第28話 二宮明里は隠したい④

 吸った息を"はー"と吐き出す。ため息に近い深呼吸を一度入れた後、二宮が話を続ける。


「何か月前だったかなあ。1年生の時なんだけど」


 俺が二宮と初めて会ったのは2年生に進級して同じクラスになってからだ。英彦とはついこの間知り合ったばかり。1年生の時からということは、それよりも前から二宮と英彦は関係があったということになる。

 不思議な感覚だ。俺が知らないだけで、世の中にはいろんな関係がある。こんな近くの人間関係ですら気がつかないものなのだ。


「わたしの家は新小岩の方なんだけど、白川の家も近いのね」


 新小岩と言えばつい先日、江戸川区郷土資料室に行く時に新小岩駅から歩いて行ったことを思い出す。その時知恵が、新小岩で遊ぶことも多いと言っていたが二宮の家の近くだからだったのだろうか。

 英彦の家は知らないが、英彦のおじいさんの家は新小岩の隣りの平井駅近くだったことを考えれば、英彦の家が新小岩の近くであっても不思議はない。白川家はあのあたりに親戚が多いという話も聞いたことがある。


「新小岩の近くのコンビニでバイトしてたんだ。学校終わってからの3時間くらいなんだけどさ」


 二宮がコンビニでバイトしていた話は聞いたことがある。


「で、たまに白川が買い物にくるんだよ。夜の7時くらいかな。1年生の時のクラスは同じだったけど話したことはなくて、顔も見たことあるなーってくらいだったんだけどさ。でも客と店員だし、地味で頭がいいやつくらいしか思ってなかったから、最初はお互い会釈するくらいだったんだよ」


 なんとなく想像はつく。俺が近所のコンビニでクラスメイトの女子を見かけたとしても、話しかけたりはしないだろう。去年までの英彦も人付き合いは消極的だという話だから、きっと同じだと思う。


 この話は知恵は知っているのだろうか。「誰にも言うなよ」と口止めするからには、仲のいい友達にも話していないのかもしれない。


「私のシフトが週に2、3回だから白川がどのくらいコンビニに来るのかは知らないけどさ、週1くらいは見かけたかな。」


 俺が黙って聞いていても、二宮はすらすらと話を続ける。実は誰かに話をしたかったのかもしれない。友達に何か言われるのは嫌だが、俺くらいどうでもいいやつ相手だと逆に話しやすいんじゃないだろうか。


「買ってくのはお菓子とかおにぎりとか。コーヒーはよく買ってたかな。でも毎回違ってた。でもさ、妙だと思わない?」


「え、何が?」


 コンビニくらい誰だって行くと思う。お菓子やコーヒーくらい高校生なら買うこともあるだろう。少し頻度は高いかもそれないが、それくらいは個人の自由だろう。


「だってさ、白川の家ってお金持ちじゃん。仲良くもない私だって、噂でなんとなく聞いたことあったよ。だって夕食時でしょ?お金持ちなんだからいいもの食べてそうだし、コンビニで買うことないと思ったの。部屋着だから部活帰りや塾帰りって感じでもないしさ」


 かなり偏見が入っているが、確かに家になんでも揃っていそうなイメージはある。時間的にも、夕食前や夕食後に一人でわざわざコンビニにお菓子を買いにいくのも違和感があるが、変というほどではない。


「でさ、気になったから聞いたのね」


「聞いたって、本人に?」


「そりゃそうでしょ、他に誰に聞くのよ」


 知恵にしても二宮にしても、行動力があってうらやましい。何か気になったとしても話したこともない異性のクラスメイトに話しかけるなんて簡単ではない。


「レジの時にさ、なんでよくコンビニ来るのか聞いてみたの。そしたら、”勉強の息抜きに”って一言だけ答えて、帰っちゃった」


 つまり英彦は何か必要なものがあってコンビニに来たのではなく、息抜きの散歩ついでにコンビニに寄っただけということか。俺だったらクラスメイトが働いているコンビニなんて気まずくて行きたくないけどな。


「そっけなくない?せっかくクラスメイトが話しかけてるんだからもうちょっと会話してもいいのに、冷たいやつだよね」


 言葉とは裏腹に二宮は楽しそうにその時の英彦の様子を話している。表情からも英彦を好きだという気持ちが伝わってくる。ユメちゃんが海野の話をする時にも思ったが、なぜこうも眩しく見えるのだろうか。


「それから、白川がコンビニに来るときは2往復くらいの会話はするようになったんだ。なんでそんなに勉強してるのかとか、どのお菓子が好きとか、どうでもいい話だけど、なんか楽しくて。白川ってすごいまじめで、本当に人の役に立ちたくてがんばってるらしいんだ。白川の考え方とか、今までの友達と全然違くて、なんかすごいなって。それに、意外と話やすいし、話し方もうまいんだ」


 こんな二宮の表情は初めて見た。目がキラキラとしている。


「・・・って、なんでそんな話してるんだっけ。余計なことをしゃべりすぎたかも。いい?絶対誰にも話しちゃだめだからね」


 はっと我に返ったようにぶんぶんと顔を振り、再度くぎを刺す。聞きたかった二宮と英彦の関係はわかったので、俺としては満足だ。しかし二宮が白川を好きというのは、余計な事を知ってしまったかもしれない。なんたってあの好奇心の塊である知恵が気になっていることなんだ。どうやって隠したものか。


「一條は知恵とまだあれやってるんだよね。なんだっけ、ドラゴンを何か調べるやつ」


「”なんで江戸川区にドラゴンがいないのか”を調べてるんだよ」


「ああ、それそれ。知恵も一條もよくやるよね。私は無理だわ、面白くなさそうだもん」


 悪気はないんだろう。なんでも本音で話す感じが二宮の性格なのだとわかってきた。そういえば、そんな二宮が英彦との関係は隠したがるのはなぜだろう。地味な英彦を好きになったとばれたくないのか。フラれた場合のことを心配しているのか。


「江戸川区にドラゴンがいない理由かー。そういえば、私の家は葛飾区だけど、ドラゴンはみないなあ」


「え?二宮の家って新小岩だろ、江戸川区じゃないのか?」


 新小岩には江戸川区郷土資料室があった。てっきり江戸川区かと思っていたが、違うのだろうか。


区界くざかいなんだよ。新小岩駅は葛飾区だけど、ちょっとあるけば江戸川区なの。平井駅も小岩駅も江戸川区なのに、その間の新小岩だけ葛飾区なの、変だよね」


 総武線で東京から千葉に向かうと、平井、新小岩、小岩の順に電車が通る。平井と小岩は江戸川区だが、新小岩だけ葛飾区だって?なんてわかりにくいんだ。そこは全部江戸川区にしておけよ。


「ちなみに京成線の京成小岩駅は江戸川区だよ」


 どこだよそれは。知らないよ。


「ちょっとまって、新小岩は葛飾区だって!?それは知らなかった。それに、新小岩にはドラゴンがいないのか?ドラゴンがいないのは江戸川区だけって話じゃなかった?」


「私だってそんなに詳しくないんだから、感覚で言ってるだけだよ。私が知る限りは新小岩にドラゴンはいないよ。でも葛飾区にはいるよ。亀有の方とか結構ドラゴンうろうろしてるし」


 やっぱりドラゴンがいないのは江戸川区だけなのか。でも新小岩は葛飾区なのにドラゴンはいないらしい。なぜだろう。考えてもわからないことは考えても仕方がない、今はやめておこう。


「そうか、なんかヒントになるかもしれない」


 ありがとう、と付け加えようとして、なんか照れくさくて声が出なかった。でも二宮は特に気にした様子はない。


「ところで一條って、知恵のことが好きなの?」


「は?」


 は?


「いや、知恵の思い付きを手伝うのって面倒くさいじゃん。今回なんて何日もつぶされるしさ。好きでもなきゃ付き合わないかと思って」


 二宮が口元をにやにやさせながらこちらの様子をうかがってくる。表情を見られているようだ。


「い、いや・・・」


 あまりに突然のことでどうやって答えたらいいか迷う。いっそ正直に答えて相談するのがいいのだろうか。でも俺は知恵とどうなりたいのかもまだよくわかっていない。それに、自分の気持ちを人に知られるのはなんだか嫌だ。


「ふーん、まあいいや」


 俺が煮え切らない態度をとっていると、二宮は話を終わらせてくれた。そこまで興味がないのに面倒くさいと思われたかもしれない。


「なんかごめんね、教室もどろっか」


 なぜか謝られてしまった。なんで俺はこうなんだろうか。


 空き教室を出ると昼休みの終わりを告げるチャイムがなった。俺と二宮は速足で廊下を歩きだした。


* * *


 それからしばらくは特に変わったことはなかった。二宮も今まで通り知恵や吉田と一緒にいる。

 白川も変わった様子は見えない。今も一緒に帰り道を歩いているが、いつも通りの無表情だ。


「なあ一條、この間昼休みに二宮さんと一緒にいなかったか?」


 前言撤回。


 この間空き教室に二宮と入っていったのを見られていたのか。これは俺を気にしているのか、二宮を気にしているのか、どちらだろうか。


「え、そんなことあったか?」


 とりあえずとぼけてみよう。


「ああ、1階の空き教室に2人で入っていっただろう」


 ばっちり見られているじゃないか。もう面倒くさいから、正直に答えるか。


「ああ、そんなことあったな」


「何を話していたんだ」


 お前のことだよ。とは言えず、どう答えるか悩む。


「ほら、平川さんのことだよ。もうすぐ誕生日でサプライズをするから協力してくれって言われたんだ」


 知恵の誕生日はだいぶ先だ。嘘としては少し苦しい。


「なんだ、そうだったのか。」


 英彦が知恵の誕生日を知っているはずはないから、ばれることはないだろう。


「なあ、二宮さんって彼女いるのかな」


「は?」


 なんだこいつら。もう、そういうことだろう。なんて面倒くさいふたりなんだ。


「いや、いないと思うよ」


 巻き込まれたからには俺も何か協力したほうがいいのか?っていうか今は英彦に本当のことを教えた方がいいのか、ダメなのか。誰か俺に教えてくれ。恋愛のことなんてわかるわけがない。


* * *


 そんな風に悩むのも数日後、道端で仲良くふたりで歩く英彦と二宮を見かけるまでのことだった。


 今回のことは驚きと学びが多かった。二宮の様子が「何か変」からはじまり、俺には関係ないと思っていたところを向こうから答えがやってきた。こんな謎の解け方もあるのかと思った。

 それに、恋愛に巻き込まれるなんてことが初めてのことだったから、人を好きになる素直な気持ちに触れて衝撃を受けた。二宮も英彦も相手を好きだと認識していて、それでいて付き合いたいとか仲良くなりたいとかそんな気持ちが行動に繋がっていた。俺はどうだろう。結局知恵とどうなりたいのかもわからず、何も行動はできずに現状に流されるままになっている。なんてダサいのだろうか。知恵のことも、家のことも、そろそろはっきりしなくはいけないのかもしれない。


「そういえば、ドラゴンがいない理由はわかりそうか?」


 英彦が思い出したようになげかける。


「いや、あまり進んでいないよ」


 そういうと、英彦は少し考えたポーズをとって、俺の顔を見た。


「この間じいちゃんの家に来て話を聞いただろう。あの時じいちゃん、何かを隠していた気がするんだよな」

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