4章 なぜ江戸川区にドラゴンがいないのか

第59話 月日は流れ

 自動ドアが開くと冷たい空気が建物の中に入り込む。まだ11月だというのに真冬のように寒く、雨には雪が混ざっている。みぞれ雪を傘に受けながら濡れた道を歩く。敷地内のアスファルトはそれほど整備されておらず、雨の日にはたくさんの水たまりが出来上がる。ちらほらと見かけるこの街のドラゴン達は悪天候で人の少ない広場に我が物顔で居座っている。


 あれから6年も経った。高校時代あまり勉強をしてこなかった俺は現役で希望の大学に行くことはできず、浪人を選択した。高校3年生の時は必死に勉強したつもりだったが、今まで勉強なんて真面目にしていない人間がいきなりやる気だけ出したところでたかが知れている。積み重ねた知識が無い上に、勉強のやり方も下手で覚えも悪い。もちろん成果は出ていてそれなりに成績は上がったが、目標には及ばなかった。それほど無茶に偏差値の高い大学を目指したわけじゃない。しかし俺の高校は進学校でもなく、その中でも成績の低かった俺にとっては難しい目標だったみたいだ。親にも先生にも無理じゃないかと言われた。

 それでも浪人した1年間は諦めずに努力したと思う。朝から晩まで勉強だ。何でって、あの日知恵に言われた言葉に応えたかったと言うのもあるが、俺自身が大学で学びたいことがあったから頑張れたんだと思う。

 友達の存在も大きかった。宣言通り東大に合格した白川英彦には勉強を教わったし、進路は違うものの同じ分野に進学した海野とは今でも連絡を取り合う。


「竜一くん」


 雪混じりの雨が降る中、大学の構内を移動して食堂に入ったところで見慣れた女子に呼び止められる。


「竜一先輩、だろ」


「いや、今は同級生じゃん」


 そこにいたのはユメちゃんだ。高校では1学年下の後輩だったが、俺が浪人して入った大学にユメちゃんが現役合格したので同級生として入学することになった。学部が違うので普段会うことはないが、こうしてキャンパスで会うと話をする程度の仲ではある。ユメちゃんとも知り合ってから6年になるのか。

 

「私達ももうすぐ卒業だね」


 大学4年生の俺たちは就活シーズンも終わり、話題は卒業旅行や卒業論文。すっかり卒業ムードだ。

 

「そうだなあ、高校の俺の同級生たちは大学進学組も、もう卒業して働いているんだよな」


 白川英彦は政治家になるためにまずは国家公務員になった。海野誠司は大学院に進学して生物学を学んでいる。大川空は高校を卒業した後進学しないで地元の会社に就職したらしい。空は高校生の時、家庭の愚痴なんかをよく言っていたが、最近は仕事の愚痴を言うために連絡を取ってくる。


「そういえば今度、高校の友達何人か集まるんだった。俺たちの長年の成果もやっと出るから、その前祝だ」


「ふーん。誠司も来るなら私は行かないけどね」


「いや、そもそも呼んでない。学年も違うし」


 実は高校3年生になった頃から、ユメちゃんと海野は付き合っていた。元から仲は良く、ユメちゃんの猛アタックもあって、結局海野から告白したとか聞いた。受験期も乗り越え、海野が卒業した後には大学生と高校生でお互い生活の合わない関係でも別れることはなかったのだから、二人はずっと上手くいくものだと思っていた。しかし恋人関係というのはあっけないものだ。結局ユメちゃんは海野とは違う大学に進学して、2年生に上がるころには別れていた。二人の間に何があったのかは知らないけど、お互い違った環境でそれぞれの生活があり、その中で関係を保ち続けるというのは難しいことなのだろう。彼女ができたこともない俺にはわからないことだ。


「でも知恵先輩には久しぶりに会いたいなあ」


 海野と付き合う前のユメちゃんは知恵にもいろいろと相談をしていたようで、いつの間にか仲良くなっていた。ユメちゃんからしたら外堀を埋めようとしたのかもしれないが、性格的に裏表の無い知恵に意外とハマってしまったみたいだ。


「ああ、俺も会うのは久しぶりだ」


* * *


「今日は誰が来るんだ?」


 寒そうに両手をポケットに入れながら、空が口を開く。


「さあ、みんな好き勝手に集めたみたいだからな。海野と知恵は間違いない。場所は英彦の家だから多少大人数でも大丈夫だろう」


 こういった時に金持ちの友人がいると助かるものだ。人が集まるときは場所に困るものだが、簡単に用意をしてくれる。

 今日集まるメンバーは俺と海野、知恵を中心にして仲のよかった友達を集めた。空は他のメンバと関わりがないように思えたが、高校3年生の時に空と海野、それに英彦は同じクラスでそれなりに仲がよかったらしい。


「ここだ」


 新小岩駅を降りて少し歩いたところに大きな屋敷があった。以前お邪魔した白川のお爺さんの家と違って広い庭や敷地はないが、洋風の大きな家が立っている。

 チャイムを鳴らすとスピーカーから「はい」という低い声が聞こえる。英彦の声だ。インターホンのカメラの前に顔を出すと「はいはい」と言って一方的に音声が切れた。門の前でドアが開くのを待つ。今日はこの間とはうってかわってこの秋1番の晴天だ。用心して着て来たコートの中が少し汗ばむ。


「でかいなあ、いったいどこからこんなに金が出てくるんだ」


 空がぼやく。よくは知らないが、空の家は裕福ではなさそうなので思うところもあるのかもしれない。


「これだけ広かったらかくれんぼどころか、鬼ごっこもできそうだな」


「いや、そんな遊びはしないが」


 空は変人だが要領がいい。高校時代も無言で俺の隣に座って来て数十分後にそのまま無言で帰るなど謎の行動をとる一方で、俺と違ってクラスに溶け込んでいて友達も多い。

 会社でも要領よくやってすでに出世もしているようだ。会社のことは俺にはよくわからないが、空のことだからうまくやっているのだろう。


「よくきたな」


 玄関のドアが開いて英彦が顔を出す。少し疲れた顔をしているのは気のせいだろうか。そう言えば英彦と会うのも1年ぶりくらいだ。浪人時代は勉強を教わって世話になったし、大学に入ってからもたまに会っていたが、英彦が大学を卒業してからは初めて会った。国家公務員というのは転勤も多く、英彦も東北の配属だったこともあるが、話に聞くとかなり忙しくて遊ぶ暇もなかったとか。


「悪いな、貴重な休日に」


「いや、俺もみんなに会いたかったからさ。休みの日に寝てるだけだと気分転換ができないし、それに俺だけ声がかからなかったら嫌だよ。場所も家で助かる。遠くに出かけるのは面倒だから」


「それならいいけど、無理するなよ」


 英彦に案内されて部屋の中に入る。新しくはないが綺麗な室内で、調度品や内装なんかも想像通りの金持ちって感じだ。壁にかけられた絵や置いてある美術品は親の物なのだろう。


「お、来たな」


 部屋には海野、二宮明里、吉田美穂がいた。二宮さんと吉田さんは高校卒業以来だ。吉田さんはちょっと居心地が悪そうだな。それほど親しくもなかった男子が多いので当然だ。知恵や二宮さんに誘われて断れなかったから来た、と失礼な想像をしてみる。ちなみに英彦と二宮さんはまだ付き合っている。高校時代から6年も続くというのは、世間的にはすごいことなのだろう。俺にはわからないことだ。


「一條、久しぶり。2年ぶりくらい?」


 二宮はそう言って手を振る。未だに俺のことを苗字で呼ぶのは二宮くらいだ。俺は英彦とは浪人時代に勉強を教わっていた後も今まで友達付き合いは続いているということと、英彦と二宮の共通の友人が俺くらいということもあって、このカップルとはたまに会っていた。そうは言っても卒業前の時期や就職で忙しくなってからは会っていないので、2年ぶりくらいだ。その隣にいる吉田に至っては5年ぶり、いや、会話をしたのはもっと前かもしれない。


「ああ、それくらいだな。二宮は大学卒業したんだろ。仕事はどうなの?」


「んー?まあ私は一般職でべつに仕事にこだわりもないしさ。まわりのおじさん達の雰囲気はウゲーって思うときもあるけど、それなりになじんでやってるよ」


 もしかしたら二宮は英彦と結婚して早々に仕事を辞めたいのかもしれないな。となんとなく思った。二宮はもともと、英彦の夢や目標を強く持っているところに惹かれていた。この6年間で二宮の悩みも何度か聞いている。自分も英彦と同じように何かに真剣に取り組めないかと考えては、やりたいことが見つからずフラフラしてしまっている現状に悩んでいたが、最近は吹っ切れたというか、別の方向性を向き始めたように感じる。


「一條竜一ってこんな感じだったっけ」


 そうぼやくのは吉田美穂だ。6年ぶりな上に以前もそれほど親しくないので、俺のことなんて印象に残っていないだろう。


「さすがに17歳と23歳じゃ変わるでしょ」


「いや、竜一はあまり変わっていないと思うな」


 俺の正論に英彦が水を差す。


「あと来てないのは平川さんだけか」


 英彦が時計を見る。約束の時間にはまだ5分ほどある。7人で集まって6人が5分前までに集合しているのは優秀なことだ。知恵も遅刻をするタイプではないのだが、最近は忙しいこともあるのだろう。今日はまだ来ていない。


 時計の針が約束の時間を刺した直後、白川家のチャイムが鳴った。


「ごめんごめん、まだ遅刻じゃないよね!?」


 いつも通りの騒がしい声を響かせて、知恵が部屋のドアを開けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る