末っ子オメガとバケモノの獣人。
貴津
オメガの嫁入り
第1話 あんた、嫁に行きなさい。
「え……なにこれ……」
目の前に山と積まれたのは金銀財宝に錦の織物、米に酒に珍しい乾物も山盛り、家の外には羊と山羊がつながれメーメー鳴いているのが聞こえる。
家畜がたくさん外にいるのに良い香りがするのは、高級な香木が香炉で焚かれているからだ。その香炉も金と螺鈿細工で彩られた見た事もないような高級品だ。
貧乏な田舎の役人一家の家は、国主のいる宮城のある都でも見かける事のないような調度品と財宝に溢れかえっている。
「こちらは全て
「俺への……」
青蓮は今まで袖を通した事もないような肌さわりの良い絹の服を着せられて、その結納品という名の財宝の前に座らされていた。
目の前に詰まれた財宝の横では仕立ての良い着物を着た男が恭しく傅いている。
青蓮の国では配偶者を娶る時には相手の実家に結納の品を贈るしきたりがある。どんなに貧しい家でも結婚の時は花や穀物、裕福ならば家畜などを贈る。
「結納……」
目の前に詰まれた品々を眺めながら青蓮は呆然と呟いた。
青蓮に結婚の予定はない。
5人兄弟の末っ子で、オメガ性に生まれた青蓮はいずれ誰かの家に嫁ぐとは思っていた。
オメガ性の者はその家の跡継ぎにはならず、他所の家に嫁ぐのが一般的だからだ。
だがそれは一般的だというだけで、今、すぐにでも結婚しないと死ぬような事はないし、青蓮には恋人も居らず縁談もなく結婚の予定は微塵もなかった。
今日の朝、目が覚めるときまでは。
◆ ◇ ◆
事の始まりは数時間前。
「ちょっと、あんた、嫁に行きなさい」
5人兄弟の頂点に君臨する長女の
「え?」
「え? じゃないわよ。嫁に行くのよ」
「いや、ちょっと待って、俺そんな予定ないよ」
「予定なら作ってきてやったわよ。ほらこれ」
顔の前に上等な紙に達筆で記された知らせ書きが突き出された。
その内容は読まなくとも知っている。数日前に公示されてから、村ではその話題で持ちきりだった。
『白夜皇国の第一皇子・渾沌殿下の妃となる者を募る』
募るなんて書いてあったが、それは体のいい花嫁狩りだった。
次期皇帝の妃なんて書かれると素晴らしい縁談に見えるかもしれないが、こんなド田舎にまで張り紙を出して探さねばならない程なり手がないのだ。
それは白夜皇国が獣人たちの国だからだ。
この世界では人間と獣人の間には大きな身分の隔たりがあり、白夜皇国以外では獣人の身分はきわめて低い。
そんな国に嫁に行くのを望む人間など居るはずがなく、都から遠くはなれた僻地の青蓮たちの村にまで張り紙をして知らせて人を集めている。
集めているというのも正しくないかもしれない。
希望者がなければ村としては強制的にでも人を差し出さねばならず、案の定、なり手などないので昨日占いによって村長の娘が候補者と決まったはずだった。
慌ててその事を告げると、春菊は唇をゆがめるようにして人の悪い笑みを浮かべると言った。
「村長の屋敷はもぬけの殻よ。一晩でいなくなったのに装飾品まで全部持って逃げたみたいね。裏山へ続く道に馬車の轍が残っていたそうよ」
「ええっ!? 村長、夜逃げしたの? どうすんの!? この村!?」
情報がいっぱいいっぱいだ。
花嫁候補と一緒に村長まで居なくなってしまった。
「だから、あんたが嫁に行くのよ」
「は、話し通じないんだけど……」
自信満々に言う春菊の言葉が青蓮には全くわけがわからない。
「村長がいなくなった以上、他の人間が代わりを勤めなければならないわ。その仕事は誰に当たると思う?」
「えー、と、副村長の父さん」
「そう。副村長である父さんが当然跡を継ぐ。そして、その父さんが一番最初にしなければならない仕事は?」
「年貢の管理?」
「阿呆! そんなことより先にする事があるでしょ! 白夜皇国の使者は今日の夜にも村に来るのよ!」
「ええっ! じゃあ、代わりの嫁候補どうするの!? 村長と一緒に逃げちゃったんでしょ!?」
「そこでお前の出番じゃないの!」
「え!?」
「嫁候補の資格は健康で若い女性かオメガ性の者。あんたは歳もまだ若い、そしてこの村唯一のオメガ性!」
「え、え? ええ? ちょ、ちょっとまって! そうだけど、俺オメガだけど」
人間には男女と言う性別とは別にアルファ、ベータ、オメガという三つの性が存在している。
獣人にはアルファとベータしか存在せず、人間にはアルファとベータ以外にオメガ性が存在し、人間特有の性とされている。
オメガ性は男女の差別なく出産が可能で、特に獣人との相性がよく獣人の男女間よりも出生率が高いので獣人たちには重宝されているのだそうだ。
「あんたの使命は唯一つ!」
春菊がびしっと青蓮の目の前に指を立てる。
「あんた、嫁に行きなさい」
こうして、望んだわけでもないのに青蓮は嫁に行く事となった。
そして、冒頭の結納の話となるのである。
「謹んでお受けいたします」
両親が使者に対して恭しく頭を垂れる。
青蓮がそれをボケッと見ていると、横に立つ春菊からド突かれた。
早く頭を下げろと足まで踏まれて、青蓮はしぶしぶ両親に習って頭を垂れる。
「……お受けいたします」
すると使者は慌てたように青蓮に頭を上げるように言った。
「青蓮様はこの先に后妃となられるお方。私どもに頭を垂れる必要はございません。青蓮様より位が高いのは白夜皇国現皇帝の
聞けば現皇帝の白虎様のお妃は早くに病で亡くなられ、その後は側室も持たず独身を貫いているのだという。
「白夜皇国では後宮は御妃様お一人のためのものなのです。側室を持たれた皇帝も居られましたが、皇帝陛下は世襲ではなく選ばれますので、複数の側室を持って権力争いなどが生まれるよりはと、お一人で過ごされる方が多いのです」
使者はその事を誇らしげに語った。話の最後に「人間とは違って」と言う言葉が聞こえてきそうだ。
白夜皇国は獣人たちの国だが、人間との差別の大きなこの世界でも人間と対等に扱われるほどの強国でもある。彼らは白夜皇国の民である事を誇りにしていた。
古くから獣人たちは獣と人の混血として差別されてきた。実際には獣人はほぼ突然変異に近く、人間同士であっても獣の耳と尾を持つ子供は生まれる事がわかっている。しかし、それがわかっても差別の解消にはならず、長い間、獣人たちは人間から蔑まれ、その恵まれた身体能力を支配によって封じられていた。
500年ほど前、長く奴隷として扱われていた獣人たちは蜂起し、
代々の皇帝は世襲ではなく、国の中に生まれた獣人の中に稀に完全に獣の姿に変化できるものが現れる。その中から身体と知能に優れたものが選ばれるのだという。
徹底した実力主義の国であり、今も国力が衰えることなく、人間たちもその存在には一目置き、周囲に大きな影響力を持つ国となっている。
そうして、現皇帝が退位を決め、市中から選ばれたのが青蓮の夫となる渾沌皇子だ。
そして皇子は皇帝に即位する際に妻を娶るのが国の中でのしきたりなのだと言う。
使者はそれは誇らしげに白夜皇国の起こりとしきたりについて青蓮に説明した。
使者も獣人だ。多分鹿だと思われる茶色の耳と黒っぽい角が頭にある。
それを隠しもせずにいられる事。それは確かに誇らしいことかもしれない。
(じゃあ、国の中で一番強い女でも選べばいいじゃん)
青蓮は胸の中でそっと毒づく。
オメガ性で生まれた以上、どこかの男に嫁ぐのだとは覚悟していたが、よりによって顔も知らぬ獣人に嫁ぐ事になるとは。
青蓮にはそこまで獣人に強い差別感はない。だが、それでも同じ人間ではないというだけで抵抗感はどうしてもある。
獣人たちの混じり具合は人それぞれで、何らかの動物の耳と尾を持つだけのものから、獣の頭を持つもの、獣の半身を持つものなど色々いる。しかも、強いものほど獣の部分が多いと聞く。
(皇帝陛下って人間の部分があるのかな……)
国中から選ばれた一番強い男。そんな獣人はどんななんだろう。
「……って、俺って「花嫁候補」なんですよね? 他の方とかいるんじゃ……」
そうだ、他の村や町からも俺と同じように候補が人柱として出されているはずだ。
青蓮のいる華風国は白夜皇国に隣接しており、人間より優れた身体能力を持つ獣人の率いる軍と戦闘ともなれば跡形もなくなるような弱小国だ。
華風国が白夜皇国に攻め込まれていないのは、国交を重んじ、こうして難題を吹っかけられても粛々と従っているからに他ならない。
そんな力関係の中、妃候補を探すなどと要求されても拒否する事などできはしない。
「私どももいつまでもこの国に滞在するわけには参りません。他の土地からはご連絡がありませんでしたので……」
使者はニッコリと微笑んだ。
それ以上は言葉にしなくても察しろと言うものだ。
(つか、ずるい! 他の村はバックれたのか!? バカ正直に人柱を差し出したのはこの村だけなのか!?)
しかし、それを言葉にする事はせずに、青蓮は頬を引きつらせて愛想笑いを作った。そろそろ春菊に踏みしめられた足がおかしくなりそうだ。
「あー、ですよねぇ……」
青蓮は天を仰ぎたい気持ちだった。
逃げ出した村長一家が恨めしい。
だが、もう、どんなに恨み言を言っても覆りそうにはない。
花嫁としての仕度はすべて白夜皇国側が整えてくれた。
使者は複数の馬車に結納品と嫁入りに必要な準備をすべて整えて村に現れたのだ。
豪奢な馬車は10台を超え、特に豪華な先頭の馬車以外には青蓮の前に詰まれた結納品と花嫁のための支度が収められていた。
使者との対面は家族全員正装で行われる事になり、青蓮は使者から渡された上等な赤い装束を着せられて、青蓮の家の中はすっかり祝賀ムードに溢れていた。
窓の外を見ると最初は不安そうに見ていた村人たちの目が、今ではすっかり羨望に変わっている。
こんな豪勢な結納品も仕度も見た事がない。
副村長から村長になる父は公平な人間だから、きっとこの結納も我が家だけのものにはせず、この貧しい村のみなと平等に分かち合うことだろう。
オメガ性の男子は月に一度の発情があり、身体も大きくなく肉体労働には向かない。そのために出世するなら宮城に上がって役人になるなどするのだが、その器量も青蓮にはない。いずれどこかに嫁ぐまで、父親の仕事を手伝いながら毎日帳簿に向うだけの日々と比べれば大出世には違いない。貧しい村に大金をもたらし、他国とはいえ王族に嫁ぐ、村の誉れだ。
そんな誉れをかなぐり捨てて逃げたいなどとは絶対に言えない。
末っ子オメガの青蓮には、拒否権も何もないのだった。
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