魔王の日記 2
魔王、回想
――――だから俺は、全力で走ってその小さい背中を抱きかかえた。
それはほんのすこし前の話。
あの日の朝、のど飴を買おうと入ったコンビニで、雑誌を見ていた。
本日発売の『レモンページ』の肉料理特集が気になったけど、多分教室に何冊か集まるだろうからそれを読ませてもらえばいいか。食物調理科の教室には、たいがい料理雑誌が何冊か転がっている。
視線を窓へ移すと、ガラスに映り込んでいるのは金髪に青い目の高校生。
日本人の母とフィンランド人の父との間に生まれた俺は、生まれも育ちも日本で自由に操れるのも日本語だけなんだけど、周りにはあまりそうは思われない。
日本語で話しかけても、早々に切り上げられたり、慌てて英語で返されたりすることもある。
そんなことがあるたびに、お前はここの人じゃないのだと、言われているような気がした。
大事な人たちが、わかってくれているならいいんだよ。と、自分の店で楽しそうに働く料理人の父さんは言ってたけれども、なかなかそうは思えないよね……。
窓の外を、黒髪の小柄な子が横切って行った。
俺は慌てて会計をして外へ出た。
少し前を歩く女の子と、一度だけ話をしたことがあった。
と言っても、その子が落としたハンカチを拾ってあげただけなんだけど。
「落としましたよ?」そう言って、前に回り込んでハンカチを差し出すと、彼女は目を丸くして不思議そうな顔をした。
「――――え? なんで? 手品?」
「え?! ちがうちがう! ポケットから落ちたの」
「そうなんだ? ――――ありがとう」
ふわーっと笑った顔に、朝から癒されたっけ。
手品だって。そんなわけないよねー。思い出しては笑ってしまう。
彼女は県境の道の向こうの都立高校の子だ。対して俺は、県立の総合技術高校の食物調理科の生徒。学校が違うどころか住んでる県が違うとか。
今年の春から見かけるようになった気がするから、多分一年生なんだと思う。毎朝一人で、とろんとした雰囲気で歩いている。朝が苦手なんだろうな。
なんというかいろいろと話しかけるハードルが高い。
だから朝会えるとやった、運がいい! とか、髪はねてるカワイイ! とかそんな風に眺めるだけの日々だった。
大きな交差点。彼女は学校がある方へ右折して渡っていく。
そのうしろ姿を見送っていると、右折してきたトラックが減速もしないで横断歩道へ向かっているのに気付いた。
「危ない!!!!」
そう叫んだけど、彼女はびっくりした猫のように立ち止まってしまった。そこから先は体が勝手に動いていた。
――――せめてクッションになれば…………!
全力疾走で追いつき抱きかかえた瞬間、すごい衝撃を受けた。その後、空に飛ばされたのが最後の記憶だ。
次に気付いた時には、真っ白な部屋の中だった。
目の前に立つおじいさんは、眉毛とひげで目も口も見えないけれども、なんとなく悲しそうな困ったような感じがする。
「――――まったく無茶をするのぅ。
「え、名前? あの、どちら様ですか?」
「神と呼ぶ者もおるが、ほんのちょっと世界に干渉できるだけの存在じゃよ。ちなみにのぅ、知ってるのは名前だけじゃないぞ? あの子に会いたくてちょっと早めの電車で来て、のんびり歩いたり店によったり――――」
「わぁぁぁぁ!! いいです! 言わなくて! ようするに神様なんですね?! そうだ、彼女は?! だいじょうぶでしたか?」
「……ああ、まぁ、元気じゃの……?」
「よかった……。それなら死んでも悔いはないです」
就職も決まってたし、まだ料理作りたかったけど、あの子が元気ならいいや。
「いや、おぬしはまだ死んでおらんぞ」
「ええ?! 死んでないんですか?!」
驚く俺に神様が言うには、死んだように見せかけたけど本当はまだ生きているってこと。
でも、今まで生きていた世界での命運は尽きてしまったから、戻れないらしい。
だから、違う世界で生きるのはどうか? と聞かれた。
「異世界転移……」
時々読むことがあったウェブマンガで、そういう話がいくつかあったな。
まさか自分の身に降りかかるとは。
「ちょっと大変な国でな、復興の力になってやってほしいんじゃ」
そう言われたら、断れない。
「最後に欲しいものはあるかの?」って聞かれたから、飛べるようにしてくださいと頼んだ。
だって、あの時に飛べたなら、ちゃんと二人で助かったと思うんだ。
神様はうんうんとうなずいて約束してくれた。
そして俺は、『申し子』とかいう存在になって、その国で生きることになった。
異世界の地に降り立っていきなりびっくりしたのは、羽根が付いてたことだった。確かに、飛べるようにって言った。言ったけど! 羽根は想像してなかった!
飛ぼうと思えばすぐにふわりと浮ける。
なるほど、羽根はばっさばっさ動かすものじゃなくて、舵的なものってことか。
近くに落ちていたリュックは元々持っていたものとちょっと違ったけど、多分俺のものだろう。
背負うのは諦めて肩から前にかけて、上空へと浮きあがった。
深い森がずっと続いている中で、一か所だけ拓けた場所を見つけた。大きそうだし町がありそうな感じに見えたのだ。
そこが廃墟寸前の『魔人国』だった。
魔物に囲まれた暮らしはなかなかスリリングにハードで、きっと近いうちにどうにもならなくなっていたと思う。
滅びの予感しかない魔人国の二人を、あの子に似た黒猫が助けてくれたのだ。
日本にいた時、毎朝彼女と話をしたいって思っていた。トラックからかばったことは後悔していないのに、話せなかったことが今も心残りだった。
もう後悔しないように、今度はちゃんとしたいことをしよう。後回しにはしない。俺はそう心に決めてがんばった。
もっと黒猫と話がしたくて自分から近寄ったら、毎日顔を合わせられるくらいの場所に住めた。笑顔を見て手を繋いで、俺の作った料理をおいしいって食べてくれる。
そうか、最初からそうすればよかったんだ――――。
だから、もう本当に後悔しないように生きるよ。
禍々しく輝く魔法陣に立ち向かっている、小さな背中。
守る以外の選択肢は俺にないんだ。
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