〈外伝〉幸せのお菓子

 とある屋敷の一室。


 堆く積まれた本の山にその大部分を占領された机の上で、いくつもの羽根ペンが忙しなく動く。1枚、2枚と人の手で書かれるよりもずっと短い時間で次々と書類が書き上げられていく。

 その傍ら、ひときわ高い本の山の奥に、頬杖をつきながら分厚い研究書に目を落とす銀髪の青年がいた。

 少し考えるような仕草をして、すいすいと指先で複数のペンに魔力を送る。簡単そうに見えるが、一定の力を複数の対象に送るには高度な技術がいる。それに加えてすべて異なる動きをするように操るとなると、かなりの魔力と集中力が必要だ。

 しかし、青年は顔色一つ変えることなく再び研究書を読み進めていく。そして3ページほど読んだところで羽根ペンの動きが止まった。

「うん、こんなところかな」

 またすいすいと指を振って書類の最後の行にサインをする。それから使っていた羽根ペンとインク壺を片付け終えると、大きく伸びをした。


 ふと時計に目をやる。15時にほど近い時間になっていた。昼食の後から取り掛かったにしては早く片付いたようだ。

 その時、コンコン、と部屋のドアをノックする音がした。

「お師匠さま、メグです。ただいま戻りました!」

 部屋の中までよく聞こえる、澄んだ声が響く。おつかいを頼んでいた弟子が帰ってきたのだ。

「おかえりメグ、お疲れさま。どうぞ」

 青年は魔法で素早くドアの前に積まれていた本の山を隅に寄せる。失礼します、という声とともにドアが開いて、その隙間から栗色の髪の少女が顔を出した。

「お仕事中でしたか?」

 メグはドアから顔だけ出したまま、部屋の中を見渡してドアの可動範囲を確認している。前にドアを勢いよく開け放って本の山を倒したことがあるので、それ以来癖になっているのだ。青年がいつも部屋を片付けておけば済む話なのだが。

「いや、さっき終わったところだよ。予定よりだいぶ早く片付いたし、おやつにしよう」

 床に散らかったものを棚に戻してドアに続く道を確保しながらそう提案すると、メグの顔がぱっと明るくなった。

「やった!実は、お店でちょっと珍しいお菓子を分けてもらったんです!」

 一緒に食べましょう!と興奮気味に話すメグはきらきらと目を輝かせている。

「ふふ、それは楽しみだな。それじゃあとびきり美味しいお茶を淹れないとね」



ある程度部屋を片付けた後、2人でキッチンへ向かった。その途中、廊下に並んだ棚から茶葉を選んで行く。青年はいちばん高いところに置いてあった小箱を取り出した。

「今日はいつものハーブティーじゃないんですか?」

 メグが意外そうに聞くと、青年は少し笑って小箱を振ってみせる。箱の中の茶葉がさらさらと気持ちのいい音をたてた。

「これは魔法都市にいる友人に頼んで送ってもらったんだ。どんなお菓子にも合う、とっておきのやつさ。」

 魔法都市。メグはまだ行ったことがないが、多くの魔法使いが暮らしている大きな街だと聞いたことがあった。お師匠さまの話によると、この辺りの町よりもお店がたくさんあって、朝夕賑わっているらしい。そこから仕入れた茶葉だ。きっと美味しいお茶になるに違いない。


 キッチンに着くと、おつかいで頼んでいたものが入ったバスケットの隣に、見慣れない菓子箱が2つ並んでいた。おそらく、メグが言っていた「珍しいお菓子」だろう。1つは赤い箱、もう1つは明るい緑色の箱だ。

「確かに、この辺じゃ見ない箱だね。これはどこのお菓子?」

「ええっと、お店の人は確か…東の国?って言ってました!」

「東の国かぁ…」

 青年は何か思い当たるところがあったようだがそれ以上は特に何も言わず、さっそくお茶の準備に取り掛かった。

 まずは着火魔法で焜炉に火を点け、お湯を沸かす。もっと高度な魔法を使えば水を沸騰させることなど一瞬で出来るのだが、こだわりがあるのか、青年はいつも時間をかけてお茶を淹れる。

 メグはその間にティーカップやカトラリー、お菓子の準備をする係。

 いつものように食器類を並べ終えて、次は楽しみにしていたお菓子だ。菓子箱にはお菓子の名前と思われる文字が書かれているが、他の国の言葉なのでメグには分からない。

「お師匠さま、これ、なんて書いてあるんですか?」

「んー?」

 メグに呼ばれ、お湯が沸いて茶葉を蒸らしていた青年が振り返って菓子箱をひょいと持ち上げた。

「うーん、向こうの言葉だね…ちょっと失礼」

 青年が何か呪文のような言葉を小さく呟いて、指で菓子箱の文字をなぞる。すると、空中に見慣れた文字が浮かび上がった。メグも知っているこちらの国の言葉だ。

「わあ…!」

「『翻訳魔法』だよ。あとで教えてあげるね 。ええと、なになに…」

 青年が浮かび上がった文字を見つめる。メグもお師匠さまの手元を覗き込んで一緒に読んでみた。

「こっちはポッキーで…こっちがプリッツ?このお菓子の名前かな?」

「そうみたい。箱の裏にも何か書いてあるね」

 菓子箱を裏返して同じようになぞってみる。裏側は表とはまた違う、かわいらしいデザインだ。浮かんだ文字を読んでみると“ 11/11はポッキー&プリッツの日”と書かれている。どうやら東の国では、このお菓子の形と掛けてそう言われているらしい。

「11/11…──あっ!今日だ!」

「なるほど、だからお店の人が分けてくれたのかもしれないね。あそこの店主さんは物好きだから」

そうして「珍しいお菓子」の謎が解けたところで、ちょうどお茶の準備ができた。


 キッチンと繋がっているリビングへ入り、窓際に置かれた木製のテーブルにお茶とお菓子を運ぶ。カーテンから漏れる柔らかい光に照らされて、テーブルの表面がほんのり暖かい。

 メグはテーブルのセッティングを済ますと、菓子皿に並べられた長細いお菓子といい香りのするお茶を眺めてにっこりした。遠い国のお菓子にとっておきのお茶。特別な感じがして、なんだかわくわくする。

「嬉しそうだね」

 キッチンを片付けてリビングに入ってきた青年が笑った。そういう青年もどこか上機嫌だ。

「あ、そうだ、お師匠さま、これはお店の人が言ってたんですけど…」

 メグが思い出したように、そしてなぜかひそひそ話をするように声を小さくする。青年もなになに、と身を屈めながらゆっくりとメグの隣に腰を下ろした。

「このお菓子、誰かと一緒に食べると幸せになるって言われてるそうです。“ しぇあはぴねす ”…だったかな?」

「へぇ、一緒に食べると幸せになるお菓子か…素敵だね」

「はい、とっても!」


 淹れたてのお茶からほかほかと湯気がのぼる。その向こうに見える窓外の木々が、少し冷たくなった風にさわさわと揺れていた。


                                2019.11.11

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