第58話 後日

 夏が近づいた7月の朝、強い日差しが通学路に降り注ぐ。だんだんと青色が濃くなってきた空を見上げると、胸の中の悪いものを吸い取ってくれているような気分になる。


 正門から学校の敷地に入り玄関口で靴を履き替える。なんだか足が重いのは筋肉痛のせいか、それとも久しぶりの学校に緊張しているのだろうか。今日はいつもより早い時間に登校したので、教室にはまだほとんど人がいない。普段あまり話をしないクラスメイト達は俺を見ると少しだけ驚いた顔をしたが、それも一瞬だけだった。席に座って始業時間を待つ。ひとり、またひとりとクラスに人が増えていき、「おはよう」の挨拶もそれほどせずに会話が始まっていく。登校のピークである8時15分が過ぎると一気に教室内がにぎわっていく。久しぶりの学校に緊張する俺のことなど誰も気に留めない。いつもの風景だ。

 いや、よく聞くとみんな邪竜の話をしている。それもそのはず。親龍が起きるだけでも珍しいのに、邪竜まで現れてしかも存在しないはずの江戸川区の親龍と空中で戦いを繰り広げたんだから、朝のニュースはどのチャンネルを見てもその話題ばかりを放送している。そんな日本中の注目の的が自分たちの住む江戸川区なんだから興奮もするものだ。なんたって、江戸川区が日本中から注目されるなんてこと、滅多にないんだ。


「竜一くん、おはよう」


「おはよう」


 知恵がいつものように俺の隣の席に座る。いや、いつもよりちょっとニヤついているだろうか。


「ちゃんと学校に来たね。えらいえらい!」


「別に不登校ってわけじゃ・・・」


「え、なんだって?」


 知恵が不服そうに首をかしげる。


「ごめんなさい、心配かけました」


「うんうん、よかったねえ」


 知恵は満足そうだ。


「おはよー、知恵は大丈夫だった?そんなに被害はなかったみたいだけど、怖いよね」


 いきなり話しかけて来たのは、知恵といつも一緒にいる女子グループの二宮明里と吉田美穂だ。3人とも話し始めると止まらないタイプで騒がしい。

 ふと、二宮と目が合った。


「一條もおはよう」


「お、おはよう」


 前に成り行きで恋愛相談にのってから、二宮はたまに話しかけてくるようになった。と言っても仲良くと言うほどではない。挨拶と世間話程度だ。

 二宮からすると俺は彼氏の友人であり、親友の友達でもある。そう考えると雑には扱えないのかもしれない、なんて考えるのは邪推だろう。普通に打ち解けたのだと思っておこう。


「ねえねえ聞いた?その邪竜ってのと江戸川区のドラゴンが戦ってたって話」


「そりゃ知ってるよ。みんなその話ばっかじゃん」


「違うって、続きがあるのよ。なんでもそのドラゴンの背中に人が乗っていたって噂」


 俺と知恵のことだ。あの時にはみんな避難していて辺りには誰もいないものと思っていたが、誰か見ていたのだろうか。よく考えたら望遠鏡や衛星写真で見られる可能性もあったのか。そんなこと考える余裕なんてなかったから考えていなかった。別に隠すつもりはなかったが、これだけ注目されるとなると困る。家の歴史や事情は話すわけにはいかないし、何より咲ちゃんの事が知られるのはマズい。ここで俺が関わっているなんてテレビや週刊誌にバレたら、竜宮家が怪しいなんて簡単に辿り着く。いや、もうバレているのかもしれない。何てったって竜宮は江戸川区で龍を司る名家だ。江戸川区でドラゴンの事件が起きたとなれば最初に疑われるのは当然だ。

 ・・・いっそ全部話して糾弾された方がいいのかもしれないな。竜宮も一條も、無実ではないのだから。


「それは俺だぜ」


 海野が俺の肩に手をかけ、髪をかきあげる。


「は?何言ってんだ、海野」


 二宮と吉田がこれでもかと怪訝な顔をする。


「俺がドラゴンに乗って邪竜と戦ったのさ。いや、龍を華麗に操っていたと言っても過言ではない」


 ポーズをとる海野をみて、二宮と吉田は席を立つ。


「はいはい、もうそれでいいよ。じゃあ、時間だから席戻るね。知恵、また後で」


 そう言って二宮明里と吉田美穂は席に戻っていった。


「手柄を取ったわけじゃないぜ。まあ、ここは誤魔化しとくしかないだろ?」


 俺の迷いに気がついていたのか、海野は気を利かせてくれたようだ。確かに、どちらにしてもこんな流れで変な噂が立つのは本意じゃない。


* * *


「ねえ、次はどうするの?」


 放課後、俺と知恵と海野の3人で屋上に集まると、いきなり知恵はそう言って会話を始めた。


「次って、何のこと?」


 いったい何の話だろう。知恵の話は前置きが少なくてわかりにくい。


「何のことじゃないよ。いろいろあって脱線してたけど、何で江戸川区にドラゴンがいないのかを調べてるんじゃないか」


 ああ、そうか。なんだか解決した気になっていたけど、事情が複雑なこともあって結論がなんだったかよくわからない。


「有明で出発する前にも言ったけど、邪竜が生まれた理由とか封印された理由はわかったけど、肝心の江戸川区にドラゴンがいない理由がわからないのよ」


「確かに」


 当事者の俺が言うのもなんだが、まだわからないことはある。でもそんな昔のこと、もうわからないんじゃないか。


「なあなあ」


 海野が話を遮る。


「なんだい海野くん」


「そもそも今って江戸川区にドラゴンはいないのか?あの時はいたじゃないか」


 海野の言う「あの時」とは、邪竜と葛西水龍の封印が解けて争っていた時だ。俺たち3人は有明から葛西臨海公園へ自転車で向かって、その時には葛西水龍以外にも江戸川区のドラゴンがあちこちにいた。俺たちも一度襲われそうになったのでよく覚えている。葛西臨海公園の中にはそれなりの数がいたはずだ。


「ニュースでやってたけど、どこにもいないみたいだよ」


「え、そうなのか?」


 葛西水龍は邪竜との戦いを終えると海に帰って行った。それと同時に江戸川区のドラゴンたちも姿を消していたということだ。


「じゃあやっぱりわからないね。私達は邪竜を封印したけど、江戸川区のドラゴンは封印してないもの」


 それはそうだ。俺が呪文と笛で封印したのは邪竜だけだ。つまり、葛西水龍や江戸川区のドラゴンたちは邪竜と同時に現れて、邪竜がいなくなったら姿を隠したということになる。


「なるほどな。竜一のお父さんや咲ちゃんの話だけだとまだ曖昧な部分があるわけだ」


「うん。だから、次はどうする?って聞いたのよ」


 それにしてもあんなに大変な事があった後だって言うのにしばらく休もうともせずに、先の事を考えている。猪突猛進だ。


「竜一くんはどう思う?」


 知恵が俺の顔を覗き込む。


「ああ、怪しいところや気になるところがないわけじゃないけど、どうしたもんかな」


 知恵が黙って俺の顔を見る。


「竜一くん」


「な、何?」


「ちゃんと『なぜ江戸川区にドラゴンはいないのか』がわかるまで一緒に調べようね」


 知恵が改まって言う。知恵がこんな心配したような確認をするのは初めてだ。なんだか、今までで一番の本心を見た気がした。


「約束だよ」


「うん、わかった。最後まで知恵に付き合うよ」


 「うん」と言って知恵が笑う。「俺もいるぞ」と海野が手を挙げる。初夏の屋上に、強い日差しが降りそそぎ、俺たちの顔を照らしていた。


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