18. 職人


「――ですから、まず前の分を返してから言ってください!」


 工房の前。茶色のバンダナを締めた細身の男が、声を荒げた。


「それができないから、こうして頭を下げてるんだろう!?」


 それに対し、黒い癖毛のゴツい体格の男が顔を真っ赤にして応じる。


「前もそう言ってたじゃないですか! これでもう何回目ですか!」

「じゃあどうしろってんだ、俺に飢え死にしろってのか!?」

「飢え死にする前に、まだ出来ることはあるでしょう!? 身の回りの物を売るなり、家を売るなり! ちょっとは努力して下さいよ!」

「してるさっ! 俺なりに努力してる! だが家だけは勘弁してくれ、あれを売るのは最終手段だ! 頼むよッ、本当に困ってんだ!」

「その台詞も何回目ですか! もう帰ってください!」

「お前ッ、兄弟子に向かってその言い方はないだろうッ!」


 うんざりとした様子のバンダナ男に、口角泡を飛ばす勢いで詰め寄るゴツい男。


(……金の話か?)

(みたいだな)


 それを遠巻きに見守りながら、ケイとアイリーンはひそひそと言葉を交わす。

 先ほどから言い争う二人を眺めているが、どうやら「金を貸してほしい」「貸すつもりはない」という押し問答を繰り返しているようだ。バンダナ男のうんざりした様子を見るに、おそらくこれは、一度や二度のことではないのだろう。しかも借りた分はまだ返済していないと見える。「次にまとめて返すから!」とゴツい男は言い張っているが、傍目から見ても信用度はゼロだった。


「――ああ、わかったよ、お前の気持ちはわかった!」


 と、その時、大声を上げたゴツい男が、腕を組んでどっかとその場に座り込んだ。


「お前が力を貸してくれないなら俺は終わりだ! 路地裏で野たれ死ぬくらいなら、このまま、ここで死んでやるッ!」


 道の真ん中で胡坐をかき、そのまま石のように動かない。うわぁ、と呆れ顔のアイリーン、「とんだ開き直りだな……」とケイも閉口する。


「……ああ、もう」


 なんと鬱陶しい、と言わんばかりの顔をしたバンダナ男が、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえて溜息をついた。


 そしてその拍子に、道の外れに佇むケイとアイリーンの姿に目を止める。


「……ん、なんだ。お客さんか?」


 続いて、座り込んでいたゴツい男もケイたちに気付き――ニィッ、と厭らしい笑みを浮かべた。


「あ~……お取り込み中のところ、大変申し訳ない。モンタン氏の工房は、ここで合っているだろうか?」


 遠慮がちにケイが問いかけると、


「ああそうさ! ここが腕利きの職人、モンタン様の工房よォ! 千客万来で羨ましい限りだなァ、ああ?」


 ゴツい男がへらへらと笑いつつ、横目でバンダナ男を見やる。


「……私が、モンタンですが。何か御用ですか?」


 忸怩たる表情で、バンダナ男――モンタンがケイたちに向き直る。ケイは一瞬、答えに詰まった。とてもではないが、呑気に「郵便でーす」などと言い出せない険悪な空気。何より、先ほどからニヤニヤと厭らしい笑みを向けてくる、ゴツい男の存在が気になって仕方がない。ちらりとそちらに目をやるケイ。


 それは一瞬、ほんの一瞬の沈黙であったが、ケイの視線から、その困惑を敏感に感じ取ったモンタンは、


「ああっ、もう……! すみません、少々お待ちを」


 くるりと背を向け、乱暴に工房の扉を開けて中へと消えていく。がさがさ、と棚を探るような音、


「ほらっ、これでいいでしょう!」


 苛立ちも露わに、再び姿を現したモンタンが、座り込むゴツい男の眼前に小さな巾着袋を投げつけた。袋の口が開き、ちゃりんちゃりんと音を立てて、数枚の銀貨が石畳にこぼれ落ちる。


「それで最後です! もう貴方に義理立てするつもりはありません、二度とです!」


 侮蔑の色を隠しもしないモンタンに、しかしこぼれた銀貨を拾い集めながら、ゴツい男は卑屈な笑みを浮かべ、


「へへっ……。ありがとう、ありがとうよ。これできっと、どうにかなる。流石は俺の頼りになる弟弟子だ……。必ず、借りは返すぜ」


 その言葉に、「どうだか」と言わんばかりに鼻を鳴らしたモンタンは、厳しい表情のまま口を真一文字に結び、何も答えない。


 ゴツい男は大事そうに巾着袋を懐に仕舞い、ヘコヘコとしながら旧市街の方へと去っていった。


「……はぁ」


 憂鬱な溜息をつき、バンダナを外したモンタンは、ばさりとくすんだ金色の髪をかき上げて、改めてケイに向き直った。


「すみません。お見苦しいところを」

「ああ、いや……」

「それで、どんなご用件で?」


 爽やかな営業スマイルを浮かべるモンタンに、ケイは思わず顔を引きつらせる。これはこれで、呑気に「郵便でーす」と言い辛い空気。


「こちらこそ申し訳ない、それほど大した要件ではなかったんだ……。俺の名前はケイという。実は先日、タアフ村に立ち寄った際に、ベネット村長からあなたの奥さん宛てに、手紙を預かっていたのだが……」


 恐る恐る、手の中の封筒を見せる。ケイからそれを受け取ったモンタンは、裏側のサインを見て「おっ!」と声を上げた。


「久しぶりだなぁ、お義父さんからか! わざわざ届けて下さったんですか? ありがとうございます」


 予想に反して、思わぬ喜びようだ。頭をぼりぼりとかいたケイは、気まずげに視線を逸らし、


「いや、すまなかった。ただの手紙の配達だったのに……」

「え?」

「先ほどの……。結果として、俺が急かした形になってしまったから、金を貸す羽目になったしまったのかと……」


 ゴツい男が去って行った旧市街の方を見やりながら、ケイがそう言うと、モンタンは「ああ」と得心したように頷いた。


「いえ、お気になさらず。こちらが貸さないと見ると、本当にあそこから動きませんからね、あの人は……。商売の邪魔になりますし、遅かれ早かれ、貸すことにはなったと思います」


 諦めたような顔で、小さく笑うモンタン。


「ところで、お二人はタアフの村からいらっしゃったんですよね? お義父さんはご壮健でしたか?」

「ああ、ベネット村長ならば、お元気そうだった」

「そうですか、何よりです。……よろしければ、妻に村の様子を話してやって頂けませんか? もうしばらく里帰りもしていないので、村の話を聞ければ妻も喜ぶでしょう」


 モンタンの言葉に、ケイとアイリーンは顔を見合わせる。


「オレは構わないぜ?」

「ならいいか」


 手紙を届けた後は、職人街の防具屋や革製品屋を見て回る予定だったが――モンタンが職人ならば、ミカヅキの皮を加工するのに、腕のいい革職人を紹介してもらえるかもしれない。

 ここで仲良くなっておくに越したことはないな、と踏んだケイは、モンタンの申し出を受けることにした。「立ち話もなんですから、中へどうぞ」と招き入れられ、ケイとアイリーンは言われるがままに工房へと上がり込む。


 すっきりと、洗練された空間。


 職人の工房と聞いて、勝手に雑然とした作業スペースをイメージしていたが、モンタンのそれはケイの想像と全く異なっていた。

 上品にコーディネートされた精巧な木工細工や、レースで飾り付けられたお洒落な家具。板張りの床には木屑なども落ちておらず、奥の作業場も整理整頓が行き届いている。工房、というよりはむしろ商店といった印象。ケイは幼い頃に訪れた、家具屋のショールームを連想した。


「おーい、キスカー! お義父さんから手紙だぞーっ!」


 モンタンが奥の部屋に呼び掛けると、「はーい」と声が返ってくる。パタパタと足音を立てて、白い前掛けで手を拭きながら出てきたのは、ややふっくらとした体格の若い女だった。


「父さんから手紙!? 久しぶりね! ……あら、お客さん?」

「この方たちが、手紙を届けてくださったんだ」

「それはまぁ! わざわざありがとうございます。キスカです」


 ケイたちにぺこりと一礼するキスカ。肩のあたりで切りそろえられた栗色の髪が、さらさらと揺れる。栗毛――ダニーやクローネンとも同じ色。ベネットは白髪だったので分からなかったが、これが彼女らの家系の髪色なのかもしれない。


「いや、気にすることはない。俺達もついでに立ち寄っただけだからな……」


 そう言うケイをよそに、モンタンから手紙を受け取ったキスカが、「ボリスは?」と小声で尋ねる。渋い顔で「帰らせたよ」と答えるモンタン。ふぅん、と曖昧に頷きながら、キスカは手紙の封を切って熱心に読み始めた。


(……ボリス?)

(さっきの男のことじゃね?)


 こちらも小声で、ケイとアイリーン。


「…………」


 手紙を読みふけるキスカ、それを見守るモンタン。大きく開かれた窓から、そよ風が吹き込む。二人に釣られるようにして、ケイたちも無言だ。アイリーンは興味津々に、天井からぶら下げられた木製の風鈴――風が吹き込むたびに、ころんころんと木琴のような優しい音を立てる――を触ってみている。なんとなく、その姿は、猫じゃらしに手を伸ばす猫を連想させた。


 暇なので、ケイも工房の中を見て回る。ニスが塗られ、ぴかぴかに磨き上げられた木のテーブル。滑らかな縁を撫でつけると、蔦の装飾の彫り込みが、するすると指に心地よい。レースのテーブルクロス、その上に整然と並べられた木工細工。木の枝にとまる鳥を模した置物、風に吹かれて向きを変える風車の飾り。いずれも繊細で、精巧な造りだ。モンタンの腕前が見て取れる。


 壁の方へと、目を転じた。これもモンタンの作品なのだろうか、絵の入っていない額縁がいくつも飾られていた。素朴でありながら、しかし安っぽくはなく、中の絵を引き立てるであろう控え目なデザイン。


(……基本、金持ち相手の商売か)


 凝った装飾の家具といい、実用性のない置物といい、いずれも一般人は手を出さないような物ばかりだ。おそらく富裕層に金払いの良い客がいるのだろう――とそんなことを考えていたケイは、ふと工房の隅の壁面に飾られた、『それ』に目を止める。


 ――矢だ。


 金箔で豪奢な装飾を施されたもの、矢じりが特殊な形状をしているもの、質素だが堅実な拵えとなっているもの。


 様々な種類の矢が、壁に掛けられていた。


「……何か、お気に召す物がありましたか?」


 と、すぐ傍から声。はっとして見やれば、ニコニコと笑顔を浮かべたモンタンが横から覗き込んでいる。


「ああ……矢も作られているんだ、と思ってな。つい見ていた」


 思ったより、矢を眺めるのに熱中していたらしい。モンタンの接近には全く気が付かなかった。小さく笑みを浮かべ、照れたように頭をかきながらケイが答えると、苦笑したモンタンは、


「矢『も』作っている、というより……それが本業ですね」

「ほう、それは。本職だったのか」

「矢だけ作っていても、やっぱり食っていけませんからね。……最近では、どっちが本業か分からない始末ですが」

「これは、触っても?」

「もちろん、どうぞ」


 許可を得て、壁の隅に掛けられていた、シンプルな拵えの一本に手を伸ばす。


「ほう……」


 手に取った瞬間、すぐにそれと分かる高品質。


 しっかりとした密度の木材は、頑丈さの証。十分なしなりは、折れにくさを保証する。細く鋭く、返しの付いた矢じりは、一度獲物に突き刺さればなかなか抜けにくい。滑らかに磨き上げられた表面は摩擦を軽減し、放たれる際には威力を殺さず、また矢本体が獲物の肉に深く突き刺さり易くする。先端と末端の理想的な重心のバランス、これは矢が飛ぶときのブレを最小限に抑えるものだ。白い矢羽から覗き込むように見上げると、曲がらず、一寸のブレなく、真っ直ぐに矢が伸びているのが見て取れた。


「これは……良い矢だ」


 思わず洩れる感嘆の声。


 弘法筆を選ばず――とは言うが、弓使いは少なくとも矢を選ぶ。


 弓の個性、引きの強弱や若干の歪みには慣れで対応できても、命中精度に直結する矢は、そうも言っていられないからだ。真っ直ぐに飛ぶか、あるいは、風に流されるにしても、『自分が思い描いた通りに風に乗る』ことが矢には要求される。


 その点、ケイが手に取った矢は、理想的なものだった。使われている材料、加工の技術、どちらも共に申し分がない。


「お気に召したようで、何よりです。ケイさんは、弓が専門なのですね?」

「ははっ、やっぱり分かるかな」


 街中ということもあって、ケイは鎧を着けずに軽装のままでいるが、腰には長剣と、布ケースに入れた"竜鱗通しドラゴンスティンガー"を下げている。街での重要度が低い弓をわざわざ携帯している時点で、それがケイにとって大事であることを喧伝しているようなものだ。考えずとも、ひと目で弓使いだと予想できる。


「弓を持たれていたので、そうではないかと思っていましたが。最初にその矢を手に取られたので、確信しましたね。本業の方は必ず、まず最初にその一本をチェックされるんです」


 そう言われてみれば、確かにケイが手にした一本は、陳列された矢の中で最も実用的なものだった。他の矢は、勿論品質は充分なのだろうが、どちらかというと装飾を重視しているきらいがあり、使い勝手の面でケイの好みではない。成る程、本業の弓使いであれば、自然とこの一本に惹かれようというものだ。


「こう言うと語弊があるが、やはり多くの弓使いがこの矢を買っていくのだろうか?」

「そうですね、近隣の村の狩人や、知り合いの傭兵たちは……。タアフ村の猟師の方も、以前来られた際に、十数本お買い上げになられましたよ」

「タアフ村……マンデルか?」

「ご存知でしたか。そうです、マンデルさんです」

「そうか、マンデルも……」


 ほぉ、と感心したような声。ケイの中でモンタンの評価が更に上がる。


「……」


 じっくりと手の中の矢を観察するケイに、黙ってそれを見守るモンタン。正直なところ、ここまでくればモンタンのペースだったが、それに乗せられるのも悪くない、と思うケイであった。


「……ちなみに、お値段は?」


 にやりと笑みを浮かべたケイの問いかけに、モンタンも笑顔で返す。


「十本セットで、銅貨六十枚です」

「ほう」


 一本で銅貨六枚。相場は高くても銅貨二枚、安ければ小銅貨五枚ほどでも取引されることを考えれば、かなり吹っ掛けた値段だ。勿論、稀に見るレベルの高品質であることも加味すれば、ある程度高値でも納得は出来るが。


「ただし、三十本お買い上げ頂いた場合は、革製の矢筒もお付けいたします。……ケイさんは、馬には乗られますか?」

「ああ。騎射は得意だ」

「そうですか、それはちょうど良かった」


 そう言いながら、モンタンは近くの戸棚から、ずるりと大型の矢筒を取り出した。


「これです。私の作成した普通サイズの矢であれば、四十五本まで入ります。必要ならば、馬の鞍へ取り付けることもできますよ。私の知人が作成したもので、頑丈さは折り紙つきです」

「ほうほう」


 それもまた、手に取って確認する。縫い目がしっかりとしており、モンタンの言葉通り頑丈そうだ。ミカヅキの皮の加工はこの職人に頼むか、と考えたケイは、


「――よし、買おう。三十本で頼む」

「おお、ありがとうございます」


 全く迷いのないケイに、少し驚きつつモンタンは頭を下げる。


「ところで、この矢筒を作った職人を紹介してもらうことは可能だろうか」

「ええ、知人ですので。……何かご入り用で?」

「うむ、実は馬の尻の皮があるんだが、思い入れのある品なので、腕のいい職人に加工してもらいたいんだ」

「なるほど。そういうことでしたら、是非はありません。後ほどご紹介いたしましょう」

「ありがとう」


 商談が成立したところで、矢の在庫を取りにモンタンが奥の部屋へ行こうとするが、そこでケイが呼びとめる。


「すまない。もうひとつ、聞きたいことがあるんだが」

「何でしょう?」

「先ほど、『普通サイズの矢』と言っていたが、これよりも長い、大きめのサイズの矢はあるのだろうか」

「長い矢、ですか」

「ああ。というのも、これを見てほしい」


 布ケースから、弦を取り外した状態の"竜鱗通し"を取り出す。弦を外したとき、複合弓は逆向きに反り返ってCの字になるので、実際よりも少しコンパクトに見える。しかしケイが弦を張り直すと、"竜鱗通し"の全貌を見たモンタンが眉をひそめた。


「……大きめの弓ですね。矢の長さが足りないのでしょうか」


 流石は職人だけあって、ひと目でケイの言わんとすることに気付く。


「足りない、というわけではないんだ。この弓は張りが特に強いから、普通に使う分には普通の矢でも問題ない。だが仮に、この弓のポテンシャルを最大限に発揮しようとすれば――」

「――弦をもっと引く必要がある、と」


 言葉を引き継いで、ふむふむと頷くモンタン。


「その弓、触らせて頂いても?」

「ああ」


 ケイが"竜鱗通し"を手渡すと、受け取った瞬間にモンタンの手がカクンッと跳ね上がった。「うおっ」と驚きの声、マンデルの時と同様に、その見た目を裏切る軽さに意表を突かれたのだろう。


「随分と軽い弓ですね……って、なんだコレ堅っ!?」


 弦を引いてみようと、手を掛けたモンタンの顔が驚愕に歪んだ。


「言っただろう、その弓は張りが強い」


 ドヤ顔のケイをよそに、どうにか弦を引っ張ってみせようとするモンタンは、顔を真っ赤にして「ぐ、ぬ、ぬ……」と唸り声を上げる。


 しばらく生温かくそれを見守っていたケイだったが、意外と負けず嫌いなのか、いつまで経っても止めようとしないモンタンに、流石に心配になってストップをかけた。


「……無理はしない方が良い、特に素手では。下手すると指がダメになる」

「くそっ、なんて弓だ……!」


 結局、肘を少し過ぎたあたりまでしか引けなかったモンタンは、「イテテ……」と右手を振りながら悔しそうにしている。


「……これはまた、凄い弓ですね。私も仕事柄、弓の扱いはある程度心得ているのですが……ここまで歯が立たない弓は初めてです。失礼を承知でお尋ねしますが、ケイさんはこれを、実戦で使われているんですよね?」


 何処か疑わしげなモンタンに、不敵な笑みを見せたケイは、ぐっと"竜鱗通し"を耳のあたりまで引いて見せた。


「すっ、凄いっ、そんなにも軽々と……!」


 目を見開き、唖然とするモンタン。その清々しいまでの驚きように、ケイのドヤ顔は留まるところを知らない。


「いやはや……しかし、事情はよく分かりました! 大きめのサイズの矢ですが、幾つか心当たりがあるので少々お待ち下さい」


 心なしか鼻息を荒くしたモンタンは、ケイの返事も待たずに奥の部屋へとすっ飛んで行く。バタバタ、ガタガタと棚や引き出しを漁る音、しばらくして大量の矢束と共に、きらきらと顔を輝かせたモンタンが帰ってきた。


「お待たせしました! 実は私、新しいタイプの矢も色々と研究しているのですが、いくつかの試作品も一緒にお持ちしました」

「ほう、それはそれは」

「まずは、大きめのサイズの矢です。元々はロングボウのために仕立てたものですが、その弓にはちょうど良いかと」


 手渡されたのは、今使っているものよりも長めの、青染め羽がついた矢だ。試しに弓につがえてみると、ちょうど耳のあたりまで引くことができた。ギリギリと、両腕にかかる負荷に全身が軋む。耳元まで引いたまま維持するのはケイでも辛く、この矢で悠長に狙いをつける余裕は流石になさそうだった。――ただしその分、かなりの威力が期待できる。


「これも悪くない。ただ贅沢を言うなら、矢じりがもう少し細い方が好みだな。打撃力よりも貫通力を重視したい」

「細めですか……例えば、こんな感じでしょうか」

「ああそうだな、その矢じりは良い感じだ」

「幸い、替えがあります。お時間さえ頂ければ、交換致しますが?」

「素晴らしい、お願いしよう。……ちなみに、交換料は?」

「サービスでございます」


 慇懃に頭を下げてみせるモンタン。二人で顔を見合わせて笑いあう。この時点で、両者ともにかなりノリノリであった。


「よし、この長矢も買おう。在庫は?」

「その一本を含めて十二本ですね」

「買った。全部だ」

「ありがとうございます」

「……それで、他は? これで終わりじゃないんだろう?」

「もちろんですとも。次にお見せしたいのはこちらになります」


 モンタンが差し出したのは、先ほどの長矢ほどではないが、少し長めの赤羽の矢だった。特筆すべきは、その太さだ。普通の矢よりもひと回りほど太い。また、矢じりは特徴的な円錐形でいくつもの穴が開けられており、その形はどこか注射針を連想させた。


「これは……中が空洞になっているのか」

「はい。これは大型の獣狩りを想定した矢になります。矢じりに開けられた穴は、矢の中の空洞を通じて、末端の穴まで繋がっています」

「……成る程、刺さりっ放しでも出血を強いる仕組みか!」

「ご明察です。効果のほどは言わずもがなでしょう。ただ、中が空洞なせいで体積の割に軽く、風に流されやすい上、通常の弓ではあまり威力が出ないという欠点があるのですが……その弓ならば、と思いまして」

「面白い。何本ある?」

「試作品ですので、三本ほど」

「買った。三本ともだ」

「ありがとうございます。続きましては、こちらの矢を――」


 流れるような所作で、次々と矢を取り出すモンタン、「面白い!」「買った!」とその場の勢いで次々に買い取るケイ。二人揃って徐々にテンションを上げ、試作品の即売会はさらにヒートアップしていく。


「やーねぇ、ウチの人ったらまた悪い癖が……」


 とうの昔に手紙を読み終えていたキスカが、頬に手を当てて溜息をつく。


「あ、ああ……」


 その隣、キスカの言葉に曖昧に頷いたアイリーンは、引きつった笑みを浮かべていた。

 最初の長矢や出血矢はともかく、そのあとの試作品はどう考えても金の無駄だ。例えば、今披露されているメロディが切り替わる鏑矢などには、明らかに実用性がない。


(あまり、お金の無駄遣いはしない方が……)


 今後のことも考えると、そう忠告したいアイリーンであったが、そもそも支払いに使われている銀貨は、ケイがこの世界に来てから盗賊やらと戦って獲得したものだ。その使い道に、アイリーンが口を出す権利はない。


(それに、普段は滅多に衝動買いなんてしないもんな……)


 これほどまでに、ケイが勢いで物を買うのは珍しい。


(ひょっとして、ストレスが溜まってんのかな……)


 そう考えると、もはや、アイリーンには何も言えなかった。


「ママー、おなか空いたー」


 と、そのとき、アイリーンの後ろから子供の声。


 振り返れば、十歳ほどの可愛らしい少女が、奥の部屋から顔を出している。


「あら、リリー。もう帰ってきたの?」

「うん! 今日は、いつもより早くおわったの」


 キスカの問いかけに、『リリー』と呼ばれたその少女は、元気に頷いた。


「えーと……?」

「ああ。うちの娘のリリーです」


 小首を傾げるアイリーンに、キスカが「お客さんよ、ご挨拶なさい」とリリーを促す。


「はじめまして、リリーです。十さいです」


 ぺこりと、一礼してリリー。子供好きのアイリーンは、その可愛らしいお辞儀に思わず微笑んだ。


「初めまして。アイリーンっていうんだ、よろしくね」


 リリーの目線までしゃがみこみ、優しげな口調で言ったアイリーンに、リリーもはにかんだ笑みを浮かべる。


「続いてご紹介したいのはこの矢です!」

「何だこれは! 随分と複雑な機構だが……」

「ふふふ、これこそが私の自信作、『一本で多人数を制圧すること』を想定した矢になります!」

「何だって!? いったいどんな仕組みが――」


 そんなアイリーンたちをよそに、ケイとモンタンは大盛り上がりだ。


「……一度ああなっちゃうと、ウチの人ってば長いのよねぇ。リリー、そろそろおやつにしましょうか。アイリーンさん、もしよかったら奥で一緒にお茶でもいかが?」

「うん。喜んで……」


 キスカの提案に、アイリーンは苦笑しながら頷く。




 ――結局、趣味人たちの熱い狂宴は、そのまま日が暮れるまで続いた。




          †††




 サティナ北西部、スラム。


 壁の外、街から伸びる下水道に、しがみつくようにして広がるこの貧民街は、壁の内側に入れない無法者や、被差別民たちの巣窟だ。


 下水道――石板で囲まれ蓋をされているとはいえ、臭いまでは完全に防げない。吐き気を催すような悪臭、隙間から漏れ出る汚水、極めて不衛生な悪環境。


 しかしそんな薄汚れた道を、一人の男が行く。


 手入れを怠り、ぼさぼさに伸びた黒い癖毛。随分と着古しているのか、すっかり色の褪めてしまった衣服。その目つきは何処かおどおどと落ち着きなく、ゴツい身体を縮こまらせるようにして、速足で歩いていた。


 男の名前を、『ボリス』、という。


 サティナの街で、かつて矢の生産に携わっていた――『元』職人。


 スラムの中の複雑な路地を、ボリスは迷うことなくずんずんと進んでいく。右から左へ、左から右へ。あばら家が形成する、まるで迷路のような小道。


 どれほど歩いたであろうか。ボリスはスラムのさらに西、人通りの少ない寂れた通りに出た。


 猫背のまま、あばら家に寄りかかり、小さく溜息をついて足を休める。見回せば、周囲に人影はほとんど見当たらない――ほんの、数人を除いて。

 小さな椅子に腰かけた、怪しげな雰囲気の老婆。ボロボロの小汚い机に、水晶の欠片や動物の骨を並べている。小銅貨の入った皿を置いているあたり、物乞いの傍ら占い師でもしているのか。ボリスがすぐそばに立っていても、俯いたまま、彫像のように動かない。

 そして道の反対側には、地べたに座り込んだ、険悪な目つきの薄汚い男たち。錆びついた剣を大事そうに抱える彼らは、その顔に黒々とした刺青を刻んでいた。十年前の戦役で故郷を追われ、浮浪者に堕ちた草原の民か。


 あるいは――。


 きっ、と鋭い視線を向けられたボリスは、慌てて男たちから目を逸らした。


「…………」


 街の喧騒は遠く、よどんだ空気は重く。路地裏を吹き抜ける風は、かすかな緊張を孕んでいる。


 ただ、不穏な静けさだけが、そこにはあった。


「…………」


 たんたん、たんたんたん、たん、と。


 その沈黙を打ち消すように、ボリスは足を踏みならす。


 たんたん、たんたんたん、たん、と。


 まるで暇を潰す子供のように。


「……そこなお方」


 そのとき初めて、老婆が動いた。


 緩慢な動作で、ボリスの方を向いた老婆は、にやりと、黄ばんだ歯を剥き出しにして、笑う。


「……鴉を、見らんかったかね。鴉を」


 その問いかけに、ボリスはやや緊張しながら、「ああ、見た」とだけ答えた。


「そうかえ。わしも、見た。黒い鴉じゃ……」


 げっげっげ、と不気味に笑う老婆の瞳は、白く濁っている。そのめしいた瞳で、何を見たというのか――。


「……座りなされ。未来を、占ってしんぜよう……」


 老婆の言葉通りに、ボリスは対面の席に着く。ギシッ、と小さな椅子の軋む音。「お手を拝借」と言う老婆へ、黙って右手を差し出した。枯れ枝のように細い腕が、ボリスの手を撫でつける。


「……。白じゃ」


 ぼそりと、老婆が告げた。


「白の、羽じゃ。気をつけなされ。彼の者は、ぬしに、死を運んでくる……」


 その不吉な言葉に、ボリスはごくりと生唾を飲み込んだ。


「白い羽を避ければ、大丈夫なのか」

「……そうさの」


 曖昧に頷く老婆が、撫でつける手を引いたとき。

 ボリスの手の平の上には、小さな金属製のケース。


「さぁ……行きなされ。残された時間は、あと、僅か……」


 ケースを懐に仕舞い、無言で立ち上がったボリスは、足早にその場を去った。


 背中に、剣を抱えた男たちの、じっとりとした視線を感じながら――。




 来た道を、ただ引き返す。


 夕暮れの、薄汚れた小道。しばらく歩いて、前方に見えてきたのは、サティナの街の城郭だ。スラムと旧市街を繋ぐ小門の前には、南の正門ほどではないが、街に入るために列をなす人々の姿があった。


 黙って、ボリスも最後尾に並ぶ。列は、五人ずつに小分けして、チェックを受けているようだった。短槍を装備した、厳しい面持ちの衛兵たち。ボリスは落ち着きなく、たんたん、たんたんたん、と貧乏ゆすりをする。まるで、待ちくたびれた子供のように。衛兵の一人が、そんなボリスを胡散臭げに眺めていた。少しずつ、だが着実に、列は進んでいく。


「次ッ! 五人、入れッ!」


 ボリスの番が来た。前に一人、後ろに三人。ぞろぞろと小門の中に入る。


「よし、全員その場で靴を脱げ! 両手は頭の後ろだッ!」


 門の中、仁王立ちになって叫ぶ一人の衛兵。他の衛兵たちとは違い、金属製の胸甲を着けている。その兜には、白い羽飾り――上級将校、隊長格の証だ。一瞬、身体を強張らせたボリスは、白羽の隊長格と目が合いそうになったので、慌てて俯いた。


「……ん?」


 しかし、その様子を怪しいと思ったのか。ざっざっ、と足音を立てて、ゆっくりと隊長格がボリスに近づいてくる。

 口の中が、からからに乾いていた。必死に、祈る。

 ただ、目立たないようにと。その辺に転がる石のようであれと――。


「貴様ッ、何を隠しているッ!!」


 恫喝の声。思わず顔から血の気が引いたが、しかし、その声はボリスに向けられたものではなかった。


 見れば、隣。ボロ布をまとったような格好の痩せた女が、衛兵に殴り倒されている。


「隊長! この女、靴の中にこんなものを……」


 衛兵の一人が、隊長格に小さな革袋を差し出した。厳めしい表情でそれを受け取った隊長が、袋を広げて中を検める。


 さらさらと、こぼれ落ちる白い粉。


 指先についた粉を舐め、ぺっとそれを吐き出した隊長格は、


「……麻薬だ」

「わっわたしは知りません! 身に覚えが――」

「ええい、黙れッ! じたばたするなッ!」


 震える声で叫ぶ女を、衛兵たちが警棒で更に殴りつける。


「やめろッ! それ以上殴るな!」


 が、隊長格が衛兵たちと女の間に割って入り、ただちに暴行を止めさせる。縋るような目つきで隊長格を見る女に対し、門の内扉をくいと顎でしゃくって見せた彼は一言、


「連行しろ」


 ガシッと、屈強な衛兵が二人、女の両脇を掴んで無理やり立たせる。


「そいつには幾つか、聞きたいことがある。丁重に扱えよ……


 その、まるで虫けらを見るような酷薄な目に、顔面を蒼白にした女はがたがたと震え出した。


「いっ、いやッ! 違うのっ、本当に知らないの! 助けてっ、誰かッ、誰かぁ!」

「クソッ、暴れるな!」

「連れて行けッ!」


 半狂乱になった女が暴れ出すが、しかし抵抗もむなしく、城壁の内側の詰所へと連行されていく。


「……馬鹿な奴だ、あれで奴隷落ちだろ……」

「……いや……最近はさらに厳しく……」

「……運び人……例外なく斬首……」

「……"尋問"の最中に死なない限りは……」


 それを見ていた順番待ちの人々が、ひそひそと言葉を交わすが、隊長格の大きな咳払いに、皆ぴたりと口を閉ざす。


「さあ、じっとしてろよ」


 ボリスの前にも、一人の衛兵がやってきた。乱暴な手つきで、足元から上へとボディチェックがなされる。それをじっと見つめる白羽の隊長格。衛兵の探る手が、遂に懐の金属ケースに、触れた。


「……」


 緊張の一瞬。しっかりと、服の上からケースの形を確かめた衛兵は――顔を強張らせるボリスをちらりと見やり、そのまま手を離す。


「この男も、異常ありません」


 振り返り、隊長格に何食わぬ顔で告げる衛兵は、先ほどのボリスの貧乏ゆすりをじっと見つめていた一人であった。

 

「うむ、ならば通ってよし」


 重々しく頷いた隊長格は、興味を失ったようにボリスから視線を外す。細く長く息を吐き出したボリスは、靴を履き直し、ゆっくりと小門を抜けた。


「――次の五人、入れッ!」


 隊長格の声を遥か後方に聞き流しながら、一本二本奥の裏路地に入り、ボリスはようやく安堵の溜息をつく。


(危なかった……)


 その顔は、げっそりとやつれていた。夕闇に包まれた薄暗い、しかしスラムよりは格段に清潔な路地を、死人のような足取りでのろのろと歩く。


 やがて、仄かな明かりの洩れる、小さな酒場へと辿り着いた。


「……エール」


 カウンターの席に座り、抑揚のない声で主人に注文をつける。樽から木のジョッキに琥珀色の液体が注がれ、乱暴に目の前に置かれた。


「よう兄弟。調子はどうだ」


 ジョッキに口を付けようとしたところで、一人の痩せた男が慣れ慣れしく、ボリスの隣の席に座って話しかけてくる。


「……上々さ」


 陰気な口調で答えたボリスは、カウンターの下、懐から取り出したケースを隣の男へ差し出した。何食わぬ顔でそれを受け取る男。


「そいつぁ何よりだ。どうだ? 上さんの機嫌は?」

「……女房なら、とっくの昔に逃げ出してるよ」

「はははは、そういやそうだったな。悪い悪い、忘れてたぜ」


 意地の悪い笑みを浮かべながら、男は金属製のケースを仕舞い、代わりに小さな革袋をボリスの目の前に置く。


「侘びということで、今日はオレの奢りだ。たっぷり呑んでくれよな」


 それじゃあまたな、と言いつつ男は席を立ち、そのまま酒場を出て行った。


「……」


 のろのろと、緩慢な動きで、ボリスは革袋の中身を確かめる。


 鈍い輝きを放つ銅貨が、数十枚。


 銀貨一枚には、少し足りない。かさばりはするが、それほど価値はない。そんな枚数。


「……これだけか」


 ぽつりと小さく呟いた。これがお前の命の値段だ。そう告げられたような気がして。


「……くそッ」


 ジョッキをあおり、エールを流し込む。苦い安酒はどうしようもなく不味いが、それでも呑まずにはいられない。銅貨数十枚。普通に働くよりはいい稼ぎだが、それでも借金を返すには遥かに足りなかった。あと数回、あるいは十数回、この仕事を繰り返さなければならない。


「……エール」


 ぼそりと、空になったジョッキを差し出しつつ、ボリスは天井で揺れるランプの薄明りをぎろりと睨みつけた。


 先ほど、自分が運んだ金属製のケース。あれの中身が売り捌かれるとき、実際に幾らになるのかは、ボリスには想像もつかない。しかし、末端価格でいえば、銀貨の十枚や二十枚では収まらないはず。


 それなのに、自分の手取りは、銀貨一枚にも満たない。


「……くそッ!」


 エールをあおる。悲しかった。虚しかった。先ほどケースを渡した男の名前すら、ボリスは知らないのだ。今日はまだ運が良かったが、一歩間違えれば、ボリスも先ほどの女と同じ末路を辿る。トカゲの尻尾、その末端も末端。自分のあまりの小物さに、吐き気すら催した。世の中不公平だと嘆きつつも、脳裏をよぎるのは楽しかった時代。まだ、自分が職人として、活躍できていた時代。


「……あの頃は良かった」


 ぽつりと。呟くと同時に思い描いたのは、モンタンの顔。


「なんで、アイツはああなのに、俺は……!」



 ぎり、とジョッキを握る手に、力がこもる。



「お前も一度、味わってみろってんだ……」



 この、安酒の味を。







 場末の、うらぶれた小さな酒場。



 腐った男が吐き出した毒は、薄暗い闇の中に、溶けて消えていった。





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