第12話 不良くん

 俺は相談室に向かうことにした。


 廊下を歩き、渡り廊下に出て第二校舎に向かった。後ろからは、どしどしと怒気をはらんだ足音が聞こえていた。振り返りたかったが、俺は我慢した。

 自動販売機で缶コーヒーを二つ買うと、三階に上がった。廊下を歩き相談室の前につくと、鍵を開け中に入った。扉を閉めると、デスクへ向かう。


 そうしていると、乱暴に扉が開く音が後ろから聞こえた。その次には乱暴に閉じる音が。


 振り返ると、扉の前には北川がいた。俺に近づき顔を寄せてくると、眉間に皺を寄せ睨みつけてきた。

 身長は俺より数センチ低いようだった。近くで見ていると、可愛い顔つきをしていた。いわゆるベビーフェイスだった。あまり怖い顔は似合わないようだ。


「あんまり調子乗ってんじゃねーぞ、先輩だからってよ!」彼の甘い息が俺にかかった。甘くても、けっして気分がいいものではなかった。

「仲間は連れて来なかったのか」と俺は言った。

「はあ? そんなもん必要ねえよ、お前みたいなやつによ」

「好きな女のことだから、恥ずかしくて言い出せなかったか?」

「そ、そんなじゃねーよ」

「大丈夫だ、安心してくれよ。ただ話をしていただけだ」

「だから、そんなじゃねえって言ってんだろ!!」

「だか顔が赤いぜ? 君は可愛いやつだな」


 俺が微笑むと、彼は赤い顔をもっと赤くさせた。怒りと恥ずかしさからだった。


「好きな人にちょっかい出されて、ご立腹か。うぶだね」

「てめえ……」北川は拳をぶるぶる震わせた。「舐めんてじゃねーぞ!!」右手を大きくと振りかぶると、俺の顔面に目掛け殴りかかってきた。


 俺は、北川に回り込むように右へ避けた。勢い余った北川はよろよろと倒れそうになり、バランスを取るため両手を突き出した。


「おいおい、あまり大声を出すと人がきてしまうぞ?」


 北川は振り向くと、唾を飛ばし言った。「この野郎、もう許さねえ!!」


 ポケットに手を突っ込むと、折りたたみナイフを取り出した。右手で持ち、刃を出すと俺に向けた。刃がきらりと光っていた。俺は、猫が刺殺されていたことを思い出していた。


「ナイフを持っているなんて、いつの時代の不良だ? そんなもん取り出したら、洒落じゃすまされなくなるぞ」

「うるせーよ。もとから洒落じゃねーんだよ馬鹿野郎! 切り刻まれたくなけりゃあ、金を出すんだなっ」

「チンピラみたいなことをするんだな、北川くん」

「黙れよ、余裕ぶりやがって。早く俺に詫びて金を出せや」


「解ったよ」と俺は手を挙げ言った。「ナイフを出されては従うしかない」

 俺はふところに手を入れると、財布を取り出した。

「こいつが欲しいんだろ?」


「ああ、そうだよ」北川はにんまりして言った。

「ほら、やるよ」


 俺が財布を差し出すと、北川は近寄ってきた。勝ち誇ったような顔を浮かべそばまで来ると、財布を受け取ろうとした。

 その直前、俺は手の力を緩めそのまま財布を落とした。北川は反射的にキャッチしようと身を屈め、両手を前に出した。


 俺は左拳を握ると、その隙をつき北川の鼻っ柱にストレートを入れた。無防備に受けた北川は頭をかくんと反らせ、鼻血を飛ばし後ろへ倒れ込んだ。なにやらうめき声を上げ、鼻を押さえていた。

 左手をぷらぷらと振り、北川のそばにしゃがみ込むと、彼の喉元を右手で掴んだ。ぎゅっと力を込めると、彼は苦しそうな声を漏らし俺の腕を掴もうとした。


「汚い手で触るんじゃない」と俺は言った。

 北川はぴたり手を止めた。そして俺は訊いた。


「まだやる気はあるかい」


 北川はすっかり静かになり、首を左右に振った。怯えた目で俺を見ていた。やはり可愛いらしい顔つきをしている。


 俺は喉元から手を離すと立ち上がった。「それでいいんだ」

 落とした財布を拾い上げると、ふところにしまった。

「いつでも仲間を連れて来てくれて構わない。怖い先輩でもなんでも」


 北川はなにも言うことなくうつむいた。すっかり無口になってしまった。鼻を押さえている手からは、ぽたぽたと血が垂れていた。

 俺は彼にテッシュを寄越してやった。彼は三枚ほど抜き取ると、鼻にあてた。段々と赤く染まっていった。

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