第5話 呪縛~思いがけない彼女の深層

紛れもなく彼女だった。

真正面に向き直ったぼくは、少しやつれた彼女を見た。

居るはずのないぼくがここに居て相当驚いたのだろう。

大きな瞳を見開いて口元に手をやり、立ち尽くしている彼女。

彼女の足元には先程まで彼女の手にあったであろう花束、驚いて落としたのだろう。

ぼくは彼女に近付き、その花束を拾い上げた。

「ひさしぶり……恵さん……ではないのかな。こうして生きているのだから」

「……」

彼女は黙っていた。大きな瞳からは大粒の雫がこぼれ落ちる。

ぼくの言葉で目を伏せ、更に雫は芝生に落ちて行く。

「急に居なくなったから心配しました。でも……会えて良かった!良かったよ……」

「……どうして……」

ポツリと彼女が小さな涙声で呟いた。

「もう一度、貴女の、あの笑顔を見たかったんです。それだけで……ここまで」

俯いたまま身動きしない彼女。

「……」

何かを言葉にしようとして言葉にならない。

ぼくは拾った花束を渡しながら言葉を続けた。

「でも、今のままじゃあの笑顔には会えそうにないですね……」

「ごめんなさい……あの……」

ぼくは遮る様に言葉を被せた。

「いいんです、貴女が誰だって。何者だって構わないんです、ぼくは」

本当にどうでも良かった。あの、最初に彼女の家で他愛もない話をして、少女の様に笑い転げる彼女に戻ってくれるなら。もう一度あの笑顔になってくれるなら。

「こんな所まで追いかけて来て、ごめんなさい。ストーカーじゃあるまいし」

「……そんな事……」

「でも、我慢出来なかったんです、ごめんなさい」

「涼太さんのせいじゃない……です。わたしが……」

「ぼく、帰ります、あの街に。でも、諦めませんから!貴女の笑顔また見たいから。絶対諦めませんから!」

いつのまにか随分大きな声で訴えていた。

ハッとして一呼吸して、出来るだけ優しい声を絞り出した。

「帰って来ますよね?ぼく待ってますから。ずっと……ずっと」

彼女は俯いたまま涙を零しながら頷いた。

ぼくにはそれだけで十分だった。

ぼくは静かに深呼吸して彼女に一礼をして立ち去ろうとした。

すれ違った後

後ろから彼女に腕を掴まれ足を止めた。

そっと彼女に顔を向けたが、俯いたままポケットから何かを取り出し、ぼくに何かを握らせた。

掌をゆっくり開く。

見覚えのある短いリボンのついた銀色の鍵。

以前彼女から借りた家の鍵だった。

彼女はぼくに目を合わせる事なく踵を返し、墓に向かった。

鍵をポケットにしまいこんで、ぼくもその場を立ち去った。


彼女に会えた事自体は物凄く嬉しくて、こんな奇跡はないくらいだと感じた。

そして本当は腕を引っ張って連れて帰りたかった。

でも、なぜかそうしなかった。

なぜか出来ないと思った。戻ると頷いた。

信じよう。

今は待つ事しか出来ない。

ぼくの頭は何かを考えようとして纏まらず空回りしている。

来た道をとぼとぼと戻りバス停でオンボロバスを待つ。

そういや今日何も食ってないや……前に行った商店街に行こうかな。

帰るのは明日朝にしよっかな。

ぼくはオンボロバスに揺られ駅を通り越しまず腹ごしらえ、色々な入り混じる感情のストレスのせいかめっ〜ちゃ食った。

その後、銭湯で汗を流し出る頃には日も傾き夕暮れ時。

缶ビールを数本買い込んでから駅にあるいつもの素泊まり宿に歩いて戻った。

駅には着いたが、熱い風呂に入ったからなのか頭がボーッとしていて、もう少し夜風に当たりたい気分だった。

ぼくは、ボロボロのベンチにどかっと座り込んでビールの缶を開けた。

何となく宙を仰いで暮れて行く空を眺めた。

相当な脱力感。

何気に手を突っ込んだポケット、手に当たる固い感触。

別れ際に彼女が握らせた銀の鍵、そいつをそっと取り出して眺めてみる。

「おいお前、またぼくの所に戻って来ちゃったな……」

いつもはビール一本くらいじゃ酔わないのに、鍵に向かって独り言。

疲れて酔いがまわったかな。

結局ビールを空にして明日朝の電車の時刻だけチラッと覗いてフラフラ宿の自室へ戻って横になる。

そしていつのまにか深い闇に落ちていた。

次の日、朝目覚めて荷物をまとめそそくさと電車に乗り込み自分の街へ。

今やっと思い出した積み上がっているだろう仕事の山を想像してウンザリしながら。



いつもの日常に戻ったぼくを待っていたのは案の定仕事の山だった。

息つく暇もないくらいの激務が三日間続き、その後やっと何とかひと段落した。

その間は何する事も出来ずただ仕事をしていた。

彼女の事も気にはなったけど仕方なかった。

久しぶりに鍵を預かった事だし彼女の家に寄ってみたが、まだ戻っている雰囲気は無かった。

それ以来帰りに寄る事が習慣になった。


そして週末には空気を入れ替えカビとか生えない様に掃除したりした。

流石に彼女の部屋は入る事が躊躇われたのでやめておいた。(興味はあったけれども……)

そんな事が続いて、大雨が降った次の日、今週も良く働いたなーと自画自賛した後、気持ち良く晴れた土曜日。

いつもの様に彼女の家に行き窓を開け空気を入れ替える。

頭にタオルなんか巻いて掃除機かけたり窓拭いたりトイレ掃除したりして、我ながら綺麗になったと思った。

リビングにどっかりと大の字に倒れ込んでみた。

その時、ガチャリと玄関のドアが開いて、大きな窓から雨の後の済んだ風が舞い込んで白いレースのカーテンを大きくはためかせる。

ぼくは立ち上がりはためくカーテンを払い除けると、そこには白いワンピース姿の彼女が立っていた。

やっと帰ってきた!

「おかえり!」

多分、今ぼくは最大の笑みを浮かべているだろう。

少しビクッとしたが、彼女はその場へ荷物を放り出しパンプスを蹴り飛ばしてぼくの方へ駆け出した。

一瞬で彼女の微かな甘い香りがぼくに絡まり張り付いた。

ぼくは腕を上げたまま硬直する。

「あ……あの、今掃除してたんだ。汚れているかもしれないし、汚れ移っちゃうかもだよ?」

そう告げると一層ぼくに彼女の腕が絡まる。

「いいの……」

耳元で囁く彼女が愛おしくて、上げてた腕をそっと彼女の背中に回し抱き締める。

「初めて抱き締められちゃったね……」

彼女はそう言うとぼくの肩辺りで泣き始めた。

ぼくはそのまま固まるしか無かった。


一頻り泣いた彼女を宥め、だいぶ疲れていた様だったので自室で休む様に伝え、ぼくはあの二人行ったスーパーに買い出しに出かけることにした。

今夜はまたぼくのインチキ料理フルコースになるだろう。

体調も気になるからあまり脂っこいもの控えて野菜スープとかがいいかなー?

そんな事を考えながら野菜とか買い込んで家に戻り、その晩は二人で穏やかに過ごした。

だがやはり会話はぎこちないもので終始した。

ぼくもイマイチ突っ込んで聞く気にもなれず。

その日は久しぶりに彼女の家に泊まった。

もちろんぼくはリビングで。



目覚めた次の日も天気は良く、風が雲を速く運んで行く。

ぼくは大きな窓を開け放ち、心地よい風を招き入れる。

また白いカーテンを風が弄ぶ。

大きく伸びをして胸一杯空気を吸い込む。

そうしていると二階から薄いキャミソール姿の彼女が降りてきた。

透き通る様な白い肌が眩しすぎて、ぼくをドキドキさせた。

「お、おはよう!」

ドギマギしているのを誤魔化す様に、ぎこちなく挨拶したがバレているかもしれない。

何気なく視線を逸らしてどかっと地べたに座り込むと、何故か彼女は回り込んでぼくの前に来た。

えっ……何?とオロオロするけど、彼女はじっとぼくを見据え、何か思い詰めた表情だ。

ぼくは見上げる様にその表情を見ていた。

「……どう……したの?」

次の瞬間、彼女は肩紐を外しキャミソールをストンと床に落とした。

「うわっ!何を……」

突然の行動に驚き、彼女を見ない様に手を覆おうとした……

が、その白い肌に釘ずけになってしまった。

下着姿の彼女の胸辺りから腹部までを縦断する大きな傷痕があったのだ。

「醜

みにく

いでしょ?こんなになっちゃった……どうしよう」

そう言うと彼女はまた大粒の涙を落とした。

ぼくは、黙って近くにあった薄手のタオルケットで優しく彼女を包んだ。

そして、

「そんな事ないよ。綺麗だよ。眩しすぎるよ……」

などと言ってみたが、空々しかっただろうか。

「あーあ、こんなんじゃビキニはもう着れないね……」

無理やり元気に振る舞う様に、寂しそうに声を上げた。

ぼくと背中合わせに座った彼女はそれまで明かさなかった事を語り始めた。

「わたしね、本当の名前は恵子。泉原 恵子。恵はわたしの母親。恵の子だから恵子。凄い安直な名前だよね。母はね、わたしが高校生の時に死んだの。涼太さんが居たお墓は母のよ」

顔が見えないのは幸いで、ぼくは実際どんな顔して良いかわからなかった。

「母はね、シングルマザーで、わたしを一人で育てたの。詳しくは話さなかった。でも、相当苦労したみたい。もうホントボロボロだったわ。わたしは父親の事はよく知らない。母は何も言わなかったの。ホント感謝しているの母には。高校までだけどちゃんと育ててくれたもの。高校3年の時に、遂に母は倒れて入院してしまったの。頼れる身内も居なくて、色々な所に相談もして、何とか生活出来るだけの支援を受けられる様になって、病院にもちゃんとお金を支払うのにはギリ困らない状態にはなれたの。それまでは良かった。」

ぼくは黙って背中にもたれ掛かる彼女の体温を感じながら聞いていた。

「母はね、肺の病気だったの。どんどん肺の機能が失われる病気。日に日に息が荒くなっていった。わたしだけ主治医に呼ばれて……もう長くないかもと言われたの。真綿で締める様にどんどん母の命は削られていった。見ていて辛かった。わたしがもうすぐで卒業って時にその時は来たの。ある晩、もう話も出来なくなっていた母は人工呼吸器フル回転で回しても間に合わない程、跳ねるくらいの発作を起こしたの。わたしは泊まり込みで看病していて、夜中だったけどナースコールでお医者さんや看護師さんを呼んで……」

思い出したのか再び涙声に。

「緊急の処置が行われたんだけど、成す術のなく見守るしかなくて……。主治医からもう救かる見込みは無いって。息するだけ苦しむって。すぐに判断して欲しいと言われて、でも、人の命なんだよ……、苦しませない様にって、息を止めちゃうって事なんだよ……、でも身寄りはわたししかいないから相談もできなくて、決めるしかなかった。泣きながら、もう楽にしてあげて下さいって……」

彼女は振り絞る様に言葉を続けた。

ぼくは背中越しに伝わってくる気持ちを感じていた。

「わたしが……母を……殺したの。息を止めたの」

弱々しくそう言った。

何かぼくは慰めの言葉を探したが、無責任な気がして見つける事が出来なかった。

彼女は気持ちを整える様に何度か深呼吸して、暫くしてから続けた。


「あの状態では仕方なかった。どうすることもできなかった。わかってる。わかっているのだけれど、とても割り切る事が出来なかった。そんな中でも心配してくれた男性がいたんだけどね、何かと励ましてくれて。高校の時の同級生。ホントはどんな風に思っていたのかわからないんだけど、その時は自分だけで精一杯で彼の気持ちがどうのとか考えられなくて。でも凄く優しくしてくれたの。一人になってしまった寂しさでいっぱいだったけど、助かったって思った。もう卒業間近で彼は進学、わたしは就職、離れ離れになるのがわかっていたのだけど、束の間、気分を楽にさせてくれた。小さい田舎の町だから噂で何でも伝わってしまうのね。暫くして彼がバイクの事故で亡くなったって。悲しかった……また独りになってしまった。あんなに優しくしてくれたのに、何も返す事も出来なかった。何でこんなに悲しい事ばかり、わたしの周りで起きるのだろうと……。でも今から思えば自分の事しか考えてなかったんだよね、わたし。嫌な女。」

黙って聞き続けた。

「わたしは逃げる様にあの町を離れて都会の会社に勤め始めた。高卒だから簡単な事務仕事とお茶汲みくらいだったけど、色々を振り切る様に仕事しまくった。残業も二つ返事で何でも引き受けて。あの頃は無だった。お誘いを受ける事もたまにはあったけど、お断りしていたの。そんな気分になれなくて……。家と職場の往き来だけで仕事以外は空っぽだった。凄くたまに虚しさが溢れて一人で泣く事もあった。数年経って、そんなある時、わたしが無理して仕事しているのを見てたグループのリーダーのポジションの人が、そんなに無理すんなって。わたしを評価してくれた人、仕事も雑用ばっかりじゃなくて、ちゃんと仕事を教えてくれて色々。信頼できる上司って感じだった。その人のおかげで、割と大きなプロジェクトに参加させてもらう機会も増えていったの。まともに認められたって思って凄く嬉しかった。」


なるほど……文房具をぼくがすぐ買わされてしまうのはプレゼン力の賜物かと、心の中で苦笑いをした。


「仕事が面白くなっていって、いつしか辛い思いも過去に出来たと思っていたの。同僚にも最近明るくなったねって言われたりして。それまでは自分から避けてたから付き合い悪くて、全部スルーしてたのを弄られたりして、徐々に飲み会とかにも参加する様になって。最初はみんなに謝り倒したわ。悲しい事が沢山あった程度にしか言わなかったけど。そうしたらみんな優しくて……察してくれて。嬉しかったな。」


「何もかも順調だったそんな時、あるプロジェクトで他社と連携する事になって、わたしもメンバーに選ばれて。その中にある男性がいてね。その人、見た目がチャラくて馴れ馴れしいし信用できないなーって思ってて。事ある毎に飲みに行こうって誘ってきて、嫌だなぁって思ったの。あんまりしつこいんで、ある時思いっきり引っ叩いてやったの。プロジェクトあるのに張り倒しちゃったの……あーあ、やっちゃったって思って、すぐ上司に謝りの連絡入れてね。必死に謝ったら、もういい、おれが何とかしてやるってグループリーダーが。そしたら怒ったリーダーが相手の会社に苦情の電話入れたらしくて大騒ぎになっちゃって。次の日、殴っちゃった人とその上司の人が平謝りで謝りに来ちゃて。リーダーのやってやった感のドヤ顔!その人プロジェクトから外されちゃって、ちょっと可哀想だったかなって。」


うへぇ、思ったより強いぞ恵子さん(苦笑)気をつけよう……


「プロジェクトも無事終わってその後ね、ばったりその人と会っちゃって、凄く丁寧に謝られちゃって。何だか申し訳なくなっちゃって、わたしもやり過ぎたと謝ったの。そしたら、お詫びに奢らせてください!とか言ってきて、懲りてないでしょ!って怒ったら、はい!って言ったの(笑)わたし可笑しくなっちゃって。一回だけって言って飲みに行ったの。それからなんか、たまに飲みに行く様になっちゃって。あ、でもね、リーダーに怒られちゃってるし、わたしも気不味かったからコッソリと会ってたのね。見かけよりも悪い人ではなかったんだけど、子供っぽいというか少年というか、そんな人だった。その時はもう悲しい思いは何処かへ行ってて、時間の流れが早く感じた。その彼とこっそりのお付き合いみたいになって一年くらい経った頃、茶髪を染めてなんか畏まっちゃって、おれとちゃんと先を考えて欲しいとか言われたの。結婚とかはまだ早いなとも感じたんだけど、正式にお付き合いって事なら言葉にすべきなのかなって。でもその場は言葉を濁して、よく考えさせてって終えたの。」


ああ、やっぱりいたのか……婚約者。ぼくの心は重く沈んで行く……


「だけどね、何日かしたら暗い声で、おれのことは忘れてって電話があったの。あまりに一方的で納得いかないから問い詰めたんだけど何も話してくれなくて切られちゃって。プロジェクト絡みで彼の会社の何人か知っていたから事情聞いてみたんだけど、会社の健康診断で再検査出ちゃって〜とか言ってて人間ドック行ったって。彼、がんだったらしくて、若いから進行も早いって、全身がんだらけだって……」


えっ……マジか……更に言葉が見つからないよ。


「そのまま死んじゃった……。それでわかったの。わたしが幸せになろうとすると、必ず壊れるの……母が妬んでるのよ、わたしに殺されて。母だって幸せになりたかった。でもなれなかった。わたしに邪魔されて。」


やっとぼくは口を開く

「そんな事……」

無いと言いかけて


「あるのよ!女の嫉妬は怖いものね。結局、会社も辞めてここへ越して来た。また逃げる様に。そして、嫉妬する母の代わりに生きようとした。恵として、一人で生きようとした。でも……悲しかった。寂しかった。苦しかった。張り付いた笑顔の仮面付けて……助けて!そう何処かでいつも叫んでいたのよ。」

「そんな時貴方が現れたのよ。仮面でも笑顔が良いなんて言う……優しすぎる貴方が。つい頼りたくなって……自分勝手よね、巻き込んじゃいけないのに。そう思ったら自分に来ちゃった。手術して今は経過観察だけど。わたしはいない方がいいと思った。消えようと思った。でも追いかけて来ちゃった……探しようも無いと思っていた所まで!どうしよう、どうしたら良いの?このままじゃ貴方も死んじゃう……」


再び涙で声が震える。


「ごめんなさい、身勝手で……巻き込んでしまったかもしれない。わかったでしょ?でも今からでも遅く無いかも。鍵なんて渡すべきじゃなかった。忘れて下さい。お願いします。お願いします……」

一部始終を話すのには勇気も必要だったろう。

余程悩んでいたに違いない。

ぼくはゆっくり話し出す。

「そうだね、身勝手だね」

「えっ……」

彼女は短く声を発したが黙ってしまった。

「大変な辛い思いをして来たんだね。それは、わかったなんて簡単に言えない。でも、最後の部分にぼくの意見は入ってないよね?諦めないって言いました、ぼく。絶対って言いました。もう一度、恵子さんの笑顔が見たいって」

「でも……」

「ねぇ、恵子さん!」

ぼくは振り向いて彼女の顔を覗き込んだ。

「ぼくにもうワンチャンくれませんか?」

「え?何?」

彼女の頬は涙でたっぷり濡れていた。

「来週末もう一回恵さん、お母さんのお墓参りに行きませんか?二人で!」

「行ってどうするの?」

「まぁいいから。ぼくに任せて」

しばらくの沈黙の後、

「わかりました」

渋々ながら彼女は承諾してくれた。そして……



いつのまにか、ぼくは彼女とそういう関係になっていた。

と言っても、未だ手すら握ったことなどない。

ただ、同じ空間に居ること。

その関係をどう説明していいかは、ぼくは、まだわからない。


彼女の家にいる事が極端に多くなった。

なにか自然に居る事が出来ている気がする。

でも彼女は母の呪縛を怖れているのか、必要以上に接触してこない。

でもぼくは一緒に居られるだけで良かった。

そんな不思議な生活を経て、週末がやって来た。

約束の日。

ぼくは一世一代の賭けに出る。


少し緊張気味なのか二人共言葉少なく支度を進める。

と言ってもこの前みたいに迷わない分、日帰りだし軽装で身軽だ。

彼女はあの時の白いワンピースだ。

気になってはみたけど聞かなかった。

そして電車に長い間揺られ乗り継ぎ、あの古めかしい駅にぼくらは戻ってきた。

彼女は終始俯いていた。

「なんかこの前来たのが随分前の様な気がするな……」

聞こえてはいるだろうけど、彼女は黙ってぼくの横のやや後ろに並んでいる。

ボロベンチも懐かしく感じてしまう。

そして、あのオンボロバスを待つ。

今度は彼女と二人で。

不思議な感覚。

サスペンションのへたったバスはユラユラ揺れながらぼくらをあの寺院まで運んで行く。

降りた後30分程歩くと木造の門が見えてくる。

前みたいにぼくはポケットの小銭の五円玉を賽銭箱に放り込み手を合わせる。

彼女も習って同じく手を合わせる。

脇を抜け公園墓地に出る。

芝生が綺麗に整えられ清々しい。

やっぱり墓地である事を忘れてしまいそうだ。

「あ、待って」

彼女に呼び止められ振り向くと、前は気付かなかったが、脇に小さなプレハブ小屋が木陰に隠れていた。

中に入ると老婆が椅子に腰掛けていた。

周りには線香やら花束が置いてある。

「ああ、こんな所に売っていたんだね」

墓に供えるものの販売所だった。

線香と花束をささっと彼女が手に取る。

「あ、今日はぼくが」

と、さっと老婆に支払いする。

「え、でも、いいよ」

「いや、今日はぼくのターンだねっ」

と彼女を制した。

咄嗟に出たけどターンってなんだ(笑)

彼女は貸し出し用の桶と柄杓を受け取って水を汲む。

いよいよ“彼女”の所へ。


芝生の上をゆっくり進み大きな木の木陰を目指す。

以前と変わらない小さめの石碑だけだ。

そこには泉原 恵の名が掘られている。

水桶から柄杓で水をかけ、台に線香を手向ける。

花束を供えて二人で墓前にしゃがみ込み、手を合わせる。

彼女は目を閉じ手を合わせている。

ぼくは敢えて声を出して語りかけ始めた。

「恵さん、初めまして……ではないですよね、お久しぶりです。あの時は貴女が誰だかわからずに祈っていましたから微妙ですけどね。恵子さんから色々聞きました。相当苦労されたんですね。お疲れ様でした。そしてもう安らかに眠っていただけないでしょうか!」

「えっ、ちょっと……」

戸惑う彼女。

「そりゃ辛かったのでしょう。幸せにもなりたかったでしょう。でも、亡くなられていますよ?それは娘さんの恵子さんのせいでは無いでしょう?」

「……」

彼女は黙ってしまったまま聞いている。

「ぼくは……貴女の娘さんが好きです!」

ぼくはチラッと彼女の方へ視線を送る

「!」

そりゃ驚くよな(苦笑)

「だからもう恵子さんを自由にして下さい!貴女の娘かもしれないけど、貴女の分身じゃ無い。代わりでも無い。恵子さんの人生は恵子さんのものです。親にだって邪魔する権利はないでしょ?」

また彼女を泣かせてしまった……涙がこぼれ地面に落ちる。

「もし……どうしても妬ましいなら、ぼくを殺すといい!でも簡単には死なないから」

一世一代の啖呵を切った。

「ダメ!もうやめて……もういいよ。涼太さんを連れてかないで!」

彼女の悲鳴にも似た叫びだった。

「だったら……」

ぼくは言いながら小箱をポケットから取り出して、彼女の前で開けた。

「だめだったら……もし失敗しちゃったら、ぼくと地獄に落ちてください。恵子さん!」

指輪を見せてニッコリ笑って見せるぼく。

「わたしだって!わたしだって、幸せになりたいよ!幸せになって良いのかな?!出来るならなりたいよ!」

彼女はそう叫んでわんわん子供みたいに泣いた。

「キズモノだよ?わたし。いいの?」

涙が止めどなく溢れ流れ落ちる。

「じゃあ、ディスカウントしてくれる?(笑)」

ぼくはおどけて見せた。

「ばか!はか!ばか……」

泣きながらぽかぽかぼくを片手で叩く。

「ばか!ばか!……好き‼︎」

最後に彼女はぼくに抱きついた。抱きついてまたわーんと泣き出した。

片手で頭を撫でヨシヨシと落ち着かせた。

「返事、聞いてないよ?」

ぼくが言うと彼女は涙でくしゃくしゃな顔で

「はいっ!」

と答え、無理矢理ニッコリ笑って見せた。

きっと今までで一番良い笑顔で。

ぼくは彼女の左手を取って薬指に指輪をはめた。

「あ……」

「あ……」

二人同時に間の抜けた声を上げた。ぶかぶかだった(笑)

「はは……一緒にお直しに行こうねぇ」

頭を掻きながら誤魔化すと

「ばか(笑)」

そう言いながらキスをした。

そっと離すと石碑に向かって彼女は言った。

「もう母さんの真似は辞めた!もう母さんのワンピースも着ない!ちゃんと病気治しても一回やり直す!この人と……」

そう言って彼女はぼくの腕に絡まった。そして、上目遣いで……

「信じていいの?死なない?」

潤んだ目をした彼女の破壊力は絶大だった。

「うん、死なないっ」

自信なんて無いけど、死にたく無い!ただそう思った。






数ヶ月後、既にぼくは住んでいた部屋を引き払い、彼女の家に転がり込んでいた。

彼女もまだ本調子では無いけれど、顔色はだいぶ良さそうだ。

ぼくはポストの中の封書やチラシを取り出して家に入ってきた。

「お、恵子ぉ〜きみ宛の封書があるよ〜?病院からみたい」

「あっ、ありがと涼太ぁ」

その封書を早速ペーパーナイフを差し込んで開ける。


三つ折りになっていた書面の末尾には……



寛解




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