第8話 現場へ

 火曜日の一限目は英語だった。早口で教師が英文を読み上げていた。


 ──ナンシーはいつだって悩んでいた。自分がどんな存在で、世界という存在はなんなのか。自分はどこに向かい、どこで終わるのか。ナンシーは飽きることなく悩んでいた。そして、やがてナンシーは気づくだろう。それは、若さゆえの悩みであると。


 なかなか良い文であった。だが、あまり教師の発音は良くなかった。


 一限目が終わると、俺は猫殺しがあった現場に向かった。

 我が校は、左から第一校舎、第二校舎と縦に並んでいる。第一校舎は生徒が学園生活を送る教室があり、第二校舎には職員室や保健室などがあった。

 渡り廊下は、第一、第二校舎の端と端を繋ぐように、二本あった。上空から見れば、『口』という字を縦に長細くしたように見えるだろう。

 それぞれ、渡り廊下には数字が振られていた。『口』の上の部分に当たるところが、第一渡り廊下。そして下の部分に当たるところが、第二渡り廊下である。校門に近いほうから数えているらしいので、そういう割り振りだった。


 猫が殺されたのは、第二渡り廊下だった。


 俺は今、その渡り廊下にやってきていた。校舎は三階建てであるが、渡り廊下は一階建てであった。

 柱には、校内放送用のスピーカーが設置されている。比較的新しいようだ。あくまで比較的にではあるが。

 廊下は雨風を防げるようにちゃんと屋根もつけられ、左右には胸の高さのトタンの柵もはられていた。中央には、外に出られるように出口があった。

 中庭側の左出口ではなく、右出口から出ると、五メートル先に学校を囲むグリーンのフェンスがあり、その前にベンチが二つあった。今は誰も座ってなかった。三枚の落ち葉が座っているだけだった。


 俺は柵に背中をつけ、腕を組んだ。幾人の生徒が、俺の前を通り過ぎていった。


 俺は思った。

 目撃証言は、この柵と屋根によって得られないだろう。猫を殺すときは、身長を合わせるために必ずしゃがむはずだ。となれば、すっかり体は隠れてしまう。

 猫の遺体があったのは、渡り廊下の入口から二メートルほど先であると言っていた。そこはちゃんと柵で守られているところだった。


 いや、そもそも目撃証言なんて得られないではないか。


 今、思い出した。

 それぞれ第一校舎も第二校舎も、“中庭側に廊下があるのだ”。だから忌々しいことに、教室からは渡り廊下は見えない。


 俺はポケットから買ってきた缶コーヒーを取り出すと、蓋を開けた。そしてコーヒーを飲みながら、事件のことを再度考え始めた。


 約一月前の、今日と同じ火曜日に事件は起こった。

 犯行時間は、おおよそ三十分。時刻にすると、二限目が始まる十時三十五分から、さくらが猫の遺体を発見する十一時五分のあいだとみられる。

 我が春風高校は九十分授業のため、二限目にしてこの時間になるのだ。

 よって一限目と二限目のあいだの休み時間は、十五分となる。五分前には予鈴が鳴るようになっており、大半の生徒はこの予鈴が鳴ると教室に入るため、ひとけはなくなる。そのあいだに犯行は可能であるが、しかし、あくまで“大半の生徒”である。目撃される可能性は充分にあるのだ。だから、授業が始まる十時三十五分からの犯行だと考えた。


 だが、これはさくらの証言を信じた場合である。


 ──いや、と俺は頭を振り、その考えを消した。

 今は、あれやこれやと疑っていても仕方がない。

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