第2話 野蛮とワイルドは紙一重。

 緑鮮やかな森林の中を豪奢な馬車が進んで行く。

 森の中とはいえ、隣国への街道は整備され、馬車での移動は快適の一言だった。

(この馬車が凄いんだけど……)

 青蓮チンリェンはふかふかのクッションと毛皮の敷物に埋もれるようにして馬車の中に座って外を見ていれば良かった。

 そして、数刻置きに水場近くに馬車を停め、休憩と称してお茶や食事が振舞われる。

 何もする事はない。ただ為されるがままに青蓮は白夜皇国への旅を続けていた。


 村を出て3日。旅は順調だった。この先もう一つ森を越えれば国境の砦に至る。そこを越えたらもう白夜皇国の宮城まではすぐだ。

 馬車の中に乗っているのは青蓮のみで、従者たちは馬に乗り馬車と併走している。

 従者以外にも護衛の者たちが馬に乗って前後にいるのだが、その装備の身軽さに驚いた。彼らが身につけている装備は金属の胸当てと乗馬用の短いマント、あとは剣を腰に下げているだけだ。使者として失礼のないような美しいデザインのものではあるが、都からくる護衛たちは鋼の鎧を来て大きな盾を持って馬に乗っていたので、護衛だと言われて驚いてしまった。

「私たちは獣人です。人のように戦うのに武器は要りません」

 青蓮の専属従者だと言われた銀兎ユィンツーと言う男が教えてくれた。

 兎なんて名前だがオオトカゲの獣人だという銀兎は額と手の甲に美しく玉虫色に光る鱗が生えている。

「人の姿の時は剣を使う事もあり、皆、腰に剣を下げてはおりますが、いざと言う時は獣化して己の爪や牙の方が鋼にも勝る武器となるのです」

「獣人ってみんな獣化ができるの?」

「宮城に勤めているものはみな宮城の護衛をかねておりますので獣化できます。市井にいる者たちは獣化できないものの方が多いでしょう」

「……渾沌フゥブン様もお強いんですか?」

「白夜皇国で一番の強いのが渾沌様です」

 それは何度も聞かされた。

 完全獣化が可能で、幼いうちから才能を発揮し、わずか十歳で近衛兵へと召し上げられた。獣人は幼くとも体の大きなものが多く、十歳とはいえ獣化した姿は七尺ほどの体躯の主だったそうだ。

(十歳で七尺ってどんなバケモノなの!?)

 歳は青蓮と同じと聞いているので今は二十二歳になるはず。

(もしかして、今は十三尺を越えてたりして……)

 従者たちは縁談につきものの姿絵を持ち合わせていなかった。

 渾沌様は素晴らしいお方です。素晴らしい美丈夫でございます。と繰り返すばかりで、どんな姿をしているのかについては頑なに口を閉ざすのだ。

「渾沌様は四神の一柱と称される、初代皇帝陛下にも並ぶといわれる尊いお方です。青蓮様は何も恐れる事はございません」

「はぁ……」

 四神とは東西南北の四方をそれぞれ守り天界を支えるという神の事だ。人間の世界でも優れた才のあるものを神に例えるが、これは獣人も同じなのかも知れない。

 それに、大丈夫ですと言われても、何を根拠にそれを信じればよいのか。

 せめて絵姿でもあればもう少し思い巡らすこともできただろうに。従者たちは縁談にありがちな絵姿などは一切持ってこなかったのだ。

 従者たちからは最強です! 最高です! 野性味のある美丈夫でいらっしゃいます! と言われるが、青蓮の頭の中ではどんどん妖怪の様になって行った。


「青蓮様、ここからのご予定なのですが……ここから先は少し難所を越えねばなりません。休憩無く馬車を走らせる事となりますが大丈夫でしょうか? もしお体にお辛い事があれば、一つ前の村まで戻ってお休みになられてから参りますが……」

 休憩の度に張られる天幕の中で、青蓮がお茶を飲んでいると銀兎がやってきて言った。

 時刻はまだ午前中だ。つい先ほど越えて来た村は馬車で走れば1刻ほどで戻れるが、戻って休みたいと思うほど疲れてはいない。

 青蓮は人間でオメガ性という事で、獣人たちには体が弱いと思われているようだが、発情期ではないオメガは普通に他のベータたちと変わらない。

「俺は馬車に乗ってるし大丈夫です。従者の皆さんとかはお疲れではありませんか?」

「ご心配ありがとうございます。私たちも戦とは違って馬での移動ですから大した負担ではございません」

 護衛についている者たちは全員兵士だが、従者である銀兎も従軍経験があるのだという。どうやら全員がそれなりに武術に長けた者たちで固めてきているようだ。

「お恥ずかしい話ですが、これだけのご威光を皇帝陛下が示されても国境付近では小競り合いが耐えません。これから越える森も交易に使われているとは言え、やはり国境付近はあまり治安が良くないのです」

 獣人が国を作り独立している事を良く思っている人間は少ない。

「恥ずかしいのは俺たちのほうです……獣人が悪いわけじゃないのに」

 青蓮は素直にそう思う。

 獣人たちだって同じ命なのだ。それを奴隷労力として欲して虐げる事は決して許される事ではない。

 村で役人を務めている父親にもそう言われて青蓮たち兄弟は育てられた。

 だからこそ、差別することなく嫁に行けと命じられたわけだが。

(それはそれでちょっと違うんだよ~!)

 なんと言うか、同じ命だと思うことと結婚する事はちょっと違う。

(俺、どっちかって言うと女の子の方が好きだしなぁ……)

 青蓮はオメガ性で出産が可能だとは言え、性嗜好は異性愛が強い。

 今まで気になった子達はみんな女の子だったが、青蓮がオメガであるために女の子たちからは相手にされなかったのだ。

「では、出発いたしましょう。青蓮様」

 銀兎はそう言って、てきぱきと休憩の為に供されていた茶器を片付け始める。

「青蓮様はこちらへ」

 別の従者が青蓮の手を取って馬車へと誘導した。

 銀兎もこの従者も軍人ではないというが、流石の従軍経験者と言うか、素晴らしく体格が良い。背も高く、胸も厚く、袖から除く腕は太く、林檎の実くらいなら握りつぶしてしまいそうだ。

 そんな面々に囲まれていると、青蓮は自分が華奢な女の子にでもなったような気がする。

 青蓮は体躯もそんなに立派ではないが、二十二と言う年の割には童顔でヘタをすると十六~七くらいの少年に見られる。黒い髪、白い肌、獣人たちに比べると顔の作りは淡白で、のっぺりしているように思えてくる。

(ううう……)

 馬車の中から馬に乗って併走している銀兎を見て頭を抱える。

 獣人は総じて彫が深く雄々しい者が多い。女性であっても体が大きく人間より背が高いくらいだ。エキゾチックな風貌で見栄えも良い、故に昔は多くの獣人たちが捕らえられ奴隷とされていた。

(それに比べて俺は……)

 童顔、童貞、低身長。兄弟の中に居たころは少々小さくても「末っ子だから」でごまかせたが、一人こうして離れるとそうは行かない。

 上等な絹の衣装を着て、織物で飾られた馬車に乗り、まるで花嫁のような行列に身を潜めていると、どんどん自分が情けなくなる。

 獣人の国の次代皇帝に嫁ぐ。

 そんな壮大なイベントは青蓮の人生の中で予定されていなかったのだ。

 どこかの役人か大きな農家のアルファの元に嫁ぐのはあるだろうと思っていたが、それですらまだまだ先の遠い話だと思っていたのに。

 青蓮はいまだに現実感の薄いまま、豪華な馬車に乗せられて嫁がされる。

 この馬車旅の終わりには、自分の夫が待ち構えているのだ。

(ほんと、実感ない)

 なんだかフワフワした頼りない感じに落ち着かない。

 急に不安になるというか、そわそわと落ち着かなくなるというか。

 婚姻前に気鬱になるという話を聞くが、これがそうなのだろうか?


『我が……よ』


 青蓮が馬車の中で落ち着かない気持ちでいると、不意に声が聞こえた。

「え?」

 慌てて馬車の窓から外を覗くと、さっきまで晴れ渡っていた空が驚くほど暗く曇天に覆われていた。

「青蓮様、雨が参ります! どうぞ、窓からお顔を下げられてお休み下さい」

 にゅっと顔を出した青蓮を見て、銀兎がすぐに馬を寄せて声をかけてきた。

「雨が降って、皆さんは大丈夫ですか?」

「問題は有りません。我ら獣人にとって雨空は恵みにも等しい。濡れる事を厭う者などおりません」

 水の匂いすら感じ始めた中で、銀兎はニッコリと微笑む。

(そうか、オオトカゲだっけ、この人……)

 他の獣人たちの方を見ても、皆、空を仰いだり先を眺めたりして、どこか嬉しそうな顔をしている。

(まあ、ずっと乾燥してたし、気持ちいいの……かな?)

 そんな風に思いながら馬車の中へと戻った青蓮だったが、青蓮自身もなんだかわくわくするような気持ちに落ち着かない。そわそわしたりわくわくしたり、なんだか情緒不安定な感じだ。

(なんだろうこれ……)

 今まで感じた事のない自身の変化に戸惑っていると、馬車の上空で稲光が光った。

「わっ! 雷!」

 思わず次に来る音に構えて身体を竦めると、ドーンッと馬車全体が大きく震えるような音がした。

「え?」

 雷ってこんなに衝撃があっただろうか?

 それとも馬車のすぐそばに落ちたのか……?

「銀兎さんっ! 大丈夫ですか……」

 外の様子を見ようと、馬車の窓へ視線を向けると、そこには赤くて黒いものが居た。

「ひっ!?」

 ぞわっと肌が粟立つ。

 黒くて赤いものは、ぎろりと青蓮を睨みつける。

 そこにあるのは巨大な目だった。

 しかも一つではない。まるで列になるように大きな目が四つ横に並んでいる。

「ひ、あ、ああっ……」

 青蓮は悲鳴を上げる事もできずに、馬車の奥へと尻で後退り、ただぶるぶると震える事しかできない。

『お前か』

 窓いっぱいの目がきゅっと弧を描くように細まる。

 赤くて黒い目が哂っている。

「あ……」

 その恐ろしさに青蓮の意識が遠のく。

 暗く視界が閉ざされる直前、赤くて黒いものがにゅっと馬車の中に入り込んできたのが見えた。


「青蓮様っ!?」

 ピタピタと冷たい手で頬を軽く叩かれて、青蓮は意識を取り戻した。

「あ、あれ……」

 目を開けるとどこかに寝かされているようで、天幕と心配そうな顔の銀兎が見えた。

「ああ、良かった。気がつかれましたか」

「俺、気を失ってた……あっ!」

 ぼんやりとしていた意識がハッキリして来るに従って、意識が遠のく直前に見たあの怪異が鮮やかに蘇る。

「あ、あのっ、馬車に、バケモノがっ!」

「バケモノとは不敬な」

 バケモノと言う言葉に応じたのか、褐色の肌の男が青蓮の顔を覗き込んできた。

 今まで見た事がない顔と肌の色だ。

「え? 誰……」

「お前の夫になる男だ」

「え……ええええええっ!?」

 バケモノの次は、いきなりの皇子様のご登場だ。

「渾沌様!?」

「如何にも」

 鷹揚にそう応えた男は、青蓮が想像していたのとはまるで違っていた。

 四方に跳ねるような癖のある黒く長い髪を後で高く結び、頭上には犬か狼のような三角のピンと立った獣耳、褐色の肌の顔は彫が深く確かに美丈夫と言えたが――その格好が凄まじかった。

 上は素肌に黒い毛皮の短い上着を羽織っただけ、下は皮製の袴を履いて黒い革の長靴ブーツを履いている。体格は素晴らしく良く、隣に居る銀兎が華奢に見える。青蓮と比べたら身長が一尺は違いそうだ。

 そんな男を一目見てまず思ったのは山賊だった。山賊の親玉がいきなり襲ってきたと考えるとしっくり来る――が、目の前のこの黒い男は皇子様なのだった。

「青蓮様が驚かれていらっしゃいますよ、殿下」

 銀兎が渾沌に耳打ちするようにそっと進言する。

「日頃から、身形はきちんとお整えくださいとアレだけ申しておりましたのに」

「お前の言うきちんとした格好では宮城からここまで来るのに時間がかかる。変化して飛ぶにはこの服が丁度良いのだ」

「……次期皇帝とも在ろうお方は、ご自分の足で跳んでは来られません」

「自分の嫁を迎えに来て何が悪い。俺が来なければこの先で緑楼国の山賊どもに襲われているところだぞ」

 緑楼国は白夜皇国と隣接する国だが、どこの国とも国交がない特殊な国だ。

 元は白夜皇国に滅ぼされた夜楼国の残党が起こした小さな国で、常に白夜を狙い続けている面倒な相手だった。

「山賊どもはいかがなさいましたか?」

「皆、渓谷に突き落としてきた。生きている者は居るまい」

「それはよろしゅうございました」

 銀兎は態度だけは慇懃な様子を崩さずに渾沌に向けて頭と垂れると、ついっと青蓮の方へ向き直った。

「青蓮様、こんな形でのご対面となってしまわれましたが、白夜皇国次代皇帝になられます渾沌殿下でございます」

「あ……はい。青蓮です」

 身体を起こして座ったままで、青蓮は呆然と渾沌を見つめた。

(野性味のある美丈夫……)


 従者たちが何故絵姿を持参してこなかったのか、ほんの少し察する事が出来てしまった青蓮であった。

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