第24話 犯人特定

 翌日、金曜日。

 一限目が終わり休み時間になると、俺はもう一度、第二渡り廊下へ向かった。動機を得た今、なにか思いつくことがあるかも知れない。


 昨日は北川のことで頭がいっぱいで考える余裕はなかったが、一度そのことを忘れて考えてみようと思った。

 渡り廊下まで来ると、俺はあたりを見渡した。

 別段、特出するところはなかった。先日と変わりはしない。なにかトリックで使えそうなものはないかと思ったが。


 数分ほど考えてみたが、結果は同じだった。


 俺は渡り廊下の中庭の方面の出口ではなく、右出口へ出ると、ベンチに腰を下ろした。

 風に揺られた木々から葉が落ち、俺の肩へとまった。

 このベンチからだと、渡り廊下の全体が見えた。視界の真ん中には渡り廊下が伸び、左右には大きな校舎がそびえ立っている。なんの変哲もない廊下ではあるが、俺に取っては忌々しい建造物であった。


 俺は体を捻って後ろを向き、フェンスを確認した。そうしてまた前を向いた。

 殺された猫は、おそらくここから侵入したのだろう。

 一度このベンチに座ったり、周辺を歩き回ったのかは知らないが、渡り廊下の方へ向かっていった。


 そこで、何者かとかち合い、殺された。


 その何者が誰であるのか──


 俺は腕を組み、考えた。自分でも深い思考の渦に入っていくのがわかった。


 …………


 そうしていると、予鈴のチャイムが鳴った。あっという間だった。気がつかないうちに、随分と時間が経っていたらしい。

 渡り廊下の柱にはスピーカーがあるため、音量はかなり大きくうるさかった。


 チャイム──


 俺は、あっ! と声を出し立ち上がった。閃いたことがあった。

 そうか、チャイムだ。


“チャイムの音により猫の悲鳴が聞こえなかったんだ。”


 チャイムは当然、各教室いっせいに鳴る。

 教室の窓は閉まっているだろうし、外の音は聞こえ辛くなる。それにこの渡り廊下は、柱にスピーカーがあるためこのように大きな音が鳴る。猫の悲鳴も掻き消されてしまったのだ。それらのせいで、保健室や教室までには届かなかった。犯人は、そのあいだに殺したのだ。


 俺は爪が白くなるほど拳をぐっと握り、笑みをもらした。

 ということは、予鈴ではなく本鈴でやったのだろう。予鈴ではまだあたりに生徒がいる。本鈴だとみな教室の中だ。

 だが本鈴での犯行だとすれば、授業に間に合わなくなってしまう。

 それはなかなかのリスクであろう。疑惑を投げかけられてもおかしくない。


 俺はもう一度廊下に目を向けた。

 本鈴が鳴っていても、怪しまれない人物である。

 怪しまれない人物……、いったい誰だ?


 その時、ぴんと浮かんだ。俺は目を見開いた。


 そうか教師だ。授業帰りの教師ならば怪しまれないはずだ。

 俺はまた拳を握った。

 だが教師だとしても、誰だ?

 教師……教師……。

 誰だ……。一体誰が──?

 いや、もしかしすれば──


 そこで俺は、今週の火曜日、初めてこの現場に調べに来た時のことを思い出していた。


 あの時、俺は青野にもうすぐ授業が始まると注意された。

“青野は二限目の本鈴がなる間際、職員室に戻るためここを通っていたのだ”。

“時間割は毎週同じである”。だから一月前の事件があった火曜日も、本鈴がなる間際に、青野がこの廊下を歩いていてもおかしくないのだ。教室から職員室に戻るルートも、必然的に同じになるはずである。


 青野になら犯行は可能だ。


 俺は、興奮した気持ちを抑えるため、息をついた。もう一度ベンチに腰を下ろし、そこでも息もついた。


 青野か……、青野がやったのか。


 では、凶器はなんだ? 猫は刺殺されていた。なにか尖ったもの? ナイフではあるまい。

 教師が持っているもの。いや、数学教師が持っているもの──授業帰りに持っているもの──


 俺は勢い良く立ち上がった。


 そうか、解った! “教員用のあの大きな三角定規だ! ”青野は確かに持っていたはずだ! 

 凶器はこれだ。あれはとても頑丈にできているし、先端は恐ろしいほど尖っている。凶器になり得るはずだ。小動物を殺そうと思えば充分できる。

 あの三角定規で突き刺したのだ。


 返り血を浴びたとしても、青野は丈の長い白衣を着ている。脱いでしまえばいいのだ。しゃがみ込むと、足もすっかり隠れてしまうはずだ。

 やはり衝動的犯行だったのだろう。計画犯罪だとすればずさんすぎる。猫もこの廊下を通るとも限らない。


 動機もおばあさんへの怨み、というのは合っているだろう。

 俺は重要なことを見落としていたのだ。クレームの電話を取るのは、教員だ。学校にクレームを入れるということは、言い換えれば教員に文句を言うということだ。間抜けなことにそこを見落としていた。

 もしかすれば、青野がおばあさんの標的になっていたのかも知れない。有り得る話だろう。


 しかし、まさか自分のせいでさくらが不登校になったというのに、どうにかしてくれと依頼してくるとは。いやはや、恐れ入る。もしくは、本当に不登校になった原因を知らないのかもしれない。知っていたとしても、猫殺しの捜査をさせるとは思わなかったのか。どちらにしろ、馬鹿としか言いようがないが。

 俺は大きく舌を打った。さくらを思うと不憫だった。

 青野には、それ相応の報いを受けてもらわなくてはならないだろう。


 まずはおばあさんの家に行き、青野のことを知っているか聞きにいこう。


 だがその時、本鈴が鳴った。もうすぐで授業が始まる。早く授業に行けと、俺を急かしていた。

 しかし、今はそんなことよりも事件の解明が先である。俺の気持ちも収まりやしない。内申なんて気にしている場合ではない。


 俺はベンチの後ろへ回ると、フェンスを飛び越えた。

 向かう先はおばあさんの家だ。幸いここからとても近い。気持ちが焦り、気づけば足早になっていた。


 三十秒もしないうちに、おばあさんの家についた。チャイムを押すと、しばらくしておばあさんは出てきた。先日とは違いあたりが明るかったので、顔の皺がとても目立っていた。

「あら、あなたは……。どうしてここへ」とおばあさんは訊ねた。

「早急に訊きたいことがあって来たんです」と俺は言った。「教員にも、クレームをつけたことはありますか?」

「うん、あるね」おばあさんは当然であるかのように言った。

「では誰かを名指しで怒ったことは?」

「ああそういえば確か、一人この家にまで来て謝罪しに来たことがあったっけねぇ」

「本当ですか!」

「うん、そうねえ。いま思い出したよ」


 俺の鼓動は激しくなっていた。自然と笑みももれていた。そんな俺を見て、おばあさんは顔をしかめ怪訝そうにしていた。


 俺は気にせず言った。「その教員は、いったい誰ですか?」

「たしか、ええっと……」おばあさんは眉間を人差し指で叩き、思い出そうとした。そしてあっと声を出すと、「思い出した、思い出した」

「誰です?」

「青野っていう男性の教員さ」


 俺はぐっと両拳を握った。やはり青野だ!


「その青野という教員には、どうしてクレームを?」と俺は気を落ち着かせ言った。

「あの人が担当するクラスか部活の生徒だったかは忘れたけど、家の前をたびたび大声で喋りながら通るもんだから、我慢できなくなってねえ。教師を呼びつけて、なじったことがあったわ。あれは、私もやり過ぎたかなあって……」


 決まりだ。青野で間違いない。動機も得た。

 謝罪をしに来たときに、あの猫がおばあさんペットであることを知ったのだろう。


「聞きたいことというのはこれで以上です。ありがとうございました」

「ええ、それはいいんだけど、あなた授業はいいの。さっきチャイムが鳴ってたけど」

「いいんです」と俺は言った。「あんな授業なんて、不登校の女の子一人も救えやしない。学校に連絡したければ、どうぞ」


 おばあさんはクスッと笑った。小声で、それもそうねと言った。

 俺は頭を下げると、背を向け学校へ歩き出した。


 フェンスを乗り越えると、俺はもう一度ベンチに座った。

 授業中であるため、あたりは静まり返っていた。耳をすませば、カリカリとペンの音が聞こえそうだった。


 俺は先刻のように廊下を眺めながら、事件のことを考えていた。

 おそらく、事件があった日はこんな感じだったのだろう。

 授業が終わり、青野は職員室に帰るためこの渡り廊下を通ろうとした。そこで、あのおばあさんの猫を発見した。

 すぐさま思い出したことだろう、おばあさんに口汚く罵られプライドも傷つけられたことを。生徒のために、下げたくもない頭を下げたことを。日頃のストレスもあったのかも知れない。

 青野は、爆発するような激情に駆られた。


 そこで鳴り響くチャイム。青野は、これで猫の鳴き声は聞こえないと考えたはずだ。そうして三角定規を抜き取り、近寄ってきた猫にしゃがみ込み突き刺す。

 老齢の猫であったし、若い猫とは違い体力も少なかったであろう。チャイムが鳴り終わる頃には、血まみれになりぐったりしていた。これで復讐をなした。

 青野は三角定規をケースにしまい、足早に立ち去る。

 今までのどの仮説よりも、筋が通っているだろう。あの時、この渡り廊下を通れたのは、青野だけである。


 そこで、俺はある考えが浮かんだ。


 三角定規をしまったとき、ケースに血が付いたのではないだろうか? なにかで三角定規を拭ったとしても、現場から早く立ち去りたいがために、完璧には拭き取れなかったかも知れない。それがケースについてもおかしくはないだろう。


 たとえそのあと、ケースについた血を拭ったとしても、出る所へ出れば解ることだ。これは証拠になる。教員用のあの大きな三角定規は、学校の持ち物であるからそう無闇に買い直せないはずだ。


 俺はベンチから立ち上がると、教室に戻ることにした。教師には、体調が悪く保健室に行っていたと嘘をついておいた。特に怪しむことなく、そうかと言い、授業を再開し出した。

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