着物と絵師∽欠片犯罪/3

 一方、その頃――。


「……あいかわらずイイ男だな」

「褒めても、なにも出ませんよ」


 向かい合っている男は苦笑するが、さっきの言葉は世辞ではない。有能ありよし秀樹ひできの本音である。

 灰色の髪と青い瞳を持つその男は、ひたすら凛々しい。こうして、ソファに腰かけていてもわかる長身を黒ネクタイが締められた白いワイシャツ、黒のベストとスーツパンツが包んでいる。男の名は黒藤くろふじかい灰原探偵事務所はいばらたんていじむしょの所長。そして、ここはコンクリート造りのビルに似つかわしくない西洋扉の奥にある彼の事務所だ。


「はい、ヒデさん」


 カイの六歳下の弟――黒藤くろふじ煤武すすむがカップを有能に差し出す。コーヒーを運んできた彼のお盆にはまだ二つのマグカップが乗っていて、片方は兄に、そしてミルクの入ったほうは自分が持って、カイの隣に座った。


 それにしても、この二人。並んで座っても、まったく兄弟には見えない。


 髪と瞳の色、身長と顔の造形が日本人離れしているカイに対して、煤武は顔が幼い印象を与える以外、黒髪黒目(青みがかってはいるが)という日本人にありがちな容姿をしている。異父もしくは異母兄弟ならばわからないでもないが……この二人、同じ両親から生まれてきたというのだから驚きだ。

 カイが尋ねる。


「――ところで、相棒はどうしたんですか?」


「新入りの指導で忙しくてな」

「へえ。神曲署かみまがりしょ特別犯罪捜査課とくべつはんざいそうさかに新入りが。まあ、警視どのムゲンさんの気まぐれでしょうけど」

「あと、ムノウさんが後輩さんを教育だなんて……世も末だね」

 感心する黒藤兄弟。ただ若干、毒混じりなのは気のせいではない。

 事実だけになにも言い返せない有能は、さっさと本題に入ることにした。

「今日は、おまえらに依頼したいことがあってな」

「なんです?」

「人を捜してほしい」

「ヒデさんの個人的な付き合いの方ですか?」

「ちがう」

 有能は首を横に振る。


「――殺人犯だ」


 しばしの沈黙の後、カイは肩をすくめた。

「それこそ、警察の本分でしょう?」

「まあ聞け。これは絶対、おまえら寄りの事件だ」

「俺たち寄り……?」

「いまちまたを騒がせている着物襲撃事件きものしゅうげきじけんは知ってるな?」

「ええ、もちろん」


 事件は三月十一日、突然始まった。


 最初の被害者は四十七歳の男性会社員。妻と周囲の証言から、彼は盆栽の品評会に行く途中で被害に遭ったと考えられている。遺体は全身を鎖で縛られ、殺害後、腹部を猛禽類もうきんるいついばまれていた。


 二件目――一件目と同じく男性が被害者だった。それも二人。彼らは町外にある大学の学生で将棋サークルに所属しており、春休みを利用して実家に帰省。老人会の将棋大会に参加していた。被害に遭ったのは、その帰り道。遺体には、牛と馬の被り物が被らされていた。


 三件目――先の二件とは違い、車ごと焼かれていた。被害者もこれまた先の事件とちがい女性で、おそらく二十代から六十代の間。身元は現在、調査中である。車の中からは、他にも鳥や蛇の死骸が見つかった。


「先の二件の遺体は煉國れんごくの路地裏で発見された。三件目は路地裏ではなく空き地。被害者たちに交友関係はなく、接点もまったくない。共通項は着物を着ていることだけだ。そして、これが今日――」

 有能は一枚の現場写真を差し出す。


「発見は今日の午前三時。被害者は二十代から三十代前後の男性が三名。一連の事件と同じく着物を着用。彼らのうち二人は背中合わせ、一人は真っ正面に縄で縛られていた。顔には鬼の面が被せられ、面の下は……」


 有能は二枚目の写真を出した。

「う~わぁ~。顔、ぐちゃぐちゃ。グロいな~」

 まるでスプラッター映画の感想のような調子で言う煤武。対し、カイは眉ひとつ動かさず冷静に分析する。

「……抵抗した形跡がない。顔をめちゃくちゃにしたのは殺した後ですね」

「確実に焼いてるよね、これ」

 煤武の指摘に有能はうなずいた。

「遺体の傾向から、どうやら芸術作品とみなしている可能性が高いですね。――これも先の三件と同じ煉國で見つかったんですか?」

「いや、塵横丁ごみよこちょうだ。煉國寄りではあるがな」


「塵横丁?」


 この町には大まかな三つの区分がある。この町屈指の高級住宅が建ち並び、名のある資産家や有名な芸術家などが暮らす地区――極洛きょくらく浄戸じょうど。もともとはホームレスたちのたまり場として存在したが、様々な事情で行き場を失くした人々が集まり始め、不法地区となった黄泉比良坂よもつひらさか。その間に存在するのが神曲町でもっとも広大な地区、煉國れんごく――有能とカイたちが暮らす地区だ。そして、煉國と黄泉比良坂の〝境界〟となる塵横丁ごみよこちょう――明治、大正、昭和前期に建てられた建物の密集地であり、別名〝戦前箱せんぜんばこ〟。廃墟化した建物も多く、犯罪の温床が深刻化している。これらよって、神曲町かみまがりちょうは構築されているのだ。


「遺体の発見場所からして煉國か塵横丁に犯人の拠点がある可能性が高いとは、帳場が立ったばかりの頃から言われてきたことだ。黄泉比良坂の人間なら塵横丁に遺体を放り出すことはあっても、煉國――人の目に晒される場所には放り出さんだろうし、極洛と浄戸の人間は論外中の論外だ。彼らにとって塵横丁は危険地区。無闇に近づこうとは思わんだろう」

 カイがうなずく。突然、彼は切り込んできた。

「――それで、目星をつけてる殺人犯って誰なんです?」

 有能はくたびれたスーツのポケットからもう一枚、写真を取り出す。


「――しゅう猿良えんりょうだ」


 とするカイ。彼が驚くのも無理はない。


 秀猿良といえば、かつて世界で最もおどろおどろしい日本画絵師として一世を風靡ふうびした有名人だ。多くの著名人や富豪が高く評価し、オークションでは億越えも珍しくなく、その隆盛りゅうせいは神曲町だけにとどまらず、日本各地で個展が開かれるほどだった。しかし三年前、自宅が火事に見舞われてしまい、以降は公の場から忽然こつぜんと姿を消した人物だ。


 カイは釈然としない表情を浮かべる。

「たしかに報道で見る限り、遺体は秀猿良の描く絵を彷彿ほうふつとさせますが……それは警察全体の見解ですか?」

 さすが鋭い。有能は正直に言った。


「いや、俺個人の見解だ」


「どうして、そう思うんです?」

 わかっている。彼はこう言いたいのだ。――ヒデさん、焦りすぎでは?

 事件は今日まで、七日から十日ほどの間隔で立て続けに起きている。警察に不信感を募らせた住民からの風当たりが強いのも事実だ。――しかし。

「実はな……この事件とほぼ同時期に極洛きょくらく浄戸じょうどで空き巣が頻繁に起きていたんだ。物は盗まず、家宅侵入に留まっている奇妙な空き巣でな」

 過去形ではあるが、犯人はまだ捕まっていない。


「被害に遭ったある家の防犯カメラに映っていたんだ。――秀猿良がな」


 黒藤兄弟は目を見張った。有能は続ける。

「その空き巣事件は、いまはと止んでるが……この事件と無関係だとは思えなくてな」

 刑事の勘、というやつだ。

「ほかにも、秀猿良について疑わしいことがある。やつは三年前の火事の時、わめきやがったんだよ。『どこじゃ! ワシの「地獄変じごくへん」は!?』と」

 有能も刑事だ。いろんな人間を見てきた。家や家族どころか自身の命より、金や権力に執着する人間も。だが、秀猿良のあれはレベルがちがっていた。その時、上司である荒城あらき警視けいしは「さすが〝神曲町かみまがりちょう良秀りょうしゅう〟」と感心していたが、たとえ根っからの芸術家気質だとしても、人としてどうかと思うあの姿は、いまも有能の目に焼きついている。


「カイ。俺はな、欲片ビットがやつに絡んでいると考えている」


 欲片とは、この町に怪奇と猟奇のありえない事件をもたらしている小さな欠片のことだ。欲片が絡む犯罪は〝欠片犯罪かけらはんざい〟と呼ばれ、有能が所属する特別犯罪捜査課が追うべき〝ホシ〟である。欲片についてわかっていることは欠片の色は赤く、必ず人間の体のどこかに侵入していること。それを取り込んだ人間は自身の抑え込まれた欲望に忠実となり、法を犯すこともいとわなくなること。未だ出所、目的などは掴めていない。


「……なるほど。そうなると、たしかに俺たち寄りの事件ですね」


 カイはそう言うものの、まだ釈然としない様子だ。

「どうするの? お兄さん」

 弟が兄に問いかける。兄は肩をすくめて、言った。


「――引き受けましょう」

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