第57話 結末
葛西水龍はそっと海岸に座り、頭と尻尾を地面にぺたっとつける。俺と知恵が降りやすいようにしてくれているようだ。肩や背中に生えている角を掴み、鱗に足をかけながらゆっくりと降りていく。先に俺が地面に降りて、知恵は俺の手と肩に手をかけて降り立った。空の上にいたのはたかだか数十分のことだが、地面の感覚が久しぶりに感じる。
「すっかり日が落ちたね」
海は真っ暗で何も見えない。邪龍はどこに行ったのだろうか。この海の先に今もいるんだろう。
公園の中は建物もあるので多少の明るさはある。葛西水龍の真っ白な体も薄暗く照らされている。葛西水龍は俺の顔を一度見ると、海に向かって進みだした。そのまま帰っていくようだ。
「どこに行くのかな」
「もう邪龍とも和解したんだし、もしかしてこの近くにずっといるのかも」
・・・と自分で行ってみて、なんだか違和感を感じる。
「ってことは、これからは江戸川区にもドラゴンがいるってこと?」
「うーん、どうだろう。そもそも今まで邪龍が封印されていた間、葛西水龍や江戸川区のドラゴン達はいなくなっていたんだよね。今回も同じ封印をしたわけだから」
「江戸川区のドラゴンもいなくなる?」
それもなんだか辻褄が合わない。俺がやったのは邪龍に人と争う理由はないと伝えて帰ってもらっただけだ。それでなんで葛西水龍がいなくなる必要があるのか。もしかして、大正時代と同じ封印をしたっていう前提が、勘違いなんだろうか。一條家に伝わっているものとはいえ、当時を知っている人が生きているわけじゃない。大正時代に何をしたのか、正確に知ることはできないだろう。
どんどんと暗い海の奥へと進んでいく葛西水龍の背中を見送る。俺の勝手な感情かもしれないが、背中に乗って一緒に戦ったのだから、友情のような感情を少しばかり持ったように思う。ドラゴンが友達じゃ、もうドラゴン嫌いだなんて言ってられないな。
「ところで竜一くん」
「何?平川さん」
知恵が俺の方に向き直す。
「さっき私を呼んでくれた時は、呼び方が違ったんじゃないかい?」
「え」
葛西水龍の背中で空を飛んでいたときを思い出す。そうだ。とっさのことで、間違えてしまったのか、確かに俺は「知恵」と呼んでいた。
「ご、ごめん」
「何を謝るの?」
「え?」
「一回呼んだんだから、今度からは名前で呼んでね」
なんてこった。「知恵」なんて、恥ずかしくて声に出せると思えない。
「いや、あれは咄嗟で」
「ん?」
知恵の笑顔が俺の反論を許さない。これはあきらめるしかないのかもしれない。
「おーい!」
後ろからの声に振り向くと、海野がこっちに歩いて来ていた。そうだ、海野には咲ちゃんの足止めをお願いしていたんだ。そのおかげで俺たちは葛西水龍のところまでたどり着くことができたんだ。
「ああ、海野くん。それに、咲ちゃんも」
よく見ると海野の後ろに咲ちゃんもついて歩いていた。邪龍は帰っていったのだから、咲ちゃんも諦めたのだろうか。
「うまくいったみたいだな!」
海野が笑顔で右手を俺の顔の正面に挙げる。俺はその手をがしっと掴む。
「なんとかなったよ。そっちは大丈夫だったか?悪かったな、咲ちゃんを任せちゃって。俺の一族の問題なのに」
「こっちは大丈夫だ。咲ちゃんももう心配しなくていいよ。・・・な?」
「・・・」
海野の陰に隠れた咲ちゃんが無言でうなずく。なんだかこの立ち位置はおかしくないか?なんだか、咲ちゃんが海野に懐いているような。
「待っている時間も長かったから、色々話をしたんだ。今までの話とか、悩みとか、俺の考え方とか。だんだん咲ちゃんも俺と話をしてくれるようになって、最終的には自暴自棄になるようなことはやめるって言ってくれたんだ。こんなたくさんの人に迷惑をかけたり危害を加えることはやめて、ちゃんと問題と向き合おうって。もちろん俺もできることは協力していきたい」
海野の人たらしは知っていたが、こんな簡単に咲ちゃんを懐柔できるとは。咲ちゃんも頭が良くて大人みたいだと思っていたけど、やっぱり中学生なんだよな。
「自分のしたことはわかっているわ。竜宮家にもバレているだろうし、きっと厳しい罰が与えられる」
そう言うと咲ちゃんは海野のそばから離れ、葛西臨海公園の出口に向けて歩きだした。
「竜一にいちゃん、海野さん。あとはえっと、彼女さんだっけ?」
「違う」
咲ちゃんはふふふと笑った。久しぶりに笑顔を見た気がする。
「迷惑かけてごめんなさい。私は家に帰ります。海野さんには勇気と、これからのことを考えるきっかけをもらったから、私ももうちょっと頑張ってみる」
少しふたりで話していたって言っていたが、なんだか人生観が変わるくらいの話になっていないか?いったいどんな話をしていたんだ。海野の恐ろしさを垣間見た気がした。でも、咲ちゃんが前向きになれたのは良いことだ。彼女のやったことは許されることじゃないけど、まだ子供だ。それに周りの大人たちに無茶な役割や責任を押し付けられて、精神的も追い詰められてやったことなんだから、彼女だけを責めることはできない。
「頑張って」
俺のかすれた応援を聞くと、咲ちゃんはまたにこっと笑った。最後に深くお辞儀をして、葛西臨海公園の外へと歩いていった。
「俺たちも帰ろうか」
「そうだな」
もうすっかり夜だ。お父さんたちにも結果を連絡してあげないといけない。それにしてもくたくたに疲れた。でも、今日のことは一生忘れないだろう。知恵の手を握った左手にまだ温もりを感じている。
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