第1章 1話 師弟の朝

 魔法とは、世界中に流れるあらゆる力に己の波長を合わせ、その力を借りることで成立するものである。

 例えば、森のざわめきに耳を澄ませば緑の力を、海の煌めきに目を凝らせば水の力を、炎の揺らめきに心を重ねれば火の力を、というように、さまざまな力を得ることができる。

 しかし、誰もがこれらの力を扱うことができるわけではない。自然と共鳴する美しい心をもち、力を正しく扱う知恵を受け継ぐ素質ある者のみに、世界は力を授ける。


 そして人々は、この力を授けられた者たちを

「魔法使い」と呼ぶ。








 チリン、とドアベルが鳴る。

 朝食の後片付けを終え、リビングの片隅で古い魔導書を広げていたメグは、ぱっと立ち上がり、ぱたぱたと玄関へ向かった。

 ドア脇の小窓から外を見ると、庭先に見慣れた二輪車が止まっている。郵便だ。

「はーい」

 メグがドアを開けると、白い制服を着た郵便夫が立っていた。

「やあ。おはよう、メグ。」

「おはようございます、トレフルさん。」

 トレフルはメグに微笑みかけると、肩から提げていた鞄から深い青色の封筒を差し出す。

「はい、これ。先生宛に急ぎの手紙。先生本人のサインをもらいたいんだけど…」

 封筒の宛名には銀色のインクで【ヴェル・スラージュマン】と書かれている。

「えーっと…」

 メグは困ったように2階へと通じる階段を見遣った。

「お仕事中かな?」

 メグに倣ってトレフルもドアの隙間から階段を覗く。

「はい…どうしても今日中に片付けたい仕事があるから、って朝から部屋に閉じこもっていて」

「なるほど」

 トレフルはそう言うと制服の胸ポケットから帳簿とペンを取り出し、慣れた手つきで開いてみせた。

「じゃあ、代理でここにサインをもらえる?」

「わたしでいいんですか?」

「もちろん。あの先生のお弟子さんなら誰も文句は言わないよ。」

 メグはペンを受け取り、帳簿のいちばん新しい欄に【メグ・スラージュマン】と書いた。借りたペンと引き替えに封筒を受け取る。

「渡しておきます。」

「ありがとう。先生によろしく。」

 郵便帽を上げて会釈をした後、トレフルは庭先に停めてあった二輪車に跨がった。彼がペダルに足を掛けると、車体がふわりと宙に浮き、次の配達先へ向かっていく。



 メグはその後ろ姿を見送ってドアを閉めた。受け取った封筒をもう一度見る。封筒や文字に使われているインクは、メグにも一目で高価なものだと分かった。少し緊張して封筒を持ち直し、2階へ上がる。

 階段を右へ進んで、長い廊下の突き当たりにドアが見えた。日当たりのいい廊下には所々に花瓶や植木鉢が置かれていて、ちょっとした庭のようになっている。植物を倒さないようにドアの前まで進み、コンコン、とノックしてみる。

「…」

 返事がない。もう一度ノックしてみる。

「いないのかな…?」

 不思議に思ってドアを開けようとしたが、開かない。ドアの前に何か置いてあるようだ。

「んん~!」

 今度は体重をかけて目一杯押してみる。ぐぐぐ…と重いものが動く手応えとともに、ドアが勢いよく開く。

「開いた…っうわぁ!」

 開いたドアから廊下へ、ばさばさと紙の束が雪崩れる。入り口に積み重ねて置いてあったものが今の衝撃で倒れたのだ。

「片付けてください、って言ってるのに…」

 はぁ、とため息を吐いて部屋の中を見渡す。部屋の至るところに本や書類の山が形成され、蓋は閉まっているものの、あちこちにインクの瓶が転がっている。書斎机の周りも本の山にぐるりと囲まれていて、座ったら身動きが取れなさそうだ。机の手前側に羽ペンだけが行儀よく並んで立ててある。

 しかし、部屋の主の姿は何処にもなかった。

「…あれ?」

 本や資料を踏まないように書斎机に近づいていくと、机の後ろにある扉が少しだけ開いているのに気がついた。扉の先は螺旋階段になっており、階下の温室に繋がっている。

(下かな…?)

 恐る恐る扉を開けて階段を下りていく。勝手に部屋に入り込んでしまった後ろめたさもあったが、そうも言っていられない。急ぎの手紙を届けなければ。



 階段を下り切った先の扉を開けると、柔らかい光が目の前に広がった。温室に出たのだ。植物が生い茂り、姿形もさまざまな魔法生物たちが棲むこの温室は、魔法によって外側から見えないようになっている。入り口も先ほどの書斎ともう1箇所の2つしかない。

 メグは広い温室を中心に向かって歩き出した。この温室の真ん中には花壇があり、花や生き物の世話をするための少し広いスペースがあるのだ。いるとしたら、まずはそこだろう。

 とその時、傍の茂みから話し声が聞こえた。内容は聞き取れないが、植物か魔法生物の世話をしているのだろう。植物の枝葉をそっと掻き分けて進んで行くと、大きな木の向こう側に人影が見えた。

 やっと見つけた、と小走りに近づいていく。

「もう!探しましたよ…ってえぇ!?」

 本日2回目の不意打ちにメグは思わず素っ頓狂な声をあげた。

 そこに、大きな植物の蕾に頭から腰のあたりまですっぽりと囓られている人の姿があったからだ。

「あ、メグ! いいところに! ちょっと手伝ってもらえるかな?」

「え!? あ、えっと、ど、どうすればいいですか!?」

 状況が飲み込めず慌てるメグとは対照的に、当の本人は冷静である。

「そこに落ちている羽で、こいつをくすぐってほしいんだ」

「これですか!?」

「うん、見えないけどたぶんそれ!」

 メグはその足元に落ちていた魔法生物の羽を拾い上げて、言われたとおり、植物をくすぐった。

 くへっ、くへっ、と植物の茎が身動ぐ。

「上手いね、その調子!」

「感心してる場合じゃないですよ!」

 メグが一喝した次の瞬間、


 へっっっっっっくしゅん!!!!!!!


 盛大なくしゃみと共に、蕾は囓りついていたものをついに吐き出した。


「おっと」

 吐き出された青年は反動で前転し、綺麗に着地した。メグが駆け寄る。

「大丈夫ですかっ!?」

 血相を変えておろおろしているメグに、青年は何ともない様子で、澄んだ緑色の瞳を細めて笑いかけた。

「おかげさまで。いやぁ、メグが来てくれてとっても助かったよ」

「何がどうしたら植物に頭を囓られるんですか…!」

 呆れ気味のメグにごめんごめん、と謝りながら、その場に座り込む。

「この子を救出してたら飲まれちゃってね」

 そう言って左腕の中をメグに見せる。そこには、手のひらくらいの小さな生物が丸くなっていた。耳と尻尾の先に葉のようなものが生えていて、よく見ると背中に翼がある。

「かわいい!ドラゴン…ですか?」

 メグが興味深そうに覗き込んで尋ねると、青年はあやすように指で生き物の頭を撫でる。

「アルモワーズっていう魔獣の子どもだね。まだ生まれてそんなに経っていないんじゃないかな。」

 指で頭を撫でられて、小さなドラゴンがきゅう、と鳴いた。身体はぷるぷると震えているが、安心したように目を閉じている。

「ちょうど今の時期、南に渡る途中でここの近くの湖にやってくるんだ。群とはぐれて、ここに迷い込んだのかもしれない。で、運悪く食いしん坊に捕まったんだろうね。」

 青年は目線を上げて、大人しくなった植物を見た。もとは普通の食虫植物で、突然変異で巨大化したものをこの温室に引き取ってきて世話をしている。巨大化しても動物や人を食べることはないが、好奇心と食欲は旺盛で、目の前に飛んできたものを手当たり次第飲み込んでしまうのだ。

「飲み込まれてから中で暴れたのか、だいぶ弱ってる。知らないところで突然飲み込まれて驚いたろう」

 腕の中に視線を戻して、すう、と青年が息を吸って目を伏せる。すると、温室に差し込む柔らかい陽の光が粒となってドラゴンを包み、その身体に染みこんでいく。

「大丈夫。ゆっくりお休み。」

 温かい光が消えるころ、ドラゴンは青年の腕の中ですやすやと気持ちよさそうに寝息をたてていた。

「おまえもね。」

 青年は人さし指をすい、と振って植物にも光の粒を注ぎながら、そっと立ち上がる。

「でも、どこから入ってきたんでしょう? この温室は外から入れないはずじゃ…」

 メグがドラゴンの頭を撫でながら声を落として問うと、それはね、と青年は頭上を指差した。

「あそこだよ」

 2人で温室の天井に視線を移す。目を凝らすと、魔法が途切れて小さな穴が空いていた。

「あの辺の魔法の効力が薄れてきていたみたいでね。補強しておかなくちゃ。メグ、この子を頼める?」

「はい!」

 メグの両手のひらに眠っているドラゴンがそっと乗せられる。それは、思っていたよりもずっと柔らかくて、温かかった。

 青年は一歩前に出て、右手を頭上にかざした。地面が深緑に輝き、かざした指先からするすると光の蔓が伸びていく。どこからか吹くそよ風が青年の銀髪を優しく撫でた。青年は愛しげに目を細めると、深く息を吸い込んで呪文を唱えた。


《ディフェンシオド・ソレイユ》


 静かな声に共鳴して光の蔓が温室を覆い、消える。

「さ、これでよーし」

 温室を満足気にぐるりと見渡し、振り返ってメグに笑いかける。広範囲の守備魔法を使った後でも、この青年は顔色一つ変えない。

 ヴェル・スラージュマン。この屋敷の主であり、メグの魔法の師である。



「また同じことになったら大変だから」というヴェルの提案で、ドラゴンは温室の隣の小さな部屋で世話をすることにした。タオルケットにくるみ、陽の当たる机の上にそっと置く。よほど疲れていたのか、小さな魔獣はすうすうとよく眠っている。

「元気になったら、湖の仲間のところへ返しに行こう。一緒に行く?」

 ドラゴンの寝顔を興味深そうに眺めるメグに、ヴェルが小声で話しかけた。

「行きたい!行きたいです!あっ」

 興奮気味に思わず大きな声を出してしまい、メグは慌てて自分の口を手で覆う。ヴェルはしーっと口の前に人さし指を立てて「ふふ、じゃあ決まりね。」と笑った。



「あ、そういえば!」

 部屋を出てリビングに移動する途中で、メグは思い出したようにワンピースのポケットを探った。

「お師匠さま宛てに急ぎのお手紙があるんです」

「僕に?誰だろう」

 今朝トレフルから受け取った手紙だ。温室での一件ですっかり忘れていた。

「えっと、これです」

 ポケットから深い青色の封筒を取り出してヴェルに差し出す。

「ありがとう」

 メグから封筒を受け取って裏の差し出し人を見たヴェルは、何か思い当たった様子で中から手紙を取り出した。丁寧に畳まれた便箋を開いて、文章に目を通す。

「ふむ…なるほどね。」

 一通り読み終えて、ヴェルは少し考え込むような仕草をした。

「あの、何て書いてあったんですか?」

 隣でその様子を見ていたメグが遠慮がちに聞く。他の人の手紙の内容を聞くことはあまりよくないと分かってはいるが、急ぎの手紙、と聞いたら気になってしまう。

「メグ」

「は、はい!」

 いきなり名前を呼ばれて慌てて返事をする。

(さすがに失礼だったかな…)

 心の中で密かに反省していると、ヴェルがおもむろに口を開いた。


「明日からちょっと旅に出よう」


「……へ?」

 あまりに突然の提案にメグはまた素っ頓狂な声を上げた。ヴェルはいいことを思いついた子どもみたいに、にこにこと笑っている。

 メグは理解の追いつかない頭の片隅で、今日は本当に不意打ちのだらけの日だ、と思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る