第2話 お宅訪問

 俺は『生徒相談委員』に所属していた。現状の所属は俺一人だけだった。


 この委員は名前の通り生徒から相談を聞き、できうる限りその問題を解消するのが主な仕事だった。教師には話辛いことも介入しづらいこともあるだろう、という考えで設立された。間違ってない考えではあった。

 しかしながら、時おり先刻のように教師から依頼されることもあった。すべて生徒のことではあるが、裏を返せばすべてが仕事放棄の内容だということだ。


 俺は推薦で大学を狙っている。だからこの委員に入り、あくせく内申を稼いでいた。こうして稼いだ内申は、『一部学費免除』に繋がるのだ。考え方を変えれば、金を稼いでいるのと同じようなことだ。


 改札を抜け、構内を少し歩くとホームについた。電車に乗り、二十分ほど揺られたあと、駅に降りた。また構内を少し歩き、改札を抜けると外に出た。俺を含めたみな、せかせかとなにかに急かされるように歩いていた。


 それから十分ほど歩き、岸田さくらの自宅についた。


 立派な一軒家だった。建てられてまだ間もないらしく、綺麗だった。“三、四歳”といったところであろうか。我が家の四十歳を超える木造アパートでは、太刀打ちできそうになかった。


 門の横にあるチャイムを押すと、スピーカーから母親らしき人物の声が聞こえた。

 俺は名を名乗り、娘さんの友人ですと言った。もちろん、友人だというのは嘘だった。俺は嘘が得意なほうだった。


「娘さんに会うことは、できるでしょうか?」と俺は言った。

 少しの沈黙が流れたあと、

「少し待ってて、いま開けますから」


 十秒ほどが経ち、扉が開き母親が出てきた。髪は後ろでくくり、グレーのエプロンを着ている。


「どうぞ入って」と母親は笑みを見せ言った。

 俺は礼を言うと家の中へ入っていった。


 玄関にはいい匂いがあった。目を向けると、靴棚の上には芳香剤が置かれていた。ここ最近、ぽっとでの女優がCMしているものだ。これで嫌な臭いともおさらばおさらば! 女優はそう言っていた。

 靴を脱いでいると、スリッパを出してくれた。ぺたぺたとスリッパの足音を響かせ廊下を少し歩くと、リビングに通してくれた。


 カウンターキッチンがあり、その前には食卓があった。テレビの前には数脚のソファーがあり、四角いガラスのテーブルが置かれている。


 どうぞ座ってねと言われ、俺はソファーに座った。母親はキッチンの方へ行くと冷蔵庫開け、オレンジジュースを取り出した。俺はお構いなくと言った。

 母親はジュースが入ったグラスを持ってくると、コルクのコースターと共にテーブルに置いた。


「ありがとうございます」と俺は言った。そして母親がソファーに座るのを待ち、「すいません、突然お邪魔してしまって」

「ううん、わざわざ娘のためにありがとうね。それと……、ええと、春風しゅんぷう高校の生徒さんということは、あなたは娘が──」

 俺はその先の言葉を遮り言った。「はい、知っています」母親にその先を言わせるのは、忍びなかった。

「そう。そうだよね……」

「娘さんに会うことはできますか? 娘さんの力になりたいと思いまして」

「ありがたいんだけど……、どうだろう。一度、扉の前から呼びかけてもらえれば」


「なるほど」俺は鹿爪らしい顔をして頷いた。どうやらあまり厳しくない親らしい。「娘さんは、部屋からは出てくるんですか?」

「ええ、出てくるわ」

「なるほど」


 となれば、比較的部屋には入り安いのかも知れない。部屋から出ようとしないのであれば、その部屋が唯一のテリトリーとなり、入らせてもらえない可能性がある。野生動物でいうところの縄張りと同じだ。引きこもりなのに野生というのも、おかしなものだが。


 俺は頂きますと言い、そこでオレンジジュースに手をつけた。たまにはオレンジジュースも悪くなかった。


「さくらさんの様子はどうです? やつれたとか、笑う事が少なくなったとかありますか」と俺は訊いた。

「……そうだね、以前と比べると笑うことも少なくなったわ。顔色も悪くなった」

 と言った母親の顔色も悪かった。娘のことで気に病むことも多いのだろう。


「そうですか……」と俺は言った。「娘さんの力になれるかは解りませんが、尽力します」

「ありがとう。なんだか、先生みたいね」


 母親は少し笑い、俺も少しだけ笑った。是非とも青野に聞かせてやりたい言葉だ。


「娘さんの部屋は、どこにありますか」と俺は言った。

「二階にあるわ。さくら、て書かれた木のプレートがかかっていると思うから」

「わかりました。二階に上がっても?」

「ええ、どうぞ」

「ありがとうございます」


 俺はオレンジジュースを飲み干すと、立ち上がった。ジュースの礼を言うと、部屋を出ていった。部屋を出る間際、母親は少しだけ頭を下げていた。

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