Vermillion ; 朱き強弓のエトランジェ
甘木智彬
0. DEMONDAL
なだらかな起伏が続く、緑の草原。
抜けるような青空にはふわふわと羊雲が浮き、涼やかな風が吹き抜ける。
そんな牧歌的な風景の中に、しかし、場違いに荒々しく駆ける騎馬の姿があった。
その数、十騎。
突出して駆ける二騎に、それを追う八騎。
先行する二騎は、同じ革のマントを羽織り、同種と思しき褐色の馬に乗っていた。
片方だけはパンパンに膨れた重たそうな革袋を鞍にくくりつけていたが、おおよそ二人とも装備は統一されているようだ。
それに対して、残りの八人の見てくれは酷い。
馬の種類は雑多。
装備は革鎧、ボロ布、もしくは半裸。
武器も簡素な弓や骨製の槍、錆びついた剣といった、お粗末なものばかり。
てんでばらばらな構成だ。両の目を欲望の光にぎらつかせている、という点においては、八人とも似通っていたが――。
逃げる側と追う側の構図。
両者の距離は、刻一刻と縮まっていく。
「逃がすな、追えーっ!」
「やっちまえッ!」
「回り込めーッ!」
追う側の八騎が、手にした得物を振り上げ、口汚く叫び声を上げた。
スラング混じりの汚い英語。たまに、下品な罵声が混じる。
装備と品性の両面でまさしく、『追剥』や『荒くれ者』といった言葉がお似合いの連中だが、そんな粗野な様子とは裏腹に、騎馬の連携には見事なものがあった。
逃げる側の二騎を追い立てるようにして、八騎はそれぞれ扇状に展開。
騎馬同士の距離を一定に保ち、またたく間に半包囲網を形成した。
「射かけろッ!」
中央を駆ける、比較的まともな革鎧の装備の男が――どうやら追剥たちの頭目らしい――槍を振り上げて叫ぶ。
その声を受けて、両翼に展開していた四人の射手が、簡素な短弓に矢をつがえた。
「
右翼、顔面に刺青を入れた射手の男が叫ぶ。
それを合図に、残りの三人も弓を引き絞り、一斉に矢を放った。
矢羽が立てる細い風切音。
それを耳にして、ちらっと後ろを振り返った二騎は一瞬でその軌道を見切り、巧みな手綱さばきで次々と矢を回避する。
追剥の弓の腕と、逃げる騎手の手綱さばき。その技量の差が如実に表れていた。
二騎の標的は無傷のままに、矢だけがいたずらに消費されていく。
「……チッ。右のを狙え!」
頭目は舌打ちし、部下たちに指示を飛ばす。たちまち、狙いが右側の一騎に集中した。
元々、右側の騎馬は鞍に大きな革袋を括りつけており、左に比べて動きが鈍い。集中砲火を浴びた騎手は果敢に回避を試みるも、苛烈さを増した弾幕には抗しきれず、ついに乗騎が矢を受けてしまう。
「!!」
尻に矢が刺さった馬は、いななきを上げ派手に転倒。
鞍の革袋が開き、青い液体が詰まった瓶がばらばらと地面に零れ落ちる。
肝心の騎手は直前に鞍から飛び降りたらしく、草原に身を投げ出して受け身を取ったのか、ほぼ無傷であった。
「一騎墜ちたぞォ!」
「ヒャッハー殺せェ!」
が、そこに、猛スピードで馬を駆る無法者たちが迫る。
「ハッハハハ、死ねえッ!」
追剥の頭目は残虐な笑みを浮かべ、地面に這いつくばる獲物に向け真っ直ぐに槍を突き出した。
鋭い槍の穂先が、ぎらりと凶悪な光を放つ。
迫る凶刃。
飛び起きた騎手はマントを翻し、一目散に逃げ始めた。
それを見て、馬鹿め、と頭目はせせら笑う。
成る程、確かにその足の速さには、目を見張るものがある。
だが、所詮は
あっという間に距離を詰めた頭目は、逃走する獲物の無防備な背中に、容赦なく槍を突き込んだ。
研ぎ澄まされた槍の穂先は、呆気なく革製のマントをとらえ、突き刺さる。
しかし――軽い。軽すぎる。
手応えのない槍に、風に吹かれたマントがまとわりつく。
空振った、と理解した。
その瞬間、頭目の乗騎は鋭いいななき声を上げ、がくんと前につんのめる。
転倒。
たまらず鞍から放り出され、そのまま草原の大地に背中から叩き付けられた。
「ぐえっ」
しこたま背中を打った衝撃で、蛙のような声が出る。
その拍子に槍を取り落としてしまったが、頭目はそれに構わず素早く立ち上がり、腰の鞘から長剣を引き抜いた。
見れば、自分の乗騎が、左前脚を斬り飛ばされてもがき苦しんでいる。
そしてその傍らに――黒い影。
敵の正体を視界に収めた頭目の目が、驚愕にカッと見開かれた。
「おッ、お前はッ!」
動揺する頭目をよそに、黒い影は黙したまま、半身にサーベルを構える。ただ、その青い瞳を、すっと細めて。
それは、金髪碧眼の少年だった。
女と見紛うばかりに小柄な体躯、精悍な顔立ちに鋭い目つき。長く伸ばした金髪は、邪魔にならぬよう後頭部で束ねてある。そして右手に何の変哲もないシンプルなサーベルを構える少年だったが――その装いは、異様の一言。
黒づくめ。
頭部には黒鉄の額当て。口元を覆い隠す黒のマフラー。全身を包むのはぴったりとした布製の黒衣で、手足には黒革の籠手と脛当て。腰の帯には黒塗りのダガーを差し、極め付けに背中には、黒塗りのサーベルの鞘を背負っていた。
その姿は、まさしく――
「――"NINJA"!」
頭目は呻くようにして叫ぶ。
"忍者"。
それも、純粋な
外国人が勝手にイメージを膨らませて創り出したような、何かちょっと間違えてる、"NINJA"。
「"NINJA"! "NINJA"のアンドレイ!?」
「
「あの一瞬でマントを身代わりに……!」
周囲の手下たちにも、動揺が広がる。
"NINJA"のアンドレイ。
彼は、この世界でも屈指の有名人だった。
その個性的すぎる見かけと――それでも、確かな実力から。
アンドレイという強敵の出現におののく手下をよそに、動揺の波が引いていち早く立ち直った頭目は、じりじりと全身の血が沸き立つのを感じた。
闘志。
強者に挑戦したい。
己の力を試したい。
そんな、純粋な欲求。
「……アンタとは一度、戦ってみたいと思ってたんだ……!」
驚愕の表情を、獰猛な笑みに染め直し。
すっ、と正眼にロングソードを構えた。
瞬間、アンドレイの姿が黒くブレる。
銀閃が横切った。
ぱすん、という衝撃。斬られた、とわかった。
は? と声を上げようとして、気付く。
声が出ない。見れば、視界の端、己の首から赤い
速く、それでいて正確、かつ、致命的な一撃。
呆気に取られたまま、頭目はただ、「はええ」と口を動かした。
その瞬間、多量の出血により『失血死』判定を受けた頭目は、どさりと人形のように地に倒れ伏し、そのまま物言わぬ『肉塊』と化した。
「お頭ァ!」
「てめェッよくもッ!」
頭目の死に、怖気づくよりもむしろ激昂した二人の追剥が、馬首を巡らせてアンドレイに迫る。
得物はそれぞれ槍と棍、両者ともに長柄の武器だ。
アンドレイを左右から挟み込むように、騎馬で全力の突進をかける。
対するアンドレイは、右手にサーベルを構え、左手で黒塗りのダガーを引き抜いた。
「おらアァァァッッッ!!」
「死ねええぇぇぇッッ!!」
武器を振り上げた騎乗の追剥が、左右から迫る。
一見すると絶体絶命の状況だったが、当のアンドレイは落ち着いたものだった。
彼は知っていた。
自分が一人でないことを。
カァン! と、乾竹を割ったような快音が、蒼天に響き渡る。
「何だ?」
追剥の一人、槍を構えていたもじゃ髭の男が、怪訝な顔で首を巡らせた。
風切音。
次の瞬間、ドチュンと湿った音を立てて、もじゃ髭の頭部が吹き飛んだ。
その首の付け根から、噴水のように
動体視力に優れた者ならば、知覚できたはずだ。
遥か後方より飛来した矢が、追剥の首に突き刺さり、それを千切り飛ばしたことを。
「何だと!?」
棍棒を振り上げ、今にもアンドレイに突撃しようとしていた追剥は、突然の相方の死に思わず馬の足を止める。
何が起きた。見やる。後方。
マントをはためかせ、ひとり駆ける騎兵の姿。
アンドレイと共に逃げていた、残りの一騎。
精緻な装飾の革鎧に身を固め、頭部には羽根飾りのついた革の兜、口元を布で覆っているために顔はよく見えず、かろうじて分かるのは、それが黒い瞳を持つ青年であるということのみ。
武装として、腰にひと振りのサーベルを佩いていたが、ひと際目を引くのは、左手に構える朱色の弓だ。
騎乗で扱うには少し大き目の、異様な存在感を放つ複合弓。
草原の緑に、鮮やかな朱色がよく映える。
優美な曲線を描く弧――それは、陽光を浴び妖しく煌めいていた。
「――殺せッ!」
しばし呆然としていた追剥たちだったが、すぐに我に返り怒りの声を上げる。
が、黒目の青年は、既に新たな矢をつがえていた。駆け足に揺れる馬上、一息に弦を引き絞り、放つ。
カァン! と快音再び、一筋の銀光と化した矢が、唸りを上げて追剥に襲い掛かった。
腹の底に響くような、肉を打つ重低音。
アンドレイと相対していた棍棒使いが、弾かれたように馬上から吹き飛ばされる。
その左胸に突き立つは、白羽の矢。
的確に心の臓を捉えた、
どさり、と地に落ちた棍棒使いは、己の革鎧をいとも容易く突き破った矢に、ただただ呆然と視線を落とす。
「
小さく呟いたのを最後に
「野郎ッ、なんて腕だ!」
「腕だけじゃねえ、あの弓もヤバい!」
「OK, 俺に任せなッ!!」
浮足立つ追剥の中、板金仕込みの革鎧で武装した比較的重装備の男が、木製の円形盾を掲げながら勢いよく飛び出した。
「カモォォン、ファッキンアーチャ――ッ!!」
挑発的な雄叫びをあげながら、比較的重装備男が突撃する。
ガンガンとメイスで円形盾を叩き鳴らす姿は、まるで「ここに射掛けてみろ」とでも言わんばかりだ。
「……」
対する黒目の青年は、少しだけ目を細め、きりきりと弦を引き絞る。
快音。
凄まじい勢いで撃ち出された銀光が、馬鹿正直に、真正面から盾持ちの追剥へと迫る。
ろくに視認すら出来ぬ矢の速さ、しかし、真正面であればこそ見切るのは容易い。
にやりと好戦的な笑みを浮かべた追剥は、あらかじめ身構えていたこともあり、余裕を持って盾で受ける。
が。
破砕。
一撃で盾の表面を叩き割った矢は、そのまま裏側の持ち手を貫通し、勢いを減じることなく直進。
追剥の革鎧に仕込まれた板金を、紙きれのようにブチ抜いた。
「Oh……ッ!」
矢の威力に自身の突進の力が合わさり、盾持ちの男はビリヤードの玉のように勢いよく吹き飛ばされる
ぴくりとも動かない。無論、『即死』だった。
主を失ってもなお、歩みを止めなかった騎馬が、パカパカと足音を響かせながら、黒目の青年のそばを駆け足で通り過ぎていく。
「……ジェームズがやられたーッ!」
「ヤバい、あのアーチャーはヤバい!」
「もうダメだ、逃げろーッ!」
底知れぬ弓の威力、そしてその化け物じみた使い手を前に、完全に戦意を喪失した追剥たちは馬首を巡らせて一目散に逃走し始める。
対する黒目の弓使いも馬を走らせ、緩やかに迫撃を開始した。
弓の狙いを逸らすため、必死でジグザグに走りランダムな機動を取る追剥たち。
だが、その努力はすべて無駄に終わった。
快音が再び鳴り響くこと、二度、三度。
銀光が閃き、そのたびに追剥が馬上から叩き落とされていく。
あっという間に三騎が射殺された追剥たちだったが、最後の一騎は運が良かった。矢の直撃を受けるも、肩に刺さったおかげで辛うじて即死は免れたのだ。矢傷を負った追剥はそのまま馬を走らせ、丘陵の向こう側へと姿を消していった。
「……」
黒目の青年は深追いせずに、小高い丘の上で馬の足を止める。弓に矢をつがえたまま、頭を巡らせて周囲に視線をやった。
東には、地平線の果てまで続く、緑の丘陵地帯。時たまぶわりと風が押し寄せて、さわさわと葉擦れの音を運んでくる。
西には、うっすらと霞んで見える雄大な山脈と、そのふもとに広がる森林。森の手前、肩に矢が刺さったまま、必死で逃げる追剥の姿が小さく見えた。鷹並みの視力を誇る青年の視界の中、西へ西へと駆ける追剥の後ろ姿が小さくなっていく。
警戒を続けること、数十秒。
伏兵や新手の存在はないと判断し、青年はアンドレイの元へと戻っていった。
「…………」
矢が尻に刺さって痛そうにしている、褐色の馬のそば。アンドレイはがっくりと地に膝をつき、項垂れていた。
「……大丈夫か?」
訛りのない流暢な英語。矢を矢筒にしまい、弓を膝の上に置いた青年が、馬上から声をかける。
「大丈夫じゃねえ!!」
黒目の青年の言葉に、キッと顔を上げたアンドレイが悲痛な叫びで答える。こちらも英語で、Rの発音にはきついロシア語訛りが入っていた。
「見ろ! これを! 酷い有り様だ!」
アンドレイは勢いよく立ちあがり、芝居がかかった仕草で、周囲に散らばった大量の瓶を示して見せる。
柔らかな草原の地に転がるそれらは、しかし、放り出された衝撃からか、ほとんどが割れていた。無事な物はほとんど見受けられず、中に詰まっていた青色の液体も多くが流れ出てしまっている。
「――
言っているうちにどんどんテンションが下がっていき、しまいには「よよよ」と泣き崩れて再び膝をつくアンドレイ。
対する黒目の青年は、そんな彼を憐みの目で見ながらも、やれやれと小さく頭を振る。
「……だから『欲張るな』と言ったんだ。買占めて転売なんざ、あこぎなことを考えるからこうなる」
「だって、だってさぁ!」
「せめて、馬が重量オーバーにさえなってなけりゃ、逃げ切れた。違うか?」
「ぬぐっ……」
青年の指摘に、アンドレイが言葉を詰まらせる。
馬の重量オーバーはやめておけ、という忠告を押し切って、無理やり大量のポーションを載せたのは、他ならぬ彼自身だったからだ。
「……っていうか、お前が最初っから弓で射かけとけば、
己の不利を悟ったアンドレイが立ち上がり、大仰な身振り手振りを交えて論点をずらそうとする。しかし、
「おいおい、お前を『護衛』として雇ったのは誰だ?」
「ぬっ」
「考えてもみろ、『依頼主』が『護衛』を守るなんて愉快な話があるか?」
「ぐっ」
「第一、置いていかれなかっただけでも感謝して欲しいもんだ。お前を置いていけば、俺はノーリスクで悠々と逃げ切れたんだからな」
「ぐぬぬっ」
手痛く反撃を食らって、悔しそうな顔で呻く。
どうにか言い返そうと口を開くも、反論の余地は無いと悟ったのか、そのままがくりと膝をついた。
「まったく、護衛頼んだのはこちらとはいえ、何度置いていこうと思ったことか。ただでさえこっちは『貴重品』持ってるってのに……」
独り言のように呟きながら、青年がぽんぽんと、膝の上の弓を叩いて見せる。
「くっ……くそっ、ケイ、お前のせいだ! お前が護衛なんて頼むから! 珍しく頼みごとされたと思って、引き受けたのが間違いだった! 断っておけばポーションになんて手ぇ出さずに済んだのに! 畜生っ! 畜生っ……!!」
吐き捨てるように言ってのけ、再びテンションが下降したアンドレイは、骨が抜けたかのように脱力。
どさりと力なく倒れ伏して、いじいじと地面を指先でいじくり始めた。
八つ当たりもいいところだ。『ケイ』と呼ばれた黒目の青年は、ため息一つ。
視界の遥か彼方、うっすらと見える雄大な山脈を眺めながら、
『知らんがな……』
漏れ出た呟きは、日本語だった。
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