第25話 制裁

 放課後になると、俺は職員室に向かった。ほとんどの教師は部活動のため出払っており、青野も例外ではなかった。


 俺は青野の机に近づいていった。すると、生徒指導の教師が言った。

「どうしたんだ、夢野」

「青野先生に、忘れ物をしたから職員室まで取りに行ってくれないかと言われましてね」

「そうなのか」


 そこで生徒が訪ねて来たので、生徒指導の教師はそれの対応を始めた。


 俺は青野の机にやってくると、三角定規を探し出した。教科書やノートをどけてみると、そこに三角定規はあった。

 手に取り見てみる。青いケースには『教員用』とテープが貼られていた。プラスチックの三角定規をケースから出してみると、そこにも『教員用』と書かれたテープが貼られている。


 机の電灯をつけ、尖端をそれに近づけてみる。少しだけだが、尖端はへこみ曲がっていた。紙ヤスリかなにかで直したらしき痕跡が見受けられた。

 ケースの中を電灯で照らし確認してみる。よくよく見てみると、奥の方に小さな赤黒い斑点がついていた。すでに乾いており、表面がカサカサしている。

 俺はにやりと笑った。まぎれもなくこれは血だ。

 こうして証拠を残しておいてくれるとは。嬉しい限りである。青野には感謝してもしきれない。


 三角定規をケースに戻しそれを持つと、職員室を出ようとした。そこで、生徒指導の教師は言った。


「お目当てのものはあったのか?」

「ええ、ありました」と俺は言った。「それで先生、お願いがあるんですが、放送で青野先生に生徒相談室まで来てもらうように伝えて頂いてもいいですか?」

「ああ、わかった。伝えておく」

「お願いします」


 俺は職員室を出ていった。その存在を確かめるように、ぎゅっとケースを掴んでいた。




 俺は相談室のデスクに深々と座り、エラリー・クイーンのエジプト十字架の秘密を読んでいた。

 今日は吹奏楽部の演奏は聞こえなかったが、運動部は相変わらず声を張り上げていた。

 俺はそれを聞きながら、缶コーヒーを飲んだ。


 扉の外から、どしどしと足音が聞こえたかと思うと、扉が勢い良く開いた。

 考えなくても解る。青野だ。俺は本とコーヒーを置き、青野を見た。

 青野は顔をほころばせ、駆け足でこちらに向かってきた。向かう先が希望であると思っているらしい。まったくの逆であるというのに。


「頼んでいた問題は片付いたのか!?」と青野は嬉嬉として言った。

「もう片づいたも同然です」と俺は言った。

「そ、そうか! なら──」

「その前に訊ねたいことがあるんです」と俺は青野の言葉を遮り言った。


「訊ねたいこと?」

「先生は、本当にさくらが不登校になった原因を知らないんですか?」

「だから、確かなことは言えないって……」

「確かじゃなくてもいい。先生が思う理由を言ってください」

「ああ……、わかった。たぶん、猫の死体を見たのがショックで……」

「いや、それだけじゃないんです。そのあと、犯人に仕立て上げられたんです」


「えっ!」と青野は驚きの声を上げた。まさか本当に知らなかったとは。


「だから事件を解決し、さくらの身の潔白を証明すれば、また学校に来られるというわけです。俺はここ数日、事件の捜査をしていました」

「ええ!」と青野はまたしても驚きの声を上げた。

「そこで、俺は犯人が誰であるか特定しました。犯人はあなただ、青野先生。証拠もある」

「な、なにを……」

 青野は目を泳がし言った。心臓の音は聞こえないが、きっと握り潰したくなるほどうるさくなっているに違いない。


 引き出しから三角定規を取り出すと、机にほうった。


「凶器はこいつだ」俺は足を組むと、両手を肘掛に乗せた。眉根をひそめ、ゆっくりと首を振った。「いやはや、ずいぶんと惨いことをしますね」

「なにを馬鹿なことを言ってるんだい……ぼくはなにも……」

「いいでしょう。あなたがやったことは知っているんだ」


 俺はすべてを説明した。火曜日のあの時間に渡り廊下を通ること、チャイムのこと、凶器のこと、返り血のこと。

 青野はなにやら弁明をしていたが、舌がもつれてなにを言っているか解らなかった。これなら弁明しないほうがまだましだ。犯人であると言っているようなものである。


「あなたには動機もある。あの猫の飼い主のおばあさんのところへ、謝りに行ったことがあるらしいですね。その時、口汚く罵られたのでしょう、有名なクレーマーですし。怨みがあるのも解る」

「ぼ、ぼくは……」青野は下を向き、汗を流していた。

「このケースを調べれば解ることですよ。勝負に出ますか?」

「それは……」

 俺はそこで、“アメ”を投げかけることにした。

「まあ、あなたも気持ちも解らんでもないんだ。同情しますよ」

「えっ」


 青野は顔を上げた。俺は組んだ足をほどき、前のめりになると微笑み、

「ストレスが溜まっていたんでしょう? わかります、わかります」

 突然の俺の変化に、青野は困惑した表情を見せた。状況を飲み込めていないようだった。なら、飲み込ませるだけだ。


「まあ、先生そう固くならないで。実はね、先生に提案があるんですよ」

「提案……?」

「なに、簡単なことです。俺は内申が大好きでしてね。推薦で大学を狙っているんです。だから、この委員にも入ってるんですよ。そこで先生には、内申を少しばかり弄ってもらいたいんです。他の先生にも根回ししてもらってですね、俺の評価を上げて欲しいんですよ」

「取り引きということか……」

 俺はなにも言わず笑顔を作った。


「なるほど、大学のため、か……」と青野は言った。まだ体は固かったが、表情が和らいでいくのがわかった。「も、もう、びっくりさせないでくれよ……」

「じゃあ承諾してくれるということですね」

「ああ、そうするよ」

「良かった」俺はにっこりと笑った。「では、やはり猫をやったのは……」

 青野は照れたように頭をかき、

「実は僕なんだよ。君が言ったように、怨みがあったからね」

 俺は笑顔を消しため息をついた。「──やはりあんたか」足を組み直し、背もたれに力を預けた。「おかげで証言を得れましたよ」

「え……?」青野は半笑い浮かべていた。意味が解っていないようだった。

「言った通りですよ、犯人から証言を得たと。この会話は、スマートフォンで録音させてもらっているので」俺はもう一度ため息をつき、頭をゆるりと振った。「馬鹿な芝居はもうこりごりだ」

「な、内申っていうのは……」

「嘘ですよ。そんなものはいりません。尋問でアメを与えるのは定石でしょうに。そもそもあなたはこれから消えるんだから、頼んでも意味がない」

「な……な……」

 青野はもう一度、表情を絶望に染めた。

 酔っぱらのようにふらふらとし、崩れ落ちそうになっていた。頭の中が真っ白になっているのだろう。俺は思わず笑った。


「俺は、依頼者に忠実なんです。これでさくらはもう一度学校に来れるでしょう? あなたが依頼した通りだ」

「ふ、ふざけやがって……」

 青野は歯をむき出し、俺を睨みつけてきた。俺は楽しくて楽しくて仕方がなかった。


「しかし、馬鹿な依頼者だよ、あんたは。さくらが不登校になった原因を、もっと考えてやるべきだったな。あんたのクラスの話だぞ? それさえ知っていれば、こんなことにならなかったのに、いやはや」俺は肩をすくめ、笑った。「馬鹿なやつだよ」

「このガキがあー!」


 青野は血走った目で睨みつけながら、デスクに回り込んできた。俺は机に置いてあったボールペンを左手に隠し持ち立ち上がった。

 右手をいっぱいに引き、青野は拳を振りかざしてきた。俺をそれと合わせるように、ボールペンを青野の二の腕に突き刺した。ブチッという音がした。俺の手には奴の肉を抉った感触があった。


 青野は叫び声を上げ、右の二の腕に手をやりよろよろと後退した。その場にしゃがみ込むと、目に涙を溜め痛みに喘いでいた。


 俺は手に持っているボールペンを見た。先端は青野の汚い血で赤くなっている。ゴミ箱にほうった。もう使えない。


「地味な見た目のわりには痛いでしょう」と俺は言った。

 青野は顔を上げた。怯えた表情をしていた。まるで悪魔でも見ているかのようだった。失礼な話ではあるが。

 俺は椅子に座ると、青野の方へ向いた。片手を机に乗せ、とんとんと人差し指でリズムを取った。そしてそれに飽きると、コーヒーに手をつけた。

 青野はまだ二の腕に手をやり、まるで俺に訴えかけるようにうめき声を上げていた。聞くに絶えなかった。


 俺はコーヒーを飲むと言った。「あなたが猫にしたことを思えば、そんなの可愛いものだ。どうします、俺の親にでも言いつけますか?」

「く、くそう……」

「ほう、まだ威勢があるのか?」

「うっ……」

 青野は目を逸らし、下唇を噛んだ。


「なんにしても、あんたは終わりだよ」俺は膝頭にひじを乗せると、前のめりになった。「だが依頼してくれて良かったよ。これで哀れな少女の身の潔白が証明されたのだから。感謝してますよ」

「う、うう……」

 青野はぎゅっと目を瞑り、乙女のように数滴の涙を落とした。こんなにも腹の底から笑えてくる涙は初めてだった。


「あんたは消えろ、外道が」

 俺は立ち上がると、青野の横を通り過ぎ、扉に向かった。後ろからは汚いすすり泣きが聞こえていた。今こそ運動部の掛け声でかき消してもらいたかった。


 俺は部屋を出ると、校長室に向かった。さすがに、廊下まではやつの泣き声は聞こえなかった。

 窓に目をやってみると、夕陽は赤々と燃えていた。今日という日の終わりを、告げている。

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