


 ごくたまに、ヤザキも私の小指を握る。容赦ないくらいの力を込めて。


 そういえば一度だけヤザキが弱音を吐いたことがあった。


 いわく「一日ごとに自分が空っぽになっていく感じがする」。それ以上は何も言わなかった。私と付き合っていることに対してなのか、コールセンターで働いていることに対してなのかは分からない。けれどそのときのヤザキの拗ねたような表情と、握られた小指の痛みは鮮明に覚えている。



 ◆◆◆◆



 独りぼっちで人波に紛れると、なんだか凄く脱力する。


 その日はカナコと夏祭りに来ていた。日が暮れて、宵と言っていいくらい暗くなった頃に二人でり出したのだが、手を繋ぐ習慣も目くばせをする習慣もない僕たちはすぐ離れ離れになってしまった。


 カナコの姿を探しつつ、いつはぐれたのだろうか、なんて考えていると不意に今の状況が妙な具合に頭を惑わすのだ。「あ、僕は独りだ」と思ったときには既に力が抜けて、顔の表情が薄く薄くなっていくのを感じた。前後左右を行き交う人の流れのなかで、僕は徐々に冷めていく。喧騒がフェードアウトしていく。クレーマーの怒鳴り声を聴いているときに似た感覚。あるいは、薬を呑むカナコを眺めているときの詰まらなさ。


 そうだ、と思うと同時に祭りのざわめきが耳に戻る。ここにはカナコがいるんだ。だからといって独りぼっちじゃないとはいえないし、ましてやこの空虚さが埋められるとは思わないけど、確実に存在する憂鬱で愛おしい存在は、僕の心を抉り、何かを目の前に見せつけてくれる予感がある。


 例えば、僕のなかば折れた小指を見て笑ったとき。カナコの笑い声とその表情に僕は何かを突きつけられたように感じたのだ。僕の内部に残っていた何かよく分からないものを。


 愛じゃない。憎らしさでもない。愉しくもないし、かといって哀しいわけでもない。それらの感情をひと掬いずつ器に注いで掻き混ぜてしまったような、名前の付けられない何か。それでも、そんなものでも、僕のなかに何かが残っているという証明にはなるのだろう。


 おそらくは依存しつつあるのだろう。カナコに。


 喧騒のなか、身体がぶつかるのも構わずに僕は周囲をぐるりぐるりと見回した。どこを向いても人がいる。99%の無意味な物事と、ほんの僅かな宝物。僕はセンチメンタルな奴ではない。よわっちいのはカナコだけでたくさんだ。


 笑いながら過ぎる人々の姿が、提灯の赤と混ざって滲んだ。



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