* 師匠日誌
* 主任魔書師の疑惑
* * *
その小さい子は、唐突に現れた。
魔法札書写室のすみっこにちょこんと座り、びっくりした顔でこっちを見ていたねと、トレッサは思い出して笑う。
ミュナという名の少女は、
ふっくらした頬にくりくりとした目。よく変わる表情が印象的で、黒髪から黒い猫耳が覗いていた。
黒髪は、この国では縁起のいい髪色と言われているが、漆黒はなかなか生まれない色だ。瞳も黒曜石の黒でとても珍しい。
獣人の子にしては落ち着きがあり、細いし小柄だし小さい子なのかと思えば、受け答えはしっかりしていてそこそこの年にも見える。なんとなく感じる違和感。嫌な感じはしない。ただ違うという感じがする。
本格的におかしいのは、中身だった。
まず、魔法を使ったことがないと言う。魔法は金食いスキルと言われるくらいで、平民では使わない者もいるし、それはいい。
だが、魔法を使ったことがないのに、魔法スキルと書写スキルはあるというのだ。
これはかなりおかしい。スキルは、使うことでスキル値が上がるのだ。使わないのになぜスキルがあるのか。
書写スキルは、まず魔法スキルがないと使えない。魔法スキルがあって初めて書写ができるというのに、すでにスキルがあると言う。
しかも、どうもかなり高いスキル値だ。
トレッサは内心首をひねる。
魔法にしろ書写にしろ知らずに使っていたということだろうか。
古代精霊語が読めたのも謎で、それはもう簡単に[位置記憶]の魔法陣を写し取っていた。
普通は書けるようになるまで年単位かかる。言葉として読めていないととてもできないだろう。
一番おかしいのは、彼女が魔粒を必要としないことだった。
精霊の加護を持っている者は、世界に満ちる四大精霊の気を取り込んで魔法を使うことができる。だが、取り込める気はほんの少しで、魔粒の消費が一~三割減る程度だ。
全く必要としない者なんて聞いたことがない。
…………いや、聞いたことがないわけではなかった――――――――そういえばと、トレッサは思い出したものがあった。
『光の申し子』
この国の大災害の後に、神が違う世界から遣わしてくださるという人物。降臨した記録は古くからあった。
その者たちは光とともにこの世界へ現れるので、『光の申し子』と呼ばれている。
その光の申し子に黒髪が多いから、黒髪は縁起がいいと言われているのだ。
前回の百数年前の魔素大暴風の時に降臨した、光の申し子カエモン。彼は石鹸を作った『光の賢者様』として有名で、レイザンブール史の教科書にも載っている。
そのカエモンも、子ども向けの絵本に黒髪黒目で描かれていた。
昔の人たちは[清浄]の魔法で体を清めており、体に必要な菌までも除いてしまっていて、病気などに抵抗する力が弱くなっていた。
それを取り除き過ぎず、適度に清潔を保つことで病気での死亡率を下げたのが石鹸だった。
この世界にはない知恵をそこに見た人々は「光の賢者様」と彼を呼ぶようになったという。
トレッサは、はるか昔の王立オレオール学院で学生だったころを思い出した。
物心ついたころにはもう大暴風の爪痕は残っていなかったが、大変な時代を生きてきた人たちはまだまだ生きていた。
(――――光の賢者様にお会いしたって先生もいらした。なんと言っていたか……。そうだ、賢者様は魔粒を必要としないのだと言ってた。それに、魔量がすごく多くてびっくりしたとも)
違う世界から大きな魔法の力で渡ってくるから、大量の魔力を帯びているのではないか。と先生は話をしていたと思い出す。
「トレッサ師匠! 書けました!」
呼ばれた声で、トレッサは現実に戻った。
見ればミュナが魔法札を差し出している。
すでに魔力も込められた[位置記憶]の札が、
二十枚はありそうだ。一枚につき魔量の使用は300。
総魔量というのは希代の魔法使いで5000と言われているのに、それはおかしい。どう考えても普通じゃない。
(――――そういえば、扇も光の申し子により伝えられたと言われているね……。光の申し子って方々はなかなか風流だねぇ……)
軽く現実逃避をしたが、まばたきをして落ち着きを取り戻す。
魔素大暴風から二年。申し子が何人か現れたという噂は聞く。可能性がないわけではないが。
(……光の申し子は人族しかいないと言われているからねぇ……。そういうことではないんだろうねぇ……)
得意気な顔をした少女を見て、苦笑が漏れる。
ヒコヒコと動いている黒い耳がなんともかわいい。
これはちゃんと魔量を隠すことも教えなければならないようだ。
トレッサはわざと真面目な顔を作った。そして、のん気そうな生徒に怖い人に連れ去られて働かされる話を再度するのだった。
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