第55話 邪龍①
真っ黒な影に覆われる。近くで見ると想像以上の黒さと、人を殺すために生まれてきたと言われるその姿形に恐怖を感じる。肉をかみ砕くための牙は他のドラゴンよりも長く鋭い。その牙がずらりと並んだ口を大きくあけて、耳がおかしくなるんじゃないかと思うほどの叫び声をこれでもかと浴びせてくる。爪の先まで真っ黒なその太い腕は、人の体なんて撫でるだけで八つ裂きにすることができるだろう。普通のドラゴンを見ただけで怖くて体が動けなくなる俺が、これほどの恐ろしい生き物に近づいてまともでいられるわけがなかった。振り落とされないよう、震える手でなんとか葛西水龍の鱗にしがみつく。
「竜一くん!封印は!?」
はっとする。高速で空を飛んでいる邪龍と葛西水龍は一瞬交差すると次の瞬間には遠く離れたところを飛んでいる。これじゃあ封印するだけの時間近くにいるというのは無理だ。
「近くで、もっと時間をかけられないとダメだ」
「でも、そんなのどうしたら」
これだけお互い飛び回っていたら、近くにいる時間なんてほとんどない。
「がお」
一瞬、葛西水龍と目が合った気がした。「任せてくれ」とでも言っているように思えた。いや、何を考えているんだ。まるで俺がドラゴンと意思が通じ合ったみたいなこと、ありえない。ドラゴンが大好きな海野ならともかく、俺はあり得ない。
「わっ」
葛西水龍は空を滑り降りるように海面の近くまで落ちていくと、ギリギリのところで再浮上し今度は空高く飛び上がった。横を見ると邪龍も同じように上昇している。隣に並んで飛ぼうということか。
「ぐっ」
葛西水龍が邪龍に並ぶ。その距離は10mくらいだろうか。
「距離は近くなったけど、こんなに飛び回ってたらしがみつくので精一杯だ」
葛西水龍はさらに邪龍との距離を縮める。人間には離れた距離だが、ドラゴン同士は手が届きそうだ。葛西水龍は尻尾を大きく振りまわすように邪龍の左足に絡めた。密着しようとしているみたいだ。邪龍は右腕を空に掲げると、葛西水龍の顔面をめがけて振り下ろす。邪龍の黒い拳が左頬にあたりにぶつかり、めり込む。俺たち乗る葛西水龍の体にずしんと重たい衝撃が走る。白い鱗が砕けて飛び散り、夕日に照らされてキラキラと反射している。次の瞬間、葛西水龍は自身の顔面を殴っているその黒い腕を左手でつかんだ。初めからこのために殴らせたとでも言わんばかりの動きだ。
「捕まえた!」
知恵の言う通り、邪龍の動きを止めたということなのだろう。2体の飛行速度はどんどん遅くなっていく。
「今ならいけるかもしれない」
いかに葛西水龍とはいえ何度も邪龍の動きを止めることができるとは思えない。今の体制だって長くはもたないだろう。実際、邪龍は掴まれた右腕と左足を振りほどこうと暴れている。これが最初で最後のチャンスだ、絶対に失敗できない。そう思うと、余計に体が震える。
そんな俺の背中を、知恵がバシッと手のひらで叩く。
「行こう、竜一くん」
こんな時でも知恵は一緒に「行こう」と言ってくれる。
「ああ」
今俺たちが乗っているのは葛西水龍の背中と言っても腰に近い、低い位置だ。ここからでは邪龍に声が届かないかもしれない。もっと上に登って、邪龍の顔の近くまでいかないと。
慎重に、1つずつ上の鱗につかまり体を持ち上げていく。葛西水龍は気を使って体を曲げてくれているが、それでも邪龍を掴んでいるその体制は立ち上がっている状態に近い。つまり、葛西水龍の上半身に行くためには重力に逆らって登る必要があるんだ。幸い俺は高いところは苦手ではない。運動神経も悪い方ではないので、なんとか登ことができる。揺れるドラゴンの上だが、なんとか俺たちは葛西水龍の肩まで登ることができた。
「平川さん、大丈夫?」
「うん、でも、もう手が上がらなくなってきたかも」
知恵は運動が得意な方ではないだろう。その細い腕でここまで登るのはとても大変だったに違いない。さすがの知恵の笑顔にも汗がにじんでいる。
でも、ここまで来れた。
視線を前方に移す。目の前は邪龍の顔だ。近くで見る邪龍の顔は、この世のものとは思えないほど恐ろしい。巨大な口を広げ、赤く鋭い目で睨まれると、すでに捕食されているのではないかと錯覚するほどだ。震える手を握り締める。こいつを封印するんだ。俺が。有明でお父さんから聞いた説明を思い出す。一度深呼吸をして、もう一度息を吸い込む。小さく口をひらき、呪文を唱えようとしたその時だった。
「きゃあ!」
視界の端で、知恵が手を滑らせ体勢を崩すのが見えた。ここは上空だ。
「知恵!!」
慌てて振り返る。知恵はなんとか葛西水龍の方から生えた細い角につかまり、落下を防ぐ。しかしいつ振り落とされるかわからない。俺は手を伸ばすが、知恵のいる場所にはあと少しのところでとどかない。
「今行くから」
「大丈夫!」
知恵が俺を止める。
「あ、いや、手伝っては欲しいけど、来なくて大丈夫。なんとか体制を整えたら届くと思うから」
知恵は足を鱗に乗せ、なんとか体を持ち上げて四つん這いのような体制になる。そこから俺に向けて手をのばす。俺も知恵に向けて手を伸ばすと、なんとか知恵の手を握ることができた。知恵が足で鱗を蹴り体を持ち上げるのと同時に、俺が引っ張り上げる。反対の手で知恵の腰を掴んで安定させると、知恵も俺の隣に立つことができた。
「ありがとう、竜一くん」
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