第5話 引きこもり女子との会話

「どうして、ヘッドセットを?」と俺は訊いた。

「わ、わたし声が小さいので、ボリュームを上げるために……」

「なるほど、それでスピーカーから聞こえてきたのか」


「そう、なんです」言われてみれば、かすかに電子音的なノイズがあった。「これをつけたままでも、いいですか……?」と彼女は言った。


「もちろん構わない。君の方から声が聞こえないのは不思議な感じだが、すぐになれるだろう。気にしないでくれ」

 俺はそう言うと、彼女に近づいていった。すると彼女は焦った様子で両手を突き出した。

「そのテーブルから前には来ないでください……!!」


 可愛い声に突然制され、俺はぴたりと立ち止まった。


「ご、ごめんなさい……」と彼女は申し訳なさそうに言った。「それ以上は、恥ずかしいので……」


「なるほど」俺はできるだけ口調を和らげ言った。「ではそうしよう」

 まだ彼女に信用されていないということなのだろう。

 俺は言われた通りテーブルの前で立ち止まった。彼女との距離は二メートルと少しだった。それは心の距離を表しているようだった。


「君のことはなんて呼ばれいいだろうか」と俺は訊ねた。

「じゃあ、さくらって呼んでもらえれば……」

 やはり、足元にあるスピーカーから声が聞こえてくるのは違和感があった。近くにいるのに電話で話している様な感覚だ。


「わかった、さくら。そう呼ばせてもらおう。俺のことは好きに呼んでくれて構わない。夢野でもなんでも」

「ゆ、ゆめちゅんでも……?」

 俺は思わず笑った。「別に構わないが、柄じゃあないな」

「ご、ごめんなさい!」さくらは恐れるような顔をし慌てて言った。

「いやいや、別に謝ることじゃないさ。君はけっこう面白いなあ。もちろん、皮肉ではなくてね」


 さくらは安堵したらしく、顔の力を緩め少し笑った。


「座っても?」と俺は言った。

「ああ、はい! どうぞどうぞ」とさくらは手でジェスチャーした。

「ありがとう」


 俺が座ると、さくらもおずおずと座った。自分の部屋だというのに縮こまり、正座していた。絨毯もないから痛いだろうにと思った。どうやら本題の前に、彼女の緊張を解いてやらなくてはいけないらしい。


「さくらはゲームが好きなのか?」と俺は訊いた。

「え、あっ、そうなんです」

「実は、俺もけっこう好きなんだよ。親父がゲーム好きでね、君と同じゲーム機を持っているよ」

「へえ、そうなんですか」心なしか口調が明るかった。「どんなゲームをやるんです?」

「色々だな、ジャンルもかたよっていないし。でも、今はあまりゲームはできてないんだよ」

「そうなんですかぁ……」今度は暗いトーンで言った。表情も残念そうにしていた。


 俺は立ち上がると、本棚に近づいた。視線を巡らせる。ライトノベルや純文学、少年漫画や少女漫画などが並び、ノンジャンルであった。


「お、占星術殺人事件もあるのか。いいセンスだな」

「そ、そうですか」

 俺は少女漫画に指さし、さくらに顔を向けると、

「手に取ってもいいか」と訊ねた。

「はい、どうぞ」


 人差し指で漫画を抜き出し手に取ると、ページを開いた。そこは告白シーンだった。黒髪の目の大きな女の子が、長身の爽やかな男の子に愛を叫んでいた。背景は白く、ふわふわとした大きな“ホコリ”みたいなものが幾つか浮いていた。

 ペラペラと数ページめくると、俺は本を閉じ元の場所に戻した。この先、俺があの女の子の恋が成就したのか知ることはないだろう。


「せ、先輩ってけっこう、サブカルチャーがお好きなんですね」とさくらは言った。少しばかり、体の緊張はなくったように見えた。錯覚かも知れないが。

「意外か? そうは見えないということか」

「いつも、缶コーヒーを飲んでる大人なイメージだから」


 俺は訝しげな顔を浮かべた。「缶コーヒーのこと、よく知っているな」


「わたしたちを助けてくれた時も、手に持っていましたから」

「助けた……?」

「覚えてませんか?」とさくらは訊ねるように言った。「確か、二ヶ月ほど前でした。学校の近くに商店街があるじゃないですか? そこから少し離れたところで、友達とふたり歩いていると、大学生くらいの男の人に絡まれたんです。向こうも二人でした。わたしたちは気の小さい方だったので、なにも言わず怖がっているだけでした。でもそこに先輩が現れたんです」彼女はそこで目を輝かせた。まるでヒーローを語っているようだった。「そして臆することなく、あっという間に追っ払ってくれたんです。……覚えてませんか?」


 俺は座ると言った。「いや、思い出したよ。だがそんないいもんじゃない。消えろと言ったら消えただけだ。なにもしちゃいない」

「そんなことありませんよ! わたしはとても勇気ある人だって思いましたもの」

「勇気なら、その男らの方があると思うがね。ナンパなんて、そう簡単にできるもんじゃない」と俺は笑みを見せながら言った。

「で、でも……」さくらは悲しそうに言った。まるで自分のことのようだった。けっして食い下がろうとはしなかった。


 俺は諦めて言った。「ありがとう。君にそう言ってもらえるんだから、そうに違いないな」

「はい、そうですよ! “ゆきちゃん”だって感謝してるはずなんですから」

 さくらの表情は明るくなった。実にころころと変わる表情だ。見ていて飽きることがなかった。良いことではあるが、同時に悪いことでもあった。


「だから、こうして部屋に入れてくれたのか?」と俺は言った。

「それも、あります」

「ふうん、なるほど。だが、お礼は言わせてもらうよ。学校のやつなんかに会いたくないはずなのに、こうして招き入れてくれて」

「いえ、夢野さんにお礼を言われることでは……」

「だが金曜日は駄目だったのに、どうして今日は招いてくれたんだ」

「それは、ええと。髪の毛も直していませんでしたし、部屋も片付けていませんでしたので」

「もともと部屋に入れてくれるつもりだったんだな」

「はい」

「では、さくらは現状をどうにかして、学校に行きたいと思っているわけだな。俺に話をしてもいいと」


 少しの沈黙のあと、さくらは決心したように言った。「はい」

「わかった。俺もできる限りのことをしよう」

「でもご迷惑じゃ……」

「これも委員としての仕事だよ。気にすることはない。君の担任の青野もそう言っていたよ」俺はにやっと笑った。「では、学校を休むことになった原因を教えてくれるか」

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