84. 挑戦


 イリスたちとの再会から、早くも一ヶ月ほど経つ。


 相変わらず、平和な毎日を楽しんでいるケイとアイリーンだったが、ちょっとした変化もあった。


 それは――住環境。ケイたちは宿屋を出て、一軒家へ移っていた。


 そう、後援者パトロンたるコーンウェル商会が、とうとうケイたちのために住居を用意してくれたのだ。


「いや~探すのに苦労したよ……」


 コーンウェル商会の本部にて、疲れ顔で語るのはホランドだ。行商を引退しサティナに腰を落ち着けた彼は、コーウェル商会の商人としてケイたちとの折衝を担当している。ケイたちとしても、見知らぬ他人より、気心が知れているホランドの方が付き合いやすい。


 ちなみに、ホランドの養女エッダは私塾に通い始めたそうだ。読み書き計算などは既に一通り覚えているが、教養や礼儀作法も身につけて、将来的には侍女のような上級使用人を目指しているのだとか。


「ま、本人は吟遊詩人も諦めてないみたいだけどね」


 ホランドはそう言って苦笑していた。ホアキンに歌を習っていた関係で吟遊詩人への憧れも捨てきれないようだ。


 また、ホランドの母ハイデマリーは変わらず矍鑠かくしゃくとしており、厳しい行商生活から解放されてもなお、散歩が趣味で周辺を歩き回っているらしい。徘徊老人などと言ってはいけない。


 そして行商でいつも一緒だった護衛のダグマルは、未だに隊商護衛を続けているそうだ。年齢的に商会の用心棒けいびいんになる手もあるが、本人曰く「身を固めるにはまだ早い」とのこと。


「あいつは死ぬまで同じことを言ってそうな気もするがね……まあ、それはそれとして、家の話だ」


 ホランドは表情を引き締めて、書類を取り出す。



 その場しのぎの宿屋暮らしも、気づけばずいぶん長引いていた。



 物件探しが困難を極めたせいだ。"正義の魔女"ことアイリーンを、商会専属の魔術師として迎え入れるにあたり、コーンウェル商会は総力を上げて物件を探し回っていたが、それでもなお数週間もかかってしまった。


 そもそも市壁の内側に、都合のいい空き家なんぞ存在しないのだ。


 巨大な石壁に取り囲まれた都市――その中に住むメリットは計り知れない。獣や魔物に襲われる心配もなく、下水道が整備され、突発的な犯罪を除けば人同士の争いも少ない。もちろん税金が高いなどのデメリットも存在するが、多くの住民は市内に留まろうとし、子どもが産まれるに従って人口も増えていく。


 結果、一般市街は常に過密状態となっていた。仮に何らかの事情で空き家ができても、すぐに埋まってしまう。


 しかもケイたちが事前に「無理やり住人を追い出すような真似はNG」と条件を出していたため、家探しの難易度はさらに高まっていた。


 集合住宅アパートメントの一室やボロ家を確保するのならばともかく、商会専属の魔術師を住まわせるに相応しい物件でなければならず、かといって無理に追い出すわけにもいかず(下手な真似をすると近隣の住民経由でバレる)、ケイたちがのほほんと宿屋暮らしをエンジョイする間、コーンウェル商会の関係者は血眼になって探し回っていた。


 そしてようやく見つけたのが――職人街の一角、工房付きの二階建て家屋だ。


 元は陶芸職人の工房兼住宅だったそうだが、高齢ゆえに引退して、壁外の小さな町へ引っ越すことにしたらしい。


 ――ちなみに件の陶芸職人は、コーンウェル商会から法外な価格での不動産売却を打診され、ホクホク顔で出ていった。決して無理やりではない。ホランドはわざわざ口にしないし、ケイたちも知る由のないことだが……。


「いい家だな」

「よく見つかったなーこんなおあつらえ向きのヤツが」


 家に案内され、「ほほー」と暢気のんきに感心する二人。「全くだよ……」とその後ろで遠い目をするホランド。


 何はともあれ一軒家。商会の面子をかけて確保された物件だけあって、ケイたちも概ね満足だった。


 まず、元は工房を兼ねていたこともあり、使い勝手のいい作業スペースがある。一階は大部屋で区切られた広めの造りで、床にはテラコッタ風のタイルが敷き詰められており、綺麗にしておけば裸足で歩き回っても快適そうだ。


 二階には個室がいくつか。とりあえず一番大きな部屋を寝室とし、書斎、物置、客人用の寝室、という風に分けることにした。家具は、テーブルや椅子などは前の住人が置いていったものがあるが、寝台や戸棚などは新しく購入する予定だ。その他、必要な家具類も、順次コーンウェル商会が調達してくれるとのこと。


 トイレは汲み取り式で、数週間に一度、公益奴隷が屋外の浄化槽から糞便を回収して回る仕組みになっている。残念ながら風呂はついていないが、代わりに、コーンウェル商会傘下の高級宿で借りられるよう話をつけておいた。


 同様に、サスケとスズカも宿屋の馬小屋で預かってもらうことになった。さすがに職人街で馬を飼うことはできなかったからだ。運動不足を避けるため、足繁く通って外に連れ出してあげなければならないだろう。


 その他、生活用水は飲用水は近場の井戸に汲みに行く必要がある。この世界には手押しポンプが普及しているのでまだマシだが、そこそこ重労働にはなるはずだ。洗濯や洗い物も、下水に直結している公共の洗い場まで出向かなければならない。


 そこで、そういった家事雑用のために、使用人も派遣されることになった。掃除や洗濯を担当する女が一人、水汲みその他の力仕事を担当する男が一人。ホランドと協議した結果、住み込みではなく、朝から夕方まで出勤する形で、掃除や洗濯をしてもらうことになった。


 ちなみに。


 使用人の話が出たあと、家を見学中のケイとアイリーンは密かに、それぞれ相方の隙を見計らってホランドへ条件を出していた。


「使用人の男は、枯れていそうな無害なヤツで」

「使用人の女は、肝っ玉母さんみたいな人で頼むぜ」


 どちらがどちらのセリフかは、言うまでもないだろう。


(全くお似合いだよ君たちは……)


 と、苦笑する商人がいたとかいなかったとか。


「あとは、防犯設備セキュリティだな」


 一通り見学し終わって、一階のリビング。アイリーンが家の『窓』をコンコンと叩きながら言った。


 窓――といっても、元職人の住居に窓ガラスなんて高級なものがついているはずもない。開けっ放しの四角い穴で、外側に木製の雨戸があるだけだ。



 だが、これでは困る。



 この家は、魔術師の研究所となるのだ。



 魔術の秘奥が蓄積され、魔道具や、魔道具の核となる宝石類も管理していくことになるだろう。当然、それ相応の盗人対策も施さなければならない。


「とりあえず確定なのは、警報機アラームの導入かな」


 何を隠そうアイリーンは、この街で防犯設備を売ろうとしているのだ。警報機アラームの有用性をアピールするいい機会になる――作動する日が来ないのが最善とはいえ。


「ただし、それでも強引に突破してくるヤツがいるかもしれないし、昼間は作動させられない。だから鍵付きのチェストも欲しいかな。デカくて重くて、丈夫であればあるほどいい」

「わかった、もちろん手配しよう。どこに置く?」

「そうだな……どう思う、ケイ?」


 意見を求められて、ケイも考え込む。


「……二階の書斎か?」

「オレもそう考えてた。書き物とか研究するならあの部屋だしなー」

「ふーむ。となると、チェストの重さも制限されるね」


 ホランドが髭を撫でながら指摘する。「あー……」とケイたちも気付かされた。


「そっかー、あんまり重かったら床が抜けちまうのか」

「それが怖いね。本当に、重くて頑丈で大きなチェストなら、ウチの商会にオススメのやつがあるんだ。でもそれだと一階か地下にしか置けないと思う」

「なるほど……」


 話し合いの結果、チェストは地下の倉庫に設置し、必要があれば書斎にも鍵付きの戸棚を作ることで決着した。


「それと、できればいいので窓にガラスも嵌めたいな」

「が、ガラス……!」


 アイリーンの要望に、ホランドがごくりと唾を呑む。


「……かなりの費用になる」

「だろうな。だから、『できれば』でいいぜ。でも、窓ガラスがあったら、窓そのものにも魔術を仕掛けられるんだ。あと割ると音がするから、侵入しづらくなる」


 しばらく悩んだホランドは、自分では判断できないと結論づけたのか、「商会に戻って上の者たちと相談してみる」と言うに留めた。


 ――しかし後日、「時期を見て窓ガラスを導入していく……!」と連絡が来た。コーンウェル商会の並々ならぬ意気込みが感じられる。それだけアイリーン――そして将来的にはケイ――の魔道具に期待を寄せているのだろう。



 それに報いるだけの結果を出さねば――



 そんな決心のもと、ケイたちの新生活はスタートした。


 手始めに、アイリーンが魔道具を作りまくった。投影機プロジェクター警報機アラームの試作品だ。


 投影機プロジェクターは試供品を渡していたホアキンから高評価を得ており、コーンウェル商会でも「どう活用するか」で盛り上がっているそうだ。以前アイリーンが構想を語った影画館シネマも前向きに検討されているとのこと。


 警報機アラーム本体の部品は、木工職人のモンタンが如才なく仕上げてくれていた。数台まとめて納品し、コーンウェル商会の隊商での試験運用が始まっている。使い勝手を確認しつつ、改善点があれば洗い出し、実績を積んでいく。


 ちなみにその間、ケイは魔力トレーニングに勤しんでいた。例のアイリーン謹製魔道具を使って、ちょくちょく影を操り、魔力を消費して負荷をかけている。


 この魔道具、長らく名前がなかったが、先日"Черный котチョンリーコット"、すなわち"黒猫"と命名された。ケイは「アイリーンが作ったんだからアイリーンが名付けるべきだ」と主張し、アイリーンは「ケイのために作ったんだからケイが名前つけて」と駄々をこね、二人でイチャイチャした結果、ケイの提案をアイリーンがロシア語訳する形に落ち着いたのだ。


 今では普通に「コット」と呼んでいる。カモフラージュと害獣ネズミ対策のため、本当に黒猫を飼ってもいいな――などと思いつつ。


 さて、この"黒猫"という魔道具には、一つ特徴がある。


 アイリーンの契約精霊『ケルスティン』の魔術全般に言えることだが、日が暮れている間は消費魔力が少ない代わりに、日が昇ると消費魔力が激増するのだ。


 この特徴がなんとなく、気まぐれな性質に思えることから、"黒猫"という命名につながった。魔力が少ない人間でも、夜間に影を操れば安全に魔力の鍛錬ができることが、この魔道具の最大の強みと言える。


 しかし鍛えているうちに余裕が出てきたケイは、敢えて昼間に、ごく短時間使うことで、一気に魔力を消費し高負荷をかける訓練も始めていた。


 これがまた、よく効く。


 さながら、昼夜で重さが激変するダンベルのようだ。昼間は短時間の高負荷トレーニング、夜は低負荷で持久力を鍛える――そんな調子で。


 おかげでこの一ヶ月、劇的に魔力が鍛えられた実感がある。



 そろそろ魔道具の作成に踏み切ってもいいか――と。



 ケイがそう考えるほどに。




          †††




「と、いうわけで、作ってみよう」

「初めての魔道具作成だな!」

「「Yeah!!」」


 その日、ケイたちは盛り上がっていた。


 気分も明るければ部屋も明るい。


 なぜなら、家の窓がとうとう全てガラス張りになったからだ。秋も中頃で少しずつ肌寒くなってきた時分、窓を閉めながら部屋を明るく保てる窓ガラスは非常にありがたかった。冬にはもっと重宝することになるだろう――


 ちなみに全ての窓ガラスには、アイリーンの防犯魔道具が仕込まれている。窓ガラスが割られると、その原因に向かって影の呪いの手(※エフェクトのみ)が伸ばされ、下手人を覆い尽くし視界を奪う仕組みだ。


 "黄昏の乙女"ケルスティンが、北の大地で鍛えに鍛えた演出力。どんなに場馴れした盗人でもパニックに陥ることは必至だ。高い制圧力が期待できる。


 反面、昼間に作動した場合は……消費魔力が激増する都合上、宝石に蓄えた魔力が一瞬で枯渇し、ほとんど意味を成さないのが玉に瑕だ。


「――さて、今回作るのは『突風』の魔道具だ」


 一階の作業場、ケイは机の上に材料を並べる。


 1.糊

 2.木片

 3.豆粒のようなエメラルドの原石


 以上だ。あとは作業用のピンセットくらいか。


「改めて見るとショボいな」

「まあ使い捨てだからなぁ……」


 ぼそりと呟くアイリーンに、ぼりぼりと頭をかきながらケイ。『魔道具』などと呼んでいるが、肝心なのは魔術を封じ込む宝石だ。極端な話、宝石だけあればいい。ただしそれだと使い勝手が悪く、不幸な事故が起きるかもしれないので――失くしてしまったり、ポケットに放り込んだまま存在を忘れて洗濯したり――土台となる木片を用意した。


 そう、大切なのはあくまでも宝石だ。


 魔道具の作り方はシンプル。まず、魔道具に求める動作を精霊語エスペラントで記述する。次に、記述した宣之言スクリプトを唱えながら宝石に魔力を込める。すると、宣之言スクリプトを記憶した契約精霊の分体が宝石に宿る。


 これで完成だ。


 精霊の分体という『自我を持たないAI』に、精霊語エスペラントでプログラミングする、というイメージでいいだろう。


 プログラミングできる宣之言スクリプトの長さや、発動する魔術の威力は、宝石の大きさと質に比例する。大きくて質の良い宝石ほど、複雑な動作を可能とし、強力な魔術を発動できるというわけだ。


 今回ケイが作ろうとしているのは、特定の合言葉パスワードに反応して突風を発生させる使い捨ての魔道具。主に、敵の足元に投げつけて体勢を崩したり、手元で発動させて肉薄してきた敵を引き剥がすのに使う。


 使い捨てである理由は二つ。敵に拾われて再利用されるのを防ぐためと、威力を向上させるためだ。


 基本的に、粗悪な宝石を魔道具にしたところで大した威力は期待できない。が、魔術が発動する瞬間に、宣之言スクリプトを封じた宝石そのものを触媒にして精霊に捧げて魔力に変換すれば、威力がブーストされるという裏技がある。


「このランクの宝石じゃ、恒久型の魔道具にしてもたかが知れてるもんな」


 指先で豆粒のようなエメラルドを転がしながら、ケイは呟いた。


 ケイの契約精霊"風の乙女"シーヴは、燃費が悪い。ものすごく悪い。


 そのくせ、エメラルドしか触媒を受け付けないため、今回も仕方なくエメラルドを調達した。小さく粗悪な原石なので高くはないが、安くもない。少なくとも使い捨てにはしたくないお値段ではある。


 だが、実践してみないことには進歩もないので、必要な支出と考えるべきか。


 どうせこの程度の原石で『突風』を生じさせる魔道具を作っても、効率が悪すぎて、息を吹きかけた方がマシなレベルの風(?)が出る、しょーもない玩具が出来上がるだけだ。


 だが使い捨て型にすれば、一応実用レベルのものになるはず――


「よーし、やるか」


 腕まくりをして、椅子に座ったケイは、宣之言スクリプトを書き連ねた紙を取り出す。一応、宣之言スクリプトは暗記しているが念のため。


「……アイリーン、魔力ってどんな感じで込めればいい?」

「その感覚を把握するために作るんだろ?」

「それもそうか」

「まあ必要な魔力を均等に込める感じでいいんじゃないか? こればっかりは感覚的な話だから、……まあアレだ、『考えるな、感じろ』だよ」

「わかった……やってみよう」


 深呼吸。


(シーヴは欲張りだからな……気持ち強めに、魔力を込める感じでいってみるか)


 身体の奥底で渦巻く魔力を感じ取る。コンディションはばっちりだ。ケイは手元の原石に意識を集中させ、ゆっくりと宣之言スクリプトを唱え始めた。


【 Maiden Vento, Siv. Vi restos en ĉi tiu juvelo kaj faros venton eksplodi kiam ...】


 奥底から魔力を汲み上げ、それを一旦手で捏ね上げて、押し込むようなイメージで原石に注ぎ込んでいく。


 不思議な感覚だった。


 ケイの魔力に呼応するかのように、周囲の空気が渦を巻き、みるみる原石に吸い込まれていく。『風』が、『空気』が、魔力に変換されて封じ込まれているかのように――


【 ... devas eviti vundi la uzanton mem. Ekzercu. 】


 全てを無事、唱え終わり、ケイは「ふーっ」と細く長く息を吐き出した。


「……言い間違いとかなかったか?」

「なかったと思うぜ」

「……できたかな?」


 ケイの問いに、アイリーンはニヤリと笑った。


 バンッ、とアイリーンの手がケイの背中を叩く。


「完成おめでとう!」

「……あー、よかったぁ!」


 一気に脱力して、へにゃりと机に突っ伏すケイ。


「思ってた10倍くらい緊張した……」

「ハハッ、そうだよな。噛んだりしたら全部パァだもんな」


 アイリーンが苦笑している。そう、このプログラミング作業、一発勝負でやり直しがきかないのだ。仮に宣之言スクリプトを間違えたり中断したりしてしまった場合、動作不良のゴミが出来上がるだけ。どんなに上等な宝石でも、触媒として捧げるくらいしか使いみちがなくなってしまう……


 どでかい宝石で複雑な魔道具を作る場合、クソ長い宣之言スクリプトを唱える人はプレッシャーが半端ないだろうなぁ、とケイはしみじみ思った。


「だがこれでもゲームよりマシだな……宣之言スクリプトが短くて済む」

「それは間違いない」


 うんうんと頷いて同意するアイリーン。


【DEMONDAL】のゲーム内では、精霊のAIが意図的にアホの子に設定されていたため、ものすごく細かくかつ厳密に言葉を定義し、膨大な条件分岐を考えて宣之言スクリプトを記述しなければならなかった。


 しかし、こちらの世界では精霊たちに自我があり、柔軟な発想が可能なため、ある程度ざっくりした宣之言スクリプトでも望んだ動作をしてくれるのだ。少なくとも突風を発生させる魔道具で、まず突風の定義から入る必要はない。


「いやー、緊張した……」


 ぼんやりと、完成した魔道具――小さなエメラルドの原石を眺めるケイ。こうしてみると、このしょーもない原石も綺麗に見えてくるから不思議だ。窓から差し込む陽光を浴びてキラキラときらめいて――



「――ん?」



 ふと、怪訝な顔をするケイ。


 何か――光の反射がおかしいような。


 顔を近づけて、じっくりと原石を観察したケイは――すぐに顔をひきつらせた。



 原石の内部が、徐々に、白く曇りだしていた。



 これは――非常に微細な傷だ。それが徐々に、内部で拡大している。しかもカタカタと音を立て、原石そのものが震え出した。


「ヤバい、魔力を注ぎすぎた!」


 エメラルドは含有物インクルージョンが非常に多い宝石だ。今回使用した粗悪な原石も例にもれず、内部に気泡や細かい傷がたくさんあった。どうせ使い捨てだし、比較的単純な宣之言スクリプトだし、まあ大丈夫だろうと踏んでいたのだが――



『シーヴは欲張りだからな……気持ち強めに、魔力を込める感じでいってみるか』



 これが、おそらく余計だった。


 粗悪かつ小さすぎる原石が、魔力の飽和キャパオーバーを起こし、崩壊し始めたのだ。


 ところで、魔道具は故障することがある。


 核となる宝石が割れたり大きな傷がついたりしたら、中に封じ込まれた精霊の分体も破損してしまうのだ。


 それでただ、機能を喪失するだけなら、まだいい。


 だが――時と場合によっては――



「暴走――」



 異変に気づいたアイリーンの顔から、サッと血の気が引く。


 アイリーンにとっても、未知の領域だった。今まで魔道具づくりで失敗したことはあるが、所詮ケルスティンは影の精霊。物理的な干渉力に乏しく、暴走したところで実害は皆無だったのだ。



 だが――それが風の精霊となると。



 ビキッ、パシッと音を立てて。



 原石に、



 圧縮された風の魔力が、解き放たれる――



「いかん、爆発する!」


 ケイは咄嗟にアイリーンを抱きかかえ、床に伏せた。




 次の瞬間、





 





 グワッ、ドゴオオォォンと轟音が響き渡り、ケイたちは吹き飛ばされた。


 急激な気圧の変化、空気の膨張。室内でそれが起きたらどうなるか。



 単純だ。



 家中の窓ガラスが、耐えきれずに砕け散った。



 バキバシャァァァアンと甲高い音を立てて、ガラスが四方八方に飛び散る。



 さらに、アイリーンが仕掛けた防犯魔道具が作動。



 ブワッサァ! と家中の窓から影の手が飛び出す。



 そして日光を浴びてスンッ……と消えた。




「……………………」




 折り重なるようにして床に転がったまま、茫然とするケイとアイリーン。『なんだ今のは!?』『すごい音がしたぞ!』と近隣の住民が騒ぐ声が、遠くに響いている。


 台所のフライパンが今さらのように戸棚から転がり落ちて、タイルにぶつかりカーンガラガラと耳障りな音を立てた。


 まるで永遠のような沈黙――


「……なあ、ケイ……オレは……」


 やがて、アイリーンが口を開いた。


「……オレは……悪い夢を……見てるんだよな……?」


 光の消えた目で、呻くようにして。


「……なあ……ケイ……そうだと……言ってくれ……」


 よろよろと起き上がったアイリーンは、床に散乱するガラス片を目にした。


 それらは、陽の光を浴びてキラキラときらめいて――



「――うーん」


 白目を剥いて卒倒するアイリーン。



「なんでこうなるんだよォォォッッ!」


 うずくまったまま慟哭するケイ。




 そよっ、と申し訳程度に、風が吹いた。

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