第20話 訪問

 俺は貼り紙に書かれてある住所に向かいながら、その飼い主に電話をかけた。今からお邪魔してもいいか訊こうと思った。

 電話に出たのは、しわがれた声のおばあさんであった。


「夜分遅くにすみません、迷い猫の貼り紙を見まして」

「ああ……、まだ剥がしてなかったのがあったんだねえ……」

 俺は目を細めた。「剥がしてなかった?」

「ええ、もう見つかりましたんでね、お手間取らせました」

「見つかったんですか……?」

「ええ、遺体となってね」

「殺されたことは知っているんですか?」


 おばあさんは、そこで沈黙した。どうしてそのことを知っているんだ、と思っているのだろう。


「ええ、そうです」とおばあさんは言った。

「春風高校で殺されていたことも?」

「ええ」


 知っていたのか。

 ではなぜ被害届けを出さないのだろうか? この一件に警察が関わっているという話は聞いたことがない。そんな噂もなかった。


 それに、あの猫が飼い猫であるということは、ほとんどのものが知らないはずだ。誰もが野良猫だと誤認しているはずである。なのに、どういった経緯でこの人に伝わったのだろうか。


 訊きたいことは沢山あったが、会って話すのが得策であろう。

 俺は、春風高校の生徒だと名乗り、質問したいことがあるから家にうかがっていいかと訊ねた。

 少しの沈黙のあと、了解をもらった。俺はありがとうございますと言った。


 俺は学校の隣の道を歩いていた。灯りと喧騒を失った夜の学校というのは、どうも不気味だった。だが同時に、人を惹きつける魅力もあった。怖いもの見たさという言葉がある通り、元来、人間は恐ろしいものに興味を惹かれるのだろう。暴力男を愛する女性の心境も、それと同じようなものなのかも知れない。


 途中、道を左に折れ、四軒ほど民家を通り過ぎたところに飼い主の家はあった。古い長屋で、建物の背は低かった。


 そこで俺は、思い出した。


 その飼い主は、一人暮らしのおばあさんで、なにかに付けては学校にクレームを入れているらしいのだ。

 いわゆるクレーマーである。そのおばあさんを見たこともなければ名前も知らないが、校内ではそれなりに有名だった。チャイムの音がうるさいとクレーマーを入れたこともあるらしい。


 タバコが見つかり北川が停学になったのも、このおばあさんのタレコミによるものだった。


 経緯はこうだ。


 北川が校舎裏でタバコを吸っていると、道路を歩いていたおばあさんに見つかった。おばあさんは北川を怒った。だが北川は逆上し、おばあさんに怒鳴り返した。そうしておばあさんは学校に電話を入れた。簡単な話ではあった。北川の自業自得でもあった。


 敷地の中に入り、ベルを押した。すると、かすかに家の中からチャイムの音が聞こえてきた。

 しばらくして足音が聞こえてきた。廊下の灯りがついたらしく、引き戸の磨りガラスに淡いオレンジの光がもれた。


 磨りガラスに小さな人型のシルエットが浮かぶと、すぐに引き戸が開いた。中から、猫背気味の頭もすっかり白くなっているおばあさんが出てきた。

 七十代くらいであろうか。厳しい顔をして、“いかにも”なおばあさんだった。俺はこの人の今までの人生を考えてみた。あまり楽しい気分にはなれなかった。


「先ほど連絡を入れさせてもらった、夢野です」と俺は言った。

「どうぞお入り」

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