第25話 二宮明里は隠したい①


 朝の教室は居心地が悪い。


 全員が席に座った状態で始まる休み時間と違い、朝は全員一斉に席を立つわけではない。登校して教室に入ると集まって談笑するクラスメイトがいる一方、席に座っている人もいる。自分はどうしようかと少し考えるが、ひとりで席に座っているのは退屈で見栄えも悪い。かと言って誰かのところに行くかと言えば、日によって誰が教室にいるかも変わるのでポジショニングが難しい。

 仲のいいグループが決まっている人や周りなど気にしないマイペースな人はいいが、俺は毎日校門をくぐるたび、階段を登って教室に入ったらどう振る舞うべきかと心配になる。

 こんなことをいちいち考えているのは、とてもダサいと思う。


 初夏になり少し暑くなってきた教室ではまだエアコンの電源が入っておらず、開けた窓からさっきまで降っていた雨のにおいが漂ってくる。

 この高校は近所から通う生徒が多く、通学手段は電車より自転車やバスが主流だ。つまり雨が降ると通学に時間がかかり登校が遅くなる生徒が多いので、朝の教室は人が少なくなる。今日は朝から話し相手も見つからず、仕方がないので席に座っておとなしく時計を眺めることにした。


「どうしたんだい、竜一くん。時計がそんなに面白いのかい?」


 何のマネかわからないが、変な話し方をしながら知恵が隣の席に座る。俺が席に居たくない理由のひとつに、隣の席には知恵と仲のいい女子グループが集まりやすいというのもある。1軍女子の会話を隣でひとりで聞くのは気まずいのだ。今日はまだ友達が学校に来ていないのだろうか、知恵は隣の席の俺に話しかけてきた。雨のせいか、知恵の黒髪ストレートがいつもよりしっとりとして深い黒色に見える。夏服の半そでから伸びる知恵の細長い腕はとても白くて、コントラストの差で顔がくっきりとしている。


「珍しいね、今日はひとりなの?」


「そーなのよ。美穂も明里もまだ来ないんだもん」


 知恵と仲のいい吉田美穂と二宮明里がどこに住んでいるのかは知らないが、駅に向かうところは見たことがないから自転車かバスなのだろう。


「平川さんは今日も早いね」


「そうそう、ちょっと聞いてよ。雨だから遅刻しないように頑張って早く家を出たのに、雨には濡れるし、学校ついたら雨は止んでるしで、濡れ損だよ!」


 雨で濡れたスカートをつまみながら知恵が言う。そこまで言うほど濡れてはいない。


「あ、そうだ。竜一くんに聞いて欲しいことがあったんだよね」


 知恵が何かを思い出した顔をする。俺に言うことと言えば、ドラゴン関係だろうか。


「最近、明里の様子がおかしいと思うんだ」


「へ?」


 内容が予想外だったので変な声が出てしまった。そんなことは俺が知るわけがない。二宮明里は俺にとってはただのクラスメイトだ。ほとんど話したこともない。知恵と仲が良く、隣の席によく集まっているので一言くらいは言葉を交わすこともあるだろうが、その程度だ。だからいつもの様子がおかしいと言われてもいつもの様子がどんな感じかもよく知らない。


「おかしいって、何が?」


「えっ、な、何がって、何が?」


 当然の疑問を投げかけたのに意外そうな反応をされてしまった。俺の方こそ、その反応は意外だったので対応に困る。「たしかに」とか「そう思ってた」というような返答を期待していたとしたら、見当はずれが過ぎる。でも知恵のそんなとぼけたところも嫌いではない。


「どういうところがおかしいと思ったの?」


「うーん、なんとなく」


 それだと会話が終わってしまう。というか、俺にその話をして何を求めていたのだろうか。解決ではないと思うのだが、共感だとしても難しい。仕方ないからこちらから聞いてみるか。


「付き合いが悪いとか?」


「ううん、そんなことはないよ」


「帰るのが早いとか」


「いつも夜まで遊んでるよ」


 それもどうかと思う。


「成績が落ちた?」


「あはは、明里はもともと落ちるほど成績よくないよぉ」


 じゃあなんなんだ。


「あ、そうだ。なんかね、話しかけてもぼーっとしてる時があるんだよね。あと、昨日は靴を間違えて逆にはいてた。」


 うーん、言うほど変か?誰にでもありそうなことだ。ぼーっとするって言うのは、何か考え事だろうか。高校生だし、誰にでも悩みはあるものだ。


「明里ってあんまり自分のこと話さないから、なんか心配なんだよね」


 そういう知恵もあまり自分のことは話さない気がする。知恵の場合はくだらない話ばかりしているからかもしれないが。

 知恵は普段とぼけたことを言うかと思えば、そんなことに気が付くのかというような細かいところを見ていることもある。普段から仲の良い二宮の小さな変化に気が付いているのかもしれない。しかし、俺にはあまり関係のない話である。


「何の話をしているんだい、竜一」


 そういって俺の後ろから話しかけてきたのは白川英彦だ。


「あら、白川くん。こっちのクラスに来るなんて珍しいね」


 白川は隣の2年2組の優等生だ。平井に住んでいるおじいさんに江戸川区のドラゴンの話を聞かせてもらいに行ったときには世話になった。おじいさんはこのあたりの地主で元区議会議員でもあるらしく、江戸川区や周辺の歴史に詳しかったのだ。その孫である英彦はお金持ちのおぼっちゃんということになるが、俺の受けた印象としては「真面目だけど人格者」だ。一見して眼鏡で成績1位、地味なガリ勉。でも意外と話は面白いし、知恵の「なぜ江戸川区にドラゴンがいないのか」探しに協力してくれるなど優しいところもある。


「そういえば白川くん、髪を切ったんだね」


 平井に言ったときの英彦の髪型はよく言えばマッシュルームヘアー。しかしそんな整えられたものではなく、髪型に興味がないので近所の床屋で切った後何か月も放置したような雑さが感じられた。今日の英彦は以前に比べてかなり短く髪をカットしていて、さわやかな印象だ。


「ああ、これからは見た目にも気を付けていこうと思ってね。僕の将来の夢のためにも意味のあることだ」


「夢?」


 俺も最近知ったのだが、白川英彦には夢がある。夢があるというだけでも尊敬に値するが、それを口に出し、見合った努力をすることは誰にでもできることではない。


「今までは人に言わないようにしていたんだけどね。恥ずかしいから。でもそれじゃいけないと最近思って、人に言っていくことにしたんだ。僕はね、国会議員、それも総理大臣になりたいんだよ」


「え!日本で一番えらい人ってこと?」


 知恵の反応が小学生みたいだ。


「偉いかどうかはわからないが、影響力は大きいでしょ?でも政治家になるためにはたくさんの人に好かれて、応援されないといけない。まずは勉強と思って、いままでは勉強に集中していたけど、やっぱりそれだけじゃ人の信頼は得られないと思ってね」


「へー、すごいね」


 知恵は反応が薄い。興味がないというのもあるかもしれないが、政治という関わりのない分野の話をされてもどう反応していいのかわからないのかもしれない。当の英彦はというと、堂々としたものだ。夢を語るにあたって反応が薄い程度はマシな方なのかもしれない。面と向かって馬鹿にする人は少ないだろうが、それでも政治家に良いイメージを持っていない人もいるだろうし、それ以前に夢に向かって頑張るという姿勢を良しとしない人も存在する。そういったことは英彦にとって織り込み済みなのだろう。周りの視線ばかりを気にしている俺としては、尊敬に値することだ。しかし何故総理大臣になんてなりたいんだろう。白川のことだ、きっとただ偉くなりたいなんてことは無いんだろう。


 ふたりのやりとりを見ながらそんなことを考えていたら、ぞろぞろと教室に生徒が入ってきた。もうすぐホームルームの時間のようだ。ギリギリの時間を狙った生徒たちが駆け込みで登校してきた。


「いけない、もうすぐ時間だ。竜一に用事があって来たんだ」


「俺に?」


 一体なんの用事だろうか。


「化学の教科書を貸していただろう。昨日の6限で貸して、今日使うから返す約束だ」


 ああ、すっかり忘れていた。昨日化学の教科書を忘れてしまって、他のクラスで持っている人がいないかとまずは英彦のところに行ってみたところ見事に持っていて借りることができたのだった。


「ああ、すまんすまん。助かったよ」


「あれ、この間一緒に白川くんに会いに行ったときは竜一くんって白川くんと知り合いじゃなかったよね。いつも間にそんなに仲良くなったの?」


 実を言うと、俺は最近白川英彦と一緒にいることが多い。友達、と言っていいのかどうかはわからないが、先ほどの話もあり俺は英彦のことを尊敬に値する人物だと思っている。勉強だけじゃなく色んな知識を持っていて、話をするのも面白い。向こうは友達と思って一緒にいるのか、政治家を目指す一環で交友関係を広げるために相手してくれているのかはわからない。


「この間みんなでおじいちゃんの家に行って以来かな。なんだかわからないけど、意気投合したんだ。な、竜一」


 ・・・わからない。


「あー、間に合った!」


 高い声に驚いて振り向くと、二宮明里が肩で息をしながら教室に入って来た。


「え、明里!?どうしたの!」


 知恵が更に高い驚きの声をあげる。


 二宮明里の背中まであった髪は肩の上でバッサリと切られ、金に近かった茶髪は真っ黒に染まっていた。


 英彦は教室に戻ったようで、いつの間にかいなくなっていた。もうホームルームが始まる時間だ。

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